第二話

 渡會は冒険者の働きが見たいと言う。

 実際に戦っている現場に連れて行くことは難しいので、ギルドへ向かうことになった。ギルドは開けた場所であるので、取材についても寛容だ。そして、作家の取材対象としては、よくある注文でもあった。

 車内から解放され、ブラックとの距離ができたことで落ち着いたのか。車内の間に少しは慣れたのか。取材へ集中して他のことが意識から抜け落ちているのか。取材中の渡會は、熱意に溢れた職人のようだった。受付のお姉さんもたじたじだ。

 それを見ながら、俺たちはギルド併設の飯屋で時間を潰した。

 とはいえ、客を放り出して食事をするわけにはいかないので、冷やかしとほとんど変わらない。ただし、併設の飯屋はギルドの待合場所も兼ねているので、怒られることはなかった。テーブルについて、思い思いに渡會を眺めている。

 お決まりのように隣に収まっているエミリーは、パーカーの紐を弄っていた。俺のなんだが、と口に出そうになるのを飲み込む。渡したのは自分であるし、今更紐ごときでケチをつけるのもアホらしい。

 しばしぼうっと見ていると、エミリーの顔が持ち上がって視線がぶつかった。


「どうかしましたか?」


 ゆるりと首を傾げられて、苦汁を飲んだ。


「体調は平気か?」

「不調に見えますか?」

「いや?」

「だったら、平気ですよ」

「俺の目を判断に使うなよ」


 エミリーは緩く肩を竦めて、答えを濁す。自分じゃ判断できないから、とばかりの投げ出し方には困惑するより他にない。

 キクとピュイはこういうとき他人事だ。こういうとき、というより基本的に他人事だった。特に今は、ブラックがいる。人型のブラックと、会話を交わすタイミングだと思っているのか。それとも、放っておけないのか。ブラックにかかりきりになっていた。

 まぁ、こうして二人がブラックの相手を引き受けてくれているから、渡會も安心できるのかもしれない。状況に見合っているのだから、文句はなかった。

 ただ少し、俺がひとりでに気まずいだけだ。

 ちらりと隣のエミリーを視界に留める。何を考えているのかまるで分からなかった。フラット、とまでは言わない。言わないが、比較的落ち着いている。昨日の取り乱し方を見れば、健全な状態であるだろう。

 しかし、俺のことをどう思っているのかが、さっぱり分からなかった。

 元々、よく分からなかったのだ。男に食いつくわりに、俺は範疇に入っていなかった。それにプライドが傷つけられただなんてことはない。ただ、意図は分からなかった。上司と揉めたくはないという順当な判断だったのだろうか。

 そのうえ、昨日のことだ。

 何がどう転がってああなったのか。衝動的だった。馬鹿みたいだ。

 社会人になって、遊び歩くのはやめた。正確には就活を始めてからだが、本格的に足を洗ったのは社会人になってからだ。異世界と地球を行き来する生活は、遊ぶのに向いていなくて、それが一助になった。

 やめてしまえばそれまでだ。やっていたときだって、別段理由があったわけでもない。なんとなく、愉楽に流れた。ただそれだけで事足りる。もし理由が必要ならば、中二病・高二病・大二病。そのどれかを患って屈曲したのだろう。それくらいのものだ。

 黒歴史。だが、黒歴史は黒歴史なりに歴史であって、繰り返すのが愚かだという学びくらいはある。

 そのくせ、今でも気安くホテルに連れ込めるフットワークの軽さには、我ながらドン引きした。ただ、あのときの俺は情動に突き動かされていたのだ。エミリーがどうでもいいと言った瞬間。腹の中が熱くたぎって、苛立った。

 いいわけねぇだろ。

 壮絶な体験を語るエミリーの瞳は、上の空だった。泣かない代わりに、血反吐を吐いているようだった。性的に食われた友人の話をしているとき、身体ががたがたと震えていた。

 その恐怖があって、どうでもいいなんて軽々しく言えることに腹が立って仕方がない。子孫を残すことだけ。まるでそのためだけに生き残っているような言い草に、はらわたが煮えくり返った。

