殺死杉過去編(2)

若かりし日の殺死杉(前編)


 ◆


『総理、治安向上に向けて意気込み。殺人鬼をいっぱい殺す』

『出生率6.66を達成、サタン復活の兆しか』

『上野動物園にチャリでパンダ来日、餌代は自転車の技術で稼ぐと豪語』

『感動の再会だと思ったら、野生のピラニアでした畜生』

『444人をナイフで殺害した謎の殺人鬼にナイフ会社から非難の声、ウチの評判が悪くなるからピストルを使え』


 煽情的な見出しをちらちらと目で追いながら、殺死杉謙信はお目当ての欄に届くまで新聞をバサバサとめくっていく。

 犯罪者は警察官の休憩時間に合わせて犯罪を休んだりはしない、朝の内に買った新聞も実際に読むのは三時ごろである。殺人鬼の死体が散らばる廃倉庫の中、まだ生きている殺人鬼が苦痛にのたうち回ろうとするのを、動けないように体重をかけ、腹部を椅子の代わりにして今日始めての休憩であった。

 殺死杉謙信は殺戮刑事――殺人鬼を法廷を通さずに処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥、いや、殺人行為で給料が発生するので一石三鳥と呼ぶべきだろうか、そういう公務員であった。

 殺戮刑事になってから一年、若手ながら中々の強さと殺人率を誇る将来有望な男である。


「コッシーって新聞読むんだ」


 血臭漂う空間、その異臭を気にも留めずに一キログラムの袋の粉砂糖をそのまま口に流し込んでいる線の細い男がいる。服装に頓着が無いのか、着古したジャージをそのまま着ている。髪型はボサボサで整っていない、その雑草のような髪の隙間から金属の角のようなものが何本か伸びている。ぼんやりとした表情は丸メガネと合わせて人畜無害なように見えるが、彼――ニコラ・デスラもまた殺死杉と同じように三大欲求を合わせたものよりも強い殺人欲求を持っている。


「別にこういう記事自体には大して興味は無いんですがねェ」

 その問いにほんの少しの懐かしさを感じた後、殺死杉はデスラの問いかけに応じる。

「ああ、じゃあ……油物だったり、ゴキブリを叩き潰したりする時に使うのかい?」

 会話の合間合間にデスラは純粋な甘味の塊を胃の中に流し込んでいく。一キログラムの砂糖を口の中に流し込むと、担いだ鞄から新しい砂糖を取り出して、自分の口の中に流し込み始めた。

「……それ、勘弁してくださいよォ。見てるだけで吐きそうになりますから」

「コッシー、不快な思いをさせたなら申し訳ないけどね、僕は甘いものが大好きなんだ」

「せめてお菓子を口に運んでくれませんかねェ?胸焼けするんですよ、見てて……それとも好きなものを食べる時まで効率重視なんですか?」

「……別に糖分摂取の最高効率を目指しているわけじゃない、ただ純粋に粉砂糖を甘味として楽しんでいるんだよ」

「うぇー」

「僕のことはいいじゃないか、それより……何が目当てで新聞を読んでいるんだい?」

「これですよ、これ」

 殺死杉はそう言って、読者投稿の詩のページを開いてデスラに見せた。

「ああ、詩が好きなんだね」

「サンキュー新聞は読者投稿の詩のクオリティが高いですからねェ、これだけのために新聞を買っているようなものです」

「ふふ、これだけ文字が載っているのに大切なのは百四十文字にも満たない詩というのは、中々贅沢な話だねコッシー。まるで希少部位だけを食べる文章の美食家だ」

 四袋目の砂糖を身体の中に流し込み終わって、ようやくデスラは見ているだけで胸焼けするような食事の手を止めた。そもそも四キログラムの食事の時点で異常だが、それが糖分だけに偏っている。殺死杉の見る限り、デスラの食事は常にそうだった。何故生きているのかわからない。殺戮刑事は死と隣り合わせの職業であるが、捜査とは無関係のところでデスラは命を張っている。

