#132 命、宿り

 椚夕夜は死亡した。

 王の塔の消滅を持って、魔導大戦は終戦した。――これにより、千年続く誓約は終了し、その全てが解放された。

 散りゆく王の塔を、空音たちは眺めていた。あの散りゆくもの一つ一つが、おそらく、夕夜の命そのものなのだ。椚夕夜は死んだ。今、自分たちの目の前で。魔導大戦の礎となった。


「……ああ、」


 空音は息を漏らす。

 終わった。魔導大戦は、終わりを迎えた。


「……空音さん、」


 冬美が心配そうに空音に声を掛けてくる。本人だってショックなはずだ。それなのに毅然と振る舞っている。空音に心配をかけまいと、その余裕を取り繕う。空音は再び泣きそうになる。

 ――泣いている暇なんて、ない。

 空音は。空音たちは、託されたのだ。

 この大戦の後に起きる、出来事へ向けて。

 魔法使いと非魔法使いの共存へ。

 空音は彼らに振り向いた。頬に流れていた涙を拭う。


「皆さん、」


 空音は、声を発する。

 帰ろう。戦おう。

 そう、言葉にし



 ――



 頭上から、空間を斬り裂く音が。

 響く。




























































































 ――これで、終わり? まさか?

 揺らぐ視界。流れる世界。

 過去、現在、未来。――それらを内包する『運命』と呼ばれし場所。彼女は、そこに一人の男と共に揺蕩う。時を迷う旅人である。永久に『運命』から抜け出すことができず、何年も、何十年も、何百年も、何千年も――……、それこそ、永遠と変わらない時間を。時間敵概念が存在しない世界では、彼女の時間間隔など無に等しい。意味などないのだ。

 彼女を覆う男は目を瞑り、死んだように意識を失っていた。かれこそ、時間間隔を失うまでの時間、男は固まっていた。干渉した『運命』の情報量に、男は耐えきれなかったのだろう。

 だが、彼女は違う。

 彼女のチカラは、特別だった。

 運命のために生きてきた。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、繰り返した。

 ただ一つのハッピーエンドに向けて。

 ヤドリ・ミコトという名は、一人の登場人物に過ぎない。その存在は、魔法使いの救済――しいては、を救うことを自らに宿命づけた。だが、運命は許さない。こうして語り継がれる物語の中で、魔法使いは居なくならない。終わらない物語。途切れない道。

 だから、宿命は絶えない。 

 少女は。

 ヤドリ・ミコトは、止まれない。



「――わたしが、みんなを、救うんだ」



 少女の奥底に眠るチカラ。それはかつて、千年前から続いた王のチカラだった。少女の感情に、想いに、願いに。チカラは応える。理不尽な形として、共鳴する。爆発的にチカラは膨れ上がり、少女の人格を覆っていく。止まるな。進め。救え。戦え。

 この運命から、抜け出せ。

 空間を突き破る。爆発的に広がる視界。少女は、チカラに呑まれていく。ただ少女の願望だけが先立ち、チカラは願いの成就を図ろうとした。――曲解し、歪んた思想として。

 魔法使いがいなくなればいいのに。

 空間から、世界へ舞い戻る。

 その先にいた、魔法使いたち。

 彼らを、滅しなければ。

 この世の魔法使いを、根絶やしにしなければ。

 ――わたしは、止まれない。 





























































 魔力の奔流が噴き上げる。

 空音は息を呑んだ。空間から突き破り、一人の少女が顕現する。それは里麻龍伍によって永久に世界から追放されたはずのヤドリ・ミコトだった。チカラは荒れ狂い、少女の姿は大きく変容している。

 チカラに飲まれ、全体的な神々しさが少女を包み込んでいる。少女は黄金色に輝く。その口から、言葉とも言えない奇声が発せられた。

 一つ、空間が歪む。そこから、一人の男が投げ出された。空音の近くにいた睡蓮が息を飲み、動こうとしていた。宙に放り出されたのは、里麻龍伍だった。意識を失い、自由落下の身に晒されている。

 直後、周囲の空間が歪み、魔法が解放される。〈頂の魔法使い〉と遜色ない、ありとあらゆる魔法の数々。その矛先が、空音に向いた。

 緊張のボルテージが高まり。



「――回避ッ!」



 いち早く沈黙を破った憲司の声が、彼らの硬直を解いた。遅れて、魔法の嵐が空音たちに叩きつけられた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――チッ!」


