第8話 ワーム・スラッグ・カーチェイス

「走れ走れ走れぇッ!」


「走ってるってばぁ! というか、何あれぇ!?」


「ホネバミじゃなきゃ何に見える!?」


 轟音と砂煙に追い立てられ、俺たちは転がるように駆ける。

 その原因は巨大なミミズモドキだ。どういう進化をしたのか、あるいはトンデモ公害の影響を受けたのかは知らないが、アレがアンデッドにとって敵対的な生物であることはよく知られている。

 迫ってくるのは筒を4つに裂いたような、見方によっては花のようにも見える大きな口。もしもこの場で転びでもしようものなら、肉に沿って生える無数の歯によって、シュレッダーにかけられたが如く、この骨身は木っ端微塵とされるだろう。

 そんな最後を認められるかと、俺とイアルは砂を浴びながらでも、力一杯走らねばならないのだ。

 そのゴールもようやく見えてきた。


「お、無事に帰ってき――げぇっ!?」


 尾白が手を振ってくれるのも束の間。如何に暗闇の中とはいえ、背後より迫る影を覆い隠すには不足だったらしい。

 カエルの鳴くような声を出したかと思えば、すぐさま運転席へ引っ込んだ。

 それに続いて、俺とイアルもそれぞれ助手席と後部座席へと転がり込む。


「アンタらねぇ! 何を連れて帰ってきてくれてんのサ!?」


「誰が好き好んで引っ張ってくるか! 早く出せ!」


 白い手がシフトレバーを叩けば、ATVのタイヤが勢いよく砂を掻く。

 ただ、ホネバミもみすみす得物を逃がすつもりはないらしい。こちらが速度を上げたと見るや、身体を大きく波打たせるようにして、規格外の巨体を砂漠に走らせた。

 屋根はあっても四方から風通しのいいATVである。巻き上がった砂がザラザラと流れ込み、視界の悪化はもちろんのこと、口やら服やらの中までジャリジャリしてくる。


「このクソミミズ……無駄にデカい口からぶち抜いてやらァ!」


 巨大化しているとはいえ、まともな知能などがあるとは思えない環形動物。うねるだけのホース相手に、不快を堪えてやるつもりなどない。

 アイアンサイトの向こう。暗がりで狙いは甘くとも、巨大な的が口を開けているのは良く見えた。

 瞬く発砲炎と共に、ドスンと細い肩に衝撃が走る。同時に巨体は軋むような声を上げ、常に増して大きくうねった。


「効いてる!?」


 荷台から身を乗り出したイアルは、その様子に明るい声を出す。

 ただ、ホネバミが叫んだのは一瞬。程なくしてゆったりと身体を震わせると、悠然とこちらへ向き直って追跡を再開した。


「――こともない?」


「……弾代の無駄かもな」


 引き攣る青白い顔の隣で、フォアエンドを前後に1回。足もとへ空薬莢を転がしながらため息をつけば、隣から怒鳴り声が飛んできた。


「スラッグで片が付くなら、討伐隊なんて組む訳ないでしょ! いいから撃ちまくれってぇの!」


「無駄弾分は払わんぞ」


「期待してない! はよせい!」


 全くやかましい雇い主である。とはいえ、飲み込まれる時は一蓮托生。弾代の心配は不要という言質も取れてしまえば、余計な皮算用は邪魔なだけ。

 車体の横から半身乗り出す箱乗りで、再びトリガーを引いた。

 スラッグ弾特有の凄まじいリコイルに銃身が跳ね上がり、その度にバチンバチンと分厚い表皮で火花が弾ける。残念ながら、それをホネバミが気にした様子はなく、巨体が車内に影を落とした。


「真上から来るぞ!」


「んがぁ!? こなくそぉっ!」


「アァー」


 尾白の急ハンドルに、ATVはタイヤを軋ませながら左へ盛大に滑っていく。ピラーを引っ掴んでいたイアルが、まるで旗のように靡いたように見えたのは多分気のせいじゃない。

 肉がある割に、骨身より軽そうというのはどうなのだろう。なんて考えながら、もう一度照準を絞る。


「ねぇ、素宮さん」


 肩越しに聞こえた、何処かポワンとした声に、もしも舌があったら舌打ちしていたことだろう。

 音にせよ態度にせよ、感情を伝えられないというのは不便なことである。おかげで、イアルは俺の耳元まで身体を乗り出し、テールランプに浮かび上がる巨体を指さした。


「あのホネバミ? って言うの。どうやって私たちを探知してるんだろう」


「お前は俺が生物学者か何かだと思ってるのか?」


 背中にのしかかる軽い体重を無視しつつ、2発続けざまに発砲。指に挟んでいた2発を装填し、ついでとミミズの鼻っ面に撃ち込んでから、続いてショットシェルベルトへ手を伸ばす。

