072.隠された小屋

「いたっ!イタタタっ!」

「我慢して。ほっといて悪化したら大変だから」


 ロウソクの火が照らす薄暗い小屋の中。

 俺は一人の少女の前で情けない声を上げていた。


 膝と手、そして頬に容赦なく浴びせられるは消毒液。

 怪我した箇所に触れるそれに染みるのを目に涙を浮かべて耐えていると、手早い動作で患部にガーゼが当てられてあっという間に処置が完了する。


「終わり。もう痛くないよ」

「あ、ありがとう……」


 そっと頬に手を触れるとカサリと感じるガーゼの感触。

 カチャカチャと後片付けをする少女の後ろ姿を眺めながら流れるように辺りを見渡す。


 一部屋で構成された小屋の中。

 座らされたのは二つあるうち片方のベッド。

 周りには小さなキッチンや暖房器具があり、どうやら彼女はここで暮らしているんだなと理解する。



 魔物が俺の前で切断され、消え去ってからしばらく。

 少女に助けられた俺は、言われるがままに彼女に連れられてこの小屋にやってきていた。

 出会って早々俺の状態を確認し、『ついてきて』とだけ言って先導する少女。見渡す限り何も無い平原のどこへ連れて行くかと思いきや、小屋は魔道具によって巧妙に隠されていた。

 平原のど真ん中で手を引かれながら数歩進むと突然小屋が現れた時は腰が抜けると驚いた。

 そんなこんなで暗くなった星空の下、俺は彼女の家で一晩厄介になることに。



「それは……何してるの?」


 ふと意識を取り戻して顔を上げ気になったのは少女の姿。

 治療道具を片付けた彼女は窓に向かいながら手にした紙を小さく折りたたんでいた。

 俺の問いかけにほんの少しだけ視線を向けた彼女はすぐ手元に戻り、紙を更に小さく折りたたむ。


「王城への手紙。伝えたほうがいいんでしょ?」

「あっ、うん。ありがとう」


 どうやら俺の件について城に手紙を送ってくれるみたいだ。

 彼女には小屋に来る道中あらかたの事情を説明していた。しかしこんな夜更けに郵便もおらず、どうやって送るというのだろう。

 そんな小さな疑問を抱いたのも束の間だった。彼女が窓から空を見上げてから数秒経つと突如暗闇からヌルリと這い出るように窓の冊子に降り立った大型の鳥。彼女が鳥の足元に折りたたんだ紙を器用に括り付けると阿吽の呼吸のように鳥は飛び去っていく。


