090.夢~やくそくの、その先は~
*****
//マリアナ・フォン・エーデル//
――これは夢……かしら?
夢だとは思うのだけれども、不思議と意識がハッキリとしていて、現実との区別がつくまでにしばらくかかってしまった。
どうして、こんな……。
私は裸で膝を抱えて、真っ暗な空間にプカプカと浮いていて……それが現実ではないと決定づけた理由だった。
確か、寮の部屋に戻って、我慢できずに泣いてしまって……そのまま寝てしまったのかしら……?
夢を見ているということは、眠ってしまっているということで……その眠りに至るまでの現実を思い出し、夢の中でまで涙が溢れてきそうだった。
ずっと抱き続けていた想いと、新しく抱いた想い。
2つの想いを捨て去ると決めた私の心が……ショックか何かでこんな夢を見せているのかしら。
夢の中の私は頭でそう考えつつ、夢の中だからか、意識はハッキリしているというのに思うように身体を動かすことが出来ない。
感情も抑えが効かないようで、現実と同じく……溢れた涙が闇で満たされた空間にこぼれ落ちていって……小さく、水音が響いた。
浮いている私の下の方で響いた水音は、涙で満たされたかのような深く暗い水面に、淡く白い光でできた波紋を生んだ。
あぁ……ここには闇だけがあるのではなかったのね……。
妙な安心感を覚えながら、闇を侵食して広がっていく白い光を見ていると……ふいに、宙に浮いていた私の身体が不思議な力の支えを失い、水面へと落下し始めた。
夢の中の私は息を呑み、必死にもがこうとするが……そのまま白い湖へと落ちて、視界が白い光に包まれた。
全身を包むそれは、暖かく、どこか懐かしくて……。
その安心感に、夢の中の私がそっと目を閉じると……。
閉じたはずの視界をも白い光が覆い尽くし、夢の中の私の意識は何処かに飛ばされてしまった。
*****
――祝福の鐘が、鳴る。
闇が晴れた視界……この夢の世界の中で、私は誰か別の人物になっているようだった。
目も見えるし、音も聞こえるのだけれど……『私』は私の意思では動いてくれない。
『私』が見聞きするものを、感じるものを、ただ私も共有しているといった感じだった。
――祝福の声が、響く。
しかし、よりによって今日、私がこんな光景を夢に見るなんて……と、私の事情なんて関係ないであろう『私』に対して悪態をつきたくなるくらいだった。
――花びらが舞い、手をたたく音が聞こえる。
『私』がいるのは、教会だった。
私にはなぜかここが教会だとハッキリ分かる……というより見覚えがある気がする。
目線は低く、視界にあって白くて綺麗な布地を掴んでいる手は、小さい。
どうやら『私』は、とても小さな子供になっているようだ。
「おめでとう!」
「おめでとうございます! お二人とも!」
『私』の耳に入ってくるのは、祝福の言葉。
その言葉が向けられるのは……開け放たれた教会の入り口から祭壇へ向かってゆっくりと歩く、花嫁と花婿。
そう……どうやらこの教会では、結婚式が執り行われているようだった。
私がよりによって今日……と思ったのも、これが理由。
好きな人と結ばれることを諦めて泣いていたというのに……。
もしかしたら、あの花嫁は実は私で、相手の殿方は……なんて……。
私がそう『夢でくらいは』とまさに夢見てそんなことを考えていると、ベールボーイ?ベールガール?をしているらしい『私』が祭壇の前で脇に逸れ、式が始まった。
そして愛し合う2人が向き合ったことでようやくその顔が『私』の視界に入り、私もそれが誰であるかを知ることが出来た……のだけれど。
えっ……?
残念ながら、新郎は見知らぬ顔……あの子の面影もない、全く知らない若い男性だった。
私が驚いたのは、真っ白な花嫁衣装を着た、新婦のほう。
「おめでとうございます――――シスター」
『私』が小さい子供特有の、男とも女とも分からない高く澄んだ声を……でも視線の高さから年齢を考えるとやけに落ち着いた口調で、その新婦を呼ぶ。
その『私』の心の中にあるのは、素直な祝福の気持ちと、ちょっとの羨望と、僅かな寂しさ。
いくつもの祝福の声を浴びる中で、『私』の声を聞いた新婦は……。
見間違いでなければ、私が知る今よりもいくらか若く見える……シスター・レイナは、わざわざ『私』に向かって笑顔を向けるのだった。
何なのよ……この夢は……?
