#135 エピローグ
わたしの朝はいつも決まっている。
午前六時半。わたしの一日は必ず決まっているのだ。けれど、その日は特別な日だった。だから、六時半よりも早く起きていた。ぱっと起き上がると、わたしはすぐさま準備を始める。今日は綺麗なよそ行きの服装だ。このお姫様みたいな服が、わたしは好きだ。
部屋を出る直前、机にあった招待状を確認した。枚数、折れていないかどうか。一週間かけて作った自信作だ。きっとみんな喜ぶに違いない。思い浮かぶ顔。少しだけ面白くなってきた。
部屋から飛び出すと、一階には家政婦の鳩山さんが目を丸くしている。
「――お嬢様? お早いですね?」
「うん、だって今日は――」
鳩山さんもわたしの言いたいことを察したらしい。嬉しそうに微笑む。
「では、朝食を準備しますね」
「うんっ、ありがとう!」
それからしばらくして、わたしは鳩山さんの出来上がった朝食を食べた。その間、鳩山さんもわたしと同じ席で朝食をともにする。わたしはふと出来心で訊いていた。
「お母様は?」
「お仕事のようですよ。ここ数日は立て込んでいますから……」
わたしは顔をしかめた。まさか、仕事のせいで参加できない、なんてことはないだろうか。お母様がそんなことをするとは到底思えないが……(なにせわたしよりもお母様のほうが楽しみにしている感じがする)。鳩山さんはわたしの表情から察したのか、力強く言った。
「必ず来ますよ」
「……うんっ」
朝の時間帯、八時になるとわたしは家を出た。鳩山さんに大きく手を振りながら歩き始める。
外の世界――弓月シティは盛況の賑わいを見せている。かつて、魔法都市ユヅキと呼ばれ、廃墟と化していた姿はない。十年前、魔法使いたちのチカラをもって、急ピッチで開発が進められたらしい。今では、魔法使いと、ヒト(昔は非魔法使いなんて呼ばれ方をされていたらしい)が互いに住んでいる。たまに、魔法使いとヒトの『喧嘩』があるのは悲しい事実だけど。
わたしが最初に向かったのは、道場だ。わたしの家から一番近いこともあったし、何より、あの家の人は朝が早い。きっともう起きて稽古をしているに違いない。
古家が見つかると、わたしは大声で言う。
「ごめんくださぁいっ!」
「はーい」
ガラガラと音がして、そこからベージュ色の髪をした美人さん――祈里さんが顔を見せた。祈里さんは私を見るとにこりと微笑む。
「朝早くから。おはよう」
「おはようございます、祈里さんっ」
わたしは祈里さんの美しさに憧れている。もしかすると、お母様の次ぐらい、かもしれない。
「レンおじちゃんは?」
「道場の方にいると思うけど……、そうね、一緒に行きましょう」
「うんっ」
祈里さんの手を引かれて、わたしは道場の方へ向かう。古家の隣に立てられた道場は剣道教室を開いているのだ。
そこで、木刀を振るう数人の門下と、それを見守るレンおじちゃんがいた。レンおじちゃんは祈里を見ると目を丸くし、それから視線をわたしに向けた。げっ、と顔をしかめる。……むっ、失敬な。
「レンおじちゃん。人の顔を見てげっとすゆのはおかしいよ」
「誰がおじちゃんだ」
「ねえ、祈里さんからも何か言ってよー」
「このクソガキ……」
「まあまあ、あなた、落ち着いて」
祈里さんが宥めているが、わたしの味方をしているはずだ。笑みをレンおじちゃんに向けるとそっぽを向かれた。まるで子供だ。
門下はわたしを見ると、慌てた様子で頭を下げた。――こんちはッ、お嬢、だって。誰がお嬢だい。
「……で、なに?」
レンおじちゃんは疲れたように言う。
「んっ、これ」
わたしは取り出した招待状を渡した。計六枚分だ。
「〈怒鎚〉分あるよ」
「……ああ、もうその時期か、」
レンおじちゃんは納得した顔を見せた。祈里さんは招待状を見てわたしに微笑む。
「これ、一人で作ったの? すごいじゃない」
