060.入学宣言
「エクレール……王女…………」
ポツリと、静寂のエントランスに眼の前の少女がその名を呼んだ。
紫の髪を持った同い年の少女。列に割り込んできて、シエルにぶつかってきた女性。
「ご無沙汰しておりますセーラ様。パーティー以来でしょうか。ご健勝のようで何よりです」
「えっ……あっ……その…………」
セーラ。それが紫髪の少女の名前だろう。
俺の前に立ち恭しく挨拶をしたのは金の髪を持つこの国の王女様、エクレール。
セーラという人物も、まさか自分が王女様にあんな口を放っていたとは思ってもみなかったのだろう。その声は言葉にならず目さえも慌ただしく動いている。
「セーラ様?大丈夫でしょうか。お顔がすぐれないようですが――――」
「――――っ!お、王女殿下!この度は私共の学寮への来訪、誠にありがとうございます!!」
ザッと。
そんな彼女は突如意識を取り戻したように言葉を上げ、勢いよく膝をついた。
気づけば列を形成している俺とシエル以外の全員が、更には奥に立つ受付の大人たちまでエクレールに向かって膝をついている。
一方のエクレールはそんなこと慣れきっているのだろうか。一度辺りを見渡すように目を配らせただけですぐにセーラに目を戻し、ジッと見つめたまま全員に言い放つ。
「皆様楽になさってください。ここは政治的な場ではありません。私も王女ではなくエクレール個人として扱っていただけると助かります」
「エクレール王女……個人として……?」
「…………」
「っ……!し、失礼いたしました!!」
チラリと膝をついていたセーラは顔を上げてエクレールの様子を伺う。
しかし笑顔を浮かべたままの彼女と目が合うと同時に慌てたように再び頭を垂れてしまった。
誰も話さなくなって静寂に戻るエントランス。そんな中おずおずとシエルが彼女に呼びかける。
「エクレール様……どうして……」
「まぁシエル様。本日は朝早くからご足労いただきありがとうございます。やはりシエル様も制服がよく似合っておりますね。お可愛いですよ。」
「ありがとうございます……。エクレール様こそ……制服、とても似合っております」
「あら本当ですか?嬉しいです!お父様に無理言ったかいがありました!ところでシエル様は採寸の猶予をどのくらいに―――――」
「エクレール……王女……」
シエルの言葉に喜んだエクレールの服もまた学校の制服。
白いシャツとワンピースタイプの青い服。周りの生徒と同じ服を着ているはずなのにオーラと言うべきか、彼女が着るとまた気品があるものへと生まれ変わっている気がする。
エクレールが一人楽しげに回す会話。戸惑うシエルにも疑問を投げかけたところで、不意に聞こえた声に視線を向ける。
「――――あらセーラ様。すみません、お話中に別の方へ向かってしまって」
「い、いえっ!エクレール王女が謝ることは……。それで、王女は何用で参られたのでしょう?」
意を決して再び顔を上げたセーラの問いかけ。そして俺も同じ意見だった。
何故わざわざ王女様がこんなところまで足を運んだのだろう。俺も同じ視線を彼女に向けると「そうでした」と思い出したかのように声に上げる。
「えぇ、本当は見守っているつもりでしたがセーラ様にどうしてもお伝えしたいことがございまして」
「私に……ですか?」
「えぇ」
にこやかに、笑みを崩すことなくエクレールは応える。
――――ふと、肩に手が触れた。
エクレールの小さな手。一瞥もせずに乗せられたその手はただ真っ直ぐセーラのみを見て淀むことなく口を開く。
「今ここに立つスタン様は、私の命の恩人です。それだけでなくスラムに蔓延っていた誘拐犯の確保にも多大な尽力をいたしました。決してあなたの言う”愚鈍”ではないということを伝えたかったのです」
「――――――」
俺も、セーラも言葉が出なかった。
それは俺をかばう言葉。
何を伝えるのかと思いきや俺をかばうために出てきたというのだ。この国のトップである王、その娘のエクレールが。場が騒然になることを承知してまで。
告げられるはあの街の事件のこと。多少盛られてはいるが、王女様の言葉はセーラの目を丸くするには十分だった。
「ぐどっ……。スタンがですか?」
「えぇ」
「このスタンが!?」
「このスタン様が、です」
まさに信じられないといった目で俺を指差すセーラ。
しかしエクレールは笑顔を一切崩さず彼女の言葉を繰り返すように念押しする。
「……さて、このままもっとセーラさまと語り合っていたいのですが申し訳ございません。私も少し多忙な身でして。よろしければこのお二人に順番を回していただきたいのですが、構いませんか?」
「えっ……あっ……」
ここまで長く言い合っていたら当然だろう。
俺とセーラの前には誰も並んでおらず、気づけば順番はセーラへと回っていた。
受付と俺を交互に見渡すセーラ。数度の逡巡の後、場所を譲るようにスッと半歩後ろに下がる。
「ありがとうございます。……スタン様、受付を」
「あ、あぁ……」
あの者は何者だ。何故エクレールに促されている。
この場にいる全員の視線を一身に浴びながら受付に立ち、ようやく我に返った係の人の説明を受ける。
渡された袋を似て振り返ると、待ってくれていたエクレールと駆け寄ってきたマティとともに、自らに割り当てられた部屋へと4人で向かうのであった。
