第25話 手料理無双
交渉を済ませ自室に戻ろうとしていると、階下から物音がした。
何かが倒れるような音だ。
「ちょ、お母さん!」
「おい、どうしたんだ!?」
父と姉のやや切迫した声が耳に届く。
階段を降り、急いでリビングに戻った。
母さんが床に座り込んでいる。顔色も明らかに悪い。
「どうした?」
「蓮人」
「お母さんが急に……」
父さんたちに問うても、二人は明確に答えなかった。
二人も戸惑っている様子だ。
「なにがあったのだ?」
「ごめんごめん、ちょっと眩暈が……」
困ったように笑うと、母さんは立ち上がろうとした。
だが、膝に力が入らないのか、また倒れそうになる。
側にいた父さんが、母さんの肩を支えた。
俺は【鑑定】を使って母さんの状態を視た。
***
名 前 凡野響子
称 号 ―
年 齢 38
L v 10
◆能力値
H P 30/60
M P 0/0
スタミナ 5/14
攻撃力 11
防御力 13
素早さ 8
魔法攻撃力 0
魔法防御力 0
肉体異常耐性 16
精神異常耐性 26
◆根源値
生命力 25
持久力 5
筋 力 4
機動力 4
耐久力 5
精神力 14
魔 力 0
【肉体異常】
眩暈・動悸・息切れ・吐き気
***
俺の【鑑定】のレベルは既に100を超えている。だが、医学的に正確な診断はまだ不可能だった。
肉体異常の根本的な原因までは掴めない。
やはり今後のことを考えると、医学の分野も見識を深めないとな。
と言うのも、実は、【鑑定】には裏技があるのだ。
自分自身がその分野に精通すれば、レベルアップを待たずして、その分野の「真贋」「診断」「識別」はより詳細なものになる。
それで確かめたいこともあるからな……。
父さんに支えられて、母さんがソファに座る。
「少し横になったほうがいいよ」
姉さんもそう言った。
だが、母さんの具合はあまり良くならなかった。
そこで父さんが母さんを病院に連れて行くことになった。
「それじゃあ行って来る」
「気を付けて」
「ちゃんと調べてもらっといでね」
「うん、ありがとう」
姉さんと共に家の前で見送る。
遠ざかる車を見ながら、俺は知らず知らずに溜息を吐いていた。
思いのほか動揺しているのか……。
「蓮人」
家に入ろうとするのを、千夏に止められた。
姉さんはいつもと違い、神妙な顔つきだった。
「ちょっとはお母さんに感謝しなさいよ」
「なんなのだ、急に」
そう答えると何か言いたげに、口を動かす。
「アンタは自分のことで精一杯だったんだろうけど、アンタが引きこもってる間、お母さんメチャクチャ心配してたんだから。声、掛らんないくらいに」
「……」
「ま、別に責める気はないけどさ~」
間延びしたように言うと、さっさと家の中に入ってしまった。
心労を掛けてしまっていたのか。いや、そうだろうな……。
泣いている母さんの姿を、思い出す。
タイムリープしたあの日だけでなく、以前の人生で見て来た姿も……。
夕方、母さんは無事に帰って来た。
医師によると軽い貧血と自律神経の乱れ、だったらしい。日頃の疲れが溜まっていたようだ。
千夏の言う通り、間違いなく俺が原因だろう。
「ごめんね~、千夏、蓮人。お母さん、もう大丈夫だから」
母さんの顔色はずいぶん良くなっていた。もうすっかり元気を取り戻している様子だ。
「無理しすぎなのよ」と、千夏が溜息を漏らす。
「家の事はわたしと蓮人でだいたい終わらせてるから、今日はゆっくりするといいよ」
「そう? ありがとう」
母さんが笑う。
「夜ご飯も作ってくれたの?」
「あ、いや。ご飯は何も……」
母さんに聞き返され、千夏が言葉に詰まる。
「そうなの……。明日のおかずも買いに行かなきゃいけないのよ」
「いやいや、買い物はわたしたちが行くから休みなって」
「けど……」
「買い物はまた明日だ」
父さんもそう言った。
「今晩は、久しぶりに何か頼まないか? たまにはいいだろ」
「出前!? ヤリー」
「夜は、俺が作るよ」
黙って会話を聞いていた俺は、三人に向かってそう言った。
驚いた表情で、三人が俺を見る。
「蓮人が?」
「ああ」
