第30話 大氾濫
高熱を伴った空気が暴風のように溢れ、燃えるケモノが高速で迫る。
それに覆い被される直前、その炎は霧散し、それが
目を開けると薄暗い部屋の中、天井から吊られて灯されていない蛍光灯が見えた。
カーテンの無い窓からオレンジ色の光が差し込み、腕時計で確認した時刻は18時を過ぎていた。
(七時間くらい経ってる)
その事実に驚きながら、全身の感覚を精査し、四肢から指までしっかりと存在していることを確認し、ゆっくりと身を起こす。
掛けられていたタオルケットのようなものがはらりと落ち、着ていた隊服にも着衣の乱れはないことがすぐに分かった。
ブーツを履いたままだったので慌てて脱ぐ。
(ここは?)
一見すると、畳敷きの和室。ガラス窓以外の仕切りは襖と白い土壁のように見える、やたらと広い部屋で、畳数で数えても二十畳はありそうだった。
立ち上がり、痛みなどがないことを確認し、靴下の足で部屋の中を歩いて確認する。
リュックは傍らに置かれていたので、ざっと中身を確認し、自分の私物や武装などが残っていることを確認しブーツも収納する。いくら使用権限が付与されていると言っても、自分をここに運んで寝かせた人物がどういった存在なのか分からない以上、警戒を緩めることはできない。
少女を追って山核に侵入した瞬間、燃える魔獣に会敵し、その攻撃を食らう前に何らかの事象が起き、ついでに気を失ってしまった。
山核内で気を失うなどと、状況によっては死んでいてもおかしくはなく、それ故になぜこんなところで寝かされているのか困惑する。
誰かに助けられた。
そういうことなのだろう。そしてここは山核の中なのだろうか。
だが、そこに確かに入れたはずの入山許可証は存在しなかった。
考えながら室内を歩き回る。
寝かされていた広間から板の間に出ると、すぐ広めの玄関があった。
板の間から反対方向に進むと、広めの台所と、トイレや風呂があった。
その周辺には生活感が残っていた。
ペットボトルやレトルト食品、非常食のパッケージが無造作に置かれて、それらを摂取する対象が存在することを表していた。
窓から見える景色は、農家のイメージ。
広めの庭に、蔵や倉庫のような建物も見える。
ただ、この家には個人用の部屋が無い。
その時、気配もなく玄関の引き戸が音を立てる。
広間に戻っていた
それは、
「あ、おきた」少女はニコリと笑い、後ろを振り返る。
カーキ色のカーゴシャツにカーゴパンツ。長髪を頭の後ろでポニーテールのように縛った長身の男性。年齢は二十代中盤か後半に見えた。
「体調はどうだ、
抑揚もない静かな声、表情も特に変わらない。
少し疲れたような、感情に乏しい顔。
「……なんで、私の名前を?」
男は
隊服にネームプレートが刺繍されていたことに
「あの、あなたが助けてくれたのですか? それと、ここはどこですか?」
少女と一緒だからといって警戒を緩めるべきではないと、
「君を助けたのは事実だが、元はと言えば救助隊に見つかるなんてヘマをしたコイツが悪い。それと、この辺の魔獣はそこそこの強さがあるからな、太刀打ちできなくても恥じることはない」
男は少女の頭をコツンと軽く叩き、靴を脱ぎ、板の間から台所に向かう。
涙目になった少女も、慌てて男の後ろを追う。
「あ、あの!」
「話はメシを食いながらでいいか? 時間がもったいないんでな」
男は言いながら台所に入り、レトルト食品の準備を始める。
そんな光景を見ると、
「あ、あの……」
「
「は、はい。お手伝いします」
相変わらずぶっきらぼうな口調ではあったが、酷い目に会わされる気配はない。
プロパンガスが生きているようで、ガスコンロを使ってペットボトルの水を煮沸する。
「ここは集会所らしくてな、非常食の備蓄が豊富なんだ。もちろん不法侵入の無断借用なんで、それが気になるなら控えてくれ」
男のセリフは真面目なのか冗談のつもりなのか
「山核の中なんですよね? それなら現行法は適用されないって聞いてます」
褒められた行為じゃないとしても、ここが山核内である以上、もう使われない備蓄品だ。生きる為に有効活用しようと決意する。
お湯を入れたインスタント食品と非常用の缶入りパンがテーブルに並ぶ。
手を出さず、じっとテーブルの席に座っていた少女がキラキラした目で待ちわびている。
「いただきます」三者三様、手を合わせ食事を始める。
「食事しながらですみません。お名前を教えてください」
「カミヤマだ。こいつはヨーコ」
「私は魔獣に襲われて、カミヤマさんが助けてくれた。気を失った私をここまで連れてきてくれたんですよね。どうして放置しなかったんですか?」
パンを咀嚼し、飲み込んだ後、カミヤマは答える。
「
「それは、山核に近づかせないようにって」
「なんで山核に近づかせない?」
「魔獣に、襲われるから」
「魔獣からヨーコを守りたかった?」
「結果として守れませんでしたけど……」
「だから助けたんだよ。ヨーコの身を案じてくれたから。気を失った君を山核の外で放置することも考えた。だがそれはあまりにも危険すぎる。ここはナベワリの山核で、氾濫も日常茶飯事だからな」
カミヤマはそう言って食事を再開する。
「助けてもらってこんなことを聞くのは失礼なんですけど、1キロほど南下すれば、人々の生活圏があるんですが、なんで山核の中で暮らしているんですか?」
台所の片隅に積まれた、消費された非常食のゴミや空のペットボトルは、彼らが数週間以上ここに滞在している証明だ。
「楽だからだ。山核の中が」
「楽?」
「ああ、俺は人嫌いなんでな」
だからと言って一人で、いや、こんな小さな女の子と生活できるのだろうか。
それに、以前、隊長に注意されたことを思い出す。
「山核の中って、放っておいたらなんでも魔素に変換されてしまうって聞いたのですが、この家も、食料品も、なんで無事なんですか?」
「それは誰かに管理された山核の話だ。誰の物でもない山核では魔素として分解されるのは生体だったものだけだ」
「お詳しいんですね」
「伊達に長いこと山核で暮らしてないからな。今度はこっちが聞こう、その隊服はハルナのだろ? なんでこんなとこにいるんだ?」
「実家が
「休暇なのに隊服なのか?」
「……途中で着替えただけです」
「その隊服、普通じゃないだろ? 着てなかったら死んでたぞ」
「それって、どういう……」
「シッ! 静かに」
会話の途中、何かに気付いたようなしぐさでカミヤマは押し黙る。
「ととさま」ヨーコが不安そうな顔でカミヤマを見上げる。
「来たぞ。準備しよう」
カミヤマが立ち上がる。
「何が来たんですか?」
「君をこっちに連れて来て正解だったな。大氾濫だ。外に出るぞ」
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百合香はとある町の集会所で目を覚ました。彼女を助けた男はカミヤマを名乗り簡単な情報交換を行った。備蓄食料で夕飯を摂っている最中にアカギの大氾濫が始まった。
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