第113話

「ですのでエルデュミオ様がいらっしゃったら、一度直接、リューゲルの方々に会って頂けないかと提案するつもりでした」

「構わない。彼らは僕の顔を知っているからな。とはいえ人の身の安全となると、難しいかもしれないぞ。いっそ金銭的な保証の話なら、家の名前で信用させられたんだろうが……」


 それでも安心材料の一つにはなる。やらないよりはずっといい。

 しかしリューゲルの民の不安を払拭しきれないというのは、重要なところだ。


(彼らの心境がどの程度、どちらに傾いているか。把握するためにも直接会っておいた方がいいのは間違いなさそうだ)


 基本的に人のいいリーゼやシャルミーナ、洞察力には長けていても根本的な心の部分に疎いフュンフには向かない分野だ。


「分かった。会ってみよう。ヴァスルールが戻ってきたら手はずを整えさせる」

「はい。どうぞよろしくお願い致します。本来であれば、聖騎士たるわたしの名前で信を得たかったところですが……」


 聖騎士が仕えている聖神教会からの横暴で捕らわれているのだ。シャルミーナが信用を得るのは難しいだろう。

 人の印象は、属している組織にも大きく左右される。個人を見るのは関係が近くなったときだけだ。


「わたしも同行して力を尽くしたいところですが、人数が増えるだけヴァスルール様の負担も増しましょう。わたしとリーゼ様はこちらで待機しておきます」

「ああ、そうしろ。どうせ、ずっと気を張っていて休みも疎かにしていたんだろう」


 当てずっぽうの指摘ではない。事実、シャルミーナにはやや疲労が見える。


「いい機会だ、体を休めろ。何をしていようと時は進む。そして動くべき時は着実に迫ってきているのだから」

「ええ、本当に。仰る通りです」


 落ち着かない気分のときに休み切れない気持ちも分かるが、それでも必要なときは休めるだけの胆力が、上に立つ者には求められる。


「ディー様も、休んだ方がいいと思いますよ?」

「分かってる。今日はもう動くつもりはないし、リューゲルの民と会ったら裁判当日まで大人しくしているつもりだ」


 誰かに見咎められたら目も当てられない。


「その件とは関係なく、リーゼ、お前に話がある。後で時間を作れ」

「いいですよ」

「あら。では、わたしはそろそろ下がりましょう」


 するべき情報の共有は終えたと判断して、シャルミーナはカップを手に立ち上がった。中身はしっかり空だ。


「では、私も」


 個人の話を盗み聞くほど悪趣味ではないスカーレットも、同じく席を立つ。


「それほど広くはない家ですが、ご案内します」

「助かります」


 そうして二人が去ってしまえば、後にはエルデュミオとリーゼが残るだけ。


「気を遣われましたですね?」

「あいつら自身が休息を必要としているのも事実だろう。大体、僕は後でと言ったんだ。気が早すぎる」

「今から用事があるんです?」

「僕にはないが、お前の都合が分からないだろ」

「いつまでかかるか決まってない話し合いに集まってるのに、後の予定とか立てないです」


 言い切ったリーゼに、エルデュミオもそれはそうかと思い直した。


「それで、話って何です?」

「少し、お前の話を聞きたくなっただけだ」

「はあ。わたしの何を」


 技能などの話だと思ったのか、リーゼは深く考えた様子もなく聞き返す。


「そうだな。子どもの頃の話などはいいかもしれない」

「は、はい!?」


 その分エルデュミオが口にした内容は大きく予想外で、リーゼはぎょっとして固まった。


「そもそも、出身国すら知らないしな。フラングロネーアで育ったのではないんだろう?」


 町にはあまり詳しくないと言っていたのだから、そこで過ごしたとは考え難い。


「出身はストラフォードですよ。生まれも育ちも、ルアフという名前の交易都市です」


 リーゼが口にした都市の名前は、エルデュミオも覚えがある。ストラフォード内では中の下ぐらいに位置する規模の都市だ。


「ルアフでの暮らしはどうだった?」

「七割方、幸せでしたよ。少し前のツェリ・アデラ程じゃないですけど、ストラフォードは治安が良い方だと思うですし」


 王が病に伏してからはやや悪化傾向になっていたが、ルティアが王に定まり舵取りを始めているので、今は改善に向かっている。


「うちはそれなりに力があるからな。民も豊かな者が多い」


 身分制度があるので貧富の差ははっきり分かれる。しかし暮らしていけない程貧しい者は少ない。それは国の治安・発展に影響するとして、代々の政治家が調整してきたからだ。


「ですね。貧しさはやっぱり、人を荒ませますから」

「豊かさがなければ安定は得られない。幸福の条件の一つと言えるだろう。だが豊かさだけでは幸福とは言えないし、平民のお前が貴族並みに豊かだったはずもない。それでも、お前にとっては七割方文句のない生活であったと」

「ですね。普通に暮らしていけて、一年に数回ちょっと贅沢ができる程度があれば、お金はそれほど要らないです。多分、ルーヴェン元殿下やヘルムートよりも、わたしはずっと幸せでしたよ。ディー様のところは……ちょっと分からないですけど」


 父、ヴァノンが暴力を使ってエルデュミオを屈服させていたことに対して、リーゼははっきり憤りを見せて否定した。

 正しくはない。その気持ちは今も変わりないだろう。しかしそれを口にはしなくなった。


 ヴァノンは真実エルデュミオを愛しており、本当にそれしかなかったとは認められないところだが、少なくとも成果は出て、二十一年間エルデュミオを護った。

 もっともその教育のせいで二十二になる前に前回は命を落としているのだから、やはり正しかったとは言えまい。


「……僕は不幸ではなかったさ。父上も母上も、僕を愛してくれていると分かっていたから」


 ただしエルデュミオからしても、幸福だったとは言えない。幼少期を辛く感じていたのも事実だ。


「ですか」

「ああ。だから、考えさせられた。困難はどこにどう生まれついても、誰にでも降りかかってくるものではないかと。無論程度の差はあるが、それさえも時と場所、周囲の関係性に大きく依る」

「ですね、多分」

「そしてその困難に立ち向かえるよう育てることが、親の務めなのだろう」

「重いですが、そう思います」


 愛されなかった者、心を強くする基盤を得られなかった者がどうなるのかは、ヘルムートやエルデュミオを見れば明らかだ。


「お前は成功例だと言えるだろう。参考までに訊くが、お前にとっての幸福とは何だ?」

「それ、わたしに訊くんです? まあいいですけど……」


 リーゼは一瞬、考えたくなさそうな素振りを見せた。しかしすぐに諦めた様子で考え始める。


「やっぱり家族には愛されたいですね。実感を持って。あとは近くに心を許せる友人がいて、とりあえずでも衣食住に困らなければ、まあ幸福は感じられると思います」

「そうか」

「結婚のこととか、考えてるんです?」

「ああ。ヘルムートやお前たちを見ていたら、少し思うところができた。準備が整ったら話すつもりだ」

「準備ですか。創世の種を追いながらだと、大変そうですね」


 常の結婚ならば、リーゼの言う通りだ。親交を深める時間さえ満足に取れていないと言える。

 ただ、エルデュミオが望んでいる結婚は常識の中にはない。


「逆だ。今でないと、おそらく叶わない」

「そういうものです?」

「そういうものだ」


 リーゼは首を傾げたが、追及はしてこなかった。詳しく聞きたくない気持ちでもあっただろう。

 あくまでも予定であり、まだ未確定な未来でしかないエルデュミオ側からも、これ以上話せる内容はない。


「参考になった。付き合わせて悪かったな。ゆっくり休め」

「ああ、はい。ディー様も」


 片付けるためにカップを手に立ち上がったエルデュミオは、リーゼの視線に追われつつリビングを後にする。


(愛を感じること、か)


 確かに重要だと身をもって知っているエルデュミオは、内心で深くうなずいた。


(しかし、まあ、希望は持てる)


 リーゼが望んだ条件の多くは、人次第でしかなかったから。

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