099.どうかこの手を……~希望を、すくって~



「…………」


「…………」


 サクサクと、下草を踏む音が二人分。


「…………ルナちゃん……?」


 僕に手を引かれるまま無言で歩いていたマリアナさんだったけれど、足元が悪くなり始めたところでポツリと僕の名前を呼んだ。


「……はい、なんでしょうか」


「どこに、いくの……?」


「もう少し先ですよ」


「孤児院の敷地は、さっきのところが境界になってるのよ? ほら、この辺りはもう草が生え放題で、歩きにくいでしょう……?」


「ご心配ありがとうございます。でもこうして……【ライトボックス】。歩きやすいように均しているので、大丈夫ですよね?」


 孤児院の敷地は、子どもたちが『お手伝い』の一環として草むしりを行っていて、柔らかい土や砂の地面が見えている。

 この範囲が遊んでいいところと教えられるのだ。


 その手入れされた区画を抜ければ、すぐに林や草が生え放題の場所が広がっている。


 昔は、僕とマリアナさんが毎日のように通っていたので踏み均されて獣道のようなものができてしまっていたけれど、もう長年にわたって誰も通っていないのか、今の僕らの腰の高さにもなりそうな草が生い茂っている。


 子供の頃なら、ちょっとした擦り傷切り傷くらいは気にしなかったのかもしれないけれど、僕もマリアナさんも今はスカートを履いている。

 マリアナさんの綺麗な足に傷がつかないように、僕は半透明の光の箱……【ライトボックス】を作り出して先行させ、上から下に動かしてぺったんぺったんと草を折り均していった。


 一歩、また一歩と進む度に、僕の中でもあの頃の記憶が鮮明に思い出されていく。


 背が伸びて、目線の高さが変わって見える景色が変わったはずなのに、林にある木の並び……転がっている岩……確かなものが蘇ってくる。


 ……おっと、あの野花は……マリアナさんが好きでよく摘んでいたやつだったっけ。

 白くて小さな花を咲かせるのが、可愛いとかいって……女の子らしいなぁと思ったのを思い出した。


 僕は光の箱の進路をわずかに変えてその花が折れないようにしながら、また道なき道を明確な目的をもって切り開いていく。


「……そ、そうだけど……あの……今なんで、横に逸したのかしら……?」


「……なんででしょうね?」


「も、もうっ。ルナちゃん……私をからかっているの……? 大事なお話というなら人がいないところのほうが良いのわわかるわよ? でも、別に……孤児院の隅っことかでも……」


「すみません、もう少し行かせてください」


「もう少しって……ルナちゃんはこの先に何があるか知っているの? この先は――――あ……」


 迷いのなさを訝しむように、既知なのに未知の場所を見ているかのような不安が混じったように、悪戯をする子供を叱るように……僕に話しかけ続けていたマリアナさんが、ふいに開けた視界に……頬を撫で2人の髪を揺らす爽やかな風に、キラキラと陽光を反射する湖の水面に、目を細めた。


「こんなに……近かったのね……」


「…………」


 マリアナさんがポツリと漏らしたつぶやきに、僕も内心で同意していた。


 あの頃は、孤児院の敷地を出てこの場所に向かう度に、マリアナさんは冒険気分ではしゃいでいた……もとい、お姉ちゃんぶって僕の手を引いていたのを覚えている。


 今は、2人の歩幅が変わっているから……それだけ近く感じたのだろうか。


「……さぁ、こちらへ」


「うん……」


 懐かしんでいるのか、思い出しているのか……気のない返事をするマリアナさんの手を引いて、僕は湖畔へ踏み出した。


 ここも、草だらけになってしまってるな……と、僕は記憶を頼りにとある場所に向かって道を均し続け、草の間から現れたそれに【清浄】をかけて風雨にさらされてついた汚れを払った。

