第24話 交渉無双
塾を辞めるために、これから交渉に臨もうとしている。
無条件に塾を辞めさせてくれるのなら願ってもないが、過去の俺の成績から推察するに、恐らくそれは厳しいだろう。
因みに、俺の成績は良くも悪くもなく、平均値をうろちょろしている感じだ。
この成績、馬鹿にはすまい。
イジメと言う高ストレス下で、よくやっていたと思う。
もしも交渉が難航しそうならば、こちらから条件を提示するつもりだ。提示する条件は当然、成績の上昇と維持である。
だが、譲れない許容ラインもある。
【学年5位以内】──それよりも上になったら、成績操作も難しくなるし、何よりも目立ちすぎる。
そして、もし向こうが条件を出してくるのならば、それをただで呑む気などない。見返りとして、こちらはそれなりの対価を徴収しよう。
【年間の塾代の半額】──これならば対価として釣り合うだろう。
お金に関しては正直、アイテムの宝石や貴金属類を売却すれば、恐らくとんでもない額になるだろうがね。
だが換金の手間も惜しいし、多額の現金化は危険な行為だろうからな。
土曜の昼、一階に降りると、父さんたちはリビングで寛いでいた。
父さんと母さんはテーブルに座り、ソファでは千夏が寝っ転がって雑誌を読んでいる。
「あら、蓮人、テスト勉強は捗ってる?」
母さんがそう声を掛けてきた。
来週から期末テストなのだ。
母さんたちの前にはティーカップが置いてある。母さんは紅茶を、父さんはコーヒーを飲んでいるようだ。
「蓮人もなにか飲む? 休憩にしたら?」
「ありがとう。紅茶を貰おうかな」
そう言うと、俺は父さんを見た。
「父さん」
「ん?」
「それから、母さんも」
「なに?」
「二人に聞いて欲しいことがあるんだ」
その言葉を聞いて、二人は互いの顔を見やった。
母さんがティーカップに紅茶を注ぎ、それをテーブルを置いた。
俺はその前に座る。
「なんだい、聞いて欲しいことってのは?」
「塾に通うのを辞めたいんだ」
父さんに向かって、素直にそう答えた。
二人が驚いたように声を上げる。
千夏もページをめくる手を止めて、一瞬こちらを見た。
「なにか嫌なことでもあったの?」
「そういうことじゃないよ」
心配そうにしている母さんに向かい、俺は笑って首を横に振った。
「じゃあ何故急にそんなことを?」
「塾で拘束される時間、そして行き交えりの通学の時間が惜しいんだ。それらの時間を、もっと有意義なことに使いたいと思ってる」
それを聞いて、父さんがやや表情を曇らせた。
「有意義なことと言うのは?」
「塾では勉強できないことを色々と学びたくてね。ほかにも身体を鍛えたり、そういったことに活用したい」
「それは塾に行きながら出来ることだと思うけど?」
「そうよ、蓮人。あなたは部活にも入ってないし、塾以外の日にやれるんじゃないの?」
二人はそう言った。
「それでは時間が足りなくなってきたからお願いしてるのさ」
父さんが腕組みして唸る。ちょっと考えてから、首を横に振った。
「う~ん、流石にそれは認められないかな……」
「何か不満な点でもあるのかな?」
聞き返すと、父さんは前のめりに座り直した。
「お前は来年は受験だろ?」
諭すような口調になる。
「自分が志望する高校に行けないと、将来、後悔するんじゃないかな。その先の大学進学や就職まで見据えると、特にな。今のうちから頑張っておいた方がいいと思うが」
その言葉に、母さんも軽く頷いた。
「勉強はしっかりとやっておいた方がいいわよ? お母さんはもう二次方程式でチンプンカンプンだったんだから」
「だいぶ最初の方で躓いたね……」
話を聞いていた千夏が、ずっこけるように言った。
心配もわかるが、高校レベルの学習はすでに完了している。
体系的に身についたかどうか、学習成果を確認するために、実際、センター試験の過去問も解いてみた。
全教科97%以上の正答率だった。だから当然、問題はないのだが。