新婦は、私ではなかった。
てっきり、私の願望が夢になって第三者としてそれを見ているのか……それともこの先に訪れるであろう悲しい結婚式を想像してそれを夢に見ているのか……と思っていたけれども。
現実で知る人の……でも知らないし思いもしなかった光景を見せられて、私のその予想は打ち砕かれてしまった。
シスター・レイナって、結婚していたのね……と、夢だというのに現実の事実のように驚いたのは、ともかく。
驚くと同時に、『私』はいったい誰なのかと、夢の中の私は疑問に包まれた。
しかし……『私』の視界で、新婦の指に輝くものが捧げられ、2人の顔が近づいた――――ところで、突如として私の視界が暗転し、また意識がどこかに飛ばされるのだった。
も、もうっ。イイところだったのに……。
夢でくらい、幸せな2人が結ばれるところを見せてくれても……。
*****
それから私は、色々な場面を途切れ途切れに見せられることになった。
見せられる場面に一貫しているのは、『私』は1人の人物であるということ。
そして、それは1人の男の子で――――なんと、私の思い出のあの子……ユエくんらしかった。
どうしてそれがわかったかというと。
2つめに見せられた場面が、忘れもしないあの夜の……『私』に、私が出会ったあの月の夜だったからだ。
*****
あーあー……私ったら、そんなに泣いちゃって……。
ユエくんも、シスターがいなくなって、孤児院の中で独りになって……こんな寂しい思いを感じていたっていうのに、気を使ってくれていたのね。
このときのユエくんの手……優しかったなぁ……。
私より年下のくせに、やけに理屈っぽいことを言ってて……でも、それに救われた気持ちになったのよね……。
そうそう、あの夜にユエくんが見せてくれた光は、こんな……とても、綺麗だったわ……。
そういえば……ふふっ、ユエくんのマネをしただけなのに、抱きつかれて困っているユエくんは……やっぱりかわいいわねっ。
もう一度、抱きしめたいわ……。
*****
また、場面が変わった。
私とユエくんが、夜にあの湖畔で遊んでいる。
といっても、我ながら清々しいと思えるほどの笑顔ではしゃいでいるのは私だけで、ユエくんは私が追いかけている光の球を操りながら、ふたりでよく並んで座ったあの岩に腰掛けているだけだ。
『私』の心は穏やかで……はしゃぐ私を見て、微笑ましいものを見るような穏やかな気持ちになっているのを感じた。
そう、ユエくんは優しくて……お姉ちゃんぶっていた私よりも大人びていて、不思議な子だった。
でも……ふふっ、やっぱり男の子だったのね。
『私』の目が、走り回ることで揺れている私の胸に、引き寄せられては離れていく。
あの頃は今に比べて小さかったけれど……同じ年頃の子よりも大きかったし、ブラも知らなかったからなぁ……。
『いけないいけない』と心に念じながらも、また私の胸を見てしまうユエくんを知って、夢の中の私は微笑ましい気持ちになってしまった。
あの頃、ユエくんが私の胸を見たり意識していたことは、実は子供の私でも気がついていた。
ただユエくんから見られるのは……他の意地悪な男の子たちと違って、嫌ではなかったのを覚えている。
ユエくんと『そうなる』ことを夢見てたこともあったし……私も相当、マセてたのかしらね……?
ふふっ……私に抱きしめられて、柔らかさを意識してしまって困っているユエくんを、笑えないわよね。
可愛いからいつまでもそうしてしまうのだけれど。
……やっぱり、こんな幸せな過去を夢に見るなんて、未練があるのかしら……。
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また、場面が変わった。
なに、これ……?
ユエくんが、ふたり……?
