088.空に咲く、水色の涙~急報~
*****
//マリアナ・フォン・エーデル//
「ハァッ……ハァ……っぅ……」
私はルナちゃんから逃げるようにして、校舎等の出入り口まで来た。
苦手な運動で荒くなった息を整え、階段を駆け下りたことで物理的に弾んでしまった胸に痛みを感じながらズレてしまったブラを直す。
この痛みは物理的なもののはずなのに……まるで心までが痛んでるようだった。
心は弾むどころか、大きく沈み込んでいる。
「……行かないと」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、足早に正門に続く庭園を進む。
ミミティ先生は、私の家の人が正門で待っていると言っていた。
普通、用事がある時は家の人間なら生徒の関係者として応接室なり何なりで待たされることになる。
そうではない……もしくは、そう出来ない理由といえば、この女学院においてはひとつしか考えられない。
その人物が、男性である場合だ。
いかなる理由であっても、この学院の敷地内に男性が立ち入ることは許されないから。
そして、私の……今のエーデルの家で私に用事がある男性など、1人しか考えられず……あの人が私に用事があるというのは不自然ではないのに、わざわざ平日に学院までやってきてまで……というのが、余計に私の中の嫌な予感を加速させた。
やがて正門が近づくと、思った通りの人物……キッチリとした黒い礼服を着こなした老紳士が立っていた。
お義父様が子供の頃からエーデル家に仕えてくれているという重鎮、執事のルシフさんだ。
ルシフさんは私に気づくと、何度も見たように腰を深く折る礼で迎えてくれた。
「お嬢様……ご足労いただき申し訳ございません」
「はぁ、んくっ…………いえ、どうされましたか? こんな時間に直接学院に来られるなんて……それに、その荷物は……?」
また乱れかけていた呼吸を無理やり抑え込んだ私は、内心の不安を押し殺して……お嬢様と呼ばれる人物に相応しいように微笑み、落ち着いた声でそう問いかけた。
ルシフさんは、お義父さまとお義母さまが亡くなってからも、未熟な私に代わって家のことを切り盛りしてくれている。
性格的にも能力的にも小さな子爵家の従者をしているような器ではないくらい優秀な人なのに、養子の私をちゃんとエーデル家のお嬢様として扱ってくれる……そんな、素直に尊敬できる人。
私にもしお祖父さまというのがいるとしたら、こんな人だったらなぁ……なんて思ったこともある。
腰を折っているルシフさんの顔は見えないけれど、その横には……大きなトランクケースと、いくつかの大きめのカバンが置かれていて――。
「(まるでこれから、どこか遠くに行くような荷物みたいじゃないの……)」
微笑みを顔に貼り付けたまま、私はルシフさんの答えを待った。
「……申し訳ございません、お嬢様」
しばらくしてようやく顔を上げたルシフさんは、先程口にした『呼び出して申し訳ございません』という形式上のものではなく、本当に申し訳無さそうに表情を歪めていた。
「本日は……突然ですが、お
「っ……ど、どうして……? 急に、そんな……」
何か良くないこととは思って心構えはしていたけれど、その心構えを遥かに上回る衝撃に、私の声はつい上ずってしまった。
そんな私の様子を見たルシフさんは、更に申し訳無さそうに目を伏せた。
「お嬢様もご存知かとは思いますが、私めには不忠にもお屋敷で働くことをせず、外で商売をしたいと家を出ていった愚息とその家族がおりますが……その息子夫婦が、事故に遭ったと報せが届きました」
「それは……大丈夫なのですか……?」
ルシフさんが会わせたがらなかったのか、私はその息子さんとはあまり面識はないけれど……知らない顔ではないし、何度か話をしたこともあった。
そんな人が……ルシフさんの『家族』が事故に遭ったと聞き、私はポーズではなく本当に心配になった。
「ご心配いただきありがとうございます。突然のことで詳しい状況はわかりませんが、幸い命は取り留めたそうです。ただ、怪我をして動けない息子夫婦と孫の面倒を見る人間が必要となりまして……すぐに王都を離れないといけなくなり……」
「そう、なんですね……」
「お嬢様は常にお家のために努力されているというのに……この大切な時期に、あの馬鹿者がっ……」
そういって握った拳を震わせるルシフさんだけれども、息子さんたちの様子を語るその声は、心配そうな色を隠しきれていなかった。