背後に突き刺すようなセーラの視線を一身に受けながら――――。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「はぁ………なんだかどっと疲れた……」
俺に割り当てられた二人部屋。
大きな寮の2階。その突き当たりに位置する最後の部屋。
エントランスでの騒動を乗り切った俺は部屋に入って早々近くのベッドに倒れ込む。
「お疲れ様ですご主人さま。早速ですが持ってきた紅茶をお淹れしましょうか?」
「あぁ、お願いするよシエル。………それと呼び方戻ってるよ」
「あっ!……お疲れ様でした、スタンさん」
はにかみながら言い直すシエルに俺もフッと笑みが溢れる。
呼び方も今朝無理矢理決めたものだ。あまり厳しくしても反感を買うだけ。徐々に慣れていけばいい。
そう茶葉を取り出すべく荷物を漁っているシエルを見ているとクスクスと笑うマティがポスンと俺の寝転がるベッドの縁に腰を下ろす。
「へぇ~。アンタ、シエルちゃんに”スタンさん”って呼ばせてるのね」
「………悪い?」
「いいえ、悪くないわ。どうせアレでしょ。ご主人さま呼ばわりだとシエルが虐められるって思ったんでしょ?」
「えっ!?ごしゅっ……スタンさんそうなのですか!?」
「…………」
俺の真意を言い当てられて黙り込む。すると俺達の会話を耳にしていたシエルが真っ先に顔を上げてきた。
「あらアンタ、理由話してなかったの?」
「………あぁ」
彼女に命じるにあたって言い方を変える理由は話していなかった。
理由のない命令。それは頭ごなしになって納得もできず遂行することも難しいだろう。
しかし言うわけにはいかなかった。だって言ってしまうと『心配性すぎる』とか『被害妄想』とか言われかねないから。
「そんな理由があったのですね……スタンさん、お心遣いありがとうございます」
「……心配しすぎとか思わないの?」
「いえ、まったく。むしろ嬉しいです。心配いただけるほど私はスタンさんの役に立てているんだなって」
「シエル……」
どうやら俺の心配は杞憂だったみたいだ。彼女は受け入れてくれる。その事実にホッとする。
そして同時に嬉しくも思った。分かってくれたんだなと、そして普段から支えてくれてお礼を言うのはこちらだと。
「ま、さっきのは焦ったわぁ。まさかあのセーラに喧嘩売るとはね」
そんな二人ではにかむさなか、マティが話に上げたのは先程の騒動のこと。
もしかしてあの人は有名なのだろうか。
「セーラって有名なの?」
「えぇ。父親は近衛兵。その隊長といえば兵隊の中でも最上位よ。その上セーラも学年首席。半年前にやった入学前のテストはあの子がトップだったのよ」
「そうだったんだ……」
それは凄い。
半年前……おそらく俺がこの世界に来る直前か。
父も誇りで勉強も自信がある。となれば鼻高になるのも無理はない気がする。
「列割り込みした時は私も言ってやろうかと思ったのよ。スタンなら冷静な対応すると思って見守っていたけど、まさか言い返すと思っても見なかったわ」
「面目ない。ちょっと頭に血が昇ってたかも」
「……ま、理由もなんとなく察するけどね」
「スタンさん……」
チラリとマティがシエルに視線を送ると潤んだ瞳の彼女が目に入る。
怒った理由もマティにはバレバレだったみたいだ。なんだか自分のなすことが見抜かれていて恥ずかしくなってくる。
「大丈夫ですスタン様!シエル様が虐められるなんてこと、例えこの国の王が許しても私が許すことは決してありませんっ!!」
そんな嬉し恥ずかしな会話。突如として元気いっぱいに入ってきたのはエクレールだった。
ずっと扉に立って俺達の姿を見守っていた彼女は自信満々にグッと力拳をつくて近づいてくる。
「王様も許さないと思うけどな……。でも今日だってかばってくれてありがと。でも良かったの?あんなみんなの前で言っちゃって」
「えぇ。大切な”婚約者”のためですから」
「「…………………」」
二人からジッと凍てつくような視線が降り注ぐ。
攻めるような視線。言わんとしている事は理解している。そんな二人の視線を振り払いながらワザとらしく肩をすくめる。
「婚約者の”フリ”だからね。それでエクレール、今日はどうしてここに?まさかお城から近いから遊びに来た……ってわけじゃないよね?」
「それも半分くらいありますが――――」
「半分もあるんだ……」
半分もあるんだ……。
言葉と心が一致しながらもう半分は何かと耳を傾ける。
「もう半分は?」
「はいっ!もう半分は……これです!!」
「これって……制服?」
そう言って彼女が示したのは自らの履いているスカートだった。
正確には自らが着用している制服。「はいっ!」と俺の答えに満足するように頷いたエクレールはまるで宣言するかのように言い放った。
「私もこの学校に入学するからです!!!」
入学――――。
それは彼女を見たときから心の何処かで予想していたこと。
予想が外れてほしいとも思っていた。一方で予想が当たっていてほしいとも思っていた。相反する2つの感情。今この場で宣言してしまった以上、事実は変えられない。
目を見開いて口を隠し、驚くシエルと呆れたように頭を抱えるマティ。
そして俺は胸を張る彼女を見て「だろうな……」と小さく呟いたのであった。
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