 ついでに周囲も均しておく。


 あぁ……しまったな。

 よく並んで座ったこの岩も、今の僕らが腰掛けるには少し低く、狭いかもしれない。

 それでも狭いというだけで、寄り合えばなんとか並んで座れそうだ。


「どうぞ……座ってお話しましょう」


「……どうして……」


 僕がきれいになった岩の右側に……あの頃と同じ位置に腰掛けたところで。

 腰掛けずに岩の側に立ったまま、僕を見る空色の瞳が様々な感情で揺れていた。


「ねぇ、どうしてなの……? どうしてルナちゃんは、この場所を知っていたの……? どうして私を、ここに連れてきたの……? 大切なお話ってなに……?」


 そして、とうとう抑えきれなくなったという風に……マリアナさんの口から疑問が溢れ出した。


「貴女は、ルナちゃん……よね……?」


「……私は、ルナリアですよ?」


「そうだけどっ……! そう、だけど……。じゃあさっきは、なんで……やっぱり夢は夢……ということかしら……」


 言葉の勢いが跳ね上がったマリアナさんだったが、それは徐々にしぼんでいき……途中から聞こえなくなってしまった。

 俯いてしまった顔にあるのは、落胆か……。


 夢というのは分からないけれど……まだ、まだその希望を捨てないでください。


 マリアナさんが座ってくれないのを見て、僕は腰掛けていた岩から立ち上がると……彼女と向き合った。


「マリアナさん……大事なお話の件ですが」


「う、うん……。な、なにかしらね。そんな目で改まって言われると、お姉ちゃん、ヘンな期待をしてしまうかもしれないわよ?」


 僕が真剣にその瞳を見つめると、マリアナさんは照れを誤魔化すかのように……期待をすると言っておきながら『そうでなかったとき』の予防線を張るかのように、軽い調子で言った。


「期待、していただいて構いません」


「えっ……!? ル、ルナちゃん……? それって、本当に――」


「――ただそのご期待に添えるかどうかは、マリアナさん次第です」


 頬を染めて慌てるマリアナさんの言葉を遮って、僕はしっかりと最初の一言を言い放った。


「私、次第……?」


 期待していいと言っておきながら、次には突き放すかのように言われて……マリアナさんの顔がまた疑問に染まってしまった。


「ええ。今日、私は……我がホワイライト家は、エーデル家の窮状を解決するご提案を――貴女を救う手を差し伸べに参りました」


 ――さあ、自分勝手を始めよう。


「っ……!? きゅ、窮状って……確かにルナちゃんには私のお婿さん探しの失敗談は話したけれど……ふ、ふふっ。わかった、心配してくれたのね? ルナちゃんは優しいから、そんなことを言ってくれているのかしら? ……大丈夫よ、他の家を巻き込むなんて……そこまで困っていない――」


「――我が家には情報収集に長けた者が多くおりまして……勝手ながら貴女の現状は、全て把握しております。ご実家の事業がここ何ヶ月かで急に悪くなったことも、それをまだ立て直せていないままに家老とも言うべき重鎮を失ったことも。カネスキー伯爵家から来ている話はただのお見合いなどではなく、支援と引き換えに貴女に結婚を迫るものであるということも。……全てです」


「……どうやら、本当に知られてるみたいね……。優秀な人材が多いお家のようで羨ましい限りだわ。でも、それがどうしたというの……? わざわざ我が家の事実を並べるなんて、そんな意地悪なルナちゃんは私に何を言いたいのかしら? 手を差し伸べるって言ったけれど、もう道は整って……未来は決まってしまっているのよ?」


 色のある話かと思えば、今度は貴族の家の話に……ともすれば嫌味とも聞こえる話になり……マリアナさんはその背に背負うものを表すかのように、貴族の家を代表する者として気丈に振る舞い僕の目をキッと見返してきた。


 うぐっ……我慢だ……。

 本当はこんな悪役みたいなことをいって、言い争いみたいになって……そんな顔をさせたくないけれど……。

 僕のこの自分勝手は、最終的にはマリアナさんから決断してもらわないと意味がないのだから。


「それは、貴女が家を残すために取れる手段が、カネスキー家から差し出されたそのひとつしかないからです。だからこそ、我がホワイライト家も手を差し伸べて、その選択肢を増やして差し上げようというわけです」


「ずいぶんと……ルナちゃんらしくない上からな物言いね」


「……自覚は、しております」


「そう……それで、そんな余裕のあるお家が、我が家に何をしてくれるというのかしら?」


「――全てを、解決してさしあげましょう」


「全て……?」


「事業のための資金問題、貴女が学生を続けられるよう……その事業運営のための人材問題、そして…………お家の存続のための、当主不在と後継者の問題。それらの全てです」


「……お金だけじゃなくて人まで出してくれるっていうの? それは魅力的ね。カネスキー家が出してきたものより好条件かもしれないわ。当主不在と後継者の問題もってことは……ルナちゃんのお家の人から誰か、私のお相手でもあてがってくれるってことかしら?」