「凄い……」


 そんな光景を目にしながら俺は無意識に呟いていた。


「伝書鳩。見たこと無いの?」

「うん、初めて……」


 存在するのは知っていた。だが実際に見たのは初めてだ。

 随分と原始的な生活に圧倒されながら小屋の中を見渡す。


 それにしても……不思議な小屋だ。

 部屋の中央に鎮座する庵のように置かれた薪ストーブ。そして部屋を照らすロウソクからは魔道具の一つも見当たらない。

 魔道具で隠された小屋に魔道具のない生活空間。壁に立てかけられた長剣といい、太陽が沈んでも彼女1人でいることもまた不思議だ。

 室内にベッドは二つ。元々誰かと一緒に住んでいるのだろうか。


「ねぇ」

「何?」


 小さく呼びかけると言葉少なげに返事が返ってくる。

 どうやら会話する意思はあるみたいだ。しかし纏う雰囲気は少し鬱陶しそうなもの。めげるものかと俺は更に問いかける。


「キミは、ずっとここに1人で住んでるの?」

「…………」


 ジッと少女の目が俺を射抜く。

 何かを見定めるような視線。そんなかのジィに目を逸らさず見つめ返すと、ハァとひとつため息を吐きながら答えてくれる。


「……お母さんが、一人。仕事であんまり帰らないけど」

「お父さんは?」

「………………」


 どうやらこのベッドの片方は母親のもののようだ。

 しかし父親について返ってきた言葉は沈黙。もしかして地雷を踏んだのかなと思っていると、彼女の視線が俺の座るベッド近くの棚に向けられていることに気がついた。


「これ……倒された写真立て、見ても良い?」

「っ――――!見ないで!!」

「…………!!」


 ベッド近くに設置された棚。その上に置かれていた写真立てが倒されており、スッと手を向けると響き渡る叫ぶような声に思わず俺も手を止めた。

 初めて見えた彼女の感情。驚きに目を向けると彼女自身も思いもしなかったのか、ハッとしたように目を伏せる。


「……ごめん」

「いや、ボクこそゴメン。考えなしだった」


 二人して謝罪して気まずい空気になる小屋の中。

 よっぽど写真は見られたくないもののようだ。自らの軽率な行動に反省していると、彼女の手はこの小屋を照らすロウソクへと伸ばされる。


「もう、寝よ。僕はお母さんのベッドで寝るから、あなたはそっちのベッドで寝て」

「う、うん……」


 どうやら俺が座っているこのベッドは彼女のもののようだ。

 まだ日が落ちて間もない。就寝にはまだ早いとも思ったが、今日の疲労感を考えるとそれもまたいい選択に思えた。

 僕がベッドに横になるのを待っていたのか、潜り込むと同時にふっと暗くなる小屋。そして衣擦れの音とともに彼女もベッドに入ったのだと理解する。


「…………」

「…………」


 5分、10分と。

 明かりの落とされた暗い小屋に二人して静寂が包み込む。

 疲れ切ったこの身体。ベッドに横になればすぐに眠りにつけると思ったが、どうやら目が冴えて全く寝られる気配がない。

 それも当然だろう。ついさっきまで魔物に追われて命の危機だったのだ。死ぬ直前まで追い込まれて今でも生きているのが不思議なほど。


 そういえば…………。

 そういえばあの時、不思議なことが起こった。

 魔物に首を食いちぎられる直前、魔物はその場で固まったかのように静止した。

 その後すぐに彼女の剣によって切断されたが、思い返せばあの時は不自然だった。

 俺は何をしていたんだろう。ひたすら『来るな』と言っていた気がする。でもなんで直前に……確か俺が西尾に発した言葉といえば――――


「……ねぇ」

「――――!!な、なに?」


 横になって回転しだす思考。そこで先程のことを思い返していると、おもむろに彼女の声が聞こえてきて思考は中断される。


「さっきは、ごめん」

「えっ……」

「助けるのが遅れた。僕が一匹倒し損ねたせいで」

「そんなこと……」


 そんなこと……ない。

 遅れたとはいえ助けてくれた。俺の命は助かったのだ。

 それだけでこちらが感謝すべきことだ。しかし否定しても彼女は満足しないだろうと言葉を途切れさせて別の話題を持ち上げる。


「そ、そういえばあの一閃すごかったね!一瞬で魔物を断ち切って、もしかしてキミって相当強いとか?」

「ううん、全然弱いよ。あれはお父さんの剣のおかげ」

「いやいや、あの長い剣を扱える時点で相当凄いよ!」

「そんなこと、ない。全然……お父さんのほうがもっと凄い」

「…………」


 自らの功績さえも否定するような寂しい言葉。

 そこで言葉をなくした俺はなにも言うことができなくなってしまった。

 お父さんはどれほど凄い人だったのだろう。そう問いかけようとして口を閉ざす。

 聞いたらきっとまた悲しい顔をさせるだけ。それを考えると問いかけることができなくなっていた。


「……学校」

「えっ?」

「……あなた、学校には行ってるの?」


 俺が語る言葉を失っていると、ふと彼女からそんな言葉が投げかけられた。

 その話題なら彼女も落ち込むことはないだろう。俺も少し声が上ずりながらも『もちろん』と声を上げる。


「うん。昨日から行き始めたんだ!学校二日目でこんなことになっちゃったけどね……」

「それは災難ね」


 「ふふっ」と、僅かに彼女が微笑む声が聞こえてきた。

 そんな笑い声に俺も落ち込んでいた調子を取り戻していく。


「本当にね。昨日……入学初日にテストがあったんだけど、いきなり勝負を仕掛ける子がいて大変だったよ」

「勝負?なんでそんなことを?」

「きっかけを話すとその前の日、寮入りの日の話になるんだけどね――――」


 かつてのことを思い出しながらあの日のことを語っていく。

 寮入りの日に列割り込みされて目をつけられたこと。テスト勝負を仕掛けられて返り討ちにしたこと。その後交わした約束の行方を。


「……へぇ。まだ初日なのに随分と濃い一日だ」

「更に二日目もこんな事になっちゃって、休まる日がないったらね」

「本当に。…………ねぇ、学校って楽しい?」


 楽しく面白おかしく先日のことを語っていると、不意にそんな問いが彼女から飛び出した。

 学校が楽しいかどうか……人それぞれだろう。神山の時は面白くもなんともなかった。たが勉強して帰るだけの施設。そこにそれ以上の感情を抱くことはない。だがしかし、俺はこの世界に降り立って――――。


「もちろん楽しいよ。まだ一日しか通ってないけどね」

「……そっか」

「キミは?学校にいかないの?」

「学校か……。ううん、行かない。行けないの」

「本当に?もしも行きたんだったら僕がなんとかしてみせるよ」


 気づけば俺は彼女を学校に誘っていた。

 それは感謝の気持ちが発端かわからない。だた放っておけなかった。彼女とともに学校生活を送れれば楽しいだろうなと感じ取っていた。

 無茶な話でもあるが無理ではないだろう。すでにシエルにお願いして入学してもらっている。今回も彼女を入学できるようエクレールに頼み込めばいい。


 そんな前向きになりながらの呼びかけだったが、彼女の返答は同じ言葉だった。


「ううん、行かない。行けないの」

「行けないのならボクが口利きしてどうにかするからさ。それは気にせずに――――」

「ダメなの。僕は行っちゃダメなの」

「――――」


 再三に渡る彼女の否定。

 三度目のそれは俺の考えるハードルとはまた違ったものがあるのだと理解させられた。

 暗闇で突き放すような明瞭な言葉に言葉を失ってしまった俺に彼女は「あっ」と目が覚めたかのように声を上げる。


「ごめんなさい。せっかく誘ってもらったのに」

「ううん、ボクこそ事情を汲めずにごめん」


 再び始まる互いの謝罪。

 今度こそ、彼女は会話を打ち切るように衣擦れとともに深く毛布をかぶる。


「……明日は早い。今度こそもう寝よう」

「……うん」


 それ以降彼女のベッドから声が聞こえることはなくなってしまい、本気で寝るのだとわかった。

 さらなる会話が打ち切られた俺も彼女に従うよう、ゆっくりと目を閉じて夢の世界に旅立っていった。

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