第7話
さて、俺は今日、日向と願いの叶う海とやらに行ってから、何故か拗ねてしまった日向の為に服を大量に買ってあげた超絶優しい男なわけなんだが、七星の旅館へ帰ってからはそんな優しい男の部分なんて評価されることもなく、めちゃくちゃ鬼顔の夏美さんが俺に向かって怒りをぶつけてきた。鬼顔の夏美さんは、俺が帰ってきた瞬間に止まらない怒りラップを披露してきたので、その後、俺は疲れて夕方まで自分が使っている部屋で寝てしまっていた。
ちなみにどのくらいラップに付き合わされたかというと、一時間は越えていたと思う。
「なんでYO☆車がねえYO☆ナツミのナウはどんな気持ちかラップで答えてみろYO☆ナンデ日向を危険にさらしたんだYO☆買い出し行かせろYO☆」みたいな感じで、自分の車が奪われたことへの怒りを俺に永遠と叫んでいた。正直これはわがまますぎる日向といるより地獄だったぞ。というか、車を使ったのは日向のせいだって俺はちゃんと帰って来た時、夏美さんに説明したよな!?日向はなんも助けてくれないしよお!!やっぱりこういうのって、すぐ大人の責任になるじゃんか、はあ。
そして、夏美さんは怒涛の謎ラップを言い切った後、だいぶすっきりした顔で、「今度私とデートですからね!付き合ってくださいNE☆そしたら許してあげます」という謎のセリフを投げ捨てて消えていったんだが。
え?デート?
夏美さんはデートをしてくれたら、許してくれるってこと?
うーーん。
どういうことだ?全然わからん。
デートって、デートだよな?
あの、男が憧れるデートだろうか?
喜んでいいやつ?
デートという言葉の響きは良さそうだし、普通の大人なら可愛い見た目の夏美さんとなんて……と喜ぶだろう。でも、癖が強すぎる夏美さんとのデートはどこか不安要素があり、喜べない自分がいた。
それに、今回は俺が悪い事?したことになってるわけだし、それで幸せなデートが出来るかというと、なんか違う予感もする。
また、ラップを永遠と聞かされるのは嫌だな……。
まあいいか。なんでも。
今日はもう、ゆっくり寝て回復できたし、考えるのは辞めよ。
とりあえず、無事一日が終了してくれてよかった。
「今日もいろいろすごかったな……思考が追い付かねえよ」
そう呟きながら時刻を確認すると、もう十九時。
なんだかんだあっという間の一日だった。
今日もいろいろありすぎて、目まぐるしすぎて大変でもあったけれど。
でも、それはいい意味でだ。いい意味で大変だった。
「今は東京にいる時よりも、ずっと楽しいかもしれねえな……」
そう呟きながら、とりあえず俺はこれから今日の疲れをとるために、初日に夏美さんに案内された、いつでも入ることが出来るお風呂に向かうことにした。
臭う体をきれいに洗ってから、お風呂に浸かると全身がほぐれるように楽になった。
極楽だ。
今俺はこの極楽な世界でひとり、心から温まることができている。
「はあ、気持ちいいな。そして広くていい風呂だ」
この旅館は客室が大量にあるわけではないが、お風呂は広くて気持ちがいい。一度に二十人くらいは入れてしまうかもしれないくらいだ。
そして、それを俺が独り占めできるなんて最……高だあああ~~と思った時だった。
――――バアアアーーーーーーアン
――――ダダダダダダァ
脱衣所の扉が勢いよく開き、笑顔の日向が走って来た。
「ななしぃいいいいいい!」
「はっはあ!?」
――――ザッバアアアアアアアン
そして、風呂に盛大なダイブを繰り出す。
最悪なことに、優雅な風呂は一気に荒波へと変わってしまったのだった。
「どう!?日向のダイブ!?」
「おい、辞めろお!そして、こ、こ、こ、ここ男湯だろおおおあああああああ」
おいおいおいおい!!風呂の落ち着きを壊すな!なにが「どう?」だ。めちゃくちゃにこにこ顔でこいつは俺を見つめているが、俺は今むかむかしている!
しかも、ちゃんと女湯と男湯があるのにこいつはどうしてここに居るんだよ!?
「おい、ここじゃねえだろ!!!!正しいとこへ行け!!」
しかし、俺が叫んで怒っても、日向は頭にはてなを浮かべながらにこにこして俺を見つめる。
はあ、こいつ……。
でも、あれか?とりあえず、これは大丈夫なのか?今どきの小学三年生美女はまだ父親と風呂に入ったりするもんなのか?そういう感覚で同じ風呂は問題が無いってことか?
