何をしたいのか・その目標

 風呂から上がり、上半身はラフなタンクトップシャツ。下半身はジャージのような長ズボンを履いて、食材を買って帰ってきたデリバーが鍋の用意を終えるのを待つ。

「寒くないの? その格好」

「むしろ暑いくらいです。お風呂上がりですし、ウチはちょっと体質がアレなので......」

 家の中ですら着込んでいるネイさんとは対照的な格好のアンナ。

 体質的に温度にあまり敏感ではないのと、お風呂に入っていた影響で体温が高くなっていたために、今はどれだけ薄着でも暑い。

(なんか変温動物みたいだなぁ)

 ソファでぼーっとしながら待ってしばらくして、デリバーが具材の入った鍋を持ってきてくれた。

「さて。鍋の用意はできたぜ」

 持ってきた鍋を食卓の上に置き、アンナ、デリバー、ネイの三人で鍋を囲むように座り、皆で「いただきます」の挨拶をした。

(この挨拶ってここでも通用するんだな)

 今まで当たり前のように使われていたので、気付くのに遅れてしまったが、この世界でもいただきますの言葉は使われている。

 やはり誰かがジャパニーズカルチャーを持ち込んできたと言うことだろう。

 そして今、アンナの目の前では野菜や肉が鍋の中で煮込まれている。これもどこからどう見ても、日本の固有文化だ。

(文化も転生してるって考えていいな)

「んじゃ取り分けるぞ」

 デリバーが鍋を一人一人の器に取り分け、各々自分のペースで食べ始める。

 なんとなくだが、鍋ならこの体でもそれなりに食べられそうな予感がする。あくまで予感がするだけで、実際は違うと思うが。

(これってポン酢か?)

 ポン酢のような液体が入った容器を手に取り、そいつをかけて食べてみる。

 味はまんまポン酢だった。

(ポン酢もあるのか......)