流石にそんなことは言えないな……。
「将来、後悔しないためにそうしたいんだよ」
俺はそう返した。
「塾に当てている時間は、無駄だと判断したんだ。俺にはもっと、やるべきことがある」
「ゲームやったりダラダラと動画見たりするんじゃないの~?」
千夏が軽口を挟んでくる。
「そう言う息抜きも、たまにはするかもね」
俺は肩を竦めてそう答えた。
「おいおい……」と、父さんが呆れたように言葉を漏らす。
「冗談だよ」
俺は笑ってみせた。
「勉強が嫌でこんなことを言い出している訳じゃないんだ」
二人の目を真っ直ぐに捉え、そう告げる。
「やらねばならないことがある。そのために俺は、まだまだ色々な力を付けなければならない。知識以外にもね。塾などに時間を割いている暇はない」
俺の態度を見て、二人は黙って顔を見合わせた。
「どう思う?」
「そうだな……」
二人は黙ってしまった。
膠着状態だな。
俺は条件を提示することにした。
「父さんたちが心配しているのは、俺の成績が落ちること。そうだろ?」
「その通りだ」
「それじゃあこうしよう」
俺は二人を見て言った。
「今、俺の成績は学年で45位前後。まあ、平均ど真ん中と言った感じなんだ」
「ええ」
「確かに、そのくらいだったな」
譲れないラインは【学年5位以内】だからこそ──
「来週から始まる期末テストから学年15位以内を取るよ、常にね」
「「えっ!?」」
二人が呆気にとられた顔をする。
「そ、それは本当か?」
「そんなこと言って、大丈夫なの?」
母さんは呆れたように笑った。
「それなら、余計に塾に行った方がいいんじゃない?」
「問題ない。学年15位以内、保証するよ」
またまた二人が顔を見合わせている。
だが、感触はだいぶ良くなった。
しかし……。
「ちょ、ちょっと待って、二人とも!」
千夏がソファから飛び起きる。
「学年15位とか超ビミョーだから! コイツの元の成績が中の中だから騙されてるけど、マジビミョーだから!」
それを聞いて、二人がハッとする。
「……姉さん」
俺は千夏を見て、困ったように溜息を漏らした。
「ちょっと黙っていてくれないか?」
そう言いつつ顔を千夏だけに向けて、にやりと笑う。
「コッ、コイツ……! 二人とも騙されちゃダメ! コイツ今、メッチャ悪そうな顔してた!」
俺はぷいと横を向き、素知らぬ顔で紅茶を啜る。
「絶対に甘やかしちゃダメだかんね!」
「姉さん」
「な、なんだよ!?」
「それじゃあ聞くが、姉さんは学年で15位以内を維持することが出来るかい?」
「ぅぐ……!!」
千夏は叱られた犬のように黙りこくる。
今度は千夏がそっぽを向いた。今までのことがなかったかのように、ソファに寝転んでスマホを弄りだす。
「父さん、母さん」
俺は二人に向き直る。
静かに呼びかけた。
「自分で言うのも何だが、学年15位以内を維持し続けるのは割と凄いことだと思うけど。それで満足してもらえないかな?」
肩を竦めて笑ってみせた。
「どうする?」
「本当に約束出来るんだな?」
その問いかけに、俺は力強く頷いてみせた。
「一回でも15位から落ちたら、その後はずっと塾に通ってもらうぞ?」
父さんが念を押す。
「ああ、構わないよ」
「何回も入り直すなんて出来ないんだからな? 知らないかもしれないが、入会費だって結構かかるんだから」
「分かってる」
笑って頷いた。
「ああ、そうだ!」
何かを思い出したように、俺は声を上げた。
「塾代の話で思い出した。もう一つ、重要なお願いがあったのだ」
「な、なんだ?」
成績をコントロールする手間に見合う、対価を徴収させてもうとしよう。
「俺の塾の費用は月額の塾代と夏季講習なんかの特別講習費なども併せて、年間で三十万以上はかかっているよね?」
「そうだが、よく知っていたな」
「年三十万と考えて、月で割ると毎月二万五千円だ」
「それがどうしたの?」