ユエくんが、ユエくんに手を引かれて……?
それにあの女の人は……学院長?
それにしては、雰囲気が違うわね……失礼だけど、大人びているわ……。
あぁ……このユエくんに似た誰かが……ユエくんを、連れ去ってしまう人だったのね……。
*****
――どんどん、見ていられる場面が短く、ぶつ切りになっている気がする。
急に、ユエくんが孤児院を出ていくことになった。
ユエくんはすごく頭が良くて礼儀正しい子で……お城で勉強をしながら働くことになったという。
ユエくんが拾われて、しかもその拾われた先がすごいところだというのは、子供の私でも分かっていたというのに。
『私』の目の前には、お別れが悲しくて涙をこらえきれなくなった私がいる。
「うぅっ……ッ……ユエくん……また会えるよね……? わたしはっ……ユエくんのお姉ちゃんなんだからぁっ……また会えるようにがんばるから……やくそくだよっ!」
「マリアナさん……はい。いつか、必ずまた――」
そして、交わされる約束。
あぁ……良かった。
あのときのユエくんは、社交辞令で言ったのではなかったのね……。
ユエくんも、私と別れるのを寂しく思ってくれていたのね……。
『私』の感情を通じて夢の中の私もそれを知ることが出来て……それが夢でも、とても嬉しく感じてしまっていた。
でも……。
それなら、どうして……。
お別れしてから一生懸命に覚えた文字で書いたお手紙に、お返事すらくれなかったの……?
どうして、一度も会うことが叶わなかったの……?
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場面が、変わる。
悲しい気持ちになっている夢の中の私の気持ちを知らず、夢の中の『私』……ユエくんは、お城で幸せそうに暮らしているらしかった。
ただ、この夢の場面に出てくる人は……夢の中の私が思わず『ぎょっと』してしまうような、豪華すぎる人物ばかりだった。
あ、あれは……建国祭のときに拝見したことがあるけれど、国王陛下っ……!?
少しお若く感じるのは、やっぱり過去のことだからなのだろうか。
それに、王妃陛下まで……王妃陛下は、前からあのお美しさだったのね……。
やっぱりお城で暮らしていると、お会いする機会もあるのかしら。
今度こそ、今の私と同じくらいの歳に見えるクレア学院長が出てきた。
ユエくん……よくそんなに厳しいお稽古を課されても我慢してるわね……。
そして、度々出てくるユエくんに似た男の子は――なんと、幼い頃の王太子殿下らしい。
そのことにとても驚くけれども、同時に……ユエくんがお城でしていると聞いていた『お仕事』が何なのか、今見ている場面では知ることが出来なかった。
*****
次の場面は、ただただ恐ろしかった。
蠢く闇に、閉ざされた世界。
やけに鮮烈に見える、血の河。
おびただしいほどの、人だったモノの残骸。
『私』が感じるのは……恐怖、痛み、後悔、悲しみ……ありとあらゆる負の感情。
それでも、『私』はその恐ろしいものと戦っている……。
恩ある人々のために、何かに突き動かされるような感情のままに。
――白い光を、迸らせて。
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その場面は、いくつか続いた恐ろしいものとは反対に、穏やかだった。
つかの間の平穏……といったところだろうか。
お城のどこかの部屋で、『私』はいくつもの手紙を並べている。
並べられた手紙には、子供特有の丸文字が書かれていている。
そして、『私』自身も、綺麗な字で書かれた手紙を手にしているが……宛先が、書かれていない。
『私』が、並べられた手紙を眺めている。
その『私』の心には、温かさと、申し訳ないといったような感情が……。
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また、恐ろしい場面が続く。
『私』の日々に、心に、余裕が無くなっていくのがわかった。
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そして『私』は、何か、大切なものを失ってしまったらしい……。
学院の寮の近くにあるものと似ているような、どこかの丘で泣いている『私』。
そこに現れたのは……綺麗な銀の髪に不思議な薔薇色が混ざる、小さくて可愛らしい女の子で……。
まさか……アイネちゃん……?