 他にも薬味が一通り揃っている。刻みネギも見受けられるので、そいつをいただいた。

「それでアンナちゃん。今日の初仕事の感想は?」

「むっ」

 ネイさんが興味津々と言った様子で、持っている箸で円を描くようにくるくるさせて聞いてきた。

 口の中の野菜を飲み込んで、なんて言おうか考える。

「ん〜〜」

 色々とインパクトが強かったが、まず思ったのは。

「今度からは怪我しないようにします」

 首を斬られて、普通の人間なら死ぬような事態は避けたい。ある意味当たり前のことだった。

 怪我したら痛い上、仲間に心配かけてしまう。それに自分自身、大怪我を負って暴走する可能性は避けなければならない。

 といったことを考えながら首元を押さえていると、ネイさんが「そりゃそうねぇ」と呟いた。

「これから徐々に戦闘経験を積んで、そして強くならなきゃね」

「はい。頑張ります」

 アンナの力強い返答に、ネイさんは何も言わずにただ微笑む。その顔もなんだかデリバーと似ており、見ていると安心する。

「ああそうだ。アンナ。言わなきゃならんことがある」

 今まで食べながら聞いていただけのデリバー。何を話しだすのかと思えば、あまりに突然のことで驚いてしまった。

「早速だが、明後日出発する」

「えっ!?」

 まだこの街に来て一週間も経っていない。それなのにどうしてもう出るのか。

 困ったアンナの顔を見てニィと笑みを浮かべ、「もう準備はできたからな。早速旅だぜ」と言った。

 でもまだ夜の街を探索すら、二回くらいしかやっていない。

 もう少しこの街を歩いてみたかったのだが......。

「なあに、明日の夜がある。前に夜の旅をしたいって言ってたな。今度は一人で、好きなとこ行ってみな」

「一人で......」

「今日の戦いをこっそり見てたんだが、あれくらい動けるなら襲われても大丈夫だ」

 なぜ襲われること前提なのかわからないが、とにかく明日の夜は一人で動いても文句なしのようだ。

 特にアテもないが、ひたすら歩き続けることで何か見つかるかもしれない。

 明日は夜の街を歩き続ける。単純だが、そいつをやってみたいと思った。

「アンナちゃん。まだ食べる?」

「あ〜。いや、いいです。なんかもうお腹いっぱいみたいです」

「そう......。すぐにお腹いっぱいになるって、なんだか辛いわねぇ」

 ネイさんが自分のことのように落ち込む。確かに、すぐに食べられなくなるのは色々と辛い。

 だがこの体質のおかげで、森でのサバイバルも苦労せずに済んだ。

 良い面も悪い面も両立している。そんなもんだ。

「良いところも悪いところもあるけど、それでもウチはウチです。仕方ないって受け入れてます」

「良いとこ悪いとこかぁ」

 鍋の中にあった野菜も肉も、流石に三人で食べているとすぐに消えていった。

 追加で少しだけ加えて、ネイとデリバーの二人で食しているのを、アンナは黙って見て話を聞くことに徹した。

 色々な雑談。他愛もない、日常にありふれた会話だ。

 家族とはこんな感じだったのだろうか。デリバーとはあって数日、ネイさんに至ってはそれより短いはずなのに、二人はもはや大切な家族同然の存在である。

 そしてそれを自覚すると同時に、前世の自分が段々と霞んでいくような感じがする。

 大切なことを記憶するたびに、大切だった記憶が薄れていく。人間はそうやって慣れていく生き物でもあるが、今はそれが嬉しくて悲しくもある。

(......胸の奥が痛い)

 かつてこんな感じで苦しんだような、思い出せそうで思い出せない何かが、振り払えない苦痛となって胸の奥を襲う。

「アンナ? 食べすぎたか?」

「......そうかも。ちょっとソファで休むよ」

 二人には申し訳ないが、席を立ってこの場を離れた。

 ソファに深く座りこみ、徐々にゆっくりと横になっていく。

 ソファの正面にある小さなたて鏡。ネイさんの身支度用のものだろうか。

 その鏡に映る自分の姿を見て、ゆっくりと見回した。

(青い髪。それに青空のような瞳。ウチってこんな顔だったんだ)

 今までじっくり自分の顔を見てこなかったので、鏡越しに見る自分の姿に変な感じがした。

 この姿はもう以前の自分とは違う。腕も違う。性格もなんだか緩くなった。性別にも頓着が無くなった。

「本当に生まれ変わったんだなぁ」

 自分を見つめ直す時間が少しでも確保できたことで、改めて自覚することができた。

 今日出会った男も、自分を見つめ直していたら何か変わっていたのではないだろうか。

 そんなことを思うと、奴が放った言葉が頭の中で甦る。


「俺は人生ってのに絶望しててなぁ。どうして我が身を削って、この腐った世界に注がなきゃならんのか理解できねぇ」

「数多の流血で世界が作られる!」


 奴は傍若無人に振る舞っていたように見えて、世界の本質を捉えていた。

 恐らくこの世界にも、どうにもならない争いは存在し、その度に血が流れている。

 結局、人間が人間である以上、争いは避けられない。一時いっときの間、平和を享受することができても、数年としないうちに利己的な権力者が現れ、世界は均衡を失っていく。

 前世では人類史は数千年以上続いていた。しかし、絶え間ない争いが繰り広げられていた。

 人類の歴史とは争いの歴史だ。人類が存在する限り、恐らくこの先も続くだろう。

(人類......。どこまでが人類で、どこからそうじゃなくなるんだろ......)

 アンナは化け物だと自覚している。既に人間をこの手で殺めて、にもかかわらずのうのうと生きている。

 この世界にも、アンナと同じような存在がいるのだろうか。前の世界では、力を持った偉人や歴史に名を残す天才が数多くいた。

 こちらの世界の歴史はわからない。偉人と呼べる人たちはいたのか。争いはどれくらいの頻度で繰り返されているのか。

 詳しいことはわからない。しかし知性を持つ人間である限り、前の世界とそう大差ないのかもしれない。

 ならばどう生きるか。アンナもあの男と同じように、やりたいことをやって生きるべきなのだろう。

 小さな目標は一時的に定めたとしても、大きな目標を探すのは難しい。

(そういえば、デリバーたちって何を目標に生きてるんだ?)

 今まで気にしてなかったが、彼らの胸の内を詳しく探ったことはあまりなかった。

 もう少しでネイさんとも別れる日が来る。その前に、彼女が何を思って生きているか気になり、聞いてみたい。

 また二人になれる時間が欲しい。

(......アレでいくか)

 そのためにはしばらく時間を置く必要がある。

 アンナは食卓の方に耳を傾けながら、その時が来るまで待つことにした。

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