 カルツが。自分の足を失って這ってでもエミリーを逃がそうとしたカルツが、エミリーが自分を蔑ろにすることを願うと思うのか。

 きっと、エミリーは分かっていない。たとえ死に行く間際の数秒。微々たる時間稼ぎをしてでも、自分の命を賭して相手を守ろうとする理由なんてひとつだ。生きていてほしい。生かしてやりたい。

 愛しているから。

 想像でしかない。けれど、俺はこの世界の過酷さを知っている。この世界の男たちが、家族や大事な恋人を守るために命を賭すことを知っている。カルツがそうであったと直感的に信じられたのは、エミリーがこうして生きているからだ。

 それを蔑ろにする。襲われる恐怖を知っていて、どうでもいいなどと嘯く。

 いいわけがない。そんなものは恰好の餌で、そしてエミリーには何も残らない。この孤独な少女は、きっともっと虚しくなるだけだ。

 身体だけの関係がじきに虚しくなることを、俺は知っている。いや、結局それは青春だとかそういうものを拗らせた馬鹿な感傷でしかないのかもしれない。そのことを寂しかったなどというつもりもない。

 ただ、いつのころからか漠然と寂寞を抱き始め、就活を境に離れた。離れてみて、誰からも惜しまれないことに気がつく。そこで得た薄っぺらい繋がりなんてものは、何も生まなかったのだと思い知った。

 それでもいいと思っていた。俺も多分、薄ぼんやり、どうでもいいと思っていた。爛れた生活を送っていたが、留年の危機に晒されたことは一度もない。ただ女遊びが激しいだけのことで、目くじらを立てられることではないと。放っておいてくれ、どうでもいいだろう、と。

 理由のない投げやりだからこそ、始末に負えない。とどのつまり大二病だったのだろうが、どうでもいいという感情に覚えはあった。

 エミリーの気持ちが分かるなんて薄ら寒いことは言わない。そんな同情めいたこと、言ったところで何の救いにもならないだろう。エミリーのつらさはエミリーにしか分からない。

 友を不条理に亡くした経験もない。故郷もある。そんな俺が口にしたところで、それは軽薄な同情にしか聞こえなかっただろう。自分の過去と重ね合わせたなど、それこそお笑い種だ。

 けれど、それでも虚しい思いをしてほしくはなかった。

 だから、連れ出したのだ。ラブホへ。

 実際に経験すれば、少しは思い知るだろうと思った。場当たり的な考えではあったが、俺にできるのはそれくらいだった。下手な同情なんてできない俺は、手ひどい方法を採る以外のやり方を知らない。

 脅すだけのつもりだった。しかし、エミリーは部屋までついてきてしまったし、文句を言うこともなかった。

 そうなってしまったからには仕方がない。地球のシャワーの浴び方を教えた。手癖のように、続けてシャワーを浴びて、バスローブに袖を通す。先に上がっていたエミリーは、バスローブをはだけさせながらベッドに横たわっていた。

 頭痛がした。

 どこまでやるのか。そのことばかりを考えて、シャワー時間を引き延ばしていた。最中に、エミリーの裸体を描いた妄想力には、ほとほと呆れ返るばかりだ。

 名を呼んで、上に覆い被さる。エミリーのエメラルドが、僅かに波打った。頃合いを見計らって切り上げる、と脳内に打ち立てていた目標が砂の城のように崩れそうになる。

 陶磁器のような肌が、目に眩しい。その身体に紗のように流れるブロンドを掬うように指に通した。まだ水気の残った髪の毛が、しっとりと指に絡みつく。自分の髪と同じシャンプーの香りが鼻先を擽った。