……私は、本当のお父さんもお義父さまも失っている。
事故に遭ったことは本当に不幸なことだけれども、子を想ってくれる親が居るというのは、幸せなことなのだろうな……なんて不謹慎なことを考えてしまった。
それに、家族のことでの不幸を知る私だからこそ、まだちゃんと会うことができる親子からその機会を奪うなんてことは、できない。
「……わかりました。これまで、エーデル家のために働いていただき、ありがとうございました。……ご家族を、大切にしてあげてください」
私がエーデル家に拾われた頃から知っている、ルシフさんがいなくなる。
そう思うと不安で仕方がなかったけれど、私はルシフさんに習うように腰を深く追って謝意を示した。
だって……きっと優しいお義父さまとお義母さまだったら、ここで引き止めたりはしないだろうから。
「マリアナ、お嬢様……ありがたく、存じますっ……」
涙ぐむような声が頭上から聞こえる。
ルシフさんが見る最後の『エーデル家のお嬢様』の顔が曇りの無いものであるように、私は隠していた不安が表情に出ないように努めて意識してから、姿勢を元に戻した。
「どうかお元気で」
「はいっ…………これを、お受け取りください。急ぎ作成しましたので粗があれば申し訳ございませんが、私がこれまでお嬢様の……不在のご当主様の代わりに行っておりました業務の引き継ぎ資料でございます」
精一杯の笑顔で見送りの言葉をかけた私に、ルシフさんは並べていた荷物の中から四角いカバンをまるまるひとつ、差し出してきた。
受け取るとズシリとするその重みに思わず顔が引きつりそうになるけれども、なんとか耐えることができた。
「ありがとうございます」
「お嬢様も、どうかご健勝であられますよう。そして、良き縁に巡り会えますようにお祈りしております」
最後にそう言ってまた大きくお辞儀をしたルシフさんは、大きな荷物を引いて今度こそ去っていった。
……去っていって、しまった。
「良き縁、かぁ……」
私が家のためのお婿さん探しに苦労していることを知っているルシフさんだからこそ、私を
「今日だけは、タイミングが悪いわよ……おじいちゃん」
結局、冗談でも一度も呼ぶことが出来なかったそのつぶやきを、風が
その風で大きく揺れる髪を抑えようとして……元から持っていた学院のカバンと、ルシフさんから渡された資料が入ったカバンで両手がふさがっていることに気がついた。
その重みが、改めて『ルシフさんが家からいなくなってしまったんだ』という現実をつきつけてくる。
エーデル家は、元から小さな家だ。
お義父さまたちが亡くなってからは、ルシフさんと、お屋敷を維持するための僅かなメイドさんしかいない。
そのメイドさんたちの仕事は――高位貴族や王城で働くひとは違うそうだけれども――家事であって、読み書き計算ができるものは少ない。
執務なんてもってのほかよね……。
ルシフさんがこうなってしまった以上、エーデル家のことは……私が本格的に全体を見ないといけなくなってしまった。
私も私なりに努力したから、まったく分からないわけでは無いけれど……。
『良き縁に巡り会えますよう――』
「はぁ……」
そうね……ホント、その通りだわ。
これまで、お婿さんを見つけられずにモタモタしていたツケが、こんな形で来てしまったのね……。
そう思い至ったとたんに、いつもと変わらない中身のはずの学院のカバンがやけに重たく感じてしまった。
その学院のカバンに入っているのは――。
「…………」
私は2つのカバンを足元に置くと、学院のカバンからソレを……3つの手紙を取り出した。
2つは真新しく、1つは何度も開いたり閉じたりしたせいで角が汚れてしまっていて古ぼけている。
――これからのことを、考えると。
ルシフさんがいなくなり、私が本格的に家のことを見ないといけなくなる……お仕事をすることになった以上、これまで通りの生活なんて出来ないだろう。
いくら小さな事業を営む家とはいえ、確実にその仕事のための時間を取らないといけない。
もしかしたら、学院で普通の学生をしていられる時間が……つい先程、終わってしまったのかもしれない。
――決断のときは、今なのかもしれない。
「……ユエくん……」
3つの手紙のうち、長年大切にしてきた、古ぼけてしまったそれを手に取り、残りはカバンに戻した。
『私が、こんなことを言うのはおかしいのかもしれませんが……願いは、いつかきっと、叶うと思います……。だから、うまく言えませんが……大切なものを、燃やしてはダメです……希望を捨てないでください』