夢の中の私が、そう何度目になるか分からない驚きを覚えたところで……。
――ブツンと。
これまでとは違う場面の切れ方をしたのだった。
*****
夢の中の私の視界が、徐々に光を帯びていく。
……まだ、私は『私』のようだった。
変な切れ方をしたからか、最初はおぼろげだった私の視界が、徐々に『私』の視界と一致し始める。
……いえ、泣いて……いるのね。
だから、ぼやけて見えるのだわ……。
『私』の胸を満たす感情で、夢の中の私は『私』が泣いていることを知った。
目の前には、果てしなく広がる……海。
そして、その海の向こうから昇ってくる……朝の光。
『私』の立つ崖より先に陸地はなく……朝日が昇ってくる方に海があるということは……。
ここは……この大陸の、東の果て……?
本で、大陸の東の果てより先には何もないと読んだことがあった。
つまり、『私』は……ユエくんは……。
もう、この国にはいないということなの……?
涙を流す『私』につられるように、その衝撃は夢の中の私にも悲しみをもたらした。
独特の湿気を孕んだ海風が、『私』の頬から涙を攫っていく。
その涙の雫は、朝日を受けて煌めき……私は『私』の視界の端に、もうひとつ煌めくものがあることに気がついた。
――それは、透き通るように白く輝く、長い、髪。
……ユエくん、髪を伸ばしたのかしら……?
それはそれは、ユエくんのサラサラの白い髪は綺麗だったけれど、こんなに伸ばしている男の人は見たことが――。
「まぁなんじゃ、そう気を落とすでないのじゃ。きっとまだ方法はあるのではないかのぅ……? まぁまぁ、美少女の涙は舐めたいくらい美しいものじゃがなっ!」
「……うるさいよ」
「いや、冗談じゃ……。さすがに今のは妾が悪かったのじゃ……」
――えっ?
ふたつの、声が聞こえた。
ひとつは、透き通るように高く美しい、女の子の声……『私』が口にしたもの。
そしてもうひとつは、特徴的な話し方をしていて……なぜか、『私』の足元のほうから聞こえてきた。
どちらも、とても聞き覚えがある。
これまでで一番驚いている私を他所に、『私』の視界が動き、その足元を見た。
そこには、闇のような珍しい黒毛の……猫がいて……。
――ブツンと。またそこで場面が途切れた。
*****
……どういう、ことかしら……?
次に夢の中の視界がひらけたとき、完全に見覚えのある景色が写っていた。
目の前には、センツステル輝光士女学院の広い敷地を囲む壁、そしてその前に広がる坂と草花。
場所が変わり、教室……左の窓側の後ろから見たような……。
視界の端で、とある生徒が立ち上がり……おどおどとしながら、何かを答えている。
――光が、徐々に視界を塗りつぶしていく。
その、空色の長い髪をした子は――。
座ろうとして、バランスを崩して――。
それを『私』が抱きかかえて――。
『私』は驚きを覚えているようで――。
『私』が抱えているその女の子は――どうみても私で――――――。
――そこまでが、白い光に塗りつぶされるまでに私が見た、光景だった。
*****
「……ぅ……けほっ、けほっ……」
眩しさと息苦しさを感じて、私は咳き込んだ。
目を開くと……そこは寮の私の部屋の、机で……。
「……夢、よね……やっぱり……」
現実を認識して、誰もいない部屋に向けてそう落胆の声を漏らしてしまった。
どうやら机に伏せたまま、泣き疲れて寝てしまっていたらしい。
息苦しかったのは……制服姿でブラをつけたまま、うつ伏せになてっていたからだと思う。
そう……やっぱり夢だったのよ……。
我ながら嫌になっちゃうわね……。
だって、『ルナちゃんがユエくんだったら』なんて私の願望でしかないものね……さすがに荒唐無稽だわ。
「……やだ、書類が……はぁ……」
突っ伏していた机に広げていた書類が、何かの液体で濡れてしまっている。
それが涙なのか他のものなのかは置いておいて……。
「お仕事、しなきゃ……」
夢がさめて、現実に戻った私は、現実に向き合うしか無いのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
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