「うんっ!」
「甘えさせるな、ガキが調子乗る」
わたしはレンおじちゃんの言葉を無視して。
「今日来てね」
「ああ、気が向いたらな」
「後で来るからね」
レンおじちゃんの言葉は無視して、祈里さんの言葉に頷く。大丈夫。レンおじちゃんは祈里さんには甘甘だからきっと来るに違いない。あれは照れ隠しの一種だ。――そう、お父様が言っていた。
「なにか失礼なことを考えてるな?」
レンおじちゃん、鋭い。
「べっつにー」
わたしは祈里さんに目を向けて、二人して笑った。レンおじちゃんだけが気まずそうに顔を逸らした。これも、照れ隠しだ。
◆鳴神蓮夜
〈雷の魔法使い〉。元〈怒鎚〉のリーダー。十年前、魔法使いの引退を表明し、以後若隠居をし、剣道教室を開き、穏やかな毎日を過ごす。ここ最近の楽しみは親友・ニノチカとの将棋と、祈里の新作料理を想像すること。
◆鳴神祈里
元〈治癒の魔法使い〉。元〈怒鎚〉のメンバー。魔法使いのチカラを失い、ヒトとなる。十年前、蓮夜と籍を入れて鳴神姓となる。趣味は家事全般、蓮夜のお世話、新作料理の研究。シャルロットやミューとは頻繁に連絡を取り女子会を開いているという。
レンおじちゃんの家を出ると、その足を魔法協会に向ける。
魔法協会とは、魔法使いとヒトによって結成された平和組織だ。二つの共存を目指し、魔法使いのトラブルや、ヒトとの干渉に力を注いでいる。かつてクランと呼ばれた魔法使いのグループは解体し、魔法協会の所属となった。その下部組織として、チームが生まれた。今はクランではなく、パーティと呼んでいるらしいけれど、その辺りの呼称はいまいちわからない。心機一転を図る意味がある、とお母様は言っていた。
魔法協会に向かう途中、見知った集団を見つけた。わたしは思わず駆け足になる。
足音で気づいたのか、一人の女がわたしに振り向く。白く染まる髪が、ゆらりと揺れる。
「あれっ?」
冬美さんが声を出した。
その声に、茜さんと隣りにいたアキくんが振り向く。
「あれ、どうしたの?」
茜さんも目を丸くしている。アキくんはわたしを見ると、レンおじちゃんのようにげっとした顔をした。失敬だぞ、アキくんだから許すけども。
「アキくん、その顔はやめよ」
「どんな顔だよ、あ?」
「こう、きゅっとした、かっこいい顔だよ」
「うるせえ、マセガキ」
「……はぁ、どうして男ってのは照れ隠しをするんだろうねぇ」
わたしの声にアキくんはさらに声を上げようとしたが、茜さんに宥められた。ざまあみろだ。わたしは目的を果たすべく、三人に招待状を見せた。冬美さんは嬉しそうに頷いた。
「わあっ、ありがとうねっ。手作りだね。お母さんと一緒で字もきれいだし」
冬美さんの言葉に茜さんも頷く。
「うん、これはお父さんにも似た遊び心があるよ」
「え、茜さん? それってポイント稼ぎかなにかですか? まだ未練たらたら?」
「はぁ? どういう解釈をしたらそうなるかな?」
「ほら、突っかかってくる辺り、図星ですよね?」
「だから私はね――」
なんか、不穏な空気になってきた。冬美さんと茜さんがバチバチと言葉を交わしている。アキくんは知らんぷりしているし。
実はこの二人、元はお父様にホの字だったらしい。わたしの目から見ると、どうにもどっちも未練がありそうにも見えるし、吹っ切れているようにも見える。おそらく、同族嫌悪だろう、と当たりをつけている。それを以前アキくんに口にしたら、呆れた顔で言われた。――お前、父親にそっくりだな。褒め言葉だ。
それにしても、二人は特大の美人さんだ。それをホの字にさせたお父様は罪作りな人なんだなぁ、と誇らしく思えた。
◆牧野冬美
〈雪の魔法使い〉。元〈
◆東雲茜
〈紅の魔法使い〉。〈魔法協会〉第一チーム所属。空音とは関係修復後、時折女子会をしている。紆余曲折を経て、秋人と交際中。結婚を意識しているが、ヘタレ具合は健在で自分から言えていない。