「…………」


「ふーん? さしずめ、そのお相手が私のことを欲しがったから、わざわざこんな支援の話を持ち出したのではないの? それともルナちゃんがお友達の私を哀れんで良い条件を付けてくれたのかしら? ルナちゃんのお家の人はこの前この王都に来たばかりよね? その人がどこで私を見たのか知らないけれど……こんな貴族といっても落ち目で、孤児院出身でハーフで胸だけ大きい女のどこが良いのかしらねっ?」


 目を吊り上げたマリアナさんの言葉は、とうとう喧嘩腰になってきてしまって……なんだか悲しくなってきた……。


「そんなご自分を卑下しないでください……。私は言ったじゃないですか。マリアナさんはとても魅力的で、素敵な女性ですって……」


「っ……! そりゃあルナちゃんにそう言われるのは嬉しいわよ!? この際だからはっきり言うけれど、私……ルナちゃんのこと好きだもの! もちろんお友達以上にって意味よ!?」


「マリアナさん……」


「えぇ、そうよ! 綺麗だし可愛いし強いしすごいし可愛いしっ! 初めて会ったときから私にも優しくしてくれたしっ! 同じ女の子だっていうのが関係ないって思っちゃうくらいに……アイネちゃんに嫉妬しちゃうくらいにっ……!」


「…………」


 マリアナさんはとても嬉しい言葉を言ってくれているはずなのに……。


 息を荒げながら、ポロポロとこぼれ始めた涙が……彼女の中では諦めてしまっている想いがこぼれ落ちていくようで、僕はとても胸が痛かった。


「でもっ……でもまさか……そのルナちゃんの口からこんな話を聞くことになるなんて……思わなかったわ……。家を残すには……子供を作るには、殿方が相手じゃないとダメなのよっ! だからルナちゃんのことは諦めたつもりでいたのに、期待させるようなことを言っておいてっ……分かっていたとは言え、ひどい追い打ちよね……?」


 怒り、涙を流しながらも……マリアナさんは言葉を吐き出し続ける。

 それだけ、受けた恩と自身の想いの間で悩み、苦しんできたのだろうか……。


「それに……話をするのだって、やっぱりここじゃなくても良かったじゃない……! 結局、貴女の家だってカネスキー家と一緒よ……女ひとり手に入れるために大げさなんだから……。あぁそうね、答えは『お断りします』よ!」


「それは……」


「それは? なに? 私はね、仮にも家を預かる者として、カネスキー家からの提案を受けることを自分で決めたの! 選択肢がなかったことなんて言われるまでもないわよっ! でもだからって……良い条件だからって後から差し出された手を取っていたら……我が家は『尻軽女が治める卑しい家』とでも言われるでしょうね? そんなの、お義父さまたちから受けた恩義に砂をかけるようなものだわっ!」


「…………」


「それに……ここで安易に他人を頼ってしまったら……きっと今もどこかで頑張っているあの子との約束が、いつか叶ったとしても……私も頑張ったんだよって、胸を張って言えないもの……お姉ちゃんは弱い子だったんだって、思われたくないもの……」


 家のこと、恩義のこと、諦めてしまった想い……。


 多くが言葉となってマリアナさんの内から出ていって……最後に胸に手を当てながら静かに口にされたのは――『あの子との約束』。

 その約束が果たされることを夢見続ける女の子の……お姉ちゃんとしての、ささやかな強がりだった。


 それは彼女にとっての、パンドラの箱の最後の希望か。

 もしくは、現実という蔓で雁字搦めになってしまっている彼女が心の一番奥底で必死になって守ってきた……それだけは諦めることができないという、大切な想いの蕾なのか。


 もしそうであれば、僕はまだ彼女に……マリアナお姉ちゃんに――。


 ――尽くすべき言葉がある。


 ――伝えるべき想いがある。


 ――手を、差し伸べることができる。


「……彼は、貴女のことをそんな風には思いません」


「え……?」


「彼は、差し伸べられた手を取ったからといって……こんなに頑張っている貴女を『弱い子』だなんて思ったりしません。辛い時、苦しい時、人の手を借りるというのは人として間違いではないのですから。むしろ、頑張っているマリアナさんを応援したいと思っています」


「――――」


 ホワイライト家が出す条件を伝えてから言われるがままだった僕が急に口にしたことに、マリアナさんはその涙が溜まった目を大きく見開き――。


「なんで……」


 ――驚きで開いていた口を、握った拳を……わなわなと震えさせ始めた。


「なんで、ルナちゃんがそんなことを言えるのかしら……? それは、それだけはっ……例えルナちゃんでも、あの子の言葉を騙るのだけは許さな――――え? もしかして……」


