第2話 その2
「テロだー!」
「テロ?」
日本においてテロ事件はいくつかあったが、とりわけ有名になったのは地下鉄にサリンを巻いたあの事件である。
人間の歴史はいつ何が起こるかわからず、突然平和が崩されるは歴史上何度もある。数々の戦争や紛争がそれを物語っているではないか。
そして今日こんにちの事件も何十年何百年後の後世に語り継がれる、歴史的事件の一つになるであろう。当時の凄惨さを振り返るとそう思わずにはいられない。
「う、うわあぁ!」
「ヒッ!」
自分の隣に立っていた人たちが続々と逃げ出す。
そりゃそうだ。もはや目視できる距離で、次々と人間たちが斬られたり、刺されたりしているからだ。
「......はっ!」
あまりに現実離れした光景に一瞬呆けてしまった。
(あれは組織的犯行か? いろんな奴らが、いろんなもん使って......)
両目の視力は親譲りのダブルA。裸眼でしっかりと確認できた。
テロと言われるだけあって、いろんな奴らが妙なお面をつけて、ナイフなり素手なり、変な道具なりを使って、しかもシンボルと思われる旗まで掲げている。頭にナイフが突き刺さった柄だ。
(そういえば、一ヶ月前のニュースであの旗見たことある!)
一ヶ月前の通勤帰り、午後19時の時のこと。家のテレビをつけると、紛争地域で新たに発生した爆発事件と、首謀者と思われる存在の組織が発表されていた。
事件を起こした目的は、各国に対する武力抵抗と自国としての独立。民族的価値観を確立し、他国と対等な関係になることだと報道されていた。が、しかしやり方が横暴で、しかも快楽主義者の殺人があまりに多いとの見方もあり、真意は不明となっている。
鎮圧のために連合国側の軍が出動し、日本の自衛隊もわずかながら活動支援に行ったという。
事件は鎮圧されたが、日本人含め多数のジャーナリストが死にかけたり、犠牲となったりしたと報道されていた。世の中物騒になったなというのが、あの時の素朴な感想だった。
これはまずい。もしあのニュースと一緒の奴らなら、人を殺すのにも慣れているし何が起こるかも分からない。
「に、逃げんと......!」
逃げる。周りの奴らも逃げる。言葉にしないと体が動かないほど、場は異様な空気に包まれ、体がこわばっていた。
「オラァ! 何しとんねんボケェ!」
来た道を戻っていたら、自分の隣を三人くらいのにいちゃん達が、威勢よく横を通り過ぎて行った。同じように勇気ある人たちが次々と、中には職務中の警官までもが出動し、暴動を鎮圧しに行った。
体に「正義」を背負って、まるで英雄気取りに暴徒達に向かっていく。その行為は素直に尊敬するし、警官の方も職務なので対処せねばならないのはわかる。
しかし結果は振り返らずともわかる。たった数人の警官、そして威勢だけで「喧嘩」に自信があるだけの奴らでは、凶器を持った人間には勝てない。
「「ぎゃああ!」」
「と、止まれ!」
正義感にあふれちゃった奴が抵抗し悲鳴をあげる。当たり前だ。そもそも人数差で負けており、相手は刃物を持っている。
時々発砲音が聞こえ、警察官の方々も、もはや警職法関係なしに銃を扱っている。
世紀末かと疑いたくなる惨状だが、彼らの犠牲あって自分は生かされたのだ。そう自己解釈し、そのまま群衆の流れに進んで逃げ続けた。
「こっちに逃げろー!」
「駅はあっちよ!」
「じゃ、邪魔すんな!」
人だかりが色々な方へ散らばり、そしていつしか人間の壁ができるほどにまで詰まってしまった。
どれだけ推し進んでも、満員電車に乗り込もうとする勢いが続くだけ。前にはすすめない。
しかも運が悪いことに、自分は人だかりの蚊帳の外。弾き出されてしまった。
そしてそんなはみ出た獲物を逃すほど、奴らは甘くなかった。
(近っ!)
「ぎゃあ!」
自分と同じようにはみ出していたやつが、迷いない一撃で頭を掴まれ刺される。それを見た瞬間、背筋が凍りつき、自分が刺されるという嫌な想像をしてしまった。
「頭、頭。ひひ、これで救われる......」
覆面を被った男の声。でも声色は正常とは言い難く、うわずっておりマスク越しの口周りがよだれか何かで濡れているのがわかる。
(い、イかれてる......)
と、そんな分析をしている場合じゃなかった。
自分の近くにいたやつが殺されたのだ。次は自分だ。
「ど、どいてくれ! 頼む!」
無理だとわかっても、死にたくない一心で人混みの中に潜り込もうとする。カバンなどの貴重品を捨ててまで。
昔、自分が周りより強いと妙な妄想をしていた痛い時期があった。
例えば、ナイフを持ったやつに対する「かっちょいい対処法」。ナイフを取り上げ、反撃するといったものだ。
あんなの映画やアニメ、漫画の話であって、実際の自分の体は身軽じゃない。
人間が凶器を持った奴と対面した時、例え柔道や空手のプロだろうと、必ず「逃げる」ことを最優先しなければならない。簡単な話、もし刺されたらただじゃ済まない上、最悪死ぬことだってある。
それに選手と対峙する時と凶器を持った奴を相手にする時とでは、ただ「道」を身につけただけの人間は警官などのプロと違い、対処する術や覚悟が足りない。そういった理由も相まってか、逃げるのが先決である。
「死にたくないんだぁあ!」
そんな妄想を幾度としていた自分が、もはや逃げることしか考えられないほどに追い込まれていた。
男も女も、この両の手でかき分けて進もうとする。
「うっ!」
すると突然、体を強い衝撃が襲うとともに、いきなり吹っ飛んだ。
「いやっ!! 来ないで!」
「来るなバカっ!」
「えっ?」
誰かに思いっきり押し出されたのだ。
何が起こったか分からず思考が停止したまま突き飛ばされ、その勢いで再び人混みから弾き出される。
「ぐへっ!!」
何か丸みを帯びた硬いものにぶつかったとかと思うと、背中に嫌なものを感じ、即座に振り返った。
「......あ」
「ひひ」
ぶつかったのは、犯人の膝だった。
震える体に力を入れて、なんとかゆっくり起き上がろうとすると、犯人に突然蹴られて吹き飛ばされる。
「きゃああ!」
まだ刺されたわけじゃないのに悲鳴をあげる奴がいた。他には助けを求める声まで聞こえる。
「警官はどこやぁ! 何してん!」
「助けてよォ!」
大衆が各々動いている中、死を実感した自分は痛みも相まって、何もできず固まっていた。
その様子を犯人はまるで愉しそうに、そして自分に跨り、手に持った赤い液体の付いた刃物を振りかざして。
「ひひ。これで五人目......」
「ぎぃやぁっ!!」
「欲張りはァ......身をもって死ぬんだァァ......」
初めての感触とその気持ち悪さ、痛みで泣き叫ぶ。
痛い。痛い。痛い......?
何度も何度も刺され、段々と体の力が抜けていく。
そして朧気となった意識の中、走馬灯によって蘇った思い出が頭の中によぎった。
その歪んだ笑顔を最後に、奴は迷いなく自分の頭に刃物を突き刺してきた。
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