#134 救われた者たちへ

 夕夜はヤドリ・ミコトを見据えた。

 ヤドリ・ミコトの周囲に揺らめく魔力が迸る。それは夕夜の登場に歓喜しているようにも、畏怖しているようにも見えた。

 多重に展開された魔法。それが夕夜に進む。夕夜は黒刀を無数に出現させ、対応する。黒と魔法の激突。空間を歪ませながら、二つのチカラは他の魔法使いを圧倒させる光景を見せた。

 夕夜の魔法は魔法を無効化する。

 そのチカラはヤドリ・ミコトの魔法にも適用される。繰り出される魔法の数々を黒刀で打ち消していく。

 空音はその光景を目にしながらも思う。――だが、足りない。夕夜のチカラを持ってしても、チカラの膠着はヤドリ・ミコトの優勢に見えた。

 不意に、ヤドリ・ミコトの背後に浮かぶ時計の羅針盤。魔法の勢力が引き上げられる。夕夜の黒刀は一瞬にして消し飛ばされ、不可視の何かが夕夜を襲おうとした。

 そのとき、夕夜は出現させ、手に握った黒刀を振り抜いた。こちらもまた、黒い斬撃。二つは重なり、相殺する。

 無。

 この間に生まれた空間、夕夜はヤドリ・ミコトに向けて、口を開いていた。


「――さん。聴こえてますか?」


 ヤドリ・ミコトの表情が、ぴくりと動く。


「――もう、戦わなくていいんです」


 夕夜の声は何故か響いた。それほど大きかったわけではない。それなのに、この場にいた魔法使いは聞き入っている。夕夜はヤドリ・ミコトを――一人の少女だけを、見ていた。


「戦いは終わった。終わったんです。もう、理由はない。ここで、矛を収めてください」

『――……フザケルナ、』


 少女から漏れる声は妙にざらつき、複数の声が重なっているように聴こえた。少女は夕夜を睨んでいる。首を何度も横に振った。


『ユルサレルカ? ユルスモノカ?』

「――それを、探していくんです」

『キボウハ――ナイ』

「ありますよ、そこに、あるじゃないですか」


 夕夜の視線に従い、少女は見た。

 そこに意識を失う寸前の里麻と、それを支えようとする睡蓮がいた。少女の表情がさらに歪む。


「僕は、この世界が、好きだと言えるようになりたい。大切な人のいる場所を、希望だと思えるようになりたい」


 夕夜はそう語りながら、黒刀を上空に掲げた。


「だから、楓さん。僕たちは、救われたんだ」


 そのとき、変化が起きた。

 無数の、無限の、溢ればかりの黒天が空音たちの前に現れた。空音はそれを見る。黒天が訴えていた。触れろ。チカラを。意図を察した。それはきっと、空音だけではなかった。空音はそのときに、黒天に触れていた。彼女の想いを注いでいた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 冬美は夕夜を見て涙していた。

 死んだはずだった。けれど、彼は帰ってきた。――その事実を平然と受け止めることができる。当然じゃないかと、笑うことができた。

 だって、彼こそはヒーローだ。

 あのときから、冬美が夕夜と会った瞬間から、彼はヒーローだった。ピンチの時に現れる彼は、とても眩しかった。だから、夕夜は帰って来るのだ。いつだって、今だって。

 冬美の前に黒天が出現する。

 訴えかけてくるのだ。力を貸して、と。

 ずっと、彼の味方でありたかった。そのための力を欲していた。ようやく、彼の近くで、共に戦うことができる。冬美は、黒天に触れた。その想いを届けた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