 逆鱗に触れられたと感じたマリアナさんの言葉が、これまでで一番の激しさを帯びる。

 しかし、僕が告げたことに一縷の希望を見出したのか、その勢いは途中で収まっていた。


 そして、ふらふらと歩みだしたマリアナさんは、縋り付くようにして僕の肩を掴み……彼女にとって一番大切な情報を眼の前の人物が持っているのではと迫ってきた。


「もっ、もしかしてルナちゃんっ!? いまあの子が……彼がどこに居るのか知っているのっ!?」


「……ええ、知っています」


 そして彼女の希望は、『ルナリア』の口から肯定となって返ってくる。


「っ!? なんでルナちゃんがっ……いえ、どこっ!? 今あの子はどこにいるのっ!? なんで――――なんで私に……会いに来てくれないの……? っ!? もしかして……何か動けない理由があるのっ!? ねぇ、あの子は……ユエくんは無事なのっ!? お願い……お願いよルナちゃんっ……!!」


 掴まれた肩が、痛い。

 まだ真実を告げるわけにはいかないという現実で、心が痛い。


 ただ、これくらいは……このお姉ちゃんが感じてきた苦しみに比べたら、僕が彼女に働いてきた不義理と比べたら、何百分の一という些細なものだろう。


 それに……これから告げることで、この痛みはもっと大きくなるだろうから……。


「そのお願いに……質問にお答えするためには――条件があります」


「ルナ、ちゃん……そんな、まさか……」


 きっぱり言い放った僕に、その『条件』に思い至ったであろうマリアナさんの表情が歪んだ。


「そうです……お察しの通り、マリアナさんの問いにお答えするのも当家が……私がご用意できるもののひとつであり、提案を受け入れて――私の手を取っていただくことが、条件です」


「ズルい、わ……それは……」


 マリアナさんが何より知りたい情報。

 それを手に入れるためには、彼女は自分の矜持を曲げないといけない。


 つまり、現状のマリアナさんの考えを察すると、この提案を受け入れることで貴族社会で不義理を働いたとして家の評判が落ちる……ひいては義理の両親の恩に背くことになるし、彼女が大切にしてきた『自力で頑張ってきた』というささやかな強がりも意味をなさなくなる……と思っているのかもしれない。

 『ルナリア』から『彼はそんなことを思わない』と言われても、マリアナさんにとってそれは現時点では不確定のことなのだから。


 ただ――マリアナさんが思う通りにはならない。僕がさせない。


 エーデル家は存続するし、家の評判が落ちることもない。

 彼女は知りたい情報を得られて、会いたかった人に会える。


 約束は、果たされる。


 そのための『仕込み』はしてきた。


 僕は……独りは辛いと、知ることができたから。

 たとえこれが僕の自分勝手でも。

 心を通じ合わせる相手がいる幸せを、貴女にも感じてほしいから。


 だからどうか、孤独に囚われないでほしい。

 どうか希望を……諦めないでほしい。


 ……明かすべきことを明かさず、マリアナさんの心を大いに乱して……彼女は僕を後でいくらでも怒ってくれていいし、ひっぱたいたり、けなしてくれても、責めてくれてもいい。


 何度でも再認識するが、これは僕の自分勝手だ。

 こうして決断を迫るのも……誓いも覚悟も示していない人に、全てを明かす訳にはいかないという僕の事情が絡んでいる。


 ――マリアナさんのことを両陛下にお話した際。

 王妃陛下は何も仰っしゃらなかったけど、陛下が王としてお示しになられた最低条件が『彼女が自らの意思でそなたに寄り添うと誓うこと』だったからだ。

 今回は何も知らないマリアナさんに僕が一方的に手を差し伸べるわけで、先に決定的な状況になっていたアイネさんのときとは違う、とも。


 もどかしいけれども、僕にも立場や恩義が……通すべき筋はある。

 ……相手の事情や矜持は曲げようとしているくせに、自分の事情は通そうとするなんて本当に自分勝手だ。


 ただ、この手さえ取ってくれれば……。


 僕は堂々と貴女を迎えに行ける。


 貴女が夢見た、お姫様のピンチを救う白馬の王子様に――見た目は白馬のお姫様かもしれないけれど――なれる。


 だから、もうひと押し。


 揺れる空色の瞳を見つめ、告げる。


「ひとつ、言い忘れていました」


「……今度は、何かしら……? もう、私は……どうしたら……」


 あまりのことに頭が追いつかなくなっているのか、憔悴してしまって弱々しいマリアナさんの問いに対して――。


「先程マリアナさんは、今回のご提案にあたって当家の人間が貴女を欲しがっているのではと言われましたが、それは正しいです。しかしそれが当家の『誰が』というのをお伝えしていませんでしたが――――それは私です」