◆皇秋人
〈罰の魔法使い〉。〈魔法協会〉第一チーム所属。紆余曲折を経て、茜と交際中。結婚を意識し、指輪まで買っているが間の悪い状況が続き渡せず。次こそはと、密かに模索中。最近は茜以外とも交流関係を広げている。
魔法協会は大きなビルだ。見上げても首が痛くなるほど長く遠い。エントランスに入ると、受付にいた女の人がわたしの顔を見て驚く。
「――お嬢様? 何か用で?」
わたしはこの場所ではよく目立つ。妙に空気が色めくのだ。これぞカリスマ性あふれるわたしの運命なのか――なんてのは冗談で。受付の女の人には愛想笑いを浮かべるが、女の人はわたしの登場に困惑しているようにも見えた。
「――どうかしたの?」
雰囲気の変化に駆けつけたのか、テツさんとシロさんが顔を見せた。受付の女の人は一言二言説明をして、わたしに視線を向けた。あらまあ、と言いたげにテツさんとシロさんの目が丸くなる。シンクロしていて面白い。
「どうした? わざわざこんなところまで」
テツさんの野太い声が耳に入る。
「招待状を渡しに来たの」
「招待状?」
シロさんが首をひねる。わたしが招待状を見せると、ああと納得する。
「なんだ、すげえな。このカード、一人で作ったのか?」
「うんっ!」
「一人一人の顔の絵を描いたるんだね」
シロさんは眩しそうに目を細め、渡された招待状を撫でた。そこにはわたしが描いたみんなの顔の絵がある。シロさんの顔と、テツさんの顔も。みんな、わたしの大切な人たちだ。
「そんじゃあ、これを配りに来たのか。いいね、協力したいな」
テツさんはわたしの意図を確実に汲み取ってくれる。お父様曰く、兄貴分みたいな人だよ、とのこと。そのとおりだよ、お父様。
「あとはどこに?」とシロさん。
「〈灯の集い〉とウミちゃんたちには後で渡す予定なの。ニナちゃんたちいるかな?」
「ニナたちだと……、第三チーム、いたよな? 会議室に確か」
「集まってたね。まあ、熱心だから」
「それじゃあ、オレたちが連れてくよ。行くぞ」
「うんっ!」
テツさんに連れられて、わたしは魔法協会のビルを登っていった。
◆鎧塚哲朗
〈鉄の魔法使い〉。元〈漆黒鴉〉のメンバー。現〈魔法協会〉第二チーム所属。主に後発的な魔法使いの教授に当たる。兄貴分として後輩たちから親しまれている。
◆鵜坂白奈
〈嵐の魔法使い〉。元〈漆黒鴉〉のメンバー。現〈魔法協会〉第二チーム所属。主に後発的な魔法使いの教授に当たる。後輩たちから鬼の教官と密かに恐れられている。本人はひどく不服である。
わたしはテツさんとシロさんに連れられて魔法協会を登っていく。その際、テツさんとシロさんを見た他のヒトたちが敬礼していた。そのたびにシロさんはなんとも言いたげな表情を浮かべていたが、テツさんは。
「――親しまれてるんだよ」
と誇らしそうに言っていた。
案内されたのは連れられて十分ほどしてからだろうか。大きな部屋の前でわたしは立ち止まった。そこから人の声が聞こえてくる。テツさんが扉をノックすると、返事がある。
「入るぞー」
テツさんが入ると、そこから顔を見せたニナちゃんが目を丸くした。
「ああ、テツさん。おはようございます、何か用件が――」
そう言いかけた言葉は、わたしに向けられた視線と共に変わった。ニナちゃんはわたしの名前を呼ぶと、にこやかに笑みを浮かべる。
「どうしたのっ? 見学?」
「ううん、違うよ」
「ここに来るの、久しぶりじゃない? ほら、座りなよ。お菓子あるよ。あ、朝からお菓子とかお母さんに怒られるかな?」
「ううんっ、大丈夫!」
大丈夫かどうかはわからないが、わたしは頷くとニナちゃんに促された椅子に座り、渡されたお菓子を食べようとする。