 当時の殺死杉は今のデスラよりも捜査以外の部分に命を懸けている薬物常用者と出会うことを知らなかった。


「……デスラさんも美しい食事をされたらいかがですか?」

「砂糖は余分なものがなくて美しいよ」

 常軌を逸している――自らもその側の存在でありながら、他人事のように殺死杉はそう思った。


「……ところで、コッシー」

「どうしました」

「僕の問いかけに対して、何かしらの思い出が想起されたみたいだね」

 殺死杉は頭をかく。

 ニコラ・デスラ――この賢い男の前で隠し事をすることは出来ない。

 もっとも、ただ個人的な思い出が頭の中で過ぎったというだけで、隠すつもりも無かったが。


「脳の働きが身体に出ていたよ。ほんの少し目が細まり、視線は僕を見ながら一瞬、焦点がぶれていた。それと共に気の緩みも見えたよ。休憩時間のものとは違うようだね。誰かに心を許すかのような気の緩みだ、家族や友人、恋人に見せるようなね。それでいながら油断していたわけではない、その瞬間に君に対する狙撃があっても対応してみせただろうさ」

「勘弁してくださいよ、恥ずかしいじゃないですか」

 滔々と話すデスラを制して、殺死杉が言う。


「別に大したことじゃありませんよ、そういう出会い方の友人がいたというだけです」


 ◆


 市の中心部から離れた山沿いにその高校はあった。

 近くに駅はあるが、周辺にはファーストフード店すら無い。遊ぶ場所がある近くの街まで自家用車があれば大した距離ではないが、若さしか持ち得ない高校生にとっても多少は面倒で、高校の周囲を取り囲む自然は高校生にとってはまるで牢獄のようだった。高校帰りに遊ぼうと思ったら、高校の周辺ではなく、電車を使って、この牢獄から抜け出さなければならない。そのような場所に『――県立勉強の強はあらゆる意味での強さを表している高校』は位置している。


 強い風が吹いた。

 風にその身を預ければ、新聞は山まで飛んでいくだろう。

 風に煽られてバサバサと羽ばたこうとする新聞を殺死杉は押さえつけて、ため息を吐いた。高校生――自身の将来が殺戮刑事であると知らぬ頃の殺死杉である。


 『――県立勉強の強はあらゆる意味での強さを表している高校』の屋上、風を遮るものはない。落下防止柵は人が落ちるのを妨げるが、格子の間隔は風が吹くには十分過ぎるぐらいだ。牢獄にも似た柵の合間からは街をミニチュアのように見下ろすことが出来る。後は嫌になるぐらいの自然と山の奥に開拓されたニュータウン。牢獄の向こうの景色に自由が見えるわけではない、ただ自由の遠さを実感させられるだけだ。


 本来ならば施錠されているはずの屋上の扉は開いていた。

 なにか特別なことがあって、生徒のために開放されたわけではない。

 施錠を忘れたのか、それとも誰かがこっそりと開けたのか。

 殺死杉は扉が開いていることを知って屋上に来たわけではない、ただ、なんとなく一人になれる場所を求めただけだ。

 友人は多い。

 話題は泉のように組めども尽きることはない、テレビ番組であれ漫画であれ部活や勉強であれ、あるいは最近流行り始めた動画サイトの動画であれ、自分の興味のない事柄でも相手に合わせて語ることが出来る。

 ただ、その会話の中に自分がないことを悟り、時折息が詰まるような感覚に囚われる。普段ならばそういう時は図書館に避難して本を読むのだが、図書館にいる無言の他人ですら煩わしい――そういう日だった。


「こんなところで新聞なんて読むんだな」

 背後から声がして、殺死杉は驚きで思わず全身を震わせた。

「うわあ!」

 屋上の設備の陰にいたから気づかなかったのだろう。

 だが、屋上の扉が開いていたのだから開けた人間が屋上にいるというのは当然考えるべきことだ。


「そんな驚くなよ、殺死杉くん」

 振り返ると、そこには人懐っこい笑みで笑う男がいた。

 金髪のウルフカット、太陽に愛された褐色の肌、きっちりと閉めるように指導される制服のボタンの全てを開いて、だらしなく着崩している。

 わかりやすいぐらいの不良であったが、その笑みに驚く殺死杉を蔑むところはない。良い笑い方をする少年だった。


「君は……」

「別のクラスの上杉、上杉地獄虎へるとら

 聞いたことのない名前だった。

 一度も同じクラスになったことはないし、友人との話題の中で上がったこともない。見た目から不良としか思えないが――この高校で不良ならば、もう少し有名人であってもおかしくはない。誰にもわからないように密やかに活動しているのだろう。