〈平和の杜〉は夕夜を見て、衝撃を受ける。

 だが、それ以上にやってくれたな、と笑ってしまう。なんだか拍子抜けするぐらいに、笑みが浮かぶ。


「ったく……、いつものことながら」


 圭人は呆れたような言葉を出した。隣りにいた瞬はだよね、と苦笑する。憲司もミラも、今この場にいないせりだって、そう思っているに違いない。

 黒天の出現。

 それは同時に、ようやく夕夜が独りではないことを認めた瞬間だった。圭人と瞬は目を合わせ、頷く。その手を、黒天へと伸ばした。

 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……ははッ」


 里麻は笑っていた。それに反応した睡蓮は里麻の顔を覗き込む。不安そうな表情が浮かんでいた。


「龍伍……?」


 里麻の視線は夕夜に向いていた。本当の意味で帰ってきた夕夜へ。

 帰ってきた。その事実が里麻の心を浸透させる。――そうだ、そうだろう。ハッピーエンドの何が悪い。幸福を望んで、何が悪いんだ。


「……ほんと、すげえな」


 里麻のこぼす声に睡蓮は目を見開く。やがて、苦笑して頷く。


「貴方だって、凄いですけどね」

「そうかもな?」


 黒天の出現。里麻は黒天に触れようとしたが、力が入らず腕がだらんと伸びてしまう。その手を、睡蓮が掴む。ゆっくりと上げて黒天に触れさせた。その手はしっかりと握られている。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ニナは、夕夜を見た。

 ……ああ、これだ。その懐かしさはふと湧き上がる。四年前、あの日、あの瞬間、救われたとき。ニナはあのときと同じ想いを感じた。

 彼は、特異点だ。

 それはもしかすると、人の想いが交錯する地点なのかもしれない。無数にある人の想いが重なることで奇跡が起きる。ニナは今、奇跡を見ているのだ。対面できたことが誇らしく思える。

 ……救われてよかった。

 あの日、あの瞬間。

 夕夜を肯定したことを後悔しない。

 出現する黒天を予期した。現れた黒天を見た途端、ニナは溢れんばかりの想いを注ぐ。そのチカラを、その魔力を、ニナは黒天を通して、夕夜に伝えたかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 蓮夜はぐったりとした祈里を支えた。


「……大丈夫か?」


 蓮夜の声に祈里は弱々しく頷く。


「チカラ、無くなっちゃいました、けど」

「いいんだよ、これで」


 夕夜の蘇生のために祈里はチカラを失った。さらに言えば、連綿と続いていた〈治癒の魔法使い〉はこの時を持って滅びたのだ。祈里にとって、アイデンティティの喪失にも等しいだろう。けれど、良かった。チカラの喪失など、蓮夜はどうでもよかったのだ。

 黒天が出現すると蓮夜は意図を察し、笑えてきた。祈里は躊躇するように黒天を見ていた。もはや魔力もチカラも持たない祈里にとって魔法は異質の存在である。だが、ここで祈里を抜くことは蓮夜の選択肢にはなかった。

 祈里の手を蓮夜は握る。祈里は驚いた顔を蓮夜に向けていた。それから嬉しそうに頬を赤く染める。

 重なる手を黒天に合わせた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 黒天の出現。

 それを、ホムラは見た。思わず目を丸くする。何故、自分に――? 湧き上がる疑問と困惑。しかし、結果として行き着く答えは同じ。ホムラは笑いがこみ上げてくるのを自覚した。これが、椚夕夜の答えか。


「ははッ……!」


 哀しくも、笑える。


「ほんとうに、粋な奴だよ、椚夕夜」


 ホムラは黒天に触れてみせた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 椚夕夜に致命的な弱点を挙げるとするならば、マギアが使えない。その一点にあろう。それは椚夕夜の性質上の問題や、単純な魔力量の不足であったりする。だが、根本的なものとして、夕夜はマギアを使えない。非魔法使いの延長にいる夕夜には、魔法使いの昇華となる、前提がない。

 それこそ、エヴァン・マギアードのようなパイプ役を作らなければならないのだ。

 だからこそ、黒天は繋がれる。この場にいた、全ての魔法使いに向けて放つ黒天。それは一つのネットワークを形成させる。椚夕夜を支える魔力と器の強化。足りないものを補うシステムを生み出す。

 これにより、夕夜は一時的に魔力総量が全ての魔法使い分含まれることになる。夕夜の放つ魔法は誰かの魔力であり、チカラであり、夕夜一人として加算されない。夕夜の行動を、全員が負担する。