 ――僕は僕の想いという最後のピースを、嵌め込んだ。


「……………………えっ!?」


「私も、なのですよマリアナさん。私も貴女のことが好きなのです。それも貴女と同じく、お友達という意味ではなく、生涯を共にする相手という意味で、です」


「…………………………………………えぇっ!?」


「美しくて、心優しくて、可愛いものが好きで、頑張り屋で、義理堅くて、お姉さんぶっているところも可愛らしくて、抱きしめられるとドキドキして……言葉では表現しきれないほどに、マリアナさんが好きなのです。だから、貴女の事情と現状を知って、あんなどこぞの馬の骨とも知らない下衆貴族のボンボンなんかに貴女を渡したくない。貴女と共に在りたいと、この想いを押し通すことにしました。これは……そんな私の自分勝手なのです」


「………………………………………………………………ええええええぇぇぇぇぇーーーーーっ!?」


 ……お姉ちゃんの元気いっぱいすぎる驚きの声が湖畔にこだまして、優雅に水面を泳いでいた水鳥たちが驚いて飛び立って波紋が広がった。


 それほどまでに大きな声をあげたマリアナさんは、先程までの悲壮感なんて月の向こうまで飛んでいったかのように、口をパクパクとさせながらみるみる内に赤くなっていく。


「はっ……はわっ……る、るなちゃっ……しょ、しょんないきなりっ……………………ほ、ほんとう……に?」


 『本当に?』と上目遣いで問いかけるマリアナさんは、僕の目の前で熱くなっているだろう頬を両手で押さえ、お姉ちゃんの威厳はどこにいったというくらいにあわあわと慌て、口元が緩んでいるせいか呂律も回ってない。


 ……なんだこの可愛い人は。


「ふふっ……本当ですよ。そうでないとこんなことは言い出しません。事情云々よりも先に……貴女のことが好きだから、私は貴女を救いたかったのです」


「ぁ、ぁぅ……」


 僕が思わず漏れる微笑みを真っ直ぐな言葉と共に投げかけると、マリアナさんはとうとう頬を押さえていた手で顔を覆ってしまった。


 ……そういえば、このお姉ちゃんが本気で照れているときは、こうして顔を覆うんだったっけ。指の隙間からこっちを見ているというお約束なところもあの頃と一緒だ。


 そんなささやかなことが、こんなに綺麗な女性になったマリアナさんの変わらない部分を思い出させて微笑ましさを感じると同時に、僕の中の愛しさを膨らませていった。


「ぁぅっ……うぅっ…………………………………………あれ……? ちょ、ちょっと待って……? ルナちゃんは、その……当主不在と後継者問題……つ、つまりは子供を作らないといけないってことも全部……解決できるって言ったわよね……?」


 ひとしきり照れていたマリアナさんだったが……流石に昔の照れっぱなしな子供ではないようで。


 僕が口にした告白の中に、彼女にとっては重大な矛盾があることに気づいたようだった。


「はい」


「でも、私がルナちゃんの提案を受け入れた時、私の……その、お相手はルナちゃん自身だって……言ったわよね?」


「言いましたね」


「ど、どういうことなのかしら……? やっぱり、私をからかっているの……?」


「いえ、決してそんなことはありません。全て本気です」


「ぅっ……たしかに本気の目だわ……で、でもほら……子供を作るには、その……シないといけないでしょう? ルナちゃんは女の子じゃない……そ、それは女の子同士でもそういうことを……気持ちよくなることはできても、子供は……できないわよ?」


 ぅぐっ……!?