――それをすいっと、横から盗られた。あっ、と言う間もなく世々ちゃんがわたしとニナちゃんを睨んでいた。
「子供と同じ土俵に立ってどうするのさ、ニナは」
「ええ〜、」
「ええぇ〜、」
わたしとニナちゃんは同時に声を漏らしていた。世々ちゃんは厳しい。
「世々ちゃんだって子供なのに」
「誰が子供だっ!」
世々ちゃんはわたしの言葉に鋭く反応した。世々ちゃんは小柄だ。可愛らしくお人形さんのように見えなくもない。電動式の車椅子を自由自在に操り、ニナちゃんとわたしの頭を叩いた。実は優しいので加減はされている。
「まあまあ、落ち着きましょう」
世々ちゃんの間に入ったのは文也くんだ。
「文也、あんたはニナに甘すぎ」
「いや。そうじゃなくて」
「度が過ぎると、それは盲目だよ」
「えっ、あ、いやぁ……」
痛いところを突かれたのか、文也くんはしどろもどろになる。いつもながら頼りにならない。文也くんは世々ちゃんの追及から逃れるべく、わたしに視線を向けた。
「それで、何か用があったの? まさか、両親の方で――」
「ううん、違う。招待状を渡しに来たの」
わたしは察するのが大の得意なので、文也くんの意図をちゃんと汲み取ってあげるのだ。文也くんはわたしの言葉に首をひねる。みんな、似たような反応を見せる。
「招待状?」
「うん、これ――、」
わたしが渡した招待状に、ニナちゃんは目を見開き、小さく微笑んだ。
「……必ず行くよ」
「うんっ!」
「お母さんには渡したの?」
ニナちゃんの言葉に、わたしは胸を張る。
「実はね、昨日の夜には、お母様の机の上に、置いておいたの。サプライズ」
「お母さん、きっと喜んだろうね」
「うん、だって、わたし以上に楽しみにしてるから」
お母様がこの一週間、妙にソワソワしているのをわたしは知っているのだ。ニナちゃんにそれを話すと、ニナちゃんは堪えきれないように笑う。
「うわぁ、かわいいね、それ」
そう、お母様はかわいいんです。
◆膳所世々
〈先読みの魔法使い〉。〈魔法協会〉第二チーム兼特別実働部隊〈
◆秤文也
〈天秤の魔法使い〉。〈魔法協会〉第二チーム兼特別実働部隊〈
◆新崎ニナ
〈星の魔法使い〉。〈魔法協会〉第二チーム兼特別実働部隊〈
ニナちゃんたちと一度別れを告げて、わたしは他の人達を探す。テツさん曰く、わたしの探す二人は魔法使いの指南役としてビルに設けられた『教室』にいるはずだと言った。
この魔法協会には教育施設という側面も持ち合わせている。魔法使いとしてのモラル、適切な技術、知識を得られる場所。それは魔法使いだけではなく、魔法を使わないヒトも平等に受けることが出来る。二人はその『先生』なのだ。
教室はある階で並ぶように設置されている。そこには子供から大人まで教育を受けていた。勉強だ。わたしもいつか、あの場所で勉強をすることになる。楽しくも、不安でもある。お父様にそのことを相談したら「――だったら、僕に付いてみる? 勉強以上に知れることもあるよ」と誘われたこともあった。あのときはお母様が激怒していたっけ。「無責任なことは言わないでくださいッ」と。お母様は本気で怒るとき、敬語になる。お父様は涙目だった。
一つの『教室』に二人はいた。ちょうど自習中だったらしい。わたしが『教室』の外から手を振ると、気づいてくれた。
「お久しぶりかな?」
「うん、圭人くんに瞬さんも、久しぶり」
瞬さんがわたしの頭を撫でてくれた。瞬さんに撫でられると、少しだけ胸が温かくなる。圭人くんはわたしを見ると不思議そうな声音で言った。
「ここには一人で来たのか?」
「うん、さっきまではテツさんたちがいたけどね」
「そりゃあすごい。……けど、あんまり一人でいすぎるなよ。誘拐でもされたら――」
「もう、圭人。父性が出るの早すぎ」
瞬さんが笑いながら窘めている。
