#015 Xの男
ふと、よみがえる記憶。
彼と最後に会った日。彼は、私の知っているクヌギくんに、戻っていた気がした。温かさと、笑顔に溢れる。少しだけ弱々しいクヌギくん。
それこそが、私の知る椚夕夜だ。
だから、その男が目の前に現れたとき、心臓を鷲掴みにされたかのような。衝撃が全身を駆け抜ける。
魔力、というのは、一種の指紋だ。
誰一人として、同じ魔力になる人物はありえない。一説によれば、魔力という無色から人間のパーソナリティが干渉することで、魔力が変化している。
ゆえに、魔力で誤解は、
「――クヌギ、くん?」
何もかもが黒に染まった男。
黒刀を、手にしていた。
「……ゆうゆう、なの?」
それは鴉側にとっても、想定外のはずだ。瞬は息を呑み、圭人は目を見開く。
「 」
冬美は、固まっていた。
「……何つもり、ですか。ヤドリ」
私は、言葉を抑えることができなかった。沸々と湧き上がってくるのは、怒りだ。
「どんなトリックだか知りませんが……、偽物のクヌギくんを出すなんて……お前は、」
「ソイツは本物の椚夕夜だよ」
「黙れ」
「あの日、わたしたちは密かに黒天と共に椚夕夜を回収した。魔力で感じ取れるでしょう? それは、貴女たちが一番よくわかってる」
「……そんなわけ、」
ヤドリは不思議そうに首を傾げた。
「椚夕夜が生きてて、嬉しくないの?」
「――」
そうだ、嬉しい、はずだ。
それなのに。私は全く別の感情を抱いてしまった。
不快。吐き気を催すような、嫌悪感。
目の前にいる人物は、間違いなく椚夕夜であることを示しているのに、クヌギくんでは、決してないことを。
その結論に到達したときには、私は白刀を
沈黙が、場を支配する。
男の出方がわからない。黒刀も下ろし、全体を見渡しているかのように思える。構えもなく、ゆったりとする。リラックスな状態。それなのに、隙がまるでない。
これでは、先に。
「――空音さん、何してるんですか」
沈黙を破ったのは、冬美だった。
「なんで、ゆうくんに、剣を向けてるんですか?」
耳を疑った。
冬美は、私を軽蔑の目で見ていた。
「ほら、どう見たって、ゆうくんじゃないですか。これで、ようやく。またわたしたち三人で、一緒になれるのに、どうして? どうしてなんですか?」
冬美は一歩進む。男に向けて。何の躊躇いもなく、男の前まで立っていた。
「おかえり……!」
冬美が、男に抱きつこうとして。
冬美の背中から、黒刀が生えた。
「……あ、」
――否、現実を直視するのを、避けていた。正確に言わなければならない。男が、冬美を刺した。黒刀は鋭く、冬美を貫いてみせた。
冬美は、目を見開いていた。口をパクパクとさせて、刺している黒刀を見る。じわりと、血が滲んでいく。流れていく。
冬美は、それでもなお、男に触れようとしていた。藻掻くように。
男は決して触れさせはしなかった。
黒刀を抜くと、足蹴りを食らわせた。冬美の体は吹き飛ぶ。
感情は、爆発していた。
「ッッッ――!!!」
地面を、蹴り出していた。
紅蓮、解放。白刀に白炎が巻き付く。踏み込むと同時に、白刀を振り抜く。
キィィン。衝突音が響き渡る。
男の黒刀と、私の白刀が拮抗する。
「貴方は、誰ですかッ」
本当に、椚夕夜なのか。
私の声は、男には届かない。
男が一歩踏み込む。それだけで全身に襲いかかる重さ。全身が軋む。痛みを訴えてくる。
「狂さんッ!」
その名を叫んでいた。
たった一度だけの共闘。それも時間が経ってしまっている。けれど、狂は、応えた。
「わかってるってのッ」
風が蠢く。この場にある風が狂を中心に収束していく。
「巻神式
狂は拳を引く。風が集い、纒い、圧縮される。圧縮と解放。巻神家の秘伝、天翔と武術をかけ合わせた、技。
「――風虎拳」
風が解放される。
一点に集中された竜巻が、男の元へ突き進んでいく。触れた先から風化させる。
男は私の白刀を弾いた。力の向きをそのまま流すように。驚くほど繊細な手付き。気づいたときには、鋭い足蹴りをしている。
咄嗟に眼前に白の盾を出現させたが、衝撃が伝わる。後ろに軽く飛んだ。
遅れて、狂の魔法が男を巻き込んだ。
(あ、哲朗さんたち……!)
