第96話 皇帝と第二皇子

 大陸にある多くの国家を併合し、巨大な国力を誇るゼルダンシア帝国。その大帝国の皇帝ともなれば、あらゆる贅を味わえる立場であると誰もが考えるであろう。


 だが当の皇帝であるウィックリンは、今日も多忙な日を過ごしていた。


 起床後は短い時間で朝食を済ませ、文官たちと今日のタスクの確認を行う。場合によっては各種会議に合わせた打ち合わせや資料の確認、参加者との事前折衝など都合をつける。


 足りない資料については各部門に指示を出しつつ、自らも将来の帝国に対するビジョンに対する政策をまとめる。


 その中には人口や税、福利厚生など含めた国内のものから、諸外国に対する交渉や騎士団の配置など国外に対するものまで含まれる。


 それに加え、より長期で見た時の政策ビジョンなど、とにかくやる事も考える事も多い。


 それでも皇帝位に就いた時に比べれば、今はいくらか時間がある方だった。僅かな時間ではあっても、アデライアを含めた自身の子供や妻たちと話せる機会もある。


 だが全員に等しく時間を割いている訳でもないし、中にはこれまであまり話した事のない子もいる。


「父上!」


 今、目の前にいる息子もその1人だった。グラスダーム・ゼルダンシア。ゼルダンシア帝国の第二皇子である。


 彼の母は遠縁に帝国四公……テンブルク家に連なる。そして戦いとなれば自ら前線に赴き、騎士団を含めた軍閥と距離が近い皇子でもあった。


「お忙しい中、こうして時間をいただけて嬉しく思います!」


「……ああ。こうして2人で話すのは久しいな」


 城の一室にあるウィックリンの執務室。会議や課外での予定がない場合は、ウィックリンはだいたいここか皇宮の部屋で過ごす。


 グラスダームは少しやせた父を見て眉をひそめた。


「父上。食事はしっかりとられておられますか。またやせたのではないですか?」


「はは。お前にそんな心配をされるとはな。心配せずとも、食事は毎日しっかりとっているとも。お前はまたかなり筋肉を付けた様に見えるな」


「おお! 分かりますか! そうなのです、またいつ他国との戦争になるか分かりませんからな! 父上に代わって前線で指揮を執るためにも、鍛錬は欠かしておりません!」


 ウィックリンの前の皇帝の時代は、とにかく戦いが多かった。そのため貴族の中でも、戦役経験があるかどうかがステータスになっている時代もあった。


 もしまだ前皇帝の治世が続いていたら、グラスダームは多くの帝国貴族から支持を集めていただろう。


 もっとも、今もそれなりに集めてはいるのだが。


「そう易々と戦にならぬ様に考えてはいるがな」


「実はその事で今日、父上のお考えを聞きたく参った次第です」


 息子の言葉を聞きながらウィックリンはやはりな、と考えた。


 帝国はフェルグレット聖王国の併合以降、大きな争いはどこの国とも行っていない。たまに少し小競り合いはあるが、今や大帝国となったゼルダンシア帝国に正面から挑んで勝てると考えている国は存在しないのだ。


 この事を前提としてウィックリンは政策の立案を進めているのだが、一方で騎士団がその影響を受けている事は理解している。


 またこれまで貴族が支援していた鍛冶工房なども、以前ほど利益が得られなくなった。フェルグレット聖王国との戦いで指揮を執っていたグラスダームも、多くの貴族たちから何とかしてほしいと言われているだろう。


「……お前も責任ある皇族の1人だ。そして第二皇子でもある。そのお前がこうして皇帝である私に直接意見を伺いたいというのだ。私とて門前払いするつもりはない。……話してみよ」


 グラスダームは自分の言葉が責任あるものだと、改めて自覚を強くする。同時に父から自分が皇子として認められていると考え、嬉しくも感じた。


「父上。他国との争いを最小限にし、帝国を内から富ましていこうという政策。私はとても素晴らしいものだと考えております」


「……続けよ」


「一方で、騎士団の再編に伴い、中には碌に給金を得られずに職を追われた者もおります。地方によってはそうした者が兵役に就いていた民を誘い、盗賊団を結成しているケースもあると聞きます。放置すれば国内情勢の不安に繋がりましょう」


 グラスダームの言い分は、他の貴族からもよく聞く類のものだった。


 だが再編によって騎士団を去る者にはある程度の給金が支払われているし、そもそも騎士とは地方領主や城務めの貴族とは違い、「そういうもの」だという認識もある。


 少し前まで騎士たちは大きな顔をしていたが、本来であれば国威を示し、皇帝の名の下に完全に統率されるべき戦力である。


 一方で戦争がなければ、多いに金を食らう者たちでもある。戦いの少ない時代に、職業軍人を必要以上に多く雇うという判断はない。


 だが帝国を大国たらしめているのは、間違いなくその大戦力と国力があってのこと。


 ウィックリンはその事をよく理解している分、ここで2人が話したところで結論が出るものではないと分かっていた。


「父上。これまで帝国の発展に尽力してきた騎士たちに、もう少し寄り添っていただけないでしょうか。このままでは帝国の経済も落ち込みます」


 グラスダームの言い分も全部が全部否定できるものではない。


 だが軍閥からの入れ知恵が強いのか、ウィックリンからすれば根拠が不足した言い分であった。


「……私が皇帝位に就いて、始めの1年は確かにそういった懸念は強かった。実際に景気が落ち込んだ時期もあったからな。貴族によっては、当時の印象が強く残っている者もおるだろう」


