第20話 誰にも服従しない馬

 牧場の出入り口に集合した生徒と教師たちを、スタッフと共に白髪頭の男が出迎えた。


 どことなく馬っぽい印象の顔面を持つ、六十歳前後の男である。


「ようこそ、ザマー牧場へ! 私が牧場主の宇摩うまと言います、どうぞよろしく!」

「本日は課外授業の場を提供していただき、誠にありがとうございます」


 二年一組の担任で学年主任も務める男──三本木さんぼんぎが代表して礼を述べた。


「今日一日、教師ともども生徒たちがお世話になります」

「こちらこそ。生徒の皆さんも、今日は楽しんでいってくださいね」

「よろしくお願いしまーす」


 教師に促されて、生徒たちが声を揃える。


 それを宇摩は微笑ましく見守った。


「それでは立ち話もなんですから、早速参りましょう。まずは施設全体をご案内しますよ、さ、こっちです」


 宇摩を先頭にスタッフに案内されて、悠ヶ丘学園一行は入場ゲートから牧場内へと進んでいった。


 噴水のある広場を中心に、建物が周囲を囲んでいる。


「なんか、どの建物も可愛いよね!」

「うん! なんかオシャレ」


 女子生徒たちが建物を見回してはしゃいでいる。


「ザマー牧場の建物は、ヨーロッパの田舎町を参考にして造られているんですよ」


 近くを歩いていたスタッフの一人がそう説明した。


 建物だけでなく、石畳や階段、手すりなど、確かにどれも西洋の町並みを思わせるものだった。


 色々な施設を、宇摩から説明を受けながら見て回る。


 そして最後に案内されたのは、ひときわ大きな建物であった。宇摩はその建物の前で立ち止まると、生徒たちを振り返った。


「ここが厩舎きゅうしゃ──馬を飼育している施設です」


 スライド式の巨大な扉は開け放たれており、宇摩がその中に入って行く。生徒たちも列をなして後に続いた。


 天井がとても高く、扉や窓は開け放たれており風通しが良い。


 高原の澄んだ空気に混じり、干し草など厩舎独特の臭いが、鼻先を擽っていく。都会ではなかなか味わえない風が流れていた。


「壁に沿って作られた仕切りは、馬たちの生活スペースになっています。それぞれの部屋を馬房ばぼうと呼ぶんですよ──!?」


 にこやかに厩舎の説明をしていた宇摩だったが、急に言葉を途切れさせた。正面を凝視し、顔を強張らせている。


 何事かと、教師や生徒たちも、厩舎の奥を覗いた。


 奥から一頭の馬がこちらに歩いて来ていた。


 なんとも美しい白馬である。


 長いたてがみはプラチナのように輝き、背はやや青色を帯びていた。


 ゆっくりと近づいてくる。


 自然と、皆がその馬に注目した。


「キレイ……」

「まるでおとぎ話にでも出て来そうな馬だね」


 生徒たちが思わず溜息を漏らす。


 その美しい出で立ちに、うっとりと見惚れている女子生徒も多い。


 だがその一方で、宇摩たち牧場スタッフは何やら慌てている様子だった。


「まだ厩舎に居たのか」


 宇摩の声には、どこか焦りの色がある。


「皆さん、彼女に道を開けてください!」

「危ないですから、触れたりしないでくださいね!」


 スタッフたちが、急いで生徒たちに道を開けるように促す。バリケードを作るようにして両手を伸ばし、半ば強制的に隅に寄らせた。


「彼女の名はスノウクイーン」


 宇摩は白馬を見ながら呟いた。


「スノウクイーン?」

「雪の、女王?」


 問いかけに宇摩が頷く。そして馬の背を指差す。


「ほら、彼女の背中をよく見て」

「あ、雪」


 青みがかったその背中をよく見ると、不思議なことに雪の結晶に似た模様がたくさん見える。背から腹にかけて、まるで雪が降っているようだった。


「ホントだ、雪の結晶みたい」

「素敵……」


 スノウクイーンはそんな生徒らを一瞥すると、目の前を悠然と歩いていく。


「てか、馬ってこんなデケェんだな」

「お前、なにビビってんだよ?」

「なっ、べっ、別にビビってねぇし!」


 生徒たちからの注目を一身に浴びる牝馬──衆目が馬一点に集まっているこの状況が、お調子者で有名な二年三組安本の心に火をつけた。


 お真面目なシーン。シリアスなシーン。感動的なシーン……。そんな雰囲気を、悪ふざけでぶち壊したい──それが安本にとってのお笑い精神のようだ。


 安本がスタッフの腕バリケードを搔い潜り、スノウクイーンの真後ろに躍り出る。


「プリッ、プリッ、プリプリッ……」


 お尻を突き出した妙な腰振りダンスでスノウクイーンに近付く。


 そして……。


「いいケツしてんじゃ~ん、よっ!!」


 思いっ切り馬のケツを引っ叩く。


 パシ──ンッ!!