巻き込まれた。
そう思ったとき、背後から気配を感じる。
「空音ちゃん、みんなは移動しておいたよ」
瞬だ。瞬の後ろに、四人全員を瞬間移動させていた。
「協力させてもらう」
圭人が一歩前に出た。
私と、彼らの間にはわだかまりがある。確かな距離感と、どこか引っ掛けるような棘があった。
それでも。
「はい、お願いします」
直後、風が霧散する。
黒刀を振るった男が立っていた。やはり、あの黒刀もまた七つの黒天の一つ。
私は、白刀を握った。
一度、ひと息。
沈黙。
否。
激突。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
真っ先に、空音は動く。
白天を出現。空音の体に風が纏い始める。巻神狂の魔法を、
突きの構え。白刀を水平に持ち、軽く引く。切っ先は男へ。風が瞬時に切っ先に収束した。
「天風ッッッ」
刹那、白刀を突いた。
風が巻くような感覚。腕にジンと響く重み。これが世界の一端に触れるということ。
竜巻のような形で放たれた天風は、瞬時に男との距離を縮めた。狂の魔法に劣らずの威力。男は黒刀を振り抜いた。切っ先が天風に接触すると同時に、竜巻が見事に霧散する。
だが、それは予測済みだった。
狂、圭人、瞬が攻撃を整えるための、時間稼ぎ。圭人が魔法を発動した。
「荊棘転流ッ!」
荊棘の波が轟音と共に男へ向かう。
大魔法の一種。波は無限増殖に伴い溢れんばかりに荊棘を生ませる。
ここで、男はようやく動き出す。地面を蹴り出し、荊棘の波に突っ込んでいく。黒刀を振るい、荊棘の波を消滅しようとしているのだ。
男の頭上に、狂は現れる。
「――巻神流MA。風塵天翔ッ!」
自然系魔法の第二段階。
事象そのものに作用する攻撃。
全身に魔力を流し、その流れを一点に集めていく。同時に、風を収束させ、魔力と風。両方を解放させる。
次元すらも歪ませる風の解放。
それが、男の頭上より放たれた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ」
男の動きが一瞬揺らぐ。
前方から迫る荊棘と、頭上より迫る旋風。どちらに対処すべきか、優先順位が混乱したかのように。
そこに、空音もまた、駆ける。
男の止まった時間は一秒ほど。そこからの対処は、まさに神がかっていたと言えよう。
男は最初に狂の攻撃に意識を向けた。
風は男を消滅しようとする。黒刀を凄まじい速度で振るい、風を
(……!?)
空音は息を呑んだ。
流れ、とでも言えばいいか。
風塵天翔にあった、微かな技の流れ。男はその流れを黒刀で掴むと、受け流す。攻撃の方向そのものを、変えてしまった。
圭人の魔法へ。
攻撃が逸らされた狂の風と荊棘が激突する。遅れて視界が白に染まる。衝撃によって、荊棘はことごとく消滅してしまった。
空音は、足を止めなかった。
気配は感じ取られた。中心に、男はいる。
直後、風が吹き荒れ、視界が明瞭になる。狂が生み出した風だった。
その横、圭人はさらなる魔法を発動していた後だった。手に持つは一メートル近くある赤い棘。花が咲いたように、輪郭がボヤけ、棘の集合体のようにも見えた。
私はその赤棘を見た瞬間、ゾワリとした、寒気が背中を駆ける。
男の体もピクリと震えた。
「お前が椚がどうかはこの際知らねえ。……が、こいつがヤバい代物だってぐらいは、わかるみたいだな」
圭人は構える。
一瞬の沈黙。
直後、全員が動いた。
空音と狂は直感的に悟る。圭人を最優先に固定したこと。空音たちは圭人をサポートする立場に変わった。
三方から、空音たちは男たちに進む。男の意識はあくまでも正面の圭人だ。
圭人から、赤棘が振るわれる。
男は、見事に対応してみせた。
直後。
「――カラクリ三昧」
男にとっては、意識外からのものと言えよう。戦力として捉えていなかったがために起きた混乱。
圭人の姿がかき消え、代わりに狂が現れた。
「ドンピシャっ!」
男の胴体に、風の塊を叩きつけた。
男から小さな呻き声。黒刀を振り上げるが、その時にはまた狂の姿は消える。
代わりに空音が現れた。
「紅蓮ッ!」
白炎が男の外套を燃やし尽くした。
男の意識は、未だに圭人へ。
圭人は狂の位置に移動していた。それは、すぐさま移動。移動。移動。決して補足されないように。かき乱す。
瞬の応用技、カラクリ三昧。
位置と位置の入れ替え。不規則的に、空間内をシャッフルするように、人と人、物と物の位置を入れ替えることができる。
相手を錯乱させるだけの魔法ではない。
この技の最大の特徴は、位置から位置への移動。そのタイムラグがあまりにも短いことだ。相手がその位置を認識したときには、既に瞬間移動は始まっている。三秒につき、一回。瞬間移動は行われている。
当然、瞬への反動も大きい。
「っ……、」
表情を苦々しく歪ませ、片目は血を流す。魔力の過剰消費の影響。
だが、今の瞬は物ともしない。
(――進めッ!)