 髪を梳くように撫で、そのまま頬へと手のひらを滑り落とす。柔らかくてすべすべとした肌が、皮膚に吸い付いた。見下ろす先には、薄紅色に潤う唇。少しずらせば、むしゃぶりつきたくなる谷間が惜しげもなく晒されている。

 すりすりと指先で頬を撫でると、エミリーは擽ったそうに身を捩った。小さく零れた吐息が艶めいて聞こえたのが引き金だ。

 生々しく蘇る昨日の記憶に、かぶりを振る。

 一時凌ぎにしかならなかったが、その身動ぎをピュイに見咎められて現実には戻れた。冷徹な目つきに、頬が引き攣る。


「なんだよ」

「こっちの台詞。急にヘドバンし始めるなんて恐怖」

「そんなに振り乱してないだろ」

「振った自覚はあるじゃん」

「……ほっとけ」

「聞くつもりはない。バレバレ」

「は?」


 すっとぼけるつもりでいたが、隣のエルフが強張ってくれた。これでは何かがあったと口にしてしまったようなものだ。


「二人で朝帰りしたって聞いた。何かあったことは明白」

「……もうちょっと遠慮とかねぇの?」

「関係ないもの」


 はっきりしているのはありがたいし、野次馬根性がないのはいい。

 だが、ピュイに俺たちの帰りについて、誰かが伝えたことが発覚した。キクとブラックしかおるまい。つまり、二人もお察し済みと言うことだ。ブラックに朝帰りという語彙力はないだろうから、伝えたのがキクだろうことすらも判明した。

 エミリーもじわじわと状況を理解したらしい。その理解と同じだけ、頬が赤く染まっていく。きゅっとパーカーの紐を引くものだから、てるてる坊主みたいになっていた。可愛さよりも、煩わしさが大きい。

 朝帰りを認めたも同然のそれに、ピュイの視線が突き刺さる。関係ないんじゃねぇのか、と白目を剥きたかった。


「……何もしてねぇよ」


 一瞬で、蔑んだ目つきに変わる。


「部下に手を出すのも大概だけど、認めないほうがよっぽどひどい」

「その言い回しはやめろ!」


 とんでもないセクハラ上司だ。犯罪者に聞こえる。


「ついにおっぱいの魅力に抗えんかったんじゃないのか」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「しょっちゅう盗み見ておるくせに」


 キクの暴露に、エミリーが身体の前で腕をクロスさせた。動作に視線が寄せられ、腕に潰される胸の弾力が視界に入る。


「えっち」


 お前が言うなよ、と思わず零れそうになった自爆を飲み込んだ。昨日のエミリーのほうが数倍はエッチだった。


「触ったんじゃろ?」

「やかましい」

「触られてませんよ!」

「栄斗……少しは尽くさんと嫌われるぞ。好きなら触ってやらんか」

「好きとか嫌いとかそういう話じゃない」

「恋愛なしの爛れた関係になったの? 部下と?」

「だから、その言い回しはやめろ!」

「なってませんから!」


 エミリーと二人がかりで否定しても、まったく届いている気がしない。

 そりゃ、何もしていないは純度一〇〇%の嘘だが、やっていないのは本当だ。胸を揉んだりしていないし、それ以上もない。どれだけ言っても、信じてもらえそうにはないし、まるっと詳細を話すつもりもないが。


「二人とも同じ匂いがする」


 のほほんと零したのはブラックで、俺たちはついに撃沈した。その点においては、言い訳できるものがない。お互いそっぽを向いて、沈黙を貫く。

 ピュイは疑惑の目で、キクはにやにやを堪えたような顔で、ブラックは破顔していた。

 沈没させた張本犬が一番楽しそうなのが、面白くない。だが、この辺の知識と言語能力がどれほど一致しているのか分からなくて、責めることも憚られた。墓穴を掘ることになりかねず、沈黙を守るしかなかった。

 なんとも絶妙に奇天烈な空気は、戻ってきた渡會を大層当惑させたようだ。

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