#014 運命の申し子

 ヤドリ・ミコトの出現。

 それまでの時間は数秒。その場に集う者たちはそれぞれの目的のためにいた。茜を除く、彼らの意識が、その時だけ一致したのだ。

 誰もが、ヤドリに向けて攻撃を開始した。


「――雪名刀ッッッ」

「狂い咲けッ! 荊棘ッッ!!」

天翔アマカケル、解放ッ」


 三大クラン〈鴉〉からの攻撃。

 冬美を筆頭に、圭人・狂の攻撃が続く。瞬のカラクリにより、攻撃の位置が次々に瞬間移動していく。

 私もまた、白刀の切っ先を、ヤドリに向けていた。


「――紅蓮」


 放たれる白炎。


「ミコトっ!」


 東雲さんから、悲痛の声が聴こえた。少し、違和感を覚えた。東雲さんの声音は、誰かを労るような、心配するような。人の温もりがあったから。

 それぞれから襲いかかる魔法。ヤドリは一歩も動かなかった。

 ただ、指をパチンと鳴らす。



「――因果崩壊」



 魔法が、消滅した。


「――!」


 無効化された!?

 ――いや、違う。魔法を無効化するという偉業を成し遂げたのは、クヌギくんしかいない。それに、無効化された感覚とは、少し異なっていた。

 魔法そのものが、にされたような――。

 誰もが魔法を放った瞬間、全く別の意識を持って、動いていた者に、私は気づかなかった。

 気づいたときには、彼女の動きは、完了していた。

 ヤドリの背後に迫る、アンジュ。

 黒炎を纏う一閃を放とうとしていた。


「ヤドリ・ミコトッッッ!!!」


 振り抜かれる。

 ヤドリは、微かに目を見開いた。

 いける。私は咄嗟にそう思った。

 アンジュの不意打ちは完全に成功していた。スローモーションのように。アンジュの剣筋が見えた。

 だが。



 ヤドリは一閃を二本の指で止めた。



「わたしの隙を突こうだなんて、千年早いよ」


 直後、アンジュの四肢が弾けた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 本名、はた杏子あんこ

 秦家の次女としてこの世に生を受ける。秦家は魔法使いの一族として、『それなり』に有名な家系だった。

 しかし、秦家は杏子が生まれて数年後、滅びの一途を辿ることになる。

 その元凶がX機関だ。

 秦家の魔法は力学を操る。魔法使いにとって珍しいチカラだった。そのチカラをX機関は狙った。何度も、何度も、何度も。勧誘の声がかかる。

 この当時の杏子ですら、度々家に訪れる黒服の男の姿を覚えている。紳士服のような、執事のようにも見えた男の姿を。

 それでもなお、杏子の父は断った。

 もとからああいう奴らは好かん。

 父がよく言っていた。父は正義感溢れる人だった。魔導大戦時も、戦いには参加せず、戦いによって生まれた被害者のために奔走していた。

 幼い杏子にはその多忙な父を。どこか誇らしい気持ちであったことは確かだ。



 それはある日、急変する。



 小学校の帰りか。

 杏子が家に帰ると、すぐさま違和感に襲われた。家には誰かしらいる。人の気配があるはずなのに。

 それが一切、消えていた。

 扉を開けたと同時に杏子の鼻を突いたのは、腐臭だ。吐き気をもよおすような、腐った匂い。

 そこから先の杏子の記憶は曖昧だ。

 居間に父と母の死体ものがあった。原型を留めてすらいなかった。

 それを見下ろすように、長身の男が立っていた。白く長い髪に、赤の瞳。身長は二メートル長。居間の天井スレスレの高さ。男は杏子を見て、嗤った。



『――ようこそ、X機関へ』



 最初から選択肢は無かった。

 濁流に押しながらされるように、一つのことを突きつけられる。いつだか、名は捨てた。アンジュと名乗るようになる。

 X機関がいかに狂った組織か、嫌というほど見せつけられた。

 けれど、同時に思った。

 これが、人の成れの果て。

 むき出しになった本性なのだと。

 X機関に突如として現れた少女を見ても、アンジュはそれほど驚かなかった。


『今日からわたしが貴女の主だよ』

『……』

『あ、いま、わたしのことチビって思ったでしょ?』


 にやにやと笑う少女は、まるで普通の女の子だ。この場にいるのが、不自然にすら思える。

 後に、ヤドリ・ミコトと名乗る少女が現れてから、X機関の動きが活発化した。少なくとも、アンジュにはそう思えた。勢力が拡大していき、次々と非人道的な実験を繰り返していく。

