2ー14

 翌日の朝早くに、俺は散歩に出かけた。

 昨日は早く寝すぎた。そのせいで五時という、健康的過ぎる時間に起きてしまった。

 まだ親父達も起きていなかったので、時間潰しがてら外を歩いているというわけだった。

 老人の犬の散歩や農家の仕事の準備に、普段の町とは違った雰囲気を感じつつ、スローペースで歩いた。

 途中で公園に入り、ベンチで一息つく。

 

(……ああ。……静かだ……)


 たまに聞こえる鳥の声も、その静けさを邪魔しない。

 なんとなくこの感じを受けたまま家に帰って、二度寝したら気持ちいいだろうなと思った。

 俺が座っているベンチは、野球用のグラウンドの端にあるもの。

 きっと試合だと控えているの選手と監督が座るであろう席。

 それと同じものが、グラウンドの反対側にも設置してある。相手のチームが座るであろう席。

 そのベンチに、一人の人間が座っているのが見えた。

 ……男だ。

 なんだか膝と肘をくっつけて、うなだれている。

 朝からなんだ?リストラって時間帯でもあるまいし。

 しばらくして、男が顔を上げた。

 目が合う。


「……あ」


 俺がそうこぼしたのと同時に、向こうも首の動きを止めて、口を開けた。

 

(……辻井……)


 なぜこんな時間に、ここに居やがる……?もしかしてこいつも散歩か?

 ……いや、そんなことはどうでもいい。

 それより重要なのは、あいつのせいでいい感じの朝が穢されたという事実だ。あいつさえ居なければ、さわやかなモーニングだったのに。

 かといって、俺の方から立ち去るのも釈だ。辻井の影響によって俺の行動を決められたくはない。

 ……だが……。

 あいつ、腕を組んで深く座って……動くつもりがないのか?

 丁度、俺と同じたたずまいだった。

 悪いが、俺も動くつもりはない。

 そっちが立ち去るまではな……。


「…………」


「…………」


 ふん。いっそ、ここで寝てやろうか。


「…………」


「…………」


 そういやこの公園、それもこのグラウンドで、あと一時間ほどでラジオ体操が始まるんだが……。こいつ、それまでには居なくなるよな?


「…………」


「…………」


 すでに、十分ほどが経過していた。

 俺は決して先に立ち上がる気はないし、もしもこのまま二人とも居座り続けたとしたら……。

 小学生たちのラジオ体操を、ムスッとした顔で眺める二人の男。という構図になってしまいかねない。

 気づけよ、辻井……っ!そしてとっととここから出て行け!

 さらに十分が経過。と同時に、辻井がベンチからすっくと立ちあがった。


(…………ふん、ようやく諦めやがったか……)


 ……と思ったら。なんか、こっちにずかずかと向かってきている。

 その表情を見て、俺は身構える。

 まずい、なんか嫌な予感がする……。

 具体的には、キレた辻井にいきなり殴りかかられそうな……そんな予感がする……っ!


「おうてめぇっ!?なんで一向に動こうとしねんだっ!」


「うっ……!?」


 胸倉をつかまれ、顔を向き合う。

 正面にとらえた辻井の顔は…………怪我だらけだった。


「お…………お前、その顔なんだよ」


「ああ?今はそんなこと話してねぇんだよ」


「なんかめちゃ殴られたような跡が、何個もあるけど」


「だから、そんなことはどうでもいいんだよっ」


 バッと手を離す辻井。


「いって……チッ、顔動かすと痛ぇ……」


 傷口に指をあてて、血が出ていないか確認する。


「どうでもよかねーだろ。おとなしく家に帰って手当しとけ」


「……お前、この期に及んでまだ、先に出てくつもりはないんだな?」


「ああそうだとも。何があったかは知らんがな」


「……はぁ」


 溜息をついて、辻井は公園の出口に向かう。

 ……って、 アイツ。

 足取りが段々と重くなっていって……。

 ついには立ち止まって、その場にへたり込んでしまった。


「おいおいおい……」


 近づいて見る。

 呼吸が早い。

 うつむいた背中が、上下している。

 それによく見ると、怪我しているのは顔だけじゃなさそうだった。

 腕や足やら、とにかく色々なところがすりむいたり打撲っぽくなってたりする。


「帰れんのかよ、それで」


「はぁ……はぁ……行けらぁこんなの」


 ……無理だな……こりゃ。


「はぁ……一体いつになったら、辻井君は喧嘩をしなくなるんでしょう?」


 ついそんな、小言を言ってしまう。どうやらそれがいけなかった。


「……俺だってなぁ!やりたくてやったわけじゃねぇんだよ!!」


「はぁ」


「いいよなあんなオタクとばっかつるんでる奴は。ぬるいことばっかやってりゃいいんだから」


 太知のことを言ってるんだろう、あいつは漫画に詳しいから。


「そりゃ俺の勝手だし、オタクの何が悪いんだよ」


「いや。そうだな、悪いのはてめえだ!」


 そう言ったと思ったら、いきなり襲いかかって来た。

 野獣かっ!こいつは!