「お前、料理なんて出来るのか?」
「まあ、ある程度はね」
「ホントかぁ? そんなトコ見たことないぞ」
千夏が疑いに満ちた眼差しを向けて来る。
父と母もそんな姉に同意するかのように頷いた。不安そうに俺を見ている。
「なんなのだ、その眼は」
「無理しないでいいのよ、蓮人。折角だから何か頼みましょう」
「そうだよ。包丁でアンタが指なんて切った日にゃ、またお母さん倒れちゃうんだから」
「そうだぞ」
俺はそんな三人を見やって眼を細める。
「あまり俺を見くびらないでくれ」
「本当に無理しなくていいから」
「無理はしていないさ。それに、今日は母さんに俺の手料理を振る舞いたいんだ。その──」
一瞬、言い淀んでしまう。
「ずっと、心配を掛けてしまっていたからね。今日はその償いをさせて欲しい」
「償いだなんて……、蓮人はそんなこと気にしなくていいのよ」
母さんは悲しそうに首を振った。
「言い方が悪かったな」
俺は困ったように笑った。
「言い直すよ。母さんには、日頃の感謝の気持ちを伝えたいんだ。俺の振舞う料理、是非食べて欲しい」
そして父さんと姉さんを見やる。
「父さんと、ついでに姉さんにも」
「わたしゃ、ついでかい」
千夏がすぐさまそう返した。
「今日は皆に、引きこもり中に覚えた料理をご馳走しよう。あの二週間が無駄ではなかったと、証明しようじゃないか」
「部屋にずっといて、どうやって料理を覚えたっての?」
「インターネットの動画で、かな? まあ、なんだ。取りあえず買い出しに行って来るよ」
俺の言葉に三人が絶句する。互いに顔を見合わせていた。
明らかに俺を信用していない。
「出前取りた~い! ね、お父さん、ピザ頼もうよ、ピザ!」
「う、う~ん……、そうだなぁ」
千夏から懇願されて、父さんは思案気に唸った。
「この俺を愚弄するとは、目にもの見せてくれる」
そう言い残して、俺は買い物に出掛けた。
家に戻ると、早速キッチンに立つ。
トン、トン、トン、トン……!
シャカ、シャカ、シャカ、シャカ……!
ジュ、ジュー……!
袖壁の向こうから、三人が驚きの眼差しで俺を見ていた。
「どうかしたのか?」
「いや、なんだか手慣れているなと思ってな」
「ええ、まるでプロの料理人みたいよ」
両親にそう言われて、思わず笑いが漏れる。
「料理はガストレット家の大執事レーノから教わったんだ。この程度の料理など訳はないさ」
幼少期の遠い記憶が蘇る。
「一人前の貴族として最低限の教養だ」
「レーノ? 誰それ」
姉さんから聞かれてハッとする。
「ああ、いや……、よく参考にしていた動画の人、かな?」
「アンタ、そんなの見てんだ」
「まあいいから、三人は寛いでいてくれたまえ」
あまり見られていては、こっそりと混ぜるつもりの異世界食材を使いづらいからな。
──そして夕食の時間。
「さて折角だ。テーブルも美しく飾ろうではないか」
こっそりと俺は【アイテムボックス】からカトラリーを取り出した。
海洋国家ドゥ・ラテの王カイネルから親愛の証として贈られた立派なカトラリーである。
ドゥ・ラテは陶器やガラス工芸が盛んで、その品々はどれも洗練されていて美しい。
送られたカトラリーもその最高級のもので、俺のお気に入りの一つだった。
テーブルを前に、俺はテーブルクロスを一気に広げる。
さっと皺ひとつなく伸ばすと、皿、グラス、スプーン、ナイフとフォーク、ナプキンと次々に並べていく。
最後にキャンドルに火を灯し、花を飾った。
ふと三人を見ると、三人はただただ唖然としていた。
「料理と同じで手際がいいな。身の熟しに、思わず見惚れていたぞ」
「ええ、洗練されているって言うか、まるで一流レストランのギャルソンみたいだわ……」
「なんかもう、どうツッコんでいいかも分からん」
「憶えておくんだな、姉さん。これが一流のテーブルコーディネートだ」
父さんが、何故か遠慮がちにテーブルクロスに触れる。
「随分と高級そうなテーブルクロスじゃないか。どこから買ってきたんだ?」
「これって、シルクかしら? こんなの家になかった筈だけど」
「それに、これとかこれもメッチャ高そうなんだけど」
