074.彼の者の祝福
「本当に構わないのですか?昨日の今日でこんな、無茶なこと……」
小屋から出て城に向かう道中の、平原のど真ん中。
まるで子供と向き合うようにしゃがんで俺と高さを合わせるレイコさんの目は揺れていた。
普段の鉄面皮とは違う、よく感情が揺れ動く今日の彼女。それだけ心配かけたのだろう。そして更に今心配を重ねようとしている俺は申し訳ない気持ちを抑えながら首を縦に振る。
「なんとなくわかるんだ。今ならつかめそう……きっとできるって」
「でも、確証はないのでしょう?いくら"祝福"がわかるかもしれないって、そんな命を危険に晒すようなこと……」
命の恩人である少女と別れてからしばらく。
俺は迎えに来たレイコさんとともにほんの少しの寄り道。森の入口までやってきていた。
だいぶ遠かったがレイコさんの背中に乗ればほんの数分。まさに忍者と呼ぶに相応しい機敏さであっという間に森が目の前に現れた。
ここでやることと言えば、俺が持つという"祝福"の実験。
昨日の命の危機からこっち、なんとなく心の奥底でわだかまっている感覚があった。それが"祝福"のものだと確信したのはレイコさんと会ってから。
未だ具体的な内容は何なのかわからない。けれど昨日見えた片鱗からこれだという感覚は自分の中にあった。
そのための実験。
今日やっておかなければ今後いつ実験できるかわからない。
このまま戻れば確実にエクレールやシエルに心配されるだろう。詳細を知れば二人の静止がとてつもないものになることくらい火を見るよりも明らかだ。もしかしたら心配を通り越して監禁される不安さえあるほど。
だから二人と再会する前にどうしてもやっておきたい。それに今日が最も適した理由はもう一つ。その理由に俺は目を合わせ微笑んでみせる。
「大丈夫。だってレイコさんがいてくれるんでしょう?何があっても助けてくれるって信じてるから」
「…………。はぁ……」
ほんの少しだけ虚を突かれた表情と、大きなため息。
呆れたのだろうか。納得してくれたのだろうか。暫く考えるように深く顔を落とした彼女は頭をかきながら立ち上がって森の方へと振り返る。
「……ほんの少しだけですよ。少しでも危ないと判断したらすぐに中止しますから」
「それで十分だよ。ありがとう」
「…………1分、待っていてください」
やはりレイコさんは優しい。
こんな俺の無茶なワガママにも付き合ってくれる。
彼女がそう言い残すように一歩前に出ると、二歩目でその体がブレ、三歩踏み出す前に彼女は消え去っていた。
音も風もない、まさしく瞬間移動。普段の忍者のような動作さえもない彼女の本気が垣間見えたような気がした。
「…………」
たった一分。されど一分。
彼女が立ち去って10秒程度で俺は早くも恐怖に襲われていた。
風に吹かれて森の木々が揺れ動き音を発している。それはまるで不気味な唸り声のよう。
しかしお願いしたからにはきちんと向き合わなければならない。今後のためにも、そして日本への手がかりのためにも。
ガサガサッ――――!
「っ…………!!」
彼女が消えて数十秒。
突然聞こえてきた音に身体を震わせながら振り返ると、茂みから一つの影が飛び出してきた。
姿を現したのはドーベルマンのような4足歩行の獣。毛は逆立ちこちらに敵意を見せている。
獣ではない。魔物だ。昨日襲われたやつと同じ魔物だ。昨日と違って怪我は負っていない。けれど瓜二つの外見にゴクリと自らの喉を鳴らす。
「レイコさんは……」
魔物から目を離すことは叶わないが、彼女の気配は感じられなかった。
しかし間違いなく彼女が連れてきた魔物のはずだ。ならば計画通り俺の実験を行おうと大きく息を吸う。
グルルルル…………
「――――!」
大きく吸って言葉を放つ。
しかし俺の喉は音を発しなかった。
思い出されるは昨日の光景。追いかけられ、転けて、喉を噛みちぎられそうになった恐怖。
トラウマだ。昨日と同じ展開に身体が、心が行動するのを拒否していた。
だがそんな事はわかっている。トラウマになっていることが分かっているからこそ時間を置かないために翌日を選んだんだ。
脳裏に浮かぶ失敗する恐怖。あの少女に助けられたのは奇跡に他ならない。今度は本当に首を噛みちぎられるかも。しかし、止まるわけにはいかなかった。この力がいつか大切な誰かを守れることを信じて。
俺は震える足を思い切り叩き、思い切り息を吸って絞り出すように叫んでみせる。
『――――止まれ!!!!』
それこそ昨日の焼き回し。
俺は昨日あったことを思い出し、あの時の違和感を確かめるためもう一度形にした。
昨日、俺は何度も同じ言葉を口にした。しかし魔物は止まることはない。しかし最後の最後で叫んだ言葉。あの言葉には反応したのか不自然に石化したかのような止まり方をしていた。
思い返せばあの時の最後、俺は無意識ながら"日本語"で『とまれ』と口にしていた。
それは本当に効果があるのか。それこそ今回の実験の趣旨。俺は力のままに叫び警戒の色を示している魔物をジッと見ながら一歩踏み出そうとする。
「お待ち下さいスタン様」
「っ!!」
一歩踏み出した瞬間、頭上より声が鳴り響いた。瞬きの隙に音もなく降り立ったのは頼もしい味方であるレイコさん。
彼女は俺に静止するよう手で合図しながら代わるようにゆっくりと魔物に近づいてその姿を観察する。
「ふむ……。確かにスタン様が言ったとおりに固まってますね。まるで石像のよう。スタン様、他になにか命令をしてみてくださいませんか?」
「えっと……。『伏せ!』」
「…………おぉ」
レイコさんに促され咄嗟に再度"日本語"で命令してみせると、魔物はまるでペットのようにその場にへたり込んだ。
関心の声をあげた彼女が試しに頭に触れてみても反応する気配すらない。やはり俺の"祝福"は……。
「なるほど。これがスタン様の祝福……どうやら【日本語で命令した相手を操る】ようですね。しかし私には効かないことから人間には効果がないのかも知れません」
「そのよう……ですね」
目眩がする。
さっき目覚めたばかりだというのにとてつもない疲労感が身体を襲う。
頭が痛く、考えがまとまらない。前方で考え事をしているレイコさんが二重にブレて見える。
「他にも複雑な命令、矛盾する命令ならどうなるか……スタン様、もっと他に命令を――――。っ……!スタン様!?」
ふらりと。
気づけば俺の意識は朦朧となり視界が大きく揺れ動いた。
全身から力が抜けるのを感じた。まるで発した言葉に全ての気力が持っていかれたかのように、俺の体は限界に達していた。
自らの両足で立っていることもままならなくなり次第に膝が曲がって地面との距離が一気に近くなる。
――――だが、実際に地面と衝突することはなかった。
俺が崩れ落ちた瞬間、即座に近づいたレイコさんは俺を受け止めて優しく抱きとめる。
「力の制御ができなかったようですね。お疲れ様ですスタン様。後のことはお任せください」
それは母のような優しい温もり。
俺は穏やかな心音の聞こえる彼女に全てを任せ、突如襲われた疲労のまま意識を闇に落としていった。
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