 秋人は叩きつけられた魔法に対して、自身の魔法で防御することしかできなかった。秋人の隣りにいた茜は赤天を盾に展開し、魔法の攻撃から逃れようとする。

 だが、魔法の第一陣が終わっても、次が始まる。火、雷、水、土、風、闇、光――。それぞれの属性が魑魅魍魎のように曖昧模糊とした、化け物の形となり、襲い掛かる。

 秋人は十字架の剣を振るい、魔法の対消滅を図ろうとする。だが、触れた直後に気づいた。――これは防げない。あっけなく、十字架の剣の方が消滅する。間に合わず、秋人に肉薄しようとする。死の予感を理解する暇も与えられない。秋人は固まり、動けない。まさか、ここで。


「秋人くんッ!」


 不意に、赤天が広がる。

 茜が咄嗟に秋人の前に赤天を出現させたのだ。だが、赤天は火のチカラに燃やされる。嫌な音がした。爆発の前。終わる音。

 膨れ上がる、爆弾のような――


「ッッッ……!」


 間に合わない。

 秋人は茜に覆いかぶさろうとした。

 その寸前。

 ――斬ッ。

 煌めく斬撃が、火をかき消した。

 秋人と茜の前に、新崎ニナは立つ。星のチカラを身に纏い、蒼き刀を手に持つ。


「大丈夫ですか?」

「……ちっ、」

「いや、舌打ちじゃなくて……」


 ニナは呆れたような顔をしたが、すぐに蒼刀を振るった。その先にニナたちに肉薄しようとしていた雷と衝突する。星のチカラは衝突と同時に消滅し、雷は消え去る。刀身を失った蒼刀は即座に再生を開始した。ニナはわずかに顔を歪ませる。


(病み上がりにこれはキツい……、)


 ジリ貧だ。

 一つの攻撃一つ一つが必殺級だ。ニナであっても、その事実は変わらない。

 ニナの視線は、ヤドリ・ミコトに向けられる。――狙うは、本体。ニナは秋人と茜を置いて、地面を蹴り出した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ほとんど非戦闘員に近い世々、男爵、祈里はヤドリ・ミコトが魔法を解放した瞬間、それを防ぐ手段を持ち合わせていなかった。

 それに対して、反射的に防御を展開したのはニノチカ、憲司、シャルだった。シャルの魔法は、ミコトの魔法と相性が良い。相殺を狙う魔法は必然と自然な盾となる。ニノチカは非戦闘員の前に盾を展開。憲司はその間、彼ら一同をその場から避難させようとする。

 この時点で、ヤドリ・ミコトと対応できる魔法使いが限られていることを示している。その大半が支援という形でしか戦闘に参加できないことを理解していた。

 憲司はヤドリ・ミコトを視た。

 視た瞬間に、自分の言霊が無意味であることを思い知らされる。あまりにも格上な存在。自分の魔法はむしろ足を引っ張る。

 ヤドリ・ミコトの目が、憲司たちを捉えた。――まさに、最も弱者を見極めるように。

 魔法の質が変化する。

 先程の魑魅魍魎から、時計の羅針盤が出現した。それ以外にも、魔法陣が広く展開し、そこから光のレーザーが煌めく。憲司が次なる魔法を展開する前に、レーザーは放たれた。視界を埋め尽くす白。――ああ、駄目だ。早すぎる。


「――水ノ輪、」

「――天翔ッ」

「鉄火ッ!!!」

「――大氷河」


 介入した睡蓮、白奈、哲朗、冬美の魔法。

 間に挟んだクッションは、相殺を生じさせる。その時点で、四人それぞれの魔法は、防ぐだけで魔力の大半を空にした。その威力に釣り合いを取るためのチカラを大きく消耗していた。

 時計の針が進む。三の数字へ。

「っ……!」

 睡蓮が呻く。

 ヤドリ・ミコトの前に現れたのは、四人が放ったはずの魔法だった。それが何十倍にも膨れ上がり、睡蓮たちに牙を剥く。

 ヤドリ・ミコトの冷たく鋭い瞳。その幼き手が、振り下ろされる。

 睡蓮の魔法が間に合わない。



「――神薙ぎ、」



 ――音が、消える。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 空音は、カンナギの魔法により、一時的にヤドリ・ミコトが放った魔法を封印した。

