外に出ずにはいられない

 東京での仕事の帰り、相楽屋の最寄り駅で千歳(朝霧の忌み子のすがた)と落ち合わせた。


『あっちあっち』

「割と近いんだね」


 千歳の案内について歩くと、紺色の暖簾に白く染め抜いた【相楽屋】がある店が目に入った。とりあえず暖簾をくぐると、定食をかきこんでいたり刺身で一杯やってたりするおっさんおじいさんが結構いた。


「36年前と変わってる?」

『んー、36年そのままに年だけ取った感じだ』

「へえ、本当に長年やってるんだね」


 確かに、店内のメニュー表や壁なんかは年季が入ってる印象を受ける。そこそこ繁盛してるし、だから長くやれてるんだろうな。

 厨房では険しい顔のおじいさんが忙しく働いていて、おじいさんの奥さんらしき人が愛想よく席まで案内してくれた。


「メニューこちらです、お冷どうぞ」

「ありがとうございます」

『ありがとうございます!』


 メニュー表の定食は魚が多めだった。まぐろ刺身、刺し身三点盛り合わせ、カツオたたき、アジフライなど。久々にお刺身でも食べようかな。


「この刺身盛り合わせ、奢ってもらってもいい?」

『うん! ワシ、アジフライ食う』


 奥さんが注文を取りに来てくれて、しばし待ちのタイム。


「飲んでる人も多いね」

『うん、倉沢静はよくここで飯食ってついでに飲んでたんだ。お前も飲むか?』

「今日はいいや」


 壁にあるメニュー表を改めて見ると、おつまみになりそうな物も多い。食事の後一杯やるのにはちょうどよさそう。


『ここのおかずの小鉢でポン酢炒めがよく出てさ、それ倉沢静は好きだったんだ』

「あ、この前作ってくれたナスのやつ?」

『そうそう』


 出てきた定食は立派な刺身が盛られていて、確かに小鉢にナスと玉ねぎのポン酢炒めがついていた。千歳の定食もずいぶん大きいアジフライだ。


「いただきます」

『いっただきまーす!』


 刺身は生臭さがなく旨味ばかりで、プリプリで新鮮なのが伝わってくる。そうか、豊洲市場から遠くないもんな、だから魚メニューが多いのか。

 千歳はアジフライにかぶりつき、『うんまい! 昔よりうまい!』と感激していた。


『えー、昔のもうまかったのになあ、腕上げてるなあ大将』

「よかったね」


 そんなこんなで俺達は食事を楽しんでいたが、ふと視線を感じて俺は顔を上げた。ん? 相楽屋のご主人、こっちをチラチラ見てないか?

 ……俺達の会話、聞こえてた?

 えっと、36年前の事喋ってたのが変に思われた? 俺も千歳も、その頃生まれてすらいないように見えるだろうし……ていうか、倉沢さんの名前出したのもよくなかった?


「……ねえ千歳、ここのご主人って、倉沢さんと親しかった?」


 恐る恐るそう聞いてみると、千歳は『んー、友達って感じじゃなかったけど』と首を傾げた。


『倉沢静は、大将が作る飯が好きで、大将が別の店で下積みしてるときから通ってて、この店の開店費用出したりしてた』


 認知されてるどころの騒ぎじゃない!

 俺は声を潜めた。


「ねえ千歳、さっきから店のご主人にチラチラ見られてるんだよ、倉沢さんの名前なんで知ってるんだって不思議に思われてるかも」

『え、マジか。じゃあやめとこう』


 俺達はそそくさと残りを平らげ、お勘定を済ませて店を出た。


「おなかいっぱい」

『お前には多かったかな。……ん?』


 千歳は道の真ん中で立ち止まってしまった。


「ん? どうした?」

『……まずいかも』


 千歳の顔色がなんだかすぐれない。え、また何かトラブル!?


「ど、どうしたの!? 大丈夫!?」

『ちょっ、ちょっとここじゃダメだ、待て、ちょっと待て!』


 千歳は脇の路地に飛び込んでしまった。


「待って待って、どうしたの!?」

『出ちゃう!』

「何が!?」


 トイレか何か!?

 千歳は、姿を変える時のボンッという音を出し、煙が消えるとそこには二人の姿があった。

 呆然と立つ千歳と、千歳がよくなってるヤーさんの格好の人。


「も、申し訳ないっす、千歳さん……」


 そのでかくごつい男性は、千歳に頭を下げた。

 ……え、倉沢静さん?

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