「上杉くんは――」

「地獄虎でいいよ、俺も謙信って呼ぶから」

 名前で呼び合うにはそれだけで十分だった。

 殺死杉も友人を作るのが上手い方であるが、地獄虎はそれ以上に他者との距離を詰めるのが上手い。


「――なんで僕の名前を?」

「有名人だよ、謙信は。文芸部で全国大会にまで行ってるしね。俺、それで初めて知ったよ。文芸部って全国大会があるんだって」

「僕も高校に入ってから初めて知ったよ」

 インクでインクを洗う高校文芸全国大会は凄まじいものであった。

 今となってはその原稿はインクまみれで読めないが。


「で、こんな風の強いとこで新聞?」

 話題は始まりの地点へと戻ってきた。

「踊り場で読もうと思っていたのですが、まさか開いているとは思ってなかったから、ついつい……」

「立入禁止の屋上に入っちゃったわけだ、悪いやつだね、優等生」

 そう言った後、地獄虎は「ま、鍵は俺が開けたんだけどさ」と笑った。


「で、今日は何か面白い記事ある?」

殺死杉の隣に立って、地獄虎は新聞のページをぺらぺらとめくっていく。

『総理、治安向上に向けて所信表明。殺されるな、生き延びろ』

『出生率低下、クローン製造装置の実用まで秒読みか』

『レッサーパンダ立つ。9カウントで立ち上がりチャンピオンをノックアウト、何度倒されても立ち上がると表明』

『キャベツを買ったと思ったら、レタスでした畜生』


「僕の目当ては詩だよ」

「詩?」

「記事も読むけど、サンキュー新聞は読者投稿の詩のクオリティが高いからさ」

「へぇ……いいね」

 投稿欄目掛けてページをめくる地獄虎の手が止まった。


『殺人鬼444人殺害、記念に1000人殺害すると豪語』

 日本全国、同じ手口で人を殺している殺人鬼の被害者数がとうとう444人に上った。殺人鬼はその記念にペースを上げて、短期間で1000人を殺すとのメッセージをマスコミ各社に送った。殺戮刑事課の殴打信長氏は「犯人はなるべく苦しめて殺す」とコメントしている。


「地獄虎?」

 何の記事が地獄虎の心を捉えたのか、少し遅れて殺死杉も気づく。

 この恐るべき連続殺人事件なのだろう。


「ああ……ごめん」

 地獄虎が照れくさそうに頬をかいた。


「凄いニュースだな、って思っちゃって」

 怖い、ではなく凄いニュースと地獄虎は言った。

 人間ならば誰しもそういう部分がある。

 陰惨な恐るべき事件に心を弾ませてしまうのだ。

 ただ歳を経て、数多の感情に触れることで感情移入がうまくなっていくこともある。

 そういう恐ろしい事件に対し 被害者の悲しみを想像したり、あるいはその犯人の牙が自分に向けられることを恐れたり、自分のどこか知らない場所で起こった遠い事件との心の距離を近づけていく。