わたしも笑いに便乗し、瞬さんのお腹を見た。ふっくらと膨らんでいる。そこに、一つの生命が産まれようとしているのだ。
「ねえねえ、いつ産まれる予定なの?」
「んー、あと、二ヶ月ぐらいかな」
「楽しみだなぁ。男の子、女の子?」
「それはお楽しみにしてるの」
瞬さんは慈しむようにお腹を撫でた。もう、瞬さんは十分お母さんに見えた。きっと、産まれてくる子供は幸せになるんだろうなぁ。いいなぁ、なんて。
「それで、どうした?」
圭人くんがわたしに本題を思い出させる。
「ん、これ」
わたしは二人に招待状を見せた。
圭人は招待状を受け取ると、頬を緩ませていた。
「……ああ、帰ってくるんだったな」
「そう、帰ってくるの」
お父様が、帰ってくる。
わたしたちは、それを祝うのだ。
◆知久圭人
〈棘の魔法使い〉。元〈平和の杜〉のメンバー。〈魔法協会〉所属。魔法使い・ヒトの指南役となる。元〈非魔法使い〉と魔法使いの間にある存在として、教育に携わった。六年前、瞬に求婚し結婚に至る。二ヶ月後に一児の父になる予定。既に父性を醸し出しつつある。親バカになりそう、とは瞬の予感。
◆知久瞬
〈刹那の魔法使い〉。元〈平和の杜〉のメンバー。〈魔法協会〉所属。魔法使い・ヒトの指南役となる。六年前、圭人に求婚され結婚に至る。本人はもう少し早く結婚しても良かったと思っていた。二ヶ月後に一児の母になる予定。圭人の父性っぷりに呆れつつも、家庭を楽しみにしている。
魔法協会を出ると、わたしはのんびりとした足取りで町を歩く。
大体の人には招待状を配ることができた。あとはウミちゃんたちだ。そこを渡せば、会場である〈灯の集い〉に行くことができる。
ちょうどいいタイミングでもあった。時間帯は昼過ぎを迎えている。わたしはウミちゃんたちのいる地区へ目指す。
すると、これは偶然が勝った。昼食の買い物に出掛けていたのか、ウミちゃんたちの姿を見つけたのだ。最初、ウミちゃんがわたしに気づいた。両手を両親の手で握り、母親の方の手を引っ張る。ほら、あそこにいるよ。そうわたしに向けて言っているように見えた。
「ウミちゃぁん!」
「ちゅーずでいっ!」
「ちゅーずでい!」
わたしとウミちゃんはハイタッチしながら挨拶した。ウミちゃんの特徴的な、綺麗な水色の髪が揺れる。わたしより一つ歳上の、けれど大切な親友だ。ウミちゃんのお父さん――龍伍さんは顔をしかめた。
「なんだ、ちゅーずでい? 火曜日?」
「流行りらしいよ。なんて火曜日なのかは知らないけれど」
「意味わからん」
ウミちゃんのお母さん――睡蓮さんの言葉に龍伍さんは首を傾げている。ちなみに、わたしも由来は知らない。
「そういうのは感覚だよ。龍伍さん」
わたしはまるで全てを知っているかのような口調で話す。龍伍さんはハッと鼻で笑う。
「お前も大して知らねえだろ」
「知ってるもん。少なくとも、龍伍さんよりは知ってる。知ってるの定義は、人それぞれなんだから」
「……父親に似て、たまに苛つく言い方すんな。いや、母親か?」
「どっちもかな」と睡蓮さん。
わたしとしては、どちらでもいい。どっちも、わたし自身を表している。
ウミちゃんはまず、どうしてわたしが一人でいるのかを訊いてきた。わたしはそこで本題の招待状を思い出す。三人に招待状を見せた。ウミちゃんはわたしの招待状を喜び褒めてくれた。気分が明るく、爽やかになっていく。
龍伍さんは受け取った招待状を見て呟く。
「そうか……、もうその時期か」
「あなた、前に言ったの忘れたの?」
「言ったか?」
「言ったよ」
「いったよー、お父さん」
ウミちゃんも便乗した。
「言ったよ、龍伍さん」
わたしも、便乗してみせた。
◆里麻龍伍
〈最強の魔法使い〉。魔法使いを引退後、睡蓮と籍を入れる。九年前に娘・
◆里麻睡蓮