 イアルの顔が見えたのは、ローディングポートの位置を確認しようと、視線を揺らした一瞬だけ。

 それでも、俺の思考に僅かな隙間を生むには、十分だったように思う。

 真剣な青い瞳は、決して興味本位で茶々を入れようとしてはおらず、ジッと闇に浮かぶミミズモドキを睨んでいた。


「少なくとも目があるようには思えん。耳鼻は知らんが」


 弾を込める手を止めないまま、俺は自分の見たままを告げる。それが何に繋がるかまでは考えない。

 ただ、返答としては十分だったのか、ふむ、と小さく頷いたイアルは、俺の背中から体重を離すと、何やら後部座席でゴソゴソ身体を揺すり始める。

 それも束の間。リロードを終えた俺が再びショットガンを構えなおした時、銃口の先にフードを被った背中が映り込んだ。


「おい、何してる!?」


 慌てて銃口を引いた俺に対し、イアルは恐れる様子もなく、再びホネバミを指さした。


「アレの口! なんとか開けさせられない!?」


「阿呆か! そんなもん、呑み込まれる寸前以外にどうしろってんだ!?」


 言いながら少し考えてはみたが、最初に1発ぶち込んだ後から、巨大ミミズモドキはずっと口を閉じたままである。それが銃撃で口腔内を傷つけられるのを嫌がってか、単純に口を開いたまま動き回る生物でないからなのか。残念ながら、奴の生態など俺にはサッパリわからない。

 だが、頭の数だけ思考が異なるのは、揺るがない事実のようで。


「尾白さん、少しだけ車を寄せられない? ギリギリ、アレが私たちを食べようとしてくるくらいの感じで」


「おま、何を思いついたか知らんがなぁ――!」


 俺が叫ぶのは当然。尾白も表情を表せない髑髏ながら、ギョッとした様子で下あごをプラプラと揺らしていた。

 シュレッダーに飛び込む自殺願望などあるはずもない。俺に限らず、きっと誰もが。


「いい顔するねぇ? やったらぁ!」


 そう思っていたのだが、どうやら自分の幻想だったらしい。

 低く声を落とした尾白に、黄ばんだ下顎骨は地面まで転げ落ちるかと思った。


「お、おい馬鹿! 本気で言ってんのか!?」


「おチビちゃんが腹括ってんだヨ。ここでノらなきゃ、骨身も廃るってぇの!」


 楽しそうに、そうとても楽しそうに、尾白はカタカタと笑う。

 アンデッドにとって、楽しいという感情はとても貴重な物だ。刺激の欠乏した死体として活動する中で、これ以上重要な麻薬もない。

 馬鹿な話であろう。灰に還るか否かという状況を、楽しいなどと。

 それでも。


「こんのクソボケ……あーあー! わかった! 付き合ってやる! それ以外に道もないんだろ!?」


「2人とも、ありがと」


 にこりと小さく笑ったイアルに、俺はフンと鼻を鳴らしてフォアエンドを1回引く。

 終わりなんて考えた事はないが、この身は所詮ただの骸骨だ。動いていることさえ不自然であるのだから、多少の馬鹿くらい何ほどのことがある。

 加速が緩む。速度が落ちたのが分かる。

 ホネバミがそれを疲労や諦念によると考えたかは知らない。ただ、獲物との距離が詰まれば、その先は半ば本能だろう。


「来るぞ!」


 綺麗に4つ、クロスに裂けて広がる口。

 躊躇わずトリガーを連続で引く。狙いなどつける必要もなく、大体で撃てば赤い口の中に当たって、スラッグ弾は弾かれる。

 チューブマガジンの中身、5発全部を勢いのままにくれてやるつもりだった。しかし、緩やかに見える時間の流れの中、飛び散った火花の先に思う。


 ――割れた歯、ということは。


 大雑把な狙いから、しっかり照星を覗く。ここまでひと呼吸。

 銃口を僅かにずらし、狙いは開かれた赤い口の最奥。

 肩へ響く激しいリコイル。ただ、弾道特性のよろしくないスラッグ弾の割に、この時はへそを曲げず、言うことを聞いてくれたらしい。

 ぎゃあと叫び声にも思える音が木霊する。喉に勢いよく異物を突っ込まれたのだから、それも当然だろう。ショットガンの威力が肉を切り裂き、血を出させられたかはともかく、派手にむせ返るくらいのパンチにはなったはずだ。