 そんな、ある日。


『貴女はこれから〈嗤う死神グリラフ〉っていう組織に入って、そのリーダー・ブラッドの監視役をしてもらうよ』


 アンジュは、死神と出会った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 四肢が弾ける光景を、初めて見た。

 鮮血が飛び散り、アンジュの表情が苦々しく歪む瞬間を。まるでテレビのワンシーンのように。現実感が無かった。

 けれど、すぐに気づいた。

 アンジュの瞳に宿る光は失われていない。四肢が弾けたことで、黒刀も彼女の手を離れてしまっているが、宙に固定されている。



「ヤドリ、ミコトおおおぉおおおぉおおぉおおぉぉぉおおぉおおおぉ!!!」



 アンジュは、咆哮をあげる。

 その時には、私も動いていた。

 今になっても、思う。私は何故、動いたのか。言葉には言い表せない。共感。それでも、言葉のニュアンスは遠い気がした。

 私とアンジュは、少しだけ似てるのかもしれない。

 そう、思ったから。

 考えるよりも先に、動いていた。

 アンジュの咆哮に応えるように、黒刀は妖しく煌めいた。黒刀がヤドリに向かって突き進んだ。

 ヤドリは、手を突き出す。

 何らかの方法で、黒刀を止めようとする。その瞬間を狙って、私は白刀の切っ先をヤドリに向けて、投擲した。


「――!」


 ヤドリから、驚きの表情。

 瞳だけが、白刀を捉えた。動きが間に合っていない。


(――


 このとき、私とアンジュの心は、シンクロでもしていたのか。

 ただ、確信した。



「うぜーんだよ」



 刹那、ヤドリの周囲の空間が歪んだ。

 空間が軋み、亀裂を走らす。そこから現れるは、無数の魑魅魍魎ちみもうりょうたち。原型すらも留めていない化け物たち。それが、一気に溢れた。

 ヤドリの盾になるように、化け物たちは囲った。黒刀と白刀が化け物たちに突っ込む。

 黒と白が、交わる。



 直後、化け物たちは弾けた。

 ヤドリは頬に切り傷をつけていた。

 まだ、やられていない。切っ先を逸らされた。その時には既に、ヤドリはアンジュを睨んでいた。指を銃のようなポーズに構えていた。



「――運命流転。無に還れ」



 時空間系魔法、運命流転。

 対象を設定し、その時間を巻き戻す。

 アンジュに設定された運命流転は開始される。

 最初にアンジュの肌が分解されていく。次に臓物。次に骨。人体を構成する分子に至るまで。それが分解されるまでの時間、およそ

 下から上へかけて。

 アンジュという存在が、消滅していく。その様子を、私はただ、見るだけしかできなかった。その時、アンジュと目が合った……気がした。

 どこか清々しそうに、口元を動かしている。私が読み取れたのは、たった三文字。


『ありが、』


 アンジュは、消滅した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『――はじめまして。ブラッド様の身の回りの世話をするアンジュと申し――、』

『ああ、そういうのはいい』


 ブラッドとの対面。

 アンジュの第一声を被って告げたブラッドは、アンジュに冷ややかな視線を向けていた。


『どうせお前、あのクソ女からの監視役だろ? チっ、くだらねぇ』


 ブラッドは吐き捨てるように言う。

 アンジュは黙り込んだ。沈黙が長く続く。ただ、ブラッドを見ていた。ずっと、ずっと。

 やがて、ブラッドは再度舌打ちする。


『お前、なんのつもりだ?』

『なんのつもり、とは?』


 アンジュは質問の意図がわからず、首を傾げていた。それがブラッドはさらに苛立たせる。


『何も用がねえなら失せろ』

『私の目的は貴女を監視することです。それに、私の話をくだらないと一蹴したのは貴女です』

『だったら、お前は突っ立てるワケか』

『はい』


 ブラッドは鼻で笑った。


『お前、X機関に何を奪われた?』

『……』


 アンジュの表情が揺れた。


『…………家、です』

『はっ、くだらない』


 ブラッドは、それでもなお一蹴してみせた。

 今度こそ、アンジュの顔に怒りが宿る。次の瞬間、ブラッドはアンジュの顔を指差していた。


『お前、怒ったなァ? なァ? つまり、苛ついてるんだろ? 憎いんだろ? なのにお前は、敵さんに降ることを選んだ腰抜けって話だ』

『それはっ――……、』

『一つ言っておく。人に言いなりになってるヤツは、何も成し遂げることができねえ。何かを成し遂げたいなら、すべてを捨てろ。一つや二つじゃねえ。だ。全部を代償にして、それでも成し遂げられるかわからねえ。それが達成だろうよ』


