第98話

「……難しいですね」

「僕が悪かった。本当に鼻で笑う必要はない。ただそれぐらい正しさを押しつけて、相手の方こそが間違って愚かなことを言っているのだと強調しろと言っている」

「努力します」


 生真面目にルティアはうなずいた。いっそ不安になる。


(しかし、ルティアはそれでいいんだろう)


 相手に間違いを認めさせるのではなく、自分の考えを理解してもらって、同調してもらう。きっと彼女にはその方が相応しい。


「――陛下、失礼します。緊急のご報告です」


 扉が外から叩かれて、声を掛けてくる者がいた。エルデュミオにも聞き覚えがある。外務局に所属している官僚だ。


「入ってください」

「失礼いたします」


 新たに入って来た者のために、エルデュミオは立ち位置を変えて場所を譲る。ルティアとエルデュミオの順に礼をして、官僚は机の前にまで歩み寄った。


「フラマティア聖神教会本神殿から、使者の方がお越しになりました。緊急の謁見を求めておりますが、いかがいたしますか」

「応じましょう。丁度良いです。各部局長をすぐに謁見の間に集めてください。念のために近衛騎士も配置するように、アイリオスに通達をお願いします。エルデュミオ、貴方も参列してください」

「かしこまりました」


 ルティアの指示を持って、官僚はすぐに執務室を後にした。


「……ルティア」


 役職を考えればエルデュミオが臨席する必要はないが、当事者としてルティアはその場にいるように求めてきた。エルデュミオにも否はない。

 しかし覚悟はしてきたとはいえ、実際に目前に迫れば気の重さが帰って来る。


「二度も三度も、同じ話をするのは時間の無駄ですから。わたくしは最低限の身支度を整えてから行きます。貴方も支度があるでしょうから、残りの話は後程するとしましょう」


 仕事用の普通使いの服装で他組織の使者と会う姫君はいない。いるとしたらエリザぐらいだろう。

 重臣を集めるのは、そこで交わされるのがストラフォードにとって重要であり、なにより王の意思として国の方針を知らしめるためだ。


(自分のことにはすぐ不安になるくせに。人を護ることにはためらいのない奴だ)


 つい先程とは打って変わった迷いのなさだ。人のためだから、とも言えるかもしれない。


「こうなった責任の一端は、僕の不明のせいでもある。だが、これだけは誓おう。ストラフォードの臣として、この国に必ず良き結末をもたらすと。――だから今は、僕を護れ」

「勿論です、エルデュミオ」


 ルティアが湛える穏やかな口調と表情は、己の正しさを確信した者だけに表れるもの。はっきりと断言し、首を縦に振る。


「貴方はわたくしの大切な従兄であり、友人であり、仲間であり、臣下であり、国民です。その貴方を、悪意一つに怯えて己の身可愛さに犠牲にするなどあり得ません。王としても、人としても」


 ルティアが志す王の道は、不条理に屈して一人の犠牲で大勢を護る、安全で合理的な道ではない。

 国が民一人を護り、国のために民一人が動く。そういう社会だ。


 たとえそれが、困難を強いる道を歩むことになろうとも。




 国の運営を担う重臣たちが揃い、近衛騎士が整然と居並ぶ謁見の間は、それだけで空気が物々しい。

 この仰々しい出迎えが聖神教会の使者のためということは周知されているが、その理由を察している者は多くはない。

 臣下が全員揃ってから最後にルティアが現れ、王座に着く。


「使者をお通ししてください」

「はッ」


 ルティアの命に従い、改めて使者が呼びに行かれる。ややあって到着したのだろう、扉がゆっくりと開かれた。

 招かれた使者は部屋の様相を見るなり、緊張によって身を硬くする。


 大貴族の子息が犯罪者として断罪されるのだ。国にとっても不名誉極まりない。できる限り人目につかないよう取り計らうのが自然だ。

 だというのに大々的に広めても構わないというこの部屋の様子は、ストラフォード側の答えがすでに突きつけられているも同然なのだ。

 部屋の半ばまで進んだ使者は指を揃えて胸に当て、正式な礼を取る。


「拝謁を賜り、感謝いたします」

「ようこそいらっしゃいました。して、本日は何用でございましょう?」


 微笑みながら白々しく問いかけたルティアに、使者はごくりと唾を飲み込み、口を開く。


「エルデュミオ・イルケーア伯爵に、魔神信徒との共謀、魔術の行使の嫌疑がかかっております。世界を護りしフラマティア神に仇なすその行い、許されるものではありません。エルデュミオ殿の身柄をお引渡しいただきたい」


 謁見の間に、少しの動揺が広まった。然程敬虔でなくとも、邪神信仰に忌避感のある者は多い。

 だがそれは魔神の名前に対する反射的な嫌悪感であって、エルデュミオに対してのものではなかった。そちらはまさかだろう、という空気が占めている。


 この場に揃ったのは大半が貴族。彼らからすればエルデュミオが本当に邪神信徒になったというよりも、何らかの理由でそういうことにされようとしている、という方が馴染み深いのだ。