 咳とは一種の生理現象。意図して口を塞ぐことは難しい。


「えぇいっ!」


 どこか力の抜けそうな掛け声と共に、今度は真っ赤な光が宙を舞う。

 それは派手な煙を吹き出しながら、苦しそうに開かれたホネバミの口へもぐり、返しのように並んだ歯の一角へと引っかかった。

 のどの痛みに続いて、煙に包まれる巨大ミミズ。奴に鼻があるかどうかは結局わからないが、どうにもこれは堪らなかったようで、今までになく大きく暴れ出した。


「前だ!」


「あいよぉっ!」


 アクセルペダルを踏み抜いたのではと思うような、ガンという激しい音に合わせ、速度を緩めていたATVはまた急加速する。

 今のホネバミにこちらを捉える余裕はないはず。決死の作戦もやってみれば大正解。

 後は砂ばかり広がる平地を駆けるだけ。そんな風に気を抜きかけた矢先だった。


「あ、やば」


 何とも不吉な言葉に、進行方向へと髑髏を巡らせれば、大きな砂岩が目鼻先に飛び込んできた。

 運転ミス。否、そうではない。


 ――成程、ミミズが暴れた拍子に飛ばしてきたか。


 納得するのも束の間。砂を撒き散らして大地に埋まったソレを、軽量ビークルが跳ね除けられるはずもなく、ハンドルを捻りはすれど時すでに遅し。

 むしろ回避行動が悪手と出てか、悪路走破性の高いタイヤは見事、その両輪でガツンと砂岩へ乗り上げ、車体は勢いを殺すこともないまま、広い空へ向けて舞い上がった。


「ん」


「ア」


「あー……」


 間延びした3つの声。それは確実に別の場所から発されていたが、きっと心は1つだっただろう。それは直後に証明される。


「「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!」」」


 車は空を飛ばない。翼もなければプロペラもないのだから、誰がなんと言おうと飛ばないのである。

 挙句自分は、つい今しがたまでショットガンを振り回していた身。シートベルトなどしていようはずもなく、何ならそれは後ろのおチビも一緒な訳で。

 浮遊感の中、ショットガンはストラップ頼みに放り出し、片手にATVのピラーを、もう片手に浮き上がるボロいフードを引っ掴んで引き寄せた。

 青白い顔は、叫びながらもこっちを見ていた気がする。それがちょうど膝の上に落ち着こうかという瞬間。


「ぎゃんっ!?」


「ぐぉっ!?」


 ド派手な衝撃と共に、ATVは2度3度とバウンドしながら接地した。どういう運命の導きか、その場でひっくり返ることもないままに。

 ただ、空を飛ばない車は、高い位置からの着地など当然考えられていない訳だ。おかげで、なんとか膝に抱えたイアルは、俺の上でしっかり跳ねまわることとなった。


「いっててて……こ、腰が逝くかと……アンタら、生きてるぅ?」


「ああ……こいつの尻と頭が跳び回ったおかげで、膝と顎が砕け散るかと思ったがな」


「わ、私のお尻はそんなに硬くないよ! 失礼だなぁ、もぉ!」


 ぐらぐらする視界の中で、拳を握りこんで前言撤回を要求してくるイアル。綺麗な肉がくっついている見た目の割に、俺たちスケルトンより頑丈らしい。

 いきなり苦情を叫べるくらいなら、怪我をしているということもないだろう。そう考えると少しばかり笑えてきた。


「はっ、ははっ……これでも、褒めてるつもりなんだがな。まさか、発煙筒をミミズ野郎の口にぶち込んで追い払うとは、思わなかったが。はぁ……」


「むぅ……子ども扱いして」


 項垂れる俺に対し、イアルはムッとした様子で頬を膨らませる。人間だった頃の記憶があるかどうかはともかく、アンデッドとしてはかなり若い部類なのだろうが、今はそんなことどうだっていい。


「てか何? 結局のとこ、あのミミズっちは、臭いが駄目だった感じなんかねェ?」


「少なくとも俺たちを齧る旨味に、喉だか煙だかの不快感が勝ったのは間違いないだろうな。どうにせよ、追い払えたんなら後は討伐隊の仕事だ」


 尾白はどうやらこちら側らしく、ハンドルにもたれかかってげっそりとした声を出す。

 それでも、骨の1、2本すら折れることなく居られるのだから、大した成果であり、俺はようやくのこと背もたれから骨身を起こした。


「さてどうする? アレが近くに居る限り、しばらく町には入れんだろうが」


「とりあえず安全な場所に行こう。イアルには、もあるしサ」


「聞きたいこと?」


 キョトンとした顔を浮かべるイアル。その表情こそ、聞きたいことを生み出す原因で間違いないだろう。本人は気付いているかは別にして。

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