女を見せたい彰子さん
「今日から一緒に寝る?」
「えっ」
一緒に登校&通勤した次の日の朝。
朝食を準備していた日野から思わぬ提案が飛び出して、声がひっくり返った。
「つきあってるんだし、同棲してるんだし、いずれ家族になるんだし」
「そ、そうだけど」
通常のカップルであれば段階を踏んでいく物理的な距離も、同居スタートであればすべてが近い状態から意識だけが変わる。
卒業までは手出し厳禁。
立場上仕方ないとはいえ、わたしはさほど生殺しとは思っていなかった。
そういう関係になったからって、保護者の顔を無くしてほしいわけじゃないから。
が、まさか日野からそう来るとは。
「え、と。日野はどうなの」
淡々と提案してきたあたり、わたしに気遣っている可能性も高い。
最後の一線までは超えられないとしても、少しでも触れられない不満を解消してあげねばとこれくらいは譲歩しそうだ。
「もちろん、朝まで君の傍にいたいって思ってるよ」
「…………」
臆面もなくさらっとその台詞を吐くからずるい。
しかも『改めて言葉にすると照れるね……』なんて頬を赤らめるのがあざとすぎる。
わかっていても、自分に向けられた台詞と表情には心臓にダイレクトアタックをかまされてしまうのだ。
なんてナチュラルなのろけ文が脳内に飛び交うくらいには、立場の実感が染み込みつつあるのだろう。
「いいけど、どっちの部屋で?」
「彰子が好きに決めていいよ」
どちらかといえば、わたしの部屋になるのか。
日野は小柄ということもあって、いちばん狭いセミシングルベッドだから。
でも、日野は激務の教員だから快適な睡眠を提供してあげたい。
社会人になれば寝具は妥協しちゃいけないって聞くし。
「というわけで、今からベッド通販で決めよう」
「なんで?」
「なんでって……これから一緒に寝るんでしょ? でもうちらの寝具はどっちもお一人様専用だし、狭いよ。べつにそれくらいわたしが出すから」
スマホを取り出し、即座にベッド専門通販サイトにアクセスする。
平日か土曜日の15時までの注文であれば、即日発送が可能。
ついでに不要になったベッドをサービス利用で引き取ってもらえる。
わたしの部屋は次の里子の部屋にもなるから、二人用ベッドがあるのは不自然だ。
といってもわたしの洋室は約7.2帖、日野の洋室は約5.7帖。
使い慣れたベッドを処分して、かつわたしより狭い部屋にダブルベッドを入れると提案するのはどうなんだ。
傲慢じゃないかと頭を抱えるわたしに、日野は隣の部屋を指差して言った。
「うーん、だったら和室に布団を敷けばいいんじゃない? 価格もベッドよりは安く済むだろうし」
「でも、あそこエアコンないよ」
「来客時も考えて、ちょっと前にリビングのエアコンは大きいものにしたんだ。LDKに接しているし、出力4.0kwクラスで室温はまかなえてる。あとは実際に使ってみて、不満がでてきたら扇風機を買うべきかまた話し合おう」
「う、うん……」
あっさりと対案が日野の口から出てきて、反論の余地もなくわたしはうなずく。
むう、やっぱり自活している大人との経験値の差なのだろうけど。
隣に並ぼうとしても、こういうところで社会に出ていない未熟さを痛感してしまう。
「帰ったらふたりでニ○リ行こうか?」
「なんでも選んで。全部出すから」
「じゃあ、真剣に吟味しないとね。彼女からの始めてのプレゼントになるから」
関係を実感させられる言葉に、また頬が熱くなる。
わたしのお財布事情を知ってるだろうに、そういうところは立ててくれるんだ。
ふたりで使うものを選んで、おはようからおやすみまでを共にする。
同意の上であればスキンシップも可能で、一緒に暮らしているから相手のさまざまな顔も姿も見れてしまう。
すごいな、同棲。
女に免疫のないウブ男みたいな思考に、いまさらわたしはなりかけていた。
だけど、こうも順調なのは日野が気立ての良い女性だからだ。
今はまだ、年齢差も立場もありわたしはリードされている側。
わたしが選び、日野も選んで応じてくれたということは。わたしは彼女を幸せにする義務がある。
どうしたらもっと、今から頼りがいのある女になれるんだろう。
悶々と悩みつつ、今日もわたしは日野の車に乗る予定なのだった。
「…………」
昨日と同じく一緒に家を出て、鍵を締める。
並んで歩き出したところで、右手が温かいものに絡め取られる。
ちらっと横を見ると、鼻歌を口ずさむ日野がさりげなく手を握っていた。
「……つなぎたいならつなぎたいって言えばいいのに」
「だ、だって。家でだと行動を制限しちゃうし運転中は無理だし、週末まではまだ日数あるし」
いろいろ理由を取り繕って、日野はますます指を強く絡めてくる。
つまり、機会をずっと伺っていたということ?
