023.留学生の陽光姫~言語チートは勇者標準装備?~


 【付与】と【強化】のテストのために並ぶクラスメイトたちやセルベリア先生の視線を集める中で、エルシーユさんは少しも急ぐ様子もなく、無表情に近いすまし顔でグラウンドの端から歩いてきた。


「キタ」


 透明感のある声で口にされたのは、発音も怪しい片言の単語。

 その手には先程読んでいた本と、両端に球状の光結晶が付いた薄いシルクのような布束がある。よく見ると布束は陽光を受けて輝いているようにも見えるので、もしかすると全て光糸で織られているのかもしれない。


「よし! ようやく来たか、チェンクリット。今は適正テストを行っている。貴様の順番だから隣の者に【付与】を……あー……」


 先生はエルシーユさんに状況を説明しようとしたが、やっぱり彼女には全く通じていないようで、表情はそのままでキョトンと可愛らしく首をかしげてしまった。


『この眼帯のヒトも学ばないわね……そんなに早口で言われても何もわからないわよ』


「あー、すまん。なんて言ってるんだ?」


『だからなんて言ってるのよ……? ええと、たしか『ゆっくり話してください』は……「ワカラナイ」』


 いや間違ってますよエルシーユさん。

 口を開く前にページをめくったその本は共通語で書かれているもので、あちこちに見覚えのない文字でメモが記入されているから、自分で翻訳してその言葉を口にしたのだろうけど……。


「せんせー! ここはアタシとアイねぇに任せるッスよ! 2人の努力の結晶を今ここにッス! アイねぇ、準備はいいッスか!?」


「そうね。私達が一番チェンクリットさんとお話してきたもの。少しは通じてくれるはずよ」


「じゃじゃーんッス! これこそアタシが編纂した『エルっち語録』! これを元にアタシが話して、アイねぇが文字を見せれば完璧ッス!」


『…………?』


「いくッスよー!」


 どこからともなく『エルっち語録 第7修正版』と表紙に書かれた小さなメモ帳を取り出したミリリアさんは、ペラペラとページをめくるとアイネさんに目配せをした。


「『こんにちは!』ッス!」


 ――御機嫌よう。


 ミリリアさんがエルシーユさんの言葉を口にして、アイネさんが空中に共通語で伝えたい言葉を光の文字で描き出した。


『! こんにちは! すごい、分かるわ!』


 おお、通じてるみたいで彼女の顔にパッと笑顔が咲いた。これなら……。


「お、いい反応ッスね。じゃあ……『後で、屋上、来い』」


 ――今日の授業は適正テストをしています。


『な、なにっ!? 私なにをされるのっ!? 「コワイッ!」』


 いきなり怖い人からの呼び出しになってる!?

 ホントはアイネさんが書いた事を言いたかったんだろうけど!


「あれ? おかしいッスね……」


「ちょっとミリリア?」


 怯えた表情になってしまったエルシーユさんを見て上手く伝わってないことがわかったのか、アイネさんがペラペラとメモをめくる桃色ツインテールをジト目で見ている。


「ま、まだまだッス! 『次、お前の、番だ、空に、飛ばしてやる』」


 ――貴女の順番が来ましたので、右側の列の最初の人に【付与】をかけてください。


『空に飛ばす……? まさか……天に還す!? いっ、いやっ! よくわからないけど許してっ!! 「ゴメンナサイッ!」』


「……ミリリア! 貴女何を言ったの!? 震えてしゃがみ込んじゃったじゃない!」


「え~~。このミリリアちゃんの『エルっち語録』が間違っているなんてそんな……」


「去年の冬に書き直したやつも全然ダメだったじゃない! 廃版よ廃版!」


「うわっち!? 燃やすなんてヒドイっすよアイねぇ!」


『燃やされるの!? 屋上に連れて行かれて燃やされて天に還されちゃうの!? 嫌よ! せっかく外の世界に出られて、やりたいことだっていっぱいあるのに……ステキな旦那様だってまだ見つけていないのにっ……! うぅ……助けてお母さまぁ……』