困ったぞ。俺はわからん。
どうしたらいいのかわからず動揺していると、日向はそんな大人のことなんて気にせず湯船に浸かったまま突然、忘れていたことを問いかける。
「で、旅館は継げそうですか?」
はあ……。疲れさせんなよ~~。
今ここで言うことじゃねえだろ……!今は思考も体も休ませてくれよ!と叫びたいことだが、日向にそんなこと言ったところで無に終わるので冷静に考えることにした。
てか、まだ諦めてなかったのか。てっきり忘れてくれてたかと思ったのに。
何回言われても、真面目にはっきりと答えるしかない。
「大将にはならないぞ。それはしないって言っただろ。継ぐことはねえよ」
「え?なんで?」
「あのなあ……」
俺がしっかりと「とにかく大将になることは無い」と伝えると、日向は困った悲しい顔をしてきた。そんな顔したって駄目なもんはダメなのに。
「なんでよ」
「大人の事情だ」
すると、日向は声が響きやすい今いる風呂で、困った顔をしたままバカでかい声でこう叫んできた。
「ななしぃのバカあああああ!!旅館続けてよ!!やってようわあああああああああああああああああああああん」
しまいには大泣きし出してしまった。
いや、そんなん泣かれても……叫ばれても……。
俺は困って何もできずに、ただ黙っていた。
しかし、日向は泣き続ける。
だから、あまり泣かせたくないがちゃんと伝える。
「日向、俺は旅館で仕事が出来るほどの人間じゃねえし、いろいろあんだよ」
「うわあああああああんあああ、なんでよああああううううううう」
でも、そう言っても、いつまでも大声で泣いて俺を困らせていた。
困ったな……。
でも、これが例え嘘泣きでも本当でも、俺は日向のために旅館をどうにかすることは出来ねえんだ。ごめんよ。
どんなに日向が言ったって、それは出来ないと俺は自分でわかるんだ。
しかし、そんな時、突然この風呂にものすごい声を出して入ってくる者がいた。
「ひなたああああああ!!日向に学校に行けん事情がある様に、大人にもいろんな事情があっちゃね!黙りっちゃああああああ!」
――――バシーーーーーーーーン
突然の出来事に俺と日向は驚き固まる。そして、シーーンと一瞬でこの風呂場に沈黙が広がった。
扉から現れたのは、貫禄のあるお婆さんだった。
そのお婆さんが、急に宮崎弁であろう言葉で日向に向かって叫んだ後に、でかい木の棒をバシンと風呂場の床に向かって叩いてから怒った顔で日向を見つめたまま、沈黙がただただ続く。
……あ、待てよ……もしかしてこの人が……。
「おばあのバカ!もういい!」
「日向まちちゃ!!」
しかし、怒られて拗ねてしまったのか、日向は叫んでからダダダダダっとこの男湯から消えてしまった。
そして、やっぱりおばあということは……この人が……。
そう思っていると、俺に向かって正座をしてお婆さんは話し始める。
「申し訳ねえ。うちん孫が大変ご迷惑をおかけ致した。わしゃこん旅館で女将をやっちょる者や」
ほらやっぱり!この人が女将だ!