遂に、男にも隙が生まれる。
「椚ッ――!」
圭人は叫んでいた。
後にして思えば、何故男を椚夕夜と断定してしまったのかはわからない。そもそも、目の前の人物が、本当に椚夕夜であるのか。まだわかっていない段階であるのに。
それでも、圭人は叫んでいた。
ここにはいない、椚夕夜へ向けて。
叫んでいた。
帰ってこい。
帰ってこい、と。
赤棘を、振るう。
その時、圭人は、見た。
「――!」
男は先回りをしたかのように、圭人を捉えていた。異常な反射速度。そんな言葉では、決して言い表すことができない。本能が嗅ぎつけたのか。
黒刀は、振るわれていた。赤棘ごと、叩き斬られる。圭人は血を噴き出した。魔法が消滅していく感覚。力がすぅと、失われていく。
にっ、と。圭人は笑ってやった。
「ばーか」
直後、圭人は意識を失い。
姿が
『――!』
現れたのは、空音。
ここまでの流れは、想定通りだ。
男の意識は、どうやら正常な思考とは思えない。危機管理的な、本能に従っているものだと。だからこそ、圭人の赤棘をチラつかせることで、男の意識は容易に圭人へ向けることができる。
問題はその後。
どうやって、男に一撃を食らわすか。
彼ら四人の中で、最初から決まっていたこと。男にはなかったこと。
四人のうち、誰がとどめを刺すのか、それを決めなかったこと。
カラクリ三昧の魔法はランダムだ。
偶発的に、衝動的に。
選ばれたのが、空音だった。
赤棘によって完全なる隙が生まれていた。誰かがとどめを刺す。それを、空音は背負ったのだ。
(進めッッッ!!!)
風+炎+斬撃。
白炎を纏う白刀にさらに風が纏う。多方向に分散していた白炎は風によって収束し、煌めく一閃と化した。
「――ッッッ!!!」
振るう。
それは、仮面へと進んでいき。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これは、私のミスだ。
早い段階から……いや、最初の時から、気づくべきだった。何故気づけなかったと糾弾されればそれまでだけど、それでも。目の前の男が、あまりにもクヌギくんに似ていたからかもしれない。
あるいは――、
X機関は、黒天は最初から
ならば、もう一つは――?
男が持つ、黒天とは。
その考えに至らなかった。
黒い雷撃が、私たちに響き渡った。
一閃は弾かれて、男の姿がかき消える。いや、速すぎて捉えられなかっただけ。
バチッ、という雷撃が背後から響いた。私が反射的に白刀を振るったときには、男は黒刀を振るっていた。
黒と白の衝突。拮抗は起きない。私は吹き飛ばされていた。
(雷の魔法使い……鳴神蓮夜の、)
男の動きが一変する。
あるいは、ようやく本気を出したのか。
気づいたときには、私たちは倒れていた。体は痺れて動かない。
「――さぁて、戦いも終わったかな?」
高みの見物をしていたヤドリが、そう言った。進め。動け。体は、言うことを聞いてくれない。
「とりあえず、カンナギ以外は、皆殺しにしようか」
無情な言葉。
動けッ! 動けッ!!
立って、戦えッッ!!!
『……?』
その時、男から困惑の感情を読み取った。ヤドリですら、ん? と声を漏らす。
視線の先に、一人の少女が立っていた。
だらんと、両腕を垂らす。黒髪も、乱れている。
「ふゆ、み……、」
冬美は、立っていた。
ピキ、ピキと、大気が凍る。
貫かれたはずの胴体も、冬美の魔法によって凍らされている。冬美の瞳は、男を捉えていた。ぶつぶつと、呟いている。
「ゆうくんは、ゆうくんは、わたしを殺そうとしたりなんか……」
冬美の瞳は、酷く濁っていた。
「――
バリンッ。
冬美の踏む地が、凍った。
「椚夕夜を騙るお前は、逝ね」
そうして、冬美は告げた。
――マギア、
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