 周囲から流れる空気に動じることなく、ルティアは微笑み一つ崩さずにすでに結論の出ている答えを口にする。


「お断りします」

「……」


 どのような答弁を行おうと変わらないと分かる、明確な拒絶。

 部屋に入ってきた段階で覚悟をしただろうが、それでも使者は絶句した。

 聖神教会の名前を背負って、こうも容赦のない対応をされることもこれまで経験していないだろう。次にどうするべきかに迷って、決めかねている。


「逆にお聞きしましょう。我が国の大切な臣を、民を、根も葉もない虚言でその名誉を傷つけて、どうしようというのです」

「虚言などでは……」

「では証拠をお見せください」


 弱々しい反論は、即座に付け込まれる。

 しかし証拠として提示するべき件は一応備えてきたらしく、使者は気を取り直して訴える。


「ここには連れてきておりませんが、ツェリ・アデラの多くの者が、指名手配されているマダラという邪神教徒とエルデュミオ殿が共に居るのを見ております」

「さて。それは道理に合いませんな」


 臣下が立ち並ぶ中でも最前列に位置するアイリオスが、とぼけた様子で口を挟む。


「その邪神教徒を手配したのは、他でもないエルデュミオ殿でしてな。己で犯罪者に仕立てた者と行動を共にする愚か者は、早々いまい。どうじゃね?」

「アゲートのことを言っているのなら、僕が手配した『マダラ』とは別人だ。容色が似ているせいで、勘違いをされたんだろうな」


 肩を竦めて堂々と言い放つ。この場で『マダラ』を直接見たのはエルデュミオだけだ。誰も否定できない。


「世の中、似た人間が三人はいるというからのう。しかし誤解を招いたのは失態じゃ。もっと気を付けるべきであった」

「そうは言うが、団長。丁度良い人材が手元にいて、採用しないというのも馬鹿馬鹿しいとは思わないか。しかもその理由が手配書の人物と特徴が似ているからなどという、本人の咎ではない部分だ」

「確かに。持ち得た容姿ごときで不利益を被る世の中は、遠慮したいものよ」


 しみじみとアイリオスはうなずいた。それで落ちが付き、そんなものは証拠でも何でもないという雰囲気が支配する。

 使者は元々、自分の要求が突っ撥ねられる前提で来ていない。それだけの力が聖神教会にあるのも確かなのだ。


「よ――……。よろしいのですか。邪神信徒を庇うというのなら、ストラフォードそのものが……」

「虚言で我が国民を貶めるのはおやめくださいと、申し上げたばかりです、使者殿」


 聖神教会の主張を、ストラフォードはそもそも一切認めていない。


「我がストラフォードは、国のために民を犠牲にする道を選びません。民があって、国なのですから。どうぞ、聖王陛下にお伝えください。――真実をもう一度、見定めてくださいますように、と」


 エルデュミオにかけようとしている冤罪を考え直せという表面上の意味の奥に、もう一つのメッセージを忍ばせる。

 己の身を振り返り、正しき道を選べ、と。


「……後悔、なさいませぬよう」

「たとえ断頭台にかけられようとも、わたくしは後悔しないでしょう」


 迷いなく答えたルティアに使者は頭を下げ、謁見室を後にする。


「……良かったのですか、陛下」


 使者が去り、室内がストラフォードの臣民のみになってから、ルティアを見上げたセレナがそう訊ねてくる。

 彼女は少々戸惑っているようだった。多くの者が知っているだろう傀儡姫であるルティアなら、まず選ばなかっただろう対応だったからだ。

 この数ヶ月の実務の中でも、感じることはあっただろう。しかし誰にとっても『正しい』――それこそ外壁の修理などの手配とは、事が違う。


「勿論です、セレナ。だって国の利益のために臣民を見捨てる国に、誰が忠義を誓うのです? 次は自分が切り捨てられるかもしれないのに」


 己を大切にしない相手を、大切にしようとは思わない。単位は変わっても人と人の繋がりであるのに変わりはないのだ。個人が抱く感情は同じである。


「わたくしの治世では、人を切り捨てない世の中を目指します。どうか皆、そのことを心に刻んでください」


 エルデュミオが血縁だからこその決断と見なした者もいる。だが同時にルティアが名も知らぬ誰かのために己を削る人物であることは、全員が知っている。

 だからだろう。謁見の間に満ちる空気に不満はない。戸惑いが薄れてくると、徐々に覚悟を決めた、引き締まった表情になっていく。

 王はすでに道を定めた。国に所属する者は、その道を歩めるように支えることを求められる。


 だがその道を望んで歩くかどうかは大きな違いだ。

 少なくともこの場に揃った臣下たちは、ルティアが選んだ道を歩く覚悟を決めた。自分たちを導く、王の判断として受け入れたのだ。


 誰しも、己を切り捨てられたくはない。それをしないと断言したルティアの志は、共感を呼ぶものであったから。

 居並ぶ臣下たちを見回して、ルティアは一度、大きくうなずく。


「わたくしたちは、ただ正道を歩むのみ。子々孫々に至るまで、ストラフォードの民であることを誇れる国であるように!」

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