「がぁ!!」


「うわ……っ!?」


 しかし、疲れ切っているのか大ぶりに腕を振っただけで、後ろに下がればよけられた。


「…………ぐぅっ……」


「もう大人しく帰っとけよ……」


「触んなっ!!」


「いいから黙ってろって。俺だって普段ならこんな事しねーんだよ」


 流石にボロボロで気の毒だから、立たせてやろうと手を貸す。

 なのに辻井は抵抗する。


「……おいっ……!!」


 俺の顔を掴んで、力ずくで離そうとする。


「ぐぐっ……」


「じゃあお前、このままここに居るつもりかっ?それとも一人で帰れんのかっ!?」


「……俺は……」


「は!?」


「……俺はあれからもずっと、隣町にゃ行っちゃいねぇ!!」


「何言ってんだお前……ぐわっ!」


 投げ飛ばされる。

 まだそんなことが出来るのかよ。とんだ馬鹿力だ。

 俺は砂の上に、正面から倒れた。


「……痛って……」


 鼻血がでそうな痛さだった。おまけに手のひらとか腕とか、いろいろ擦りむいた。


「じゃあもういいよ、昨日のコンビニの奴等に助けに来てもらえ!」


「はぁ、はぁ。…………もう、無理だ……それも」


 辻井はしゃがんでうつむいたまま呟く。


「さっき、友達じゃなくなったから」


「……あ?」


「あいつら急に、俺が気に食わないだとか言い出しやがった……俺がガキくさいとかで」


「はぁ。……まぁたしかにお前は、大いにそういうところがあるけど」


 だとしても、よくわからん理由だが。


「お前……もしかして、その怪我って」


「…………」


 辻井は、腕の大きなアザを見つめる。


「最初は言い合いだったんだ」


「ふん……どうせ、お前が先に手を出したんだろ」


「…………ほぼ同時だ」


「じゃあお前、もう友達居ないんじゃないのかよ?」


「…………」


 図星みたいだった。


「……また、こうなっちまった。」


「へっ」と、自嘲に乾いた声を出す。


「どこに行っても、結局馴染み切れずに終わるんだよ。俺ぁ」


 こいつは、その性格のせいで……今まで何度かこういう事を続けて来たのかもしれない。

 それこそ、俺と仲たがいしたときもその一つか。


「……お前も同じかと思ってたんだがな。お前には……眞田が居たんだ」


 勘違いすんな、俺はお前みたいな野蛮人じゃねーんだよ。

 と茶々を入れることもできたが……。傷だらけの体で呟く辻井に、俺はただ黙っていることしかできない。


「……とにかく、今は帰ったほうがいいだろ」


 少し体調もマシになったのか、無言で立ち上がる辻井。そして公園の出口に向かって歩いて行く。

 その背中を眺める。

 ふと鼻の上がジンジンするので触ってみると、血が出ていた。

 結構深く切れているようだ。

 

 あーあ。

 これだからあいつと関わると、ろくなことがないんだ。

 もうこういうのはごめんだ。

 

 ……そういう言葉が、容易に頭に浮かんだ。

 しかしもっと中枢の部分で、俺は考える。

 辻井の頼りない足取りを眺めながら……「これでいいのだろうか?」、と。

 昨日考えてから、ずっとそうやって頭に引っかかっていたんだ。

 思い出すのは、やはり青八木の事。

 彼女の選択は、あれでよかったのか。

 …………きっと、よかったのだろう。

 上手く言えないが、思い起こす青八木の表情から、俺はそう受け取った。

 思えば、こうして辻井に迷惑をかけられるのは、今更なことだった。

 依然辻井と遊んでいた頃にも、こんなことはしょっちゅうあった。

 しかしそれで、こいつとはもう遊ぶのを辞めようとは思わなかった。怪我なんて相当の物じゃなければ、すぐ治るのだ。

 しかし今や俺は、この小さな怪我さえも打算的に見ている。

 ヒエラルキーの中の、あの同級生たちと同じ様に、いつからか俺自身も毒されていたんじゃないのか……?


「はぁ……はぁ……」


「……」


 辻井になぜ、今になって会うことが増えたのか。あの時太知の家を見上げて、何を思っていたのか。

 それを、俺はなんとなく分かっているのではないのか?

 つまりあいつは、何を望んでいるのか。

 そして、俺は何を……。

 青八木のあの、素直な表情たちを思い返す。

 ……どうか俺の、いらない意地を取り除いてくれ……。


「……はぁ、はぁ…………あ?」


「……肩を貸せ」


「お前、なにして」


「いいからはよ。どう見ても家まで持たないだろ」


「…………」


 辻井は十分に黙ったあと。

 ……腕を、俺の肩に回した。

 それから何も言わず、何年か前の記憶をたどって辻井の家を目指した。

 まだ言うべきこともあるが……。

 それは、また機会があるだろうと思う。


 ◇


 その日の夕方六時頃、家の電話が鳴った。

 裕子さんが出たのを俺は、とくに何も思わず耳だけで認識した。

 少しして漫画に目を落としていた俺に、裕子さんが重いトーンで話しかけてくる。


「ねぇ、一樹君?今日の朝って、散歩しに行ってたのよね?」


「……え?はい……」


 なんとなく、久々に聞く声の感じだと思った。


「その時に公園に寄らなかった?」


「はい、寄りましたよ。……なんで知ってるんですか?」


「…………ちょっと、電話変わりなさい」


「え……」


 裕子さんの静かな圧に気圧されて、大人しく電話を受け取る。

 一体、誰からなんだ?


(おう、寺島か?)


 ……出たのはうちの学校の、教育指導の竹内だった。


「あ、はい。寺島一樹です。……竹内先生?」


「ああ、ちょっと確認したいことがあってな。お前についての苦情が学校に届いてたんだよ」


「く、苦情?」


「正確にはお前と、辻井についてのはなしだったんだけど」


「…………」


 あー……。

 なんとなくわかったぞ……。


「お前ら今日の朝型、一緒に居たか?もしかして、喧嘩とかしてないよな?」


「……えっと……」


 しかもこれは、言い逃れできないかもしれない。

 裕子さんは俺があの時間外に出ていたのを知っているし、さっき公園に居たのも教えてしまった。


「一樹君?先生に正直に話しましょうね」


「……あ……はい……」

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