#131 唯一無二

 視界が広がる。夕夜は小さく息を吐いた。

 こうして、この場に立つのは二度目である。夕夜は視界が明確に広がるのを実感した。そして、あるときを境にして、ぱっとすべてが見えるようになる。その先に、その王座に、彼女はいる。エヴァン・マギアード。〈頂の魔法使い〉。すべてを背負う存在。

 エヴァンは静かに微笑んだ。


「よく来た。……想定通りか?」

「ええ、もちろん」


 夕夜は苦笑した。一応の想定範囲内ではあった。だが、アスタロトの戦闘は夕夜に想定以上のダメージを残している。? 夕夜は頭の片隅で考える。――たぶん、保つだろう。そう結論付けた。

 エヴァンは微かに息をついた。


「……長かったな」

「とても、長い道のりでしたね」


 夕夜の背後に黒天が広がる。

 エヴァンは黒天に視線を向けない。ただ疲れたような吐露をこぼす。


「――夕夜。最後に聞く」


 エヴァンは立ち上がった。その時点で、王座の姿がかき消える。代わりに、エヴァンの周囲に異様な空気が出現する。王だけが許される圧倒的な存在感。超越する魔力。


?」


 夕夜はエヴァンからの最終通告に微笑んだ。……この人はいつだって、優しかった。夕夜はそれがよくわかった。わかったことが嬉しかった。


「――始めましょう、〈頂の魔法使い〉」


 夕夜の言葉とともに。

 激突――。



 瞬間、何かもが、爆ぜた。



 爆発的な音を立てながら、魔法の奔流がぶつかり合う。多種多様な魔法が衝突していた。空間が歪み、嘆き、壊される。

 夕夜は思考を高速に回転させていた。その場を動かさず、解放する黒天の嵐一つ一つを観察していく。それはエヴァンの魔法が解放されたと同時に、潰していく。潰し再生し、消滅し明確化され。繰り出される魔法の数々は夕夜とエヴァンの意志に関係なく混ざり合っていく。

 一瞬の隙。それは両者のものではなく、魔法の対消滅による沈黙の間である。

 夕夜は飛び出した。

 両の手に黒刀を出現させる。

 エヴァンは手を突き出した。その瞬間、手から手のひらサイズの太陽エネルギーが完成する。発動し、夕夜は既に黒刀を振るっている。

 消滅のエネルギーは爆散し、夕夜とエヴァンを包み込んだ。その間も、夕夜とエヴァンとは関係なく、独立した魔法たちが激突していた。

 夕夜はエネルギーの中、飛び出した。

 その身体に雷鳴を纏っている。その視線が、エヴァンを見据えた。黒刀を構える。刀身の表面から黒炎が湧き上がった。――さらに続く、水ノ輪。雷+炎+水。三種の奥義。

 夕夜は振るった。

 直後、空間を斬り裂く斬撃が飛んだ。魔法を無効化する魔法を付与する斬撃に対して、エヴァンは手を伸ばす。

 それはエヴァンの意思とは無関係に、最も効率化された魔法を解放する。運命への干渉。斬撃という事実を捻じ曲げ、消し去ろうとする。事実断絶と、魔法無効という、両者の矛盾は突き詰めた瞬間、答えのない無が生まれた。無の境地である。

 音も立てず、それは霧散した。

 すべてを巻き込み、ありとあらゆる魔法を巻き込んで、一となる。

 最初、音が消えた。

 夕夜とエヴァンは、ほとんど先程変わらない位置で向かい合っていた。

 夕夜は笑った。


「――〈頂の魔法使い〉のシステムは順調に機能している。変わらず、防衛本能を働かせてますね」


 夕夜の言葉にエヴァンは頷く。


「つまり、妾自身の意志とは独立しているが、チカラそのものは妾と同義である、という認識だな」

「なら、ものは、成立しそうです。……この段階をクリアできれば、問題ない」

「ああ、そうだな」


 夕夜は、黒刀を構えた。

 エヴァンは泰然としている。

 あるいは。その結末を受け入れていた。

 そうして、夕夜の王殺しは始まる。



「――マギア」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――夕夜が王殺しを行うためにした方法。それは……誓約です」


 空音は、約束を果たすべく、その結末を話し始めた。誓約。その一言に周囲は困惑の表情を見せた。


「誓約って、どういう……、」


 ニナは首を傾げる。なぜ、誓約という手段に至ったのか。ニナにはさっぱり理解できない。それは他の者も同様であっただろうか。


「元の始まりは、私と、夕夜の出逢いから始まります」


 空音は、そう答えた。


「四年前、非魔法使いだった夕夜は、戦闘中だった私と〈斬りの魔法使い〉との間に仲裁し、そこで一度、瀕死の重傷を負いました。現代の医学であれば、まず間違いなく、死ぬことが確定したほどの傷です」