 これまで戦関連の事業で儲けが大きかったので、多くの貴族たちはそちらに投資をしていた。国内の産業も大いに賑わった。


 だが全ての貴族がそうした投資にありつけていた訳ではないし、中には割を食っていた者たちもいる。


 そしてウィックリンの政策が明確になれば、期に聡い者たちは別事業に力を注ぎ始めた。


 何せウィックリンの示す政策は分かりやすい。諸外国を横断する経済網を構築し、大陸経済圏の中心に帝国が居座る事である。


 そして実際に経済を動かす者たちは、騎士ではなく商人だ。考えれば商人に対する優遇や街道整備など、インフラ事業に金が集まると分かる。


 実際に今や、いくつかの国との間で通商条約が交わされているのだ。その結果。


「だが今はかつて戦乱が多かった時代よりも多くの金が帝国に集中し、税収も大きく上がっておる。武力を背景にした侵略行為か経済網の構築か。どちらがより金になるのか、分かっている者も多い。お前の指摘……このままでは帝国の経済が落ち込むというのは、現状では当てはまらないな」


「…………っ」


 だが強固な経済政策や通商条約は、あくまでも帝国の国力があってのこと。要はバランスの問題だ。


 そのためウィックリンも、何も騎士団を解体しようとか、その力を大きく削ごうというつもりはない。


「しかし……! ハイラント家を帝都から追い出す様な真似をした事もあり、多くの貴族が父上に不信を抱いているのです……! 特に騎士家系の者たちからすれば、これまで尽くしてきた自分たちがいつその地位を追われるのか、不安に思っている者もいます……!」


「騎士団は帝国を支える要だ。私が軽んじる事はこれまでもこれからもない。ハイラント家については、いつかお前にもしっかりと説明する」


 グラスダームは帝都から離れている時期も長かったので、帝都内での機微に疎いところもある。一方で帝都の外に対しては、それなりに人脈も豊富なのだが。


 しかしウィックリンは、ハイラント家と冥狼の繋がりや、ハイラント家を帝都に残したままにできなかった理由など、ここで説明するにはあまりに時間がかかると判断した。何せ証拠はなく、口頭のみの説明になるのだ。


「父上……。せめてカルガーム領に大規模な騎士団を派遣できませんか……?」


「…………」


 ウィックリンは心の中でやはり出てきたかと呟いた。カルガーム領。帝国四大領主の1つである。


 多くの領地のがある中、カルガーム領は少し特殊な事情を持つ。


 帝都北西部に位置するこの領地は海に面しており、広大な港を持っている。そして過去に何度も、大陸北西部にあるガラム島を支配するフォルトガラム聖武国と争いになっていた。


 フォルトガラム聖武国は精強な騎士団をそろえており、その戦力の大部分は海軍である。造船技術も優れており、海戦では敵なしと言われる国であった。


 実際これまで帝国の侵略も完全に防がれている。ウィックリンの治世になってからは大きな衝突はないが、歴史的な経緯もあり仲は非常に悪い。当然、通商条約なんてものも結んでいない。


 そして情報部の調べで、近年フォルトガラム聖武国は陸軍の規模を大きくしているという事が分かっていた。


 海洋国家で海軍戦力が中心だった国が、陸軍に力を入れる理由。対岸のカルガーム領侵略の準備だという事は、誰でも想像してしまう。


 おそらく現皇帝が争いに積極的ではないと判断し、これを機に大陸に橋頭堡を築こうとしているのだろう。


 そして軍閥関連や軍事産業で潤ってきた貴族たちは、この状況を利用して大きく騎士団を動員させられないかと考えていた。


 国防に関わる事だし、ここまで情報を握っておいて捨て置くという判断もできない。実際に領主には情報を共有しているし、カルガーム領にも精強な領軍が存在している。


 中央政府としてどこまで手を出すか。ウィックリンとしても頭の痛い話ではあった。


「……現状、カルガーム領主からは騎士団の増援は不要と文が届いておる」


「しかし……! 万が一にもカルガーム領の港が奪われれば、大陸に彼の国の足掛かりを作る事になるのですよ……!」


 グラスダームの意見は騎士団の立場が強く反映されたものではあったが、国防に対する姿勢としては好ましいものがあった。


 カルガーム領に対する備えは実際に難しい話だ。領主と皇帝の仲は決して悪い訳ではない。騎士団の派遣にしても受け入れるであろう。


 派遣に際して金と物資の消耗は、国防には代えられないため問題にはしない。だがフォルトガラム聖武国の真意が分からない中、いたずらに緊張が増す真似は止めたい。


 もしかしたら侵略戦争を行わない自分に対する揺さぶりという可能性もあるのだ。


 それに無駄に騎士団を動員させ、物資を消耗させるつもりなのかもしれないし、カルガーム領との仲たがいを目的にしている可能性もある。


 今や大帝国となったゼルダンシアに対し、大陸の一部でも切り取ることのメリットとデメリットが計算できない国ではないはずなのだ。


 そもそも港を奪えたところで、敵地のど真ん中でそれを維持するには、フォルトガラム聖武国が大きな物資と金を消耗し続ける事になる。


 そうした状況と情報部が得た情報の精査はまだ途中ではあるが、ウィックリンの考えでは本格侵攻はないというものだった。この点はカルガーム領領主とも共通している。


「フォルトガラム聖武国については、まだ情報が出そろっていない段階だ。だが皇族としてこの国の未来を憂うお前の気持ちは嬉しく思う。……今日から軍上層部会に参加することを許そう。そこでお前もいろいろ学ぶと良い」


「……! 父上……! 真ですか……!?」


 軍上層部と皇帝のみという少人数での会議。それはこの大国の軍事の方針を決めるものだ。


 そこに第二皇子が参加を許される。つまりは大国の戦力をどう運用するか、それを決める一員に加えられた事を意味する。


 それは貴族社会において、とても大きな意味を持っていた。

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