「ルナちゃん……ごめんなさいね」
あの夜に言ってくれたことと、昼間に教わった術の感覚が思い出される。
私の右胸から僅かに水色の光が溢れ出し、徐々に手先へと伝わっていく。
「ルナちゃんは、私にこんなことをさせるために、力の調節の仕方を教えてくれたわけではないのにね……」
震える手で手紙に触れ、これまで何度もしてきたように……最後のひと撫でをして。
「ッ……!」
手紙を、握りつぶした。
そして、空へとめいいっぱいに放り上げ――。
「……ユエくん、ごめんなさい……」
――細い水色の光の筋が……最小の力に押さえられた『輝光砲』が、そのくしゃくしゃになった手紙を撃ち抜き、燃やし、ついには消滅させた。
見上げたその光は天へと昇っていき……私の頬からは、地へと涙がこぼれ落ちていた。
「……ぅ……っ……」
私の、過去から抱き続けたあの子への淡い恋は。
私の、いま感じている彼女への恋は。
「……ぇぅっ……ぅうぅ、っく……ぅぇぇ――」
たったいま、自分の手で、空へと散っていった。
私に声をかけてきた殿方がどんな方かは、知らない。
知らない殿方にこの身を委ねなければいけないなんて、これまで受けてきた欲望が混じった視線を思い返すと、怖くて仕方がない。
きっと辛い未来が待っているだろうけど、そんなときに……甘えてしまわないように。
前へと、進むために。
自分の想いに蓋をして、いただいた恩に報いるために。
でもせめて、誰もいないこの場でくらい、泣いても――――え?
溢れるものをこらえ切れず、『誰もいないなら』と早くも甘えてしまいそうになった私は、周りを確認しようとして……妙な感覚を覚えた。
「だ、だれっ!? 誰か居るのっ!?」
まるであの正門の影に誰かいて見られていたような、胸がザワザワするような感覚。
自分で口にしておいて、その感覚で『誰かがいる』と思うなんて不思議に思うけれど……。
結局、すぐにその感覚はなくなってしまい、私の問いかけに何かが返ってくることはなかった。
「……ぐすっ……部屋に、戻りましょ……」
きっと、心に差し込んだ闇が、私を誘っていたのね……。
子供の頃に聞いた寝物語を思い出して、そんな突拍子もない事を考えてしまう私は……今は本当にダメになってしまっているらしい。
涙を拭い、重いカバンを手にし、その場を後にする。
そして結局……寮の部屋でも泣いてしまうのだった。
*****
//ツバキ//
「……まさか、お気づきになるとは」
肩を震わせたマリアナ様が去って行くのを見届けた後、私は正門の影に姿を現した。
国王陛下という例外はあったものの、私の隠形はそうと知らないと中々分かるものではないと自負している。
……アイネ様から『気配は感じていた』と言われて、最近その自負もゆらぎかけてはいるけれど……マリアナ様は、失礼ながら『二星眼』を持つアイネ様ほどの鋭敏な感覚を持っているようには見受けられなかった。
それでも、感づかれてしまったということは……。
主様のお力を受け、身近に感じ、一時とは言え感覚がつながったからだろうか。
なんとうらやま……ゴホンッ。
とにかく、私は主様の命によりマリアナ様の様子を追ってきたのだ。
そしてここで見聞きしたことは、早急に主様のお耳に入れないといけない。
主様に忠誠を誓った従者として当然のことで、命を違えることなどあり得ないことだけれども。
「……アイネ様に続き、マリアナ様まで……」
再び影に潜り移動を開始しながら、主様のお心に占める私という女の割合が、もう少し上がってほしいと、恐れ多くも願わずにはいられなかった。
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あとがき
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも「性癖に刺さった(刺さりそう)」「おもしろかった」「続きはよ」と思っていただけたのでしたら、「フォロー」「レビュー評価★」をよろしくお願いいたします。
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次回、「ステキな自分勝手~正妻パワーは偉大なり~」
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