散策ならまだしも、そこの駐車場までほんの数十メートルなのに。ちょっとの間だけでもつなぎたくなるほど寂しかったとか?
なんだもう、この人。
こんなふうに甘えてくるんだなと思うと、自然と笑みが浮かんできた。
と、笑ったことを察知した日野がわかりやすくむくれる。
「あ、いま笑ったな?」
「おーててつないでー、いざ出発ー」
「そ、そこまで子供じゃない」
からかうように笑って、わたしは繋いだ手を左右にぶんぶんと振った。
かつて、こんなふうに手をつないでスキップしていた日のことを思い出しながら。
「近頃、夏のインフルエンザが流行しているみたいです」
朝のHRにて。
西園寺先生から意外すぎる注意喚起が流れて、教室がざわめいた。
「東京では学級閉鎖が起きてるってニュース、みんなは観たかな? 手洗いとうがいはこまめにすること。あとは夏バテしないようにちゃんとご飯を食べて、免疫力を高めてね」
冬以外のインフル、それ自体に新鮮味はない。
近年は外国人観光客や在日外国人も増えており、海外からそういったウイルスが持ち込まれることは珍しくないから。
しかし今年は、専門家が”DBに症状が強く出やすい傾向がある”と驚愕の研究結果を発表されたとのこと。
当然DBの割合が半数以上を占める今の10代にとっては、外出自粛勧告にも等しい。
夏休みを控えた子どもたちには酷な知らせだ。
「え、なんでDB限定なの?」
HRが終わって、さっそく前の席の三井さんがわたしへと向き直った。
光岡さんは軽く済みそうなんだいいなー、と微妙に嬉しくない褒め言葉を添えて。
「ちょっと待って、調べるから……」
スマホを出して、さっそく『夏 インフル DB 症状』と検索する。
検索結果はずらっと、解説動画やアフィリエイトブログが出てきた。
情報を拾っていくと、どうやら遺伝子が関係しているらしい。
遺伝子疾患はともかく、ウイルスは常に進化する。
ゆえに、どんなウイルスにも強い体を作り出すことは不可能である。
編集して特定の”良い遺伝子配列”にするということは、多様性が失われることを意味する。
みんなが同じウイルスに脆弱なわけだから。
仮に感染力の強い株が大流行すれば、一気に人口減少の危機にもなってしまうのだ。
「なるほどなー。ここでDBの欠点が浮き彫りになってきたというわけか」
「初期からパンデミックを不安視する専門家はいたみたいね」
だからってDBを産み控える人が減少することはなさそうだ。
特定の病気に弱いと天秤にかけたところで、容姿に恵まれ基礎スペックが高いのであれば。
まだまだ優先順位が揺らぐことはないだろう。
「でも……そうするとお祭りどうすっかなあ」
「人混みは避けろって遠回しに言ってるようなもんですからなあ」
せっかく今週末に控えたデートへの課題が浮上し、三井さんとため息をつく。
ニュースになってるくらいだし、いつこの街にウイルスが潜んでいてもおかしくない。
日野の職業は休みたくてもなかなか休めないものだし、(教員・非常勤講師は未だに不足している)万が一重症化すれば、初デートが最悪の思い出として残ってしまう。
断腸の思いだけど、避けるのが無難なのかなあ……
「あれ、光岡さん」
「ん?」
「さっき、デートって言ったよね」
「あ」
耳ざとくひとつの単語を捉えて、三井さんが耳打ちしてくる。
ちゃっかり山葉さんも手招きして。
さすがに日野の情報は伏せるけど、応援してくれた人たちに成就した報告くらいはしておかないと不誠実だろう。
「おー、まじかー、おめっとさん」
「めでたく愛が実ったわけですね」
控えめにふたりから拍手を受けて、わたしはがしがし後頭を掻いた。