千夏が美しい細工のキャンドルやグラスを手に取る。
「百均に売っていたよ」
「ハ!? こんな立派なのが!? マジで」
「まあ、そんなことはどうでもよい」
話を切り上げると、俺は三人の椅子を引いた。
「ディナーの時間だ、楽しもう」
三人を見て笑った。
座る三人の目の前に、料理を並べていく。
「まず前菜は、マグロのマリネだ」
一口大に切ったマグロと玉ねぎ、アスパラガス、葉野菜を自家製のドレッシングで和えている。
マグロと葉野菜は異世界食材である。
【黒雷ドロス】と【月夜レタス】
これらには貧血を改善し、自律神経の乱れを整える効果がある。
因みにドロスとはマグロの事だ。海に走る黒い雷──黒雷ドロスはマグロの中でも最高級品である。
「次にスープは、パイ生地に包んだカボチャのスープ」
これは現実世界の食材で作った。
塩加減とパセリの下処理には自信がある。味の決め手だからな。
「そしてメインディッシュは仔羊の背肉のロースト~バジルソース添えだ」
この
高地に生息する角の生えた羊だが、今回用いたのは牧草として香草を与えられて育った特別な一角羊だ。
香り豊かで柔らかく、癖のない羊肉になっている。
疲労を回復させ、気分の落ち込みなどを改善させる効果がある。
「まだ出していないが、デザートにリンゴのシャーベットも用意しているよ」
【旧王家のリンゴ】を使ったシャーベットだ。これで、母さんのHPとスタミナも全回復するだろう。
料理を並べ終えると、俺も席に座った。
呆気に取られている三人に向かって微笑む。
「さ、頂こうじゃないか」
「「「いただきます」」」
三人が思い思いに料理を口に運ぶ。
一口食べると、急に変な声を上げ、硬直する。
目を見開き、絶句している。
一瞬の沈黙が流れた。
何かを訴えるように俺を見る。
だが、次の瞬間にはもう、我先にと食べ始めた。
シャク、シャク……!
ザク、ザク、ズズ……!
モチュ……!
「この肉超美味しー!! めっちゃモッチモチしてるー!」
ラムチョップに齧りついたまま、千夏が興奮気味に叫ぶ。
「行儀が悪いぞ、姉さん。それに、いきなりメインに手をつけるやつがあるか」
レーノがこの場にいたら激怒するだろうな。
「まずは前菜から食するのがマナーだぞ」
「んな固いこと言うなよ~」
やれやれ……。
俺は肩を竦めた。
「蓮人!」
スープを飲んでいた父さんも興奮した様子だ。
「このカボチャのスープも濃厚で旨いぞ! パイ生地もサクサクで最高だ!」
「マグロのマリネも、ドレッシングの味がしっかり絡んでいて美味しいわ」
母さんも頬に手を当てて、トロンとしている。
「喜んでもらえたのならよかった」
「ドレッシングはどこのメーカーなの? 高かったんじゃない?」
「ん? いや俺が作った自家製だよ」
「そうなの!? 後でお母さんにも作り方を教えてちょうだい」
「ああ」
美味しそうに食事を頬張る母さんを見て、俺は嬉しくなった。
料理をご馳走できてよかった。
食材の効果もあり、母さんも元気を取り戻すだろう。
俺も前菜に手を伸ばす。
「おっと、いけない。肝心なものを忘れていた!」
あることを思い出して、思わず独り言を呟く。
「肝心なもの?」
「飲み物を用意していたのに、すっかり忘れていたよ」
冷蔵庫から持って来る。
「食前酒のスパークリングワインだ。これがないと始まらない」
ルアンデル産の白ワインのスパークリング── 食前酒にこれを出しておけば、まず問題はない。
グラスに注いでいく。
「れ、蓮人……」
「お前、なにをやっているんだ?」
「ん?」
気づけば自然と、自分のグラスにもワインを注いでいた。
「おっと失礼」
肩を竦めてみせる。
「冗談さ」
「悪い冗談よ、蓮人」
「そうだぞ」
「それ、ホントに冗談かぁ?」
三人の言葉を軽く流し、俺は席に着くと食事の続きを始めた。
スパークリングワインを、ちらと見る。
仔羊肉のローストは【生産ボックス】に入れればすぐに作れる。後から部屋で、仔羊肉を摘まみながら、一人愉しむかね……。
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