 その隙を突くように、ニナが飛んだ。流石の俊敏性を持った彼女は、ヤドリ・ミコトの間合いに入り込むと、蒼刀を振るう。

 ヤドリ・ミコトはニナに視線を向けることもしなかった。それは意外にも呆気なく、ヤドリ・ミコトの肌に食い込む。――かのように見えた。


「……はぁ?」


 ニナから素っ頓狂な声が漏れた。

 ニナの蒼刀は振り下ろされた後だった。なのに、ヤドリ・ミコトは傷を負っていない。何故か、ニナは呆けた顔を浮かべている。

 その感覚を、空音は知っていた。


「ニナさんッ!」


 ヤドリ・ミコトの厳かな言葉が響く。



「――運命逆転、」



 ニナの身体に紅く華が、散った。

 ニナの身体がぐらりと揺れる。空音は表情を歪ませながら、白刀を無数に出現させる。

 空音の意志に従い、白刀はヤドリ・ミコトを襲った。白刀一つ一つに封印の機能が施されている。ヤドリ・ミコトは変わらず魔法を展開する。その展開が、異様だ。増えて増えて増えて――。封印の処理が間に合わないほどに、膨らみ続ける。


「――天照」


 その声とともに。

 空音たちの頭上に影が生まれる。思わず見上げていた。その正体に気づき、絶望感に苛まれる。――この町を巻き込むほどの巨大な、黒き太陽。

 近くにあった白刀が飲み込まれた。黒き太陽はなおも膨らむ。


「――ああ……、」


 少女の手が、振り下ろされた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 黒き太陽を横切る、何か。――

 雷鳴が轟く。バチッッッ、という音が撒き散らされた。黒き太陽は雷鳴と衝突し、大きな音を立てて爆散した。降ってきた彼に対して、祈里が声を上げる。


「レンくんっ!」


 鳴神蓮夜は、ヤドリ・ミコトを見て舌打ちした。


(タイミングが最悪だな……)


 蓮夜はホムラ戦の影響により、コンディションは最低最悪と言っていい。ほぼ、戦えないのだ。魔力もマギア・マキナにより空に近い。現在の魔法を防げたのはなけなしのチカラを振り絞っただけに過ぎない。

 祈里は蓮夜の思考を容易に読み取ったのか、すぐさま治癒を行おうとする。だが、蓮夜は視線でそれを止めた。


「この場で、アイツに勝てる奴はいない」


 蓮夜はそう断言した。


「ひとまず――、」


 戦場を刹那で把握。


「……神凪、綺咲睡蓮、ユキフル、ニノチカ、シャル、新崎は……無理か?」

「行け、ますッ!」


 斬撃を背負うニナから声が上がる。


「あとは……まあ、俺か。俺たちで時間を稼ぐ」

「時間を稼ぐって言ったって……それじゃあ、意味が」


 世々は叫ぼうとしたが蓮夜は首を横に振る。現在も空音と睡蓮、シャルがどうにかヤドリ・ミコトと相手をする。だが、時間の問題だ。


「ニノチカは祈里を重点して護れ。他の奴らは死ぬな。どうにかしろ」

「どうにかって……! はぁっ!?」


 世々の怒りをよそに、蓮夜は祈里に目を向けた。もはや、時間は残されていない。



 祈里は数秒、蓮夜の言葉の意図を理解できなかった。だが、理解した瞬間、大きく目を見開いた。


「……けど、レンくん。そうしたら、私は……、もう、」

「いい、これで、いいんだ」

「けど――、」

「一つだけ、約束しよう」


 蓮夜の声は、続く。



「これが終わったら、俺の伴侶になれ。いくらでもお前の側にいてやる」



 周囲は戦慄する。

 このとき、会話を理解できない彼らの真意は一致した。――今ここですべきプロポーズかッ!? 祈里は涙を浮かべ、頷く。


「……はいっ」


 そのとき、彼らの前に瞬間移動で逃げた圭人と瞬が合流する。謎の空気に、瞬は首を傾げる。


「……これ、どういう状況?」

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