〈水の魔法使い〉。元〈イザナミ〉のリーダー。魔法使いを引退後、睡蓮と籍を入れる。九年前に娘・海未を授かる。龍伍と海未を溺愛している。〈イザナミ〉を解散した後、ヒトとしての生活を手に入れた。
最後に招待状を渡すのは会場となる場所――〈灯の集い〉であった。
ウミちゃんたちと別れると、わたしは〈灯の集い〉に足を向けた。道順は既に覚えている。ゆっくりとした足取りでわたしは進んでいく。進み、進め。招待状を一人一人渡すたびに、わたしはお父様のことを、お母様のことを思い出すかのように思えた。十年前、魔導大戦と呼ばれる大きな聖戦があった。多くの人が喪われ、血を散らし、命を迸る。
十年間。この長さは、わたしたちに大きな意味を残している。この世界は十年間で大きく変化している。この変化が、今のわたしたちを形成させている。
考え事をしている中で、〈灯の集い〉に到着した。〈灯の集い〉は繁盛していた。かつて、この店は魔法使いのための場所であったが、今はヒトと魔法使いの両立した場所として存在している。いわば、魔法協会とは異なる、第二の『居場所』である。
〈灯の集い〉の扉を開けると、鈴の音が鳴った。この鈴が鳴った瞬間、センジュさんが声を上げた。
「いらっしゃいまっ――おおっ、良い客が来たじゃないのっ!」
そう喜びの笑みを浮かべたのは、センジュさんである。センジュさんの背後から、カウンターに向けて、憲司さんとせりさん、そして、
憲司さんはわたしを見ると、微笑みを浮かべて迎える。
「いらっしゃい。準備は出来てるよ」
「うんっ。招待状の用意もしてきたんだよ」
わたしの言葉にせりも頷いた。
「お、いいじゃん。潮も何かすればいいのにぃ」
「うるせ」
「反抗期かなぁ」
潮くんはわたしを睨みつけた。わたしもあえて睨みつける。無言で見つめ合う瞬間が続く。不意に、視線を逸らしたのは潮くんの方だ。頬を赤らめ、照れている。潮くんの大抵の行動は照れ隠しであると、わたしは熟知しているのだ。
わたしは潮くんから視線を逸らすと、せりさんに顔を向けた。
「せりさん、会場の準備、手伝えることあるかな?」
「んー、じゃあお皿を運ぶのをお願いできるかしら?」
「うんっ」
「ほら、潮もしなさいよ」
「うるせ、誰がやるか――」
「いいのかしら? 憧れの『黒の英雄』に自分の勇姿を見せられなくても――、」
「ああっ、わかってるってのッ!」
せりさんもまた、潮くんのツボというものを、理解しているらしい。
◆楔千珠
元〈鎖の魔法使い〉。元〈漆黒鴉〉のメンバー。〈灯の集い〉の看板娘。魔法のチカラを喪った後、ヒトとして〈灯の集い〉の店員となる。五年前、一般男性と結婚し、二児の母となる。育児に奮闘しつつ、冬美のお節介に力を注ぐ。
◆唐沢憲司
〈言霊の魔法使い〉。元〈平和の杜〉のメンバー。〈灯の集い〉のオーナー代理。七年前に息子・潮を授かる。アスタロトの『呪い』が解けたことで、せりが仮死状態から復活。憲司は兼ねてから計画していたプロポーズを決行。せりから即答でオーケーを貰う。
◆唐沢せり
〈酸の魔法使い〉。元〈平和の杜〉のメンバー。〈灯の集い〉の店員。七年前に息子・潮を授かる。アスタロトの『呪い』が解けたことで、仮死状態から復活。十年前に憲司から結婚を申し込まれ即答した。今ではすっかり母親となっている。
「――おや、お嬢様じゃないですか」
わたしが皿を運ぶため、厨房の方を入ると、男爵が姿を見せた。顎髭を伸ばした彼はいかにも男爵然としていて、わたしが産まれたときから、彼は男爵だ。
厨房の主である男爵の料理は恐ろしいほどに美味しい。この美味を求めて全国から〈灯の集い〉を訪れる人がいるほどだ。
「お嬢様、味見でもしますか?」
そうして彼は、ハンバーグの味見をさせてくれた。デミグラスソースのかかった、男爵特製のものを口に含んだ瞬間、わたしは飛び跳ねるような美味しさを覚える。