 気持ちがいいほどの弾ける音が厩舎内に響き渡った。


 一瞬の静寂、そして──


「ギャハハハハッ!!」

「おい、安本! お前、な~にやってんだよ!」

「ウケる! やっぱ最高だわ、安本は!」


 生徒たちが一斉に大爆笑した。


 笑い声に包まれ、安本はご満悦である。テヘペロ顔で頭を掻く。


 だが、宇摩や牧場スタッフは表情を凍りつかせていた。


「ブフォン……」

「お?」


 スノウクイーンが長い首を巡らせて、安本に顔を向けた。


「お~、ヨシヨシ。いい子、いい子」


 安本も手を伸ばした。

 

「ダメだ、それ以上触っちゃいけない!」

「早く逃げて!」


 牧場スタッフの忠告の甲斐もなく──


 かぷ。


 スノウクイーンが安本のジャージの襟首を噛む。


「え……?」


 ブンッ!!


「のわぁぁぁ!?!?」


 スノウクイーンが首を大きく撓らせると、安本の身体はいとも簡単に宙に浮いた。


 厩舎高く飛ばされて──


 ドサガサガサ……!!

 

 干し草の山の中へ頭から突っ込んだ。


「うえっ! ぺっ! ぺっ! 口に草入った! てか、なんか臭っ! 草だけに臭っ!」


 安本のそんな様子に生徒たちがまた笑う。


「君、大丈夫!?」


 慌ててスタッフが駆け寄る。手を貸して安本を立たせた。


「大丈夫っす! イエ~イ!」


 生徒らに両手高らか、勝ち誇ったようにお道化て見せた。


 宇摩は緊張から解放されたように深い溜息を漏らす。


「ふざけないで列戻れ~」


 耳を穿りながら、担任の知内が言う。


 宇摩の方へ眠そうな顔を向けた。


「うちのクラスの生徒が失礼しました」

「い、いえ。怪我がなくてよかった」

「けど、あの馬もとんだじゃじゃ馬すね」


 チクリと刺すように付け加える。


「じゃじゃ馬ですか……」


 宇摩は、厩舎から出ていくスノウクイーンの後姿を見て、どこか呆れたようにまた、溜息を吐いた。


「彼女の前には、そんな言葉は霞んで消えてしまうでしょうな」

「ほう、そんなに気性が荒い馬なんですか?」


 別の教師も聞く。


「ええ、私も長年この仕事をしていますが、あんな馬は初めてですよ。結局、彼女を調教できた調教師はただの一人もいなかったんですから」


 そう言って目を細める。


「中には無理に調教しようとした無謀な者もいたそうです。ですが、それはもう手酷い反抗を受けて、一人は頭蓋骨骨折、もう一人は内臓破裂の大怪我を負ったそうですよ」

「ま、まじで……」

「怖ぇぇ!」


 それを聞いて、流石に生徒たちも動揺を隠せないようだった。


「そんな危険な馬、生徒らに近付けんでください」


 知内が呆れる。軽蔑するように宇摩を見やった。


「柱にでも結びつけて、しっかりと馬房とやらに押し込んでおいてくださいよ」

「ちょ、ちょっと知内先生、何もそこまで……」

「いや、本当にすまない」


 宇摩が深々と頭を下げる。


 だが顔を上げると、表情を引き締めて知内を見やった。


「けれど、綱に繋がれるなど、彼女は許さない」


 きっぱりと言う。


「だから自分たちではどうしようもないのです」

「実は子どもたちに会わせるのは危険と判断して、事前に牧草地へ向かわせようとしていたのですが……」


 別のスタッフも申し訳なさそうにそう言った。


「馬房に戻るも、牧草地に出るも我々人間には決められない。すべては彼女の意思の赴くままですから」

「アンチェインみてーな馬だな」


 男子生徒がぽつりと言う。


「調教では人と馬との関係性を作る上で、はっきりと人がうえであることを教え込みます。だが彼女は決して、人との主従関係を結ばなかった。人が決めたルールには従わない。それが、スノウクイーンなのです」