 そ、そんな恥ずかしそうにモジモジしながら『気持ちよくなること』とか言わないでください……。

 赤く染まった肌と、腕で寄せられて強調された凶悪なお胸が目に入ったせいで、真面目な場面のはずなのに破壊力が強すぎて『溜まって』しまったじゃないですか……。


「そ、それは……ゴホンッ。それは、マリアナさんが私の提案を受け入れ……この手を取って、覚悟を……ずっと私と共にある覚悟を示してもらえれば……全てが終わった後に、ちゃんとお話します」


「……覚悟を示すと言われても……ルナちゃんが言っていることは、よく分からないわ……」


 不安、なのだろうか。

 喜色でいっぱいだったはずのマリアナさんの顔が、また徐々に曇っていって……。


「大丈夫です。ご安心ください。マリアナさんの懸念は、不安は……全て私が取り除いて差し上げます。エーデル家のことも、全てお任せください。ちなみに、もしここで私の手を取らなかったとしても、残念ながら……あのカネスキー家はもうダメですよ? 真っ黒なんです。もうすぐ他の家の支援どころではなくなるでしょうからね」


 マリアナお姉ちゃん……お願いだから……。


 僕も割りといっぱいいっぱいで……必死で、今みたいに余計なことを言ってしまうかもしれないから……。


「……それも、どうしてルナちゃんがそんなことが言えるのか、分からないけれど……」

 僕の願いは、通じたのだろうか。


「……ふふっ、ルナちゃんにとっては『残念ながら』なの……?」


 下を向いてしまっていたマリアナさんの顔が、ふと僕の方を向いてくれた。


 その顔には……笑顔が。


 僕が望んだ、お姉ちゃんの優しい笑顔が、浮かんでいた。


「…………いえ、『幸いにも』と言うべきでしょうか」


「ふふっ……」


 いたずらっぽく言われた言葉遊びのようなことに、僕も同じ顔になって返すと、そろって微笑み合う。


「ルナちゃん……本当に――」


 一歩。僕の前に立つマリアナさんが距離を縮めた。


「本当に、大丈夫なのね……? お義父さまとお義母さまへのご恩も、家の未来も、あの子のことも……全部、大丈夫なのね……?」


「――はい。必ず、全てを貴女が望む最上の結果にしてみせます」


 一歩。今度は僕から距離を縮め……鼻先が触れ合うような距離で見つめ合う。


「本当に……私のこの想いは……この恋は……貴女の手を取れば、叶うのね……? そんな素敵なことが、本当にあるのね……?」


 揺れる瞳の中で、希望の明かりが灯り始める。


「――はい。私は必ず貴女を幸せにすると、誓います。だから、どうか――」


 祈りを込めて、両の手のひらを胸の前に差し出すと――。


「……お姉ちゃんとしては、全部をルナちゃんに任せちゃって……なんて思うけれど……」


 そっと、僕が差し出した手にマリアナさんの手が合わさり――。


「おねがい、します……私を、ぜんぶルナちゃんにあげるから……ずっと一緒だって、誓うから――」


 向かい合わせに、女性特有の細い指が絡み合い――。


「――だから、どうか――」


 ――彼女は、長年耐え続けた。

 幼くして親をなくし、仲が良かった子とは離れ離れになり、再び幸せを知ることができたと思えばそれを失い、必死にもがいているのに謂れのない噂に苦しみ……。

 新しく抱いた想いさえ、諦めかけた。


 ずっと独りで、頑張ってきた。


 そのどれだけ辛かったであろうかわからないほどの過去が、震える声と涙となって流れ出し――。


「――どうか、ルナちゃん……私を――――――――たすけて……」


 ――未来を望む言葉と共に、僕が差し出した救いの手が、取られた。


 誓いは、成ったのだ。


「――はい、必ず――」


 向かい合わせに絡めあった手をぎゅっと握り、引き寄せれば――。


「ぁ……んっ…………」


 ――あの日から離れ離れだった2人の距離は、今この時、ゼロになる。


 彼女の瞳からこぼれ落ちた涙は暖かく、僕には澄んだ湖の水面よりも輝いて見えるのだった……。






――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき


お読みいただき、ありがとうございます。


ユエくん「それは私でーす!www」(言ってないシリーズ)


(裏話)

いつもの5倍は執筆時間がかかってしまった難産な回でした。

アイネさんと違って派手な戦いでドーン!というわけではなかったので。

書いていて『悪役令嬢ルナリアちゃん』という謎の単語が頭に降りてきたりしてました(悪役令嬢ものは読んだことがないですが)。


少しでも「性癖に刺さった(刺さりそう)」「おもしろかった」「続きはよ」と思っていただけたのでしたら、「フォロー」「レビュー評価★」をよろしくお願いいたします。

皆様からいただく応援が筆者の励みと活力になります!


次回、「そのとき、衝撃が走る~にっくきあんちくしょうは誰だ!?~」

ついに次回が100話!!

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