 ただ、地獄虎の声の弾みには、ただ事件を娯楽として消費する以上のものがあった。

「うん、凄いよね……」

 そして殺死杉の抑えた声には、地獄虎とは逆に感情を努めて表に出さないようにする動きがあった。事件を楽しんではいけない、そういう社会常識以上のものがある。


「おっと詩を……」

 手を止めた地獄虎の代わりに、殺死杉が新聞をめくろうとする。

 その手に重ねるようにして、地獄虎は殺死杉の動きを制した。


「謙信……」

 すう――と、地獄虎の顔から笑顔が消えた。

「こういうの好き?」


 僅かの沈黙があった。

 屋上に吹く風が新聞のページの、その端を煽る。

 その翼をはためかせて飛ぶことはない、二人分の力が加わっている。

 殺死杉が口を開くよりも早く、地獄虎が言った。


「俺は好きだよ」

 もう一度、地獄虎が笑う。

 先程までの人好きのする可愛らしい笑顔ではない、どこか挑発的な笑みである。

 その瞳の奥に妖しく燃える炎があった。


「謙信」

 地獄虎が懐から安い煙草とライターを取り出した。

「煙草吸っていい?」

 先程までの殺死杉を試すかのような表情は消え、再び愛嬌のある笑顔を地獄虎は浮かべていた。


「吸う?」

 落下防止柵にもたれかかって、地獄虎は殺死杉に煙草を差し出す。

「いえ」

「でも、俺が煙草を吸うのは止めないか、この不良め」

 風の強い日だった。

 吐いた煙はすぐに風に乗って、山へと向かう。

 僅かな臭いだけを残して、罪の片割れはすぐに消える。


「吸った煙草の方は……」

 吸い終わった煙草を地獄虎は自身の口の中に放り込んだ。

「証拠隠滅」

 喉の動きに驚き目を丸くする殺死杉に、地獄虎は笑って舌を出す。

 舌の上には吸い殻が乗っていた。


「嘘だよ、健康に悪いじゃん」

 少年はきゃらきゃらと笑って、舌の上の煙草をつまみ、迷路のように絡み合う配管の奥底に放った。


「僕の前で煙草を吸って良かったの?」

「止めなかっただろ?」

「後でチクるかもよ」

「そういう真面目さがあるなら、俺に火をつけさせないよ」

 二本目の煙が空に向かって立ち昇る。

 一瞬だけ、煙草の白い煙と空に浮かぶ白い雲が重なる。

 煙と雲の区別がなくなった次の瞬間、風が煙を再び山へと運ぶ。


「地獄虎」

「ん?」

 煙草を咥えたまま、地獄虎は殺死杉を見た。

「僕は好きなわけじゃない……ただ、こういうニュースを見るとどうしても心を惹かれるんだ」

「へぇ」

「時々、のたうち回りたいぐらいに身体が疼く。自分じゃないものが身体を突き破ろうと肉の内側で暴れてるみたいな、そんな衝動がある」

「……わかるよ」

 二本目の煙草の火を地獄虎はぐりぐりと靴で消した。自分の中にある衝動を消すかのように、強い力を込めて。


「謙信」

「なに?」

「人殺したことある?」

「あったらここにいないよ」

 そう言って殺死杉が笑う。

 そもそも実際に殺せてたら悩んでいないか、そう言って地獄虎も噴き出す。


「じゃあ、動物は?」

「えっ?」

「そこら辺にいる猫とか鳥とか、あるいは誰かが飼ってる犬とか」

 真剣味のある表情で地獄虎は殺死杉を見た。力強い視線だった。その視線の圧力に重量すら感じそうだった。


「無いよ」

 殺死杉の言葉に地獄虎は胸を撫で下ろす。

「よかった……動物殺してたら、さすがに俺引いちゃってたからさ。こういうの、まずは動物から始まっちまうけど……仲良くなれそうにないからさ、そういう小動物殺せちゃう奴」

「地獄虎は?」

 殺死杉もまた、地獄虎に尋ねた。

 ただの確認作業、ただの会話の流れのものに過ぎない。

「俺もないよ、別に動物が嫌いなわけじゃないから」

 ただ――そう言って、地獄虎は言葉を続けた。

「うっすら人間が嫌いなんだろなぁ、俺」

 そう言って、冗談めかして地獄虎は笑い、振り返って格子に手をかけて、何も無い街を見下ろした。その様は牢獄に囚われた囚人によく似ていた。


「幸いにも俺はツラが良いし、笑顔も上手い。口もそこそこだし、頭も回る。いざという時の度胸もあるから、まあ……人間関係どうにでもなる……けど、たまに思うんだよ。それがどうしたって」

「――」

「仲良くなりたくもない奴と仲良くなったり、どうでもいい奴に媚売ったり、まあ頭の方でそうしなきゃいけないってことはちゃんとやってる。でも腹が減りたくないのに勝手に減っちまうみたいに、身体のほうか……それとも、心かな?頭の中でこうしたいって思う理想を邪魔する見たいに、俺は怒ってるし、嫌ってる。色んな奴を殺したがってる」

 殺死杉にもその思いはわかった。

 地獄虎ほど烈しくはないが、上手くやっている自分の内側で殺意の獣が吠え立てている。


「煙草吸ってると、ちょっとマシになる……んで、今日はいつもよりもマシになった、同じ量の殺意を持ってる奴がいっからな」

 何度でも地獄虎は笑う。

 作り物の笑顔ではなく、素直に笑えることがあるから。


「僕も会えて良かったよ、今日はなんか息苦しかったから」

「息苦しいってお前……」

 三本目の煙草に火をつけて、地獄虎は言った。


「喫煙所だぜ、ここは」

「ハハッ」

 屈託なく、殺死杉は笑った。

 人間の檻の中で飼われた二匹の怪物はこうして親友になったのである。

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