素直に祝福してくれて、深いところまでは詮索してこない。いい友達を持ったものだと思う。
「その割にはあんまり嬉しそうじゃないのはなんでさ」
耳も目も聡いな、三井さん。
でも現状の不安について相談したかったのは事実だから、ここで打ち明けよう。
「や、ほら相手年上じゃない。わたしぜんぜん頼りなくって、なんか情けなくなってきちゃって」
「むしろ、頼りにして相手を立てるべきではないのですか。女子高生の特権を利用して、可愛く甘えておくのもひとつのアプローチですよ」
……うーん。
この言い方だと、どうも山葉さんたちはわたしの相手が年上の男性だと思っていそうだ。
そりゃあ、男性であれば愛嬌を振りまき気立ての良い女として振る舞うのもありだろうけど。
日野は頼りがいがあって、古き良き大和撫子のようなお淑やかさも持ち合わせている。
わたしの立つ瀬がないのだ。
いつまでも日野におんぶにだっこじゃ、”付き合ってやっている”と愛想を尽かされても不思議じゃない。
大人の女性であれば、たまには相手にもリードほしいって思うだろう。
そのリード面でわたしができることって、なんだろう。
そうふたりに相談してみると。
「つったらもう、あれしかないんじゃないの?」
「ええ、あれですね」
一致した考えに行き着いたのか、意味深な言葉でふたりは顔を見合わせた。
あれってなんだ、あれって。肩をつかんで問い詰めると。
「そりゃあなた、キスしかないざましょ」
「き、」
アニメの世界にしかいなさそうなザマス口調で三井さんに茶化され、仰け反りそうになる。
「へたれだろうがバリネコ顔だろうが、ちゅーさえしちゃこっちのもんですよ。むしろギャップ萌えがあってキュン死に間違いなしです」
「三井さんはこう言っておりますが、ちゃんと同意の上でしてくださいね。強引にスキンシップをされても、女としては冷めるだけですから」
「う、うん」
ハードルが高すぎるんですが。
だってまだ、ハグすらほとんどしたことないのに。てかキスの経験すらないのに。
で、でも。これが決めきれたら一気に主導権は握れそうだよなあ。
日野はいつも余裕めいた言葉で口説くから、照れさせてみたい願望が密かにわたしの中に芽生えていた。
きっと、すごくかわいい反応をするんだろうなって。
「ってか、その反応。もしやしてない?」
ごまかしてもばればれなので、肯定する。
うひょーと声を上げて、ふたりはわたしをぐるぐる囲んで回りだした。
「えー、うわー、プラトニックだー。初初しいー」
「意外ですね、年上の方でしたら手は早そうなイメージでしたが」
いや、今の日野がそれやったら捕まるんで。
だから彼女のしたいことを汲んで、わたしから状況に引っ張っていかなくてはならないのだ。
同性愛が承認されて、大抵の恋愛は自由な世の中になってきたけど。言いたくても言えない壁がもどかしい。
ふたりに冷やかしと応援をたっぷり受けて、わたしは席へと戻った。
授業が始まっても、教員の声は耳から抜けていくばかり。
頭にあるのは、お祭りの報告と今夜のお買い物。
そっか、今日から和室で一緒に寝るのか。
デートより添い寝が先って、いろいろ順番がバグってるな。
……キス。きす、かあ。
添い寝ということは、密着しまくりということで。
つまり、しようと思えば、で、でき、うがああああ。
広げたノートに顔を埋めて、思わずページを引き裂いてしまう。
「どうした光岡、ご乱心か」
いえ、ただの恋煩いです。
クラス中の注目を一心に集めてしまい、すみませんと一言吐いてわたしは机に突っ伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます