#009 七つの黒天③

 頭上から響き渡る轟音。

 白奈は、思わず足を止めていた。


(……なに?)

「ちょっ、白奈さぁんっ! 上から何かっ!」


 白奈の背後から抱きつく人物。白奈から呻き声が出てしまう。


「オトハ、抱きつかないで……」


 主に背中からの圧迫に潰されそうになる白奈。音羽はそれでもなお、白奈から離れようとしない。


「あ、白奈さんのほっぺたモチモチですね。思わず頬ずりしちゃいそうになりますよ〜」


 既に頬ずりしている音羽の表情は心地良さそうだ。

 その背後、鴉のメンバーは音羽の行動に戦慄している。白奈は幹部の中でもマスコットキャラ的な立ち位置と見られがちだが、その実態は最悪の魔法使い・巻神狂の人格を持った存在だ。

 その悪名が、白奈から一歩引く存在として、際立たせる……はずだが。

 音羽は、それを気にする素振りもない。


「さすがはオトハ。随一の空気の読めない女」

「前からそうだったからな……」

「まあ、あいつらしくていいんだけど……いや、いいのか?」


 白奈は無理やり音羽を引き剥がした。


「ほら、出番だよ」


 ラボ、第一層。

 迷路のように続く道。部屋は白く続いていた。いつだったのか、白奈は、被検体としての生活を思い出す。あのときは、黒く見えた。世界が、真っ黒に見えていたはずだった。


「はぁーい」


 音羽が、一歩前に出る。



「――♪」



 そうして、歌い出した。

 あのお巫山戯の象徴からは、信じられないような、綺麗な声だった。さすがは、元アイドルか。

 響き渡る声は、音となり、歌と化す。

 響音羽。〈歌の魔法使い〉。

 その能力の一つ。音を伝播させることで、建物の構造を熟知させる。一種の超音波と解釈してもいい。

 歌は、ピタリと止まる。


「敵がきましたっ!」


 嬉しそうに報告する音羽。


「全部、蹴散らすよ。冬美がそれを、望んでいるから」


 ぞろぞろと、現れ出す〈嗤う死神グリラフ〉の残党たち。直後、動き出す鴉のメンバー。

 一方的な、虐殺が始まる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「おぉ、すごい音だったねぇ」


 ラボ、第二層。この地下まで響き渡った衝撃に、センジュは呟いていた。隣を歩く冬美は、上へ視線を向けた。


「……知らない魔力を感じたけど、」

「知らない魔力?」

「……まあ、別にいいけど」


 冬美はそそくさと歩き出してしまう。ラボ内では、魔力を通しにくい素材で造られていた。魔力を感じ取る能力が著しく低下する。

 いつ何時、会敵するかわからない。

 冬美とセンジュの間に会話が飛び交うことはない。沈黙が続く。足音だけが、響いていく。

 センジュは困った。沈黙に慣れなかった。


「――そういえばさ、七つの黒天って、全部集めたらドラゴンとか出てきたりするのかしらぁ?」


 沈黙に耐えきれず、センジュは思ったことを、そのまま言葉としていた。言った後で固まる。


(何を言ってるのかしら――?)

「何言ってるの?」


 冬美にも心配そうな目で言われた。


「ふざけたこと言ってないで集中して。壁も壊せないし、階段を探すしかないんだから」


 壁もまた、魔法に耐えうる強度を誇る。

 正確には、壁全体には魔力が帯びており、受け流すことで尚且つエネルギー補給にする、という構造なのだが、冬美たちが知るはずもない。

 不意に、冬美の足が止まる。

 かつ、かつ、と。

 冬美は、現れた人物に、目を見開いた。それは向こうにとっても、同様の反応だった。


「……稀咲、睡蓮」

「ユキフル、ですね」


 稀咲睡蓮との、対峙。

 予想していなかった訳ではない。ただ、そうなるはずはないと、無意識に思っていたのか。


「――貴女も、黒天を望むのですか?」


 睡蓮から放たれた言葉に、冬美の表情がピクリと揺れる。


「黒天はもともと、ゆうくんのものだよ」

「その椚夕夜は、死にました」

「……」

「ユキフル。貴女に会ったら、言っておきたいことがありました。……今の〈漆黒鴉〉は、何を目指しているのです?」


 ピキ、ピキ。

 大気が、凍っていく。

 隣にいたセンジュは、冬美に触れようとして弾かれた。指先が凍ってしまっている。


「今の貴女たちは、野蛮で、勢力を拡大させることにしか頭にない。あの、椚夕夜が求めたクランは、見る影もない」

「……ぉ…ぇ、」


 冬美が、手を伸ばしていた。

 冬美から漏れ出ていた言葉を、睡蓮は聞き取ることができなかった。それよりも早く、反射的に。睡蓮は魔法を発動していた。



「――お前たちが壊したくせにッ!」



 直後、水と氷がぶつかり合った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 鋭い一閃。

 私は東雲さんの攻撃を回避する。

 訓練された動きだった。拙さはある。けれど、何よりも気迫に圧倒された。赤刀を通して、伝わる東雲さんの感情。

 重く、苦しく、辛く。

 憎悪に満ちている。

 東雲さんは、周囲に赤天を出現させた。赤天は、糸へと変わっていく。赤い糸。それは収束されていき、剣を形成した。

 発射される。私は白刀を出現させ、同時撃ちを図ろうとした。剣が接触する寸前。

 糸が、解ける。

 白刀を避けるように、糸がするりと通り抜けると、再び元の形へ戻っていく。

 眼前に、糸の剣が向かっていた。


「ッ――!」


 咄嗟に顔を逸らす。糸の剣は、私の頬を掠り、皮膚から血がパッと飛んだ。

 一歩、踏み込んだ。

 防戦一方になる訳にはいかない。白刀を、東雲さんの持つ赤刀に向けて振りかぶっていた。

 東雲さんも、赤刀を振るう。

 白と赤の衝突。

 拮抗は、起きない。



 私は赤刀をいなし、巻き上げた。



 東雲さんの手から、すっぽりと赤刀は抜けて、空中へ飛んでしまう。東雲さんの、驚いた表情が見えた。

 がら空きとなった隙。私は峰打ちを放とうとしていた。剣筋は、綺麗に東雲さんの胴体へ進んでいき――。



「舐めんなッ!」



 竜巻が、吹き荒れた。

 私の攻撃は見えない壁に阻まれるように。一気に押し返された。

 同時に、全身に撫でる風。それが一瞬にして、赤い鎌鼬へと変貌した。



 刹那、全身から血が噴いた。



「ッッッ――!?」


 全身を掠るように、切り傷が刻まれる。東雲さんを見て、息を呑んだ。



「――天翔アマカケル:『赫』」



 東雲さんの背中から、風が収束し伸びていた。赤く染まり、翼のように広げている。

 風の圧縮と解放。

 巻神家の、秘伝の技。


「私ってさ、才能があったっぽいよ。全部、コピーなんだけど」


 右手に赤い水の球体。左手に赤い鎌鼬を出現させていた。

 おそらく、魔法の種類に関しては、東雲さん以上の人物はいないだろう。多様さ。そして、それを操る本人の資質。

 東雲さんは、魔法使いの才能を、開花させていた。


「……私は、貴女と戦いたくないです」


 私の言葉に、東雲さんは表情を歪ませた。


「それ、さっきから言ってるけど、ウザいよ? ならさっさと私に殺されてよ」

「それも出来ません」


 東雲さんは、長いため息をついた。


「私はまだ、死ねません」

「……あんたのせいで、」

「クヌギくんに、恥じぬように」

「……あんたのせいで、ゆうは死んだ」

「だからこそ、生き抜くと決めました」

「あんたが、ゆうを殺したんだッ!」

「罪を背負うと決めましたッ」


 白刀を、構えていた。

 東雲さんは、水と風の剣を両手に携えていた。お互い、叫んでいた。心の限り、ただ、ひたすら。



「あんたは、死ななきゃいけないんだよっ!」

「私は、生きなければならないんですっ!」



 直後、衝撃が撒き散らされる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 カプセルが、開かれる。

 満たされていた液体が流れていき、管が無造作に地面に転がった。

「これで終わりじゃの。あとはこれかの」

 カプセルから出てきたアンジュに、手渡したのは注射器だ。液体は真っ黒に染まっていた。


「そうじゃのぉ、時間は、五分きっかり」

「……わかりました。感謝します」

「拉致った相手に感謝とは、まあ別にいいが」


 ドクターの興味は既に失われていた。

 アンジュは、そんなドクターを見て、言った。


「これから、どうするつもりですか?」

「誰かしら迎えが来るじゃろ。待ってるわい」

「……そうですか」


 アンジュは、着替えを終えると、動き出した。最後に、背を向けたアンジュに、ドクターは告げた。


「……実につまらんのぉ」

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