第21話 王威
都心からバスに乗って約一時間──山の中に、広大な牧場が広がっていた。東京ドーム三個分ほどの牧草地があるらしい。
この牧場では馬のほかに、牛や羊も放牧しており、またウサギなどの小動物とのふれあい体験もできるようだ。
そんな訳で、週末には多くの家族連れで賑わう観光スポットでもあるらしい。
牧場の関係者が施設を案内しながらそう説明していた。
途中、信吾が腹の具合が悪いと言うことで、知内に断って集団を抜ける。
バス酔いだ。バスの中でも気分が悪そうだったからな。
バスに酔うと、信吾はなぜか腹が緩くなるらしい。
まったく、難儀なことだな。
「ごめんごめん、お待たせ」
「腹の具合はどうだ?」
「取りあえず、大丈夫」
「そうか」
急いで戻る。
施設の一番奥、厩舎の裏にみんな集まっているようだった。
「……?」
けれど、なんだか様子がおかしい。
俺たちが姿を見せると、生徒や教師、牧場関係者までもが、こちらを食い入るように見つめてきた。
その顔は強張り、恐怖の色が滲み出ている。
「ねえ、見て。動物たちが、なんか変だよ」
「ん? なにが変なんだ?」
森に分け入った時など、俺と初めて出会う生き物がよく見せる光景が、目の前には広がっている。
いつもの光景だ。
──いや、違う!
「まるで、王様に謁見でもしているみたいだ……」
「そ、そうだな。どうなっているのだろうな?」
思わず心の中で舌打ちした。
しまった。グラン・ヴァルデンで見慣れたこの光景は、現実世界では、凡野蓮人では、あり得ないことではないか。
彼らは俺の固有スキル【王威】に反応してしまっている。
***
【王威Lv.4】
王たる気質を有する者だけが纏う威光。民を導き民の信頼を得ることで、その威光は増していく。王に忠誠を誓う者にとって、王威は覇気となり慈悲のオーラとなって人々を鼓舞し守護する。だが、敵対する者には凄まじい威圧感となって襲いかかる。
***
今の俺に治める民などいないのに、何故レベルが上がっているのだろうか。
思えば今日までも登下校時など、外へ出るたびに鳩やカラス、近所の犬などが同じような態度を取っていた。まったく気にしていなかったが。
どうやら気がつかぬうちに、【王威】を高めてしまっていたらしいな。
「お前たち、どこに行っていたんだ!?」
一組の担任三本木が眉間に皺を寄せて急に怒鳴った。
「すいません、トイレです」と信吾が弱々しく答える。
「まったく人騒がせな!」
「すいません。けど僕ら、知内先生に断ってから抜けたんですけど……」
尻すぼみになりながらも反論する。
「早くみんなのとこ戻れ~」
知内が言葉を被せてくる。
「牧場の皆さんも、二年生のみんなも、全員お前らが待たせてんだぞ~」
「えっ!? あの、僕ら……」
嘘だ。この状況、明らかにそうではない。
だが俺たちを取り囲む生徒たちは、それに同調した。
「遅ぇんだよ」
「アイツらのトイレ待ちとか最悪」
「俺たちを待たせるなんて、いいご身分だな、信吾」
「ご、ごめんなさい」
信吾はすっかり縮こまってしまった。
「ちょっと待ってよ! 別にわたしたち、待たされてた訳じゃ……」
人混みの奥から声がした。
松本さんだった。
あまり俺たちの味方をさせるべきではないな。
目立ちたくはないが、ここは致し方ない。
「知内よ」
俺は担任を真っ直ぐに見た。
「信吾も言ったが、俺たちはお前にちゃんと断ったはずだ。忘れたのか?」
「大人に向かってなんて口の利き方だ。言い直し──イテッ!」
急に妙な声を上げた。
よく見ると、知内の足元で、アヒルの親子が彼の脛を嘴で連打していた。
トントントントントン!