 あの日、あの瞬間。この出来事に繋がるためであったのか。空音は想う。それこそ、運命ではないか。だが、皮肉かな。それは救いであると同時に、破滅でもあった。これは、破滅のための道のりだった。


「私はそのとき、自身の魔力を半分、夕夜に与える方法を取り、彼の命を救おうとしました。誓約という形を取ることで、私は夕夜の傷を直しました。誓約は通常、『担保』を必要とします。――人一人の命。失われるはずだった命を救うという行為。この時点で、誓約の比重は、実はかなり重いんです」


 まだ、話の流れを見せない。

 だが、誰かが、あっ、と息を漏らす。

 それはセンジュだったか。憲司だったか。


「私は夕夜と運命共同体のシステムを作りました。私が死ねば夕夜も死ぬ。逆に夕夜が死ねば私も死ぬ。この生死を『担保』として、夕夜に魔力を与え傷を治す」


 ――夕夜はエヴァン・マギアードと同じ成約を交わした。それが真相である。

 もはや、答えは出たのだ。



。――つまり、エヴァン・マギアードが死ねば、夕夜も死ぬ。夕夜が死ねば、エヴァン・マギアードも死ぬ。王殺しは、達成するんです」



 空音は息を吐いた。

 長い、長い息を。沈黙の支配される中、秋人は呟いた。


「……バカ野郎が、」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 奇しくも、椚夕夜は整えた。

 唯一無二。〈頂の魔法使い〉が到達できない、本当の意味での魔法使い。夕夜はエヴァン・マギアードと戦う前に〈治癒の魔法使い〉のチカラを授かった。同時に、誓約により、〈頂の魔法使い〉のチカラを半分分け与えられている。

 それに加えて、元のカンナギのチカラ。そこから派生する、椚夕夜自身の魔法。

 揃えられた唯一無二。

 彼は今、唯一人の魔法使いと成った。

 マギアを解放した瞬間、夕夜の身体は黒く染まった。通常、彼はマギアを使うことができない。現在の夕夜はエヴァンのチカラから供給されたチカラを補わせて可能とする。奇跡的な状態だった。

 黒く、黒く、黒く。

 どこまでも漆黒に。

 黒い閃光を放つ彼は、黒き炎のように揺らめく身体と化し、その髪も、その瞳も、魔法となった。


「――御姿マギア、」


 名は無い。ただ魔法と成った椚夕夜がそこにいる。

 エヴァンは一度、小さく息を呑んだ。その姿があまりにも神々しく見えたのだ。自分という存在を、差し置いて。

 しかし、エヴァンの驚きをよそに、王のチカラは防衛本能を働かす。魔法を解放し、夕夜へと向かわせた。爆発的に広がる魔法。夕夜は手を振るう。黒い閃光が一度高鳴る。

 それだけで、魔法は消え去った。

 すべてが、無効化する。

 消える。

 無。


「……ふふ」


 エヴァンは笑っていた。

 夕夜は手を上空に伸ばす。虚空から出現する黒い刀。透き通る黒刀。夕夜はエヴァンを見ていた。エヴァンもまた、夕夜を見据えていた。


「エヴァンさん」


 夕夜は、名を呼ぶ。


「ああ」


 エヴァンは、応える。



「――さようなら、エヴァンさん」



 黒刀を、振るう。

 視界を埋め尽くす黒。エヴァンの身体はあっけなく飲み込まれた。黒い斬撃は刻まれ、その芯まで、王のチカラそのものまで干渉する。拮抗は刹那。王のチカラは黒に飲み込まれ消滅する。――エヴァンよ身体もまた朽ちていく。意識は白く……。

 エヴァンは、最期まで微笑んでいた。



「――ありがとう、夕夜」



 白く。

 黒く。

 何もかもが、消滅する。










































































◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 揺蕩う意識。

 夕夜の魂は辛うじて現世に残る。

 残滓のように。揺らぐ炎のように。

 夕夜はエヴァンの消滅を確認した。その時点で誓約は履行する。運命共同体である夕夜もまた、死へと進んでいく。

 ……ああ、終わるのか。

 夕夜は想う。

 意識は、遠ざかる。

 急速に、狭まり、広がり。

 終わり。



 ――これで、本当に良かった?



 最期に、空音の台詞を思い出した。

 すべてを打ち明けた後に、彼女はそう言ったのだ。夕夜は答えていた。もちろん。良かったと。度重なる後悔は過ぎている。すべてが良かったわけではない。何もかもを正当化するつもりもない。ただ、これは悲劇ではなかった。物語ではなかった。



 ――これが、僕の道だ。



 夕夜は、はっきりと、胸を張って言える。

 椚夕夜の生命は、ふっと。

 消えた。

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