二人を見てにこやかに笑う。
「小遣いとして、それを頂きたい」
「は!?」
「えっ!?」
「ちょ……!」
二人だけでなく、千夏まで声を上げる。再び飛び起きた。
「何を言っているんだ、それはダメだ!」
話にならないとばかりに父さんが手を振る。
いつも冷静な父さんだが、流石に動揺しているようだ。
「何故?」
「何故って、中学生にそんな大金……!」
「中学生に大金を渡すと、何か問題があるの?」
「それは……」
困った顔をする父さんに、母さんが助け舟を出す。
「そんなお金をもらって、一体何に使うつもりなの?」
「そうだな……」
そう言うと、俺は天井を仰いだ。
「差し当たって、専門書を買いたいな」
「専門書?」
「ああ、医学書とあとは繊維学についての専門書も欲しいかな」
「そ、そんなものどうするんだ?」
父さんは相変わらず戸惑っているが、答えが意外だったからか聞く耳は持ってくれた様子だ。
「興味があってね、自分なりに読んでみたいんだ。専門的な学問を体系的に学ぶ場合は、ネットよりも専門書の方が確実だし、短期間で学べるからね」
だが当然ながら、専門書ともなると結構な値段がするのだ。
「そ、そんなもの読めるの?」
困惑したように、母さんが聞いてくる。
「全部理解できるのかはわからない、けれど学んでみたいんだ。自分への投資さ、将来のためにね」
そう言うと二人は少し安心したようだった。
千夏はこちらを睨んではいるが。
「別に悪いことに使ったり全部遊びに使うようなことはしない。約束しよう。まあ、たまにゲームを買ったり服を買ったりすると思うけど」
「おいおい、話が違って来てるぞ」
「大事なことだと思うけどね。今あるお金の中でどうやり繰りするのか、そう言った金銭感覚も養いたいと思ってるからね」
そう言うと、父さんが苦い顔をした。
腕組みをしたまま目を瞑り、黙り込んでしまった。
「お母さんは反対よ。いくら何でも中学生に年間三十万ものお金を渡すなんて……」
「わたしもハンターイ! てか、わたしに半分寄越せっ!」
千夏もそう言った。
「姉さんも、自分で交渉したらどうだい?」
「なんですってぇ!」
「やめなさい、二人とも」
母さんが俺たちを宥める。
「10位以内だ!」と、突然父さんが言い放った。
「え?」
「中間・期末テストの学年順位10位以内を維持すること! それならば認めてやるが、どうする? 当然、一回でもオーバーしたらアウトだぞ?」
父さんがにやりと笑ってみせる。
俺は困った顔をした。
「厳しいな……」
弱ったように頭を掻く。そして仕方ないように頷いてみせる。
「わかったよ、学年10位以内、頑張ってみるよ」
「ちょっと、それで月のお小遣いに二万以上も与えるの?」
母さんが慌てる。
「そ、そうだな……。蓮人」
「ん?」
「お小遣いに月二万五千円は、やはり許容できない」
「そうかい? 元々、塾代だった筈だけど?」
「ぐ……、やはりお前はまだ子どもだし。ダメなものはダメだ」
そう言われて、俺は肩を竦める。
「それは何ら理由になっていないけど?」
「ううむ……」
父さんが苦し気に唸る。
「なら半額だ! 半額は渡そう」
そう言われて、俺は溜息を漏らす。
「学年10位以内まで厳しくされたのに、半額か……」
そして諦めたように頷いた。
「わかったよ。自分のためだし、厳しいけれどその条件を呑むよ」
母さんと姉さんは若干モヤモヤしていそうだが、父さんは満足気に頷いていた。
こうして俺は当初の目標【学年5位以内】よりも【学年10位以内】と言う好条件で塾を辞めることが出来た。
更に【年間の塾代の半額】という許容ライン内の対価も得ることに成功したのだった。
お互いの妥協点を見つけた、相手に譲歩させた、自分が勝った、と思わせる。
ま、簡単な交渉術だ。
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