親子の脛連打は、止まらない。
「痛っ! クソ! コラやめろ!」
「フッ、動物たちも嘘を吐くなと言っているんじゃないのか?」
俺の一言で、動物たちが一斉に立ち上がる。
羊や牛が嘶き、鳥たちがけたたましく鳴いて翼を羽ばたかせる。
どの生き物も、怒っているようだった。
人々が動物の変化にビクつく。
「クソが、どうなって──うわっ!?」
今度は知内の眼球をかすめるように、トンボが飛び去って行く。
情けない声を上げて、知内はひっくり返ってしまった。
「クソがっ! だから動物は嫌いなんだよ、畜生!!」
ひゅ~……ぼとっ。
「!?」
「あ……」
空から、何かが落ちて来た。
「し、知内先生……」
「なんです?」
「そ、その。頭……」
知内がおもむろに自分の頭を触る。
「!!」
鳥の糞だった。
周囲で見ていた生徒たちが、我慢できずに吹き出す。
「早速、嘘を吐いた
俺がそう言うと、知内の顔がみるみる真っ赤になっていった。その顔は小刻みに痙攣している。
今にも爆発しそうだな。
だが、おふざけはこのくらいにしておこう。
俺は隣にいる信吾の肩に、ポンと手を置いた。
「それにしても、本当に生き物に愛されているんだな、信吾は」
「……へ!?」
信吾がキョトンとした顔を俺に向ける。
「お前のことを、助けてくれたみたいだぞ?」
「えっ? ぼ、僕? これ、僕?」
急にオドオドとし出す。
「嘘でしょ?」
「これ、信吾がやった訳?」
信吾は首をブンブンと横に振って、顔の前で手もバタバタと振った。
顔のお肉が、その度にプルプルと揺れる。
目立ちたくない俺は、それとなく視線の中心から離れていく。
「?」
牧草地に目をやると、遠くから一頭の馬がこちらに駆けて来ていた。
見たこともない美しい白馬だった。
人混みを抜けて、馬の方へ歩いていく。
「あ! その馬はダメだ!」
「触らないで! 危険なの!」
気づいたスタッフが何やら慌てている。
「いやいや凡野、その馬メッチャ大人しいぜ?」
「そうそう、顔を撫でてやれよ」
「さっき俺たちも触らせてもらったんだ」
矛盾する声が飛び交う。
総合すると、どうやら気性の激しい馬らしい。
だが【
だから俺はどちらの声も気に留めることなく、馬に近付いていく。
「ブフォン」
馬が顔を近づけて来る。
俺もその顔に手を伸ばした。
「やった! 盛大に痛い目見やがれ!」
「凡野、無事に死亡確定……って、あれ?」
「嘘っ?」
「あ、暴れない……!?」
よくわからないが、生徒だけでなく牧場の関係者までもが、異常なまでに驚いている。
「よしよし、お前、何て言う名前なんだ?」
「ヒィィン」
俺が頬を撫でてやると、馬は嬉しそうに嘶いた。
「その子、スノウクイーンって言うんだって」
松本さんが教えてくれる。
「スノウクイーン……」
「うん、背中の模様が雪の結晶みたいで、すごく素敵でしょ?」
「確かに」
スノウクイーンを見上げる。
「雪の女王か、ピッタリの名だな。だが──」
白馬の目を見て、にやりと笑う。
「俺の元相棒、ザエツハルとどっちが早いかな?」
「ヒィィン!」
今度は嫉妬したように嘶く。
「フッ、お前がザエツハルよりも速いのなら、お前の背に乗ってやっても良いぞ? どうだ?」
そう問いかけると、スノウクイーンがゆっくりと後退りをはじめた。
脚を折り、地に腹をつけて跪く。
そして頭を垂れて、俺に傅いた。
「あ、あのスノウクイーンがっ!?」
「跪いている。決して人に服従しなかった彼女が、少年に、跪いているっ!!」
「なんなの、この子……」
牧場の関係者らが驚嘆している。
「は? マジかよ」
「あの馬、人の言うこと聞かないんじゃなかったのか?」
生徒や教師もざわざわとうるさい。
さっきからどうしたのだ、こいつらは?
「牧場主よ」
「え?」
「宇摩とか言ったな?」
「そ、そうです!」
「俺はこのスノウクイーンに乗馬させてもらおう」
「ヒヒィン!」
俺の言葉に、スノウクイーンが嬉々として太い首を上下させた。
「いや、待ちなさい」
「ちょっと君ねぇ」
スタッフが俺とスノウクイーンを引き離そうと割って入る。
「彼女はダメよ! その馬は」
「いや、いい!」
宇摩がそんなスタッフを止めた。
「君は馬に慣れているようだね」
「まあ、少しばかりね」
そう答えると、宇摩は思案気にスノウクイーンを見上げた。
「どうやら彼女は、君とならば主従関係を結ぶようだ」
「ほう」
「スノウクイーンをよろしく頼みます」
宇摩が頭を下げてきた。
「馬を探していたからな、こちらとしても有り難い」
「それじゃあ馬具を準備してあげよう」
そう言うと、スタッフの一人に指示する。
「君、厩舎から馬具一式を持って来てくれないか?」
「え、でも……」
「いいんだ」
「わ、わかりました」
「いや、それには及ばないよ」
俺は断った。
【アイテムボックス】に鞍などの馬具は一式揃っている。自分に馴染むそれらの馬具の方が具合がいいだろう。
後で、人目につかぬ場所で装着するとしよう。
俺はそのままスノウクイーンの背に乗った。
宇摩や牧場スタッフらが、今度は仰け反った。
忙しい連中だな。
「ふ、普通に乗っちゃったよ、この子……」
「彼女は誰も乗せないどころか、触れさせもしないのに……」
牧場スタッフが最早呆れたように呟く。
「
「うむ」
俺は馬上から生徒たちを見やった。
すでに生き物たちは散らばっており、その視線はこちらへ注がれていた。
チッ、目立ちすぎたな。この場を離れるか。
「では、借りていく」
「はい!」
宇摩が嬉しそうに頷いた。
「宇摩さん、本当にいいんですか?」
スタッフの一人が、宇摩の服の裾を引っ張る。
「うん、彼女のことは彼に任せよう」
「そう、ですか……」
「何か気になるの?」
「いや、あの。別にいいんですけど、なんで中学生に敬語で喋ってたんです?」
「あ~、分からないけど、そうしないといけないような雰囲気だったというか、そうしたい気持ちになったというか……」
彼らをその場に残し、俺はスノウクイーンの背に乗り駆けていった。
「……」
人混みに紛れて、クラスメイトや知内の敵意が増大していたが、その中でも特に殺意に近いものを放つのが二人いた。
モリトラとダミーだった。
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