 2人が自信満々だったから成り行きを見守っていたけれど、これはちょっと……いやかなり、エルシーユさんがかわいそうだ。

 これをすればまた目立つ要素が増えてしまうけど、震えている女の子を放っておくよりマシだ。


 僕はその長い耳を抑えて涙目になってしまっているエルシーユさんの前に屈み込む。


「ルナさん……?」


 なるべく優しく聞こえるように意識して……。


『初めまして。チェンクリット部族のエルシーユさん。私は今日からこのクラスに編入してきたルナリア・シール・ホワイライトと申します』


『許して助けてお父さまお母さま女神様――――え?』


「ルナさんっ!?」


「今なんて言ったッスか!?」


『あ、あなた……私と同じ言葉を……?』


 ピタリと震えが止まったエルシーユさんは、目をまん丸にして眼前の僕の顔を見返してきた。


『はい。訳あって、私は貴女と同じ言葉を話すことができます。怖がらせてしまって申し訳ございません。あちらのお二人は、エルシーユさんと必死にお話しようとして、間違えてしまっただけなのです。あ、呼び方は『エルシーユさん』で良かったでしょうか? チェンクリットは部族名と先程おっしゃっていたの――――でぇっ!?』


 ――ガバッ!


「わぁっ!?」


『あなたっ! あなたあなたあなたあなたっ!! 嬉しいっ! 初めて私の言葉を分かってくれる人に出会えたわ! もうずっと寂しく生きていくしかないのかと思ってたの! 『しーる・ほわいらいと』部族のルナリアさんといったわよね!? ぜひ私とお友達になって! あ、よく見るとあなたとってもキレイね! それにいい匂いがして柔らかいわ……ああ気にしないで! 大丈夫! 私は長生きだからずっとこのままだけど、あなたがシワシワのおばあちゃんになってもそんなの気にしないわ! ずっとお友達よ!』


 飛びかかるように抱きつかれてしまった僕は、急だったこともありその勢いを受け止めきれずに尻もちをつくような形になってしまった。

 エルシーユさんは喜びが抑え切れないのか、そんな僕にはお構いなしに僕の胸に顔をスリスリとさせ、腕がガッチリと背中に回って離してくれる様子がない。


「なんて言っているかわからないッスけど……めちゃくちゃ嬉しそうッス」


「そうね……なんというか、こんなに感情豊かな子だったのね……」


『ちょ、ちょっとエルシーユさん!? 落ち着いて……』


『あ、ごめんなさい! 私ったらこんなに胸に顔を擦り付けちゃって、ブラがズレてしまったかしら? じゃあお顔ならいいわよねっ? ん~、ホント綺麗ねルナリアさん。私も一族の姫として自信あったけど、あなたには敵わないかも。あなたが男だったら、お婿さんにしたいくらいよっ』


 僕の胸に顔を埋めていた状態から、そのまま僕の顔をまじまじと見て、今度は普通に抱きしめてきた。

 ってダメダメ! そんな事したら……! すごく綺麗な顔が目と鼻の先にあるし、頬をくすぐる髪からはいい匂いがするし、ブルマな訓練着で密着して柔らかさと滑らかさがダイレクトに伝わって……!


 ――ドクンッ!


 ……ああ、遅かった……まだ『溜まって』しまった。


 僕は急激に高鳴った鼓動が逆に一気に冷えるのを感じながら、そっとエルシーユさんの肩を押して身体を離させた。


『あ……』


「……あれ? どうしましたかみなさん」


 冷静になって周りを見ると、クラスメイトたちは目を覆うに両手を当てて頬を赤くしていた。チェンクリットさんのスキンシップはお嬢様方にとっても刺激が強い光景だったらしい。指の隙間からバッチリこちらを見ているのはお約束なのか。


「あはは……お騒がせしました。『エルシーユさん、喜んでくれているのは私も嬉しいですけど、今は授業中です。さあ、立ってください』」


『ええ! あなたが言うならそうするわ! そういえば、あの眼帯のひとが私を呼んでいた気がしたわね』


『眼帯の人、じゃなくて、セルベリア先生ですよ』


『先生? 先生だったのねあのひと。確かにこの中では一番年上そうね』


 それも分かってなかったのか……この1年ちょっと、どう過ごしてきたのか心配になってしまう。


『……私、皆さんの部族の風習とか常識とかも全然分からなくて……』


『そうですね……それは追々お話しましょう。それで、授業ですけど……』


『うん!』


 僕が話す言葉にいちいち嬉しそうに頷くエルシーユさんに、僕は授業の内容……適正テストの手順を説明していく。


「ルナさん……すごいわね……どこで覚えたのかしら」


「行商人はいくつかの言語を使いこなすらしいッスけど……『月猫商会』恐るべしッス!」


 後ろの方で、なんだか僕への評価が勝手に上がっている気がした。


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