「美味しいっ!」
「なら、良かったであります」
男爵は優しそうに頬を緩ます。
少しだけ、おじいちゃんのような人、という感覚がわたしにはある。
「男爵、いつかさ、わたしに料理教えてくれない? ウミちゃんも誘って、おっきなケーキ作ってみたいなぁ」
「それもいいですな。いつかやりましょう」
◆岩井廻
〈運の魔法使い〉。元〈星〉のメンバー。〈灯の集い〉のシェフ。厨房の主。魔法使いを引退後、〈灯の集い〉に身を寄せることになる。彼の作り出す料理の味は天下一品であり、全国からその味を求めてやって来る客もいるという。本人は美味しさを追及するのではなく、楽しく味を共有できる環境こそが、美味しさに繋がると信じている。
会場の準備を急ピッチで進めつつも、わたしたちは時折、談笑を交えていた。
「そういえば、ミラさんは今、どのあたりにいるの?」
わたしはふとしたきっかけで、ミラさんの話題を口にした。それに応えたのはセンジュさんだ。
「あー、最近ミラちゃんから手紙来たわよねぇ。確か、ヨーロッパあたりだったかしら?」
「一応、その辺だったかな」
憲司も曖昧ながら頷く。
ミラさんというのは、この〈灯の集い〉のオーナーだ(憲司さんはオーナー代理である)。一年の半分以上を海外を周ることに費やしており、新しい珈琲豆を見つけては持ち帰ってくる。ミラさんはとてつもなく美しい人だ。正直、わたしはあの美貌に見惚れるよりも先に畏怖を覚えてしまう。
それでも、ミラさんは優しい人だ。まだ数回しか直接会ったことはないが、その人となりは美貌以上に知っているつもりだった。
「手紙には割りと近況のことが書かれていたけどさぁ――、」
センジュさんは間延びした口調で続ける。
「ホムラのことにも触れてたわよね?」
「ああ、そうだった」
憲司さんは感慨深そうに、呟く。
「今もあの人、生きてるのかしらね」
「さあ?」
せりさんの疑問にも、直接的な表現で憲司さんが答えを口にすることはなかった。わたしも、その話題の特異さに、自分から聞き出そうとはしなかった。
◆秋葉魅羅
〈色欲の魔法使い〉。元〈平和の杜〉のリーダー。現〈灯の集い〉のオーナー。一年の内、半分以上は世界中を周り旅をしている。千年の誓約が解けたことで体内成長が再開。恐ろしいほどの美貌を持つ。世界中の珈琲豆を探し求め、〈灯の集い〉に珍しいものを見つけては持ち帰る。第二の人生を謳歌中。
◆ホムラ
〈憤怒の魔法使い〉。元〈
鈴の音が鳴る。
それにより姿を現したのはレンおじちゃんと祈里さん、ニノチカ兄さんやフータくんたちだった。――旧〈怒鎚〉のメンバーが勢ぞろいである。
祈里さんはわたしがテーブルを拭いている姿を見ると、小さく手を振ってきた。わたしは笑みと共に返す。そして、隣に仏頂面でいたレンおじちゃんに目を向けた。
「おい、なんつう顔してる?」
レンおじちゃんはすかさず反応を示す。
「べっつにー」
わたしは厨房の方へ退散した。
そうしている間に時は流れ、招待状を送った人たちが続々と会場に集まってきた。盛況具合に満足しながらも、わたしの視線が右往左往している。……まだ、来ていない。
わたしの視線に気づいたのか、センジュさんが隣に立つ。
「来るよ、お母さんは」
「……わかってるもん」
少しだけ拗ねたような声が出た。
この場に姿を現したニナちゃんは男爵との会話で花を咲かせている。主にニナちゃんからの近況報告を男爵が聴いていた。この構図を見ると、まるで祖父と娘のように見えなくもない。
そして。
喧騒の中、鈴の音が鳴った。
わたしは反射的に顔を上げていた。先程〈灯の集い〉に入ってきた彼女へ――お母様を見つける。
「空音さんっ」
冬美さんやニナちゃんがお母様の到着に喜びを見せた。お母様はそれらに応えつつ、わたしに視線を向けた。わたしの大好きな笑顔を向けてくれる。
