第87話

「そうですが、実は、こちらの記録は非公式に本物の方とそうでない方を分けて記載してあります」


 上の図書館にも同様の名前の書がある。シャルミーナが口にした内容に、クロードが注釈を付け加えた。


「本物とは?」

「もう然程意味を持たない神話として、お聞きください。ただし、他言は無用です。――金眼の持ち主とは、我らと同じ『人間』ではありません」

「何だと?」


 自らも金眼であるエルデュミオにとっても他人事ではない。ついアゲートに目を向けると、彼はエルデュミオの動揺の理由こそが分からないとばかりに、不思議そうに見返してきた。


「かつて神聖樹が、生まれたばかりのこの世界にマナを行き渡らせようとしていた時代。より効率を高めるためにいくつかのローグティアが自立して、生物の形を取ったものだ。だから言っているだろう。神樹の寵児、と」


 スカーレットやアゲートが自分をそう称しているのはエルデュミオも分かっていた。しかしせいぜいマナと親和性が高いため、という意識でいたのだ。


「古い呼称をよくご存じですね。この名簿も、古いものだと『神樹御子録』なのです」


 文字通り、神聖樹の子――ローグティアを指した言葉だったのだという。


「で、では、僕は」


 思わず口走ってしまったが、答えなど分かりきっている。すでにスカーレットやアゲート、人間よりも余程マナの扱いに長けた神人から散々聞かされているのだから。


「はい。イルケーア伯爵は『本物』とされています。神聖樹がその身を受け入れるかどうかで判断されるようです。私もまだ幼い時分ですので、どのように判断されるかは伝聞ですが。ルーヴェン殿下以降、金眼の方も生まれておりませんし」

「……僕は、ローグティア――植物、というかマナ、なのか? いや、人を構成しているのもマナだとは分かっているが……っ」


 自分が『違う』と言われたことに、エルデュミオは強い動揺を覚えた。何がそこまで衝撃だったのかは、まだ分からない。

 とにかく感情が大きく揺れて、思考まで辿り着かないのだ。


「仰る通り、人もまた、マナです。人よりはるかにマナに親和性の高いローグティアが行った変態に隙はありますまい。事実、現代まで連なる血が証明するように、神樹の御子は人と交わって来た。人が求めた、と言った方がいいかもしれませんが」


 生物学的に子どもを成せるぐらいには、同じ。もしくはローグティアが必要な要素を生成したのかもしれない。


「イルケーア伯爵の危惧は正しい。帝国より古き時代、金眼で生まれた方々が『ローグティアの特徴を継ぐ人擬き』として――都合よく植物、物として扱われ、人権を認められていなかった過去があります。その差別を無くすため、御子ではなく神子と言い換え、神聖樹に祝福された尊き人間、ということにしたのです」


 帝国の建国時、フラマティア神の神人に選ばれて皇帝となったのも、神樹の寵児だった。おそらく生まれてから多くの苦汁を舐めたことだろう。

 彼は帝国を打ち立て、フラマティア信仰を広める代わりに自分たちの安寧を確保したのだ。もし帝国が臣民の意識を変えていなければ、今のエルデュミオたちの立場も大きく違っていたはずだ。

 すでに終わったこととはいえ、ぞくりと背筋が寒くなる。


「……ルティアは、どうなんだ。ルーヴェンは?」

「ルティア殿下とルーヴェン殿下は、神聖樹に受け入れられなかったと記録されています。もちろん普通の人間よりも呪力は多く高く、神聖樹との親和性もある。けれど御子ではない」

「……」


 名簿を開いてみると、エルデュミオの名の後にだけ、小さく木の判が捺されている。

 そして奇妙さに気付いて眉を寄せた。


「なぜ、ルーヴェンより先にルティアの名前が記されているんだ?」


 近代、クロードの言う通り金眼の持ち主は大分少ないらしく、名簿はエルデュミオ、ルティア、ルーヴェンが並んでおり、そこで終わっている。

 年齢順でいけば、ルティアとルーヴェンは逆のはずだ。


「はて……? 祝福を受けに来た順番が逆だったのでは?」


 体調が優れなかったりと、予定を変更することはあるかもしれない。己の記憶を引っ張り出して――エルデュミオははっきりと首を横に振った。


「いいや。祝福を受けに行ったのはルーヴェンが先だ。間違いない」


 自分のことは曖昧だが、ルーヴェンが祝福を受けに行ったとき、エルデュミオはすでに七歳。印象深いエピソードは記憶に残る。


「記載に関して奇妙な点が、もう一つあります。わたしが見た上の図書室の名簿では、ルーヴェン様が先に記されていらっしゃいました」

「ほう……」


 それは間違いなく、奇妙なことだった。


「では、上の記録は改竄されたんだろう。しかしこちらの原本は容易に変えられず、追記するに留まった。そういうことじゃないのか」


 事実はおそらく、アゲートが口にした通りだろう。しかしその理由が不明だ。


「金眼は生まれつきだ。後天的に発現することはない。なのに名簿に記されなかった……?」


 しかもそれを、後々書き加えている。

 それを行った人物は妥協したあと、不都合を感じて虚偽を記したのだ。


(ルーヴェンには、呪紋に関して――マナの扱いに関して金眼らしい才がない)


 もし、ルーヴェンが実は金眼ではなかったらどうだろうか。

 当初、万が一のために見た目だけをどうにか誤魔化した。しかし神聖樹に人の世の都合も偽りも通じない。ルーヴェンは金眼だと認められなかったのだ。


 そして万が一が起きた。

 ルティアが金眼として認められた以上、ルーヴェンが王位を得るためには彼も金眼でなくてはならない。そういうことではないだろうか。

 なぜ聖王がルーヴェンたちに気を遣っているのか。その答えもここにある気がする。


「クロード殿、これは誰の字だ」


 半ば確信しつつ、確認のためにクロードに問う。常日頃からその人物の文字を見る機会のあるクロードならば判別できるはずだ。

 こくりと喉を鳴らし、クロードが口を開こうとしたとき。


「現聖王、ジルヴェルトだ。彼の保証以上に信頼性の高いものなどなかっただろうな」

「!」


 聞き知った声に、エルデュミオは勢いよく入口側を振り向く。


「ヘルムート!」

「殿下より仰せつかった探し物だ。見付けてくれて感謝する」

「お前らのために探してやったわけじゃない。渡してやるとでも思ってるのか?」


 しっかりと神樹神子録の原本を確保しながら、エルデュミオは身構えた。

 なんとしても、渡すわけにはいかない。更に言うなら、破壊されて形が失われても厄介なことになる可能性がある。


「これで聖王を脅しているわけだな? 虚偽を記した件を使って」


 なぜ聖王がこのような愚かな真似をしたのかは知りようもない。だがルーヴェンの後ろ盾となっている誰かとの共謀で、彼を金眼と偽ったのは確実。


(ルーヴェンの瞳が金に見えるのは謎だが……。おそらく人工的な紛い物)


 どのような手段を用いたのかは分からないが、神樹神子録への登録のされ方を見るに間違っていまい。


「セイン夫妻を殺したのもお前か」

「そうだ。口の軽い輩に、不利益な噂を吹聴されては困る」


 自分の親――片方は間違いなく肉親でもあるというのに、ヘルムートの口調に乱れはなかった。表情にもだ。


 事実彼は、己の手で血族を屠ったことを気にも留めていないようだった。

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