 生徒たちが互いに顔を見合わせる。


「なんか、馬の分際で生意気だな」

「ああ、ちょっくら俺が調教してやっかな?」

「てか乗馬、ちょっと怖くなってきたね」

「うん……」


 不安がる生徒に向かって、宇摩は優しく微笑む。


「大丈夫ですよ。今日皆さんが触れ合ったり乗馬を体験するのは人慣れして温厚な馬たちばかりです。ちょっとイタズラ好きな愛嬌のある馬もいますけどね」

「競馬を引退した競走馬もいるんですよ」

「引退した?」

「競馬で活躍した馬たちが引退後にどうなるのかはあまり知られていない。そう言うことも、是非学んでいってほしい」


 厩舎から出ると、生徒たちは一旦、厩舎前の広場に集合した。目の前は開け、牧草地が広がっている。


「これから午前と午後に別れて、乗馬体験と牧場スタッフの職場体験に取り組んでもらう!」


 三本木が生徒たちに向かって言った。


「え~、それでは乗馬体験をする生徒さんは、ここでスタッフの指示に従ってくださいね! いいですか~?」


 宇摩が生徒らに向かってやや声を張る。


 なんだか生徒たちが騒がしいのだ。宇摩を見ているものは少なかった。


「職場体験の皆さんは、私について来てください!」

「オイ、ちゃんと話を聞け!」


 三本木が注意する。


 だが、生徒たちは上の空だ。


「あれ見て」

「ん?」

「なんか、変じゃない?」

「ほんとだ」

「?」


 三本木も宇摩も、そこでやっと異変に気が付いた。


 生徒だけでなく、ほかの教師やスタッフまでもざわついていたのだ。


 宇摩は何事かと、人々の視線の先を探して首を巡らせる。


 確かに、様子がおかしい。


 牧草地にいるはずの馬たちが集まって来ていた。


 馬だけではない。


 牛や羊までも群れを成して生徒たちを囲むように集まっている。


「!?」


 そして驚く宇摩たちの目の前で、一頭また一頭、脚を折りたたむと地べたに座り込んでいく。


 ただくつろいで地べたに座っている、訳ではなかった。姿勢を正し、更にはこうべを垂れているのだ。それはまるで、王の御前に跪いているようだった。


 動物たちのこんな行動を生まれて初めて目にし、宇摩は戸惑いを隠せない。


 気がつけば、あたりはしんと静まり返っていた。


 静寂が空間を満たしている。


「み、見て下さい。牧場の動物だけじゃないです!」


 スタッフが人混みの奥を指差した。


 野鳥たちが石畳に降りてきている。


 鳥だけではない。


 よく見るとカエルやトンボや蝶なども集まっていた。


 一体、どういうことだろうか。


 虫、鳥、獣……、様々な生き物が一堂に会し、静止し、首を垂れる。


 まさに平身低頭──生き物たちは何者かが来るのを待ち望み、身を低くして控えているようだった。


 そう、を。


 生徒たちも先生やスタッフ一同も何が起こっているのか理解が及んでいない。


 ただ、慄く。


「ちょ、ちょっと待ってよ……」


 ある女子生徒が、更に何かに気が付いて絶句する。


 彼女が震えながら指差した先には、植込みがあった。色とりどりの花が、牧場に来た客を迎えているのだが……。


「嘘……!」

「まさか」

「こんなことって!」


 それを見て、生徒も教師も牧場スタッフもまた愕然とする。


 植込みに咲く花々さえもお辞儀をするように茎を曲げ、葉っぱを腕のように回して恭しく跪いているではないか。


「私の牧場で、なにが起こってる……!?」


 宇摩の脳はパニック状態だった。


「こ、これは、ここのパフォーマンスなんですよね?」


 三本木が宇摩に縋りつく。


 まるでそうであって欲しいと願っているように見えた。


 だが、宇摩はブンブンと首を左右に振る。


「ちっ、違いますよ!」

「それじゃあ、これは一体何なんですかっ!?」

「わ、私にも分かりません!」


 取り乱す人間たちなど意に介さず、生き物たちは沈黙を貫いた。


 そう、生き物たちは決して、この場にいる人間に対して首を垂れているのでは、ないのだ。


 なぜなら、人々の左右で道を作り、すべての生き物が同じ方向を向いているのだから。


 建物の、奥の方を。


「向こうから、何がやって来るって言うの!?」


 動物や植物たちが頭を向けるその道の奥に、一体何が待ち受けているのだろうか……。


 人々は固唾を吞んで見守った。


 やがて、建物の裏から足音が聞こえて来る。


 声も聞こえる。


 どんどんと近づいてくる。


「ごめんね、蓮人くん。僕のせいで遅れちゃって」

「いいさ、しかしバス酔いで腹を下すとは初めて聞いたぞ?」


 その声は悠ヶ丘学園の生徒及び教師にとって以外すぎるものだった。


 多くのものが驚きのあまり口を開ける。


 信じられないと言った表情で互いを見ているものもいた。


「オイ、嘘だろ!?」

「この声ってまさか……!」

「けどそう言えば、アイツらいなかったな」

「そんな訳ねぇだろ! あんなモブコンビが!」


 生徒の多くは、まだこの事態を信じ切れていないようだ。


 いや、受け入れられていない。


 何故ならば彼らは、取るに足らない存在の筈だからだ。


 決して表舞台でスポットライトを浴びることなど出来ない、ただのモブ。ただの凡人。


 そんな最底辺な無能に生き物たちが傅くなど、あり得ない。


 ──だが、そんな生徒たちを前に、彼らは建物の奥から姿を見せる。


 なんの気負いもなく、至って普通に。


「みんなどこに行ったんだろ? 早く合流しなきゃね」

「そう慌てることはない。厩舎の方だろう、こっちだ」


 人々の目線の先──生き物たちがまるで自ら服従を望んでいるかの如く身を低くして控え、王の到来を待つその先に現れたのは、二人の少年だった。

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