 アンジュは、目を見開いた。


『オレはここじゃ終わらねえ。X機関も

あのクソ女も、里麻龍伍も。いずれはこのオレが蹂躙してやる』


 覚悟が違う。

 ブラッドと、アンジュでは、そもそもの構造が異なっていた。

 ブラッドは、だが、と続ける。


『それでも進むっつうなら、オレの後ろに這いつくばってこい。オレは振り向きはしねえ。お前がオレに付いて来るんだ。オレか魅せてやるよ、クソッタレな世界の本性を』

『………………はい』


 漏れ出た声は、無意識だった。

 その背中は偉大だった。悪のカリスマ、とでも言おうか。

 ブラッドがしたことは、決定的なまでの悪。疑いようもないことだ。

 けれど、けれどだ。

 アンジュたちにとっては、それでも。

 彼は、自分たちにとっての希望だった。

 神様、だった。



 自分の存在が消えていくのを、感じた。痛みは無い。苦しみも無い。

 これが、本当の意味での『消える』ということ。

 所詮、勝てないことなど、わかっていた。わかった上で、挑んだ。

 アンジュは、ヤドリ・ミコトを殺すために、全てを捨てた。それでも、成し遂げようとした。

 ヤドリの、揺れた表情を見る。

 頬から、血が垂れる。

 ヤドリが怪我をするなんて、初めてのことではないか。それは、ヤドリ自身が、最もわかっていることではないか。

 少しだけ、ほくそ笑む。


(一矢報いた、)


 最期に、憎き相手に意識を向けて。

 アンジュは、消滅した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 沈黙が襲った。

 アンジュが消滅して、戦場は固まる。

 宿主を失った黒刀は形を溶かし、黒天へと戻っていく。ヤドリはそれを掴んだ。


「ミコト、そろそろ儂を飛ばせ」


 宙を浮いていたドクターが小言を言う。


「はいはーい」


 ヤドリがドクターに触れると、ドクターの姿がかき消えた。瞬間移動をしたのだ。

 ヤドリは、私を見下ろした。


「急な不意打ちなんてひどいなぁ、カンナギ」


 くすくすと、嗤ってる。


「何が、面白いんですか」

「面白いよ、無様に負けたアンジュ。全てを捨てても、結局わたしには届かなかった」

「……違います。貴女は、負けたんです」


 私の声は震えていた。

 恐怖ではなかった。

 悲しみと、怒りが混ざっていた。


「アンジュは、貴女との戦いを、成し遂げたんですっ」

「っ…………、うざっ」


 私は白刀を出現させ、構えていた。


「戦え、ヤドリ・ミコトッ」


 ヤドリは、黙り込む。

 刹那、ヤドリは反射的に後ろへ振り返っていた。


「……?」


 突然の行動に、一同困惑した。

 ヤドリだけが、虚空を睨んでいた。



「――



 なにを、言っているんだ――?

 やがて、大きく、長いため息をついた。


「茜ちゃん」


 ヤドリが東雲さんの名を呼んだ。

 東雲さんは、ヤドリの隣に移動する。ヤドリは、嗤う。



「わたしは戦わないよ。貴女たちの相手は、彼がするから」



 ヤドリは、天井を、指差した。

 遅れて。



 ドンンッッッッッッッッッッ!!!



 轟音が、地面を揺らした。

 何かが、地面に落下した。砂埃が、舞った。切っ先が揺れた。不意に感じ取った魔力に、息を呑んだ。


「……


 砂埃から転がるのは、四人の影。

 センジュ、鎧塚哲朗、識、沙霧。

 誰もが、気を失っている。

 更に遅れて、スメラギがヤドリの隣に降り立つ。


「あれ? いたんだ?」

「ちっ、出番無しかよ、俺は」


 スメラギは舌打ちをする。


「なあ、ミコト」

「ん?」

「アイツは、なのか?」

「……さあ?」


 砂埃が、晴れた。



「――うそ、」



 声を漏らしたのは、誰か。

 黒い仮面。黒い外套。黒い髪。

 黒い、刀。

 懐かしの、魔力。

 それは紛れもなく――


「――クヌギ、くん?」

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