 そして、このもまた、夕夜のマギアではない。夕夜たちの、マギアなのだ。

 夕夜は告げる。



「――マギア・ロード



 夜空が、悠然と夕夜を迎えた。

 黒が溢れ、噴き出し、すべてを包み込む。魔法使いの領域に立った彼は黒く染まり、魔法の化身となった。

 黒く揺らめく刀と、全身を黒衣で覆う。その黒き瞳が、ヤドリ・ミコトを映した。



「――御姿マギア、黒天夜叉」



 ヤドリ・ミコトが飛び出した。

 時計の羅針盤が光り輝き、全方向から不可視の何かが夕夜を潰そうとする。夕夜は刀を一振り。それだけで不可視の何かは消し飛んだ。ヤドリ・ミコトが多重展開した魔法も、全てが粉々に消滅する。

 夕夜は刀を構える。ヤドリ・ミコトは止まらない。止まることが許されない。ここで、夕夜が止めなければならない。刀に黒が凝縮する。そのチカラは、たった一度、解放される。


「――無閃、」


 音が。

 消える。


















































































 彼と少女は向き合っていた。

 少女は目を丸くし、小さくため息をする。その姿があまりにも大人っぽく、彼は笑ってしまう。少女は少しだけ不貞腐れたような顔を見せた。


「失礼だよ、顔を見て笑うなんて」

「いえ、違うんですって」


 彼はそれでも笑っている。少女も遅れて笑った。何しているんだが、と自分に呆れる少女に彼は言う。


「まだ、戦いますか?」

「いいや、もういいかな」


 少女はあっけらかんと言う。


「もうひとりのわたし――んー、この言い方も変だな。わたしであることには変わらないけど、まあ、もう、わたしは疲れてるし」

「お疲れ様です」

「んー、ほんとうにねぇ」


 少女は彼を見た。


「あなたこそ、これからどうするの? どうせ、戦うことになるよ?」

「ええ、わかってます」


 少女の目が細める。ほんとうに? と疑う視線だった。


「わかってるの? 魔法使いと非魔法使いの溝は深淵よりも深い。次の戦いが始まるかもしれない。差別だって起きるし、悲劇も起きるよ」

「頑張るしかないですよ」

「案外抜けてるなぁ」

「気張りすぎたんですよ、あなたも、僕も」

「かもね」


 少女はうんと伸びをして、息を吐いた。思いの外、長い息だった。


「……わたしのしたこと、意味なんてあったかなぁ」

「……ありましたよ、もちろん」

「どうかな? 無駄なことをした感じがするよ? 結局、為せないわけだし?」

「違いますよ」


 強く、彼は否定した。


「救われた人がいた。世界だとか、魔法使いだとか。そんなスケールの大きい話じゃなくて。あなたは、ちゃんと、龍伍さんや睡蓮さんを救ったんです。十分すぎる」


 少女は目を見開く。その瞳に動揺が走り、滲んだように見えた。


「……そうかなぁ。そうだと、いいんだけどなぁ」

「そうです、絶対に」


 彼の言葉に少女は頷いた。なら、良かったよ。そう口元が動いた気がした。時間は無い。最期の時間は迫っている。言うべきことも、たくさんあった。言えないことも、想いも、分かち合いたかった。

 少女は彼に微笑む。


「お兄ちゃんはさ、貴方のそういう部分が好きだったのかもしれないね」

「……よろしく伝えておいてください」

「もちのろんよ。貴方こそ、すぐに来ちゃだめだよ?」

「ええ」

「……夕夜、」

「はい?」

「――幸せになろうね」

「はい」












































































 すべてが白に染まる。

 私は、最後まで見た。ヤドリ・ミコトが――相模楓が消える瞬間まで。白く染まった世界を私は見入っていた。

 音が消えた。そうして、夜空だけが私たちを照らす。上空からマギアを解いた夕夜が降った。地面に着地すると、少しだけふらついていた。おっと、と声も出していたかもしれない。

 以前は、彼の帰還に身体が動かなかった。

 けれど、今は。今だから。

 私は、彼に向かって、駆け出していた。

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