「
「はいっ、お母様っ!」
わざとらしく、敬礼をする。
たぶん、照れ隠しだ。
◆神凪空音
〈白の魔法使い〉。〈魔法協会〉頭領。魔法使いとヒトの共存を目指し、日々〈魔法協会〉のトップとして使命を果たす。八年前、夜空を授かる。母親と頭領の両立を軽々とこなす。日々、夕夜とのスキンシップを密かに楽しみにしている(ことは実は周知の事実である)。
お母様はそれぞれに挨拶をしながら、ようやくわたしの隣に腰を落ち着かせた。少しだけ表情が疲れているように見えるのは気のせいではないはずだ。
「……お母様、大丈夫?」
わたしの言葉にお母様は顔を向けて、小さく微笑む。
「ええ、平気よ」
それが、嫌にでも強がりらしく見えてしまう。
お母様の役柄は、事実上、全魔法使いのリーダー、という認識と変わらない。お母様が魔法使いの『顔』であり、『看板』なのだ。注目度はわたしの想像をはるかに上回る。時には、十年前の憎悪を持ち出されることもあるだろう。お母様は、親身にそれらの感情を受け止めている。少しでも、この世界が優しくあるために。
幸せでいられるように。
人はきっと、弱い。
そこに、子供も大人も関係ない。
弱音を吐く大人だって、強がりを見せる子供だって。大した差はないのだと。――お父様はそう言った。そのとおりで、この世は弱音と強がりでできている。それなのに、弱さを受け入れるだけの余裕がない。
弱くても生きよう。時折、お父様はそんなことを口にする。
弱さを受け入れて、共に生き合う。
その関係性を、わたしは、お母様たちは望んでいる。……視線をお母様に向けると、妙にソワソワしているのがわかった。お父様がもうすぐ帰ってくる。お母様は表情こそ出さないが、雰囲気で表情に察することができる。楽しみで仕方がない。逢いたくて仕方がない。すぐに、わかってしまう。
やがて、鈴の音が鳴る。
彼が、帰ってくる。
そのとき言う言葉は、決めているのだ。
「――おかえりっ、お父様っ!」
お父様は――椚夕夜は目を丸くし、クラッカーまみれの体を見ながら苦笑した。それから照れ臭そうに言うのだ。
「ただいま、みんな」
◆椚夕夜
〈黒の魔法使い〉。元〈漆黒鴉〉のリーダー。〈魔法協会〉所属。世界各地を周り、魔法使いとヒトにおける様々な問題を解決している。一方からは〈黒の英雄〉、一方からは〈災厄の悪魔〉と呼ばれる。魔法使いとヒトの共存を目指し、生涯、彼は希望を信じる。数ヶ月に一度、空音や夜空と会う日を楽しみにしている。
わたしたちのお父様を祝う会を終えると、ゆっくりと解散した。わたしはお母様とお父様、二人の手を繋ぎながら、夜空の下、岐路をつく。
「今回はどれぐらいいれるの?」
「半年ぐらいかな」
「ほんとっ! 前よりも長い!」
わたしが全身で喜びを表現すると、お父様は笑って応えてくれる。隣りにいるお母様は半年、と呟いている。おそらく、やや不満な期間なのだろう。けれど、仕方ない。お父様は世界中を周る、唯一の魔法使いだ。
この世界は、まだまだ救いを求めている人が多くいる。それはもしかすると、わたしの隣りにいる人だって、救いを訴えているのかもしれない。優しさや弱さが赦されない。この世界は残酷で、冷酷で、厳格なのかもしれない。
けれど、わたしは信じたい。
この世界は、美しい、と。
わたしの手を握るお父様とお母様。二人の存在は、わたしにとって、この世界の美しさを何倍にも色鮮やかにしてくれる。この世界の暗い部分を、明るくしてくれるはずなのだ。だから、わたしは絶望しない。したくない。
何度だって、胸を張って。
強がりを言うのだ。
わたしは、この世界が大好きだ。
Fin.
純白ノ大戦 椎名喜咲 @hakoyuto
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