そして、女将は深々と濡れている床の上で頭を下げ、自分の着物を濡らしながら宮崎弁のまま俺に続けてこう言った。
「巻き込んでまこち申し訳ねえ。でも、日向は今辛え悩みゅ抱えすぎて上手う生きられんで……あんたに甘えてしもうたんや」
俺は宮崎弁を良く知らないが、なんとなく言っている言葉を理解した。そして、日向が何かを抱えているのも、一緒に過ごしていくことでなんとなく気が付いていたからわかる。それに女将が悪いのではないし……そんなに頭を下げなくていいのに。
「あの、頭上げて下さい……旅館の大将になる気は無いので、継いで欲しいと日向にお願いされるのは困りますが……俺、日向と過ごせて今楽しいですよ。東京にいる時よりも、ずっと」
あいつは生意気だけれど、まだ子供だと分かったから……俺はそこまで迷惑だなんて今は思わなくなってきていた。夏美さんは元々旅館を閉める予定だったって言ってたから、きっと日向が寂しくて強引に言っているだけかもしれないし。
「旅館ん事は日向が勝手に言いよるだけで、気にせんでくんない。そう言うて貰えて……ありがとうな……」
ほら。
「いえ、こっちこそ。ご迷惑をおかけしていたら……すいません。部屋を用意して貰ったり、美味しい食事を頂けたり、こうやって大きなお風呂に入らせて貰うことが出来て感謝しています。ありがとうございます」
そうだ、感謝するのは俺の方だろう。迷惑をかけているのも俺の方かもしれない。だって、旅館はもうやっていないはずなのに素敵な部屋まで用意して貰って、食事や風呂まで提供して貰って。
ここまでして貰えるなんて普通はあり得ない。しかし、女将は言った。
「いいんや。好きなだけ使うてくんない」
「好きに使っていいってことですか?」
「そうや、お金はいらんから」
「タダってことですか?」
「そうや」
〝好きに使っていい〟そう言ってくれた。日向や夏美さんにしか聞いてなかったし、その二人の〝好きに使っていい〟は正直不安だったから、俺は安堵と共に、驚いた。
宮崎弁で言っていることがハッキリと分からず聞き返してしまった俺だが、女将はそうだと優しく教えてくれた。女将の優しさに、俺は感謝しなければいけない。
「ただ、頼みがあるんや。こん夏は日向ん世話をしてくれんか?あんたは東京へ帰りとねえんやろ?」
「日向の世話?」
「日向は学校へ行けず、寂しゅうしちょる。もしよけりゃやけんど」
なるほど。うーーん。この夏に日向の世話って……夏ってなると夏休みってことだよな?明日から七月で二カ月ちょいか?っと俺は一瞬考えこもうとしたが、俺はそれを承諾しなかったら、きっと東京へ帰る選択肢しか無くなってしまう。よく考えれば今の俺はまだ東京に帰る気持ちはない。まだ……だ。
それに、ここに居れば俺は……温かい気持ちになれるし……。
日向は生意気だけれど、もっと知りたい奴だったりもする。
だから、俺は答えた。
「分かりました!俺で良ければ……」
「そうか、ありがとう」
女将は嬉しそうに笑ってくれた。でも、おれはひとつ気になったことがあったので女将に質問をする。
「あの……日向はなんで不登校なんですか?」
だって、元気で可愛くて真っ直ぐな……まあ、生意気さはあるけれど……小学生の女の子が、何故学校に行ってないのか知りたいじゃないか。
すると、女将は言った。
「わしもわからん。でも日向は、東京で何かあってこっちに逃げて来た。今は祖母んわしが預かっちょる」
「え、預かってるって……東京から一時的に出て宮崎で過ごしているということですか?じゃあ、もしかして……両親は東京?」
「そうや」
「そうですか……なんか……俺と似ていますね」
女将から聞いた日向の話で、俺は日向と何も変わらないかもしれないと思った。だって、俺だって東京の会社から逃げて今ここに居るのだから。事情は詳しくはわからないけれど、東京から逃げるって余程だし。
「そっか……日向と俺は同じか……」
「あんたが大丈夫なら日向とふたり、宮崎でゆっくりして行ってくんない」
「ありがとうございます、ならお言葉に甘えてゆっくりさせてもらいます!」
「何かあったら言うてくんない」
そう言うと、女将は俺の裸の体を、持っている長い木の棒でビシッと指して突然こんなことを言った。
「そういやもう死んだけんど、若え頃んじいさんと体がよう似ちょる!」
「え?じいさん!???似てる??……て、あ!!っっやばい俺裸なんだった……」
俺はすぐにお風呂に深く浸かり、赤面して大事なところを隠す。すっかり自分が裸であることを忘れて立ったまま話していたようだ。
「ふぉっふぉっふぉっ、面白い若者や」
「いや、ちょっと恥ずかしいですって」
「ふぉっふぉっふぉっ」
独特にそう笑うと、女将は「ごゆっくり」と言って男湯から出て行った。
「ああ、びっくりした……」
急になんてことを言うんだ。女将もなかなか普通じゃないぞ。
でも、いい女将……ばあちゃんだな。
女将の宮崎弁は標準語よりも理解するに時間はかかるが、言っていることはだいたいわかったし、優しく温かい人だということもわかった。そして、俺は日向について少し知ることが出来たと思う。
もっと知りたいと思うようにもなって来たし。
そんで、ここにまだ居ても良いことが分かって安心した。
俺は日向のせいで当分、東京には帰らなくていいらしい。
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