第86話

「聖王と直接会ったのは、金眼だったルーヴェンが祝福を受けに来たときぐらいだろう?」

「はい。以降の接触はなかったと記憶しています」


 前ストラフォード王と聖王が会っていたとしても、同行者は第一王妃であるルティアの母、ミュリエーラだ。第二王妃であるメルディアーネではない。


(何を考えている、聖王)


 行動の理由がさっぱり分からない。

 普段から側にいて人となりを知っているクロードでさえ分からないのだから、はるかに関係性の遠いエルデュミオに察せるはずもなかった。


「イルケーア伯爵。私はこの件が、人々から更に信仰心を奪う要因になるのではと危惧しているのです」


 原因を分かっていながら放置して、救いを求めた者に慈悲の顔をして手を差し伸べる。

 その全体像が明るみに出たときは、印象の悪化は甚だしい。


「国の貴族である貴方にとって、聖神教会が力を持ち続けるのは厄介に思われることもあるかもしれません。しかしこれだけは信じていただきたいのですが、世界には信仰心が必要なのです」

「ああ、分かっている。魔物という現実的な脅威に対抗するための話だろう」

「ご存知でしたか」


 世界のマナ属性によって起こる変化をエルデュミオが理解していることに、クロードはほっとした顔をした。


「聖下がなぜ、犯人側に配慮をしているのか。情報をお持ちならばぜひ窺いたいと思ったのですが、残念です」

「情報はない。しかしどうやら、本神殿の地下資料庫に用がある輩がいるようだぞ」

「地下資料庫……?」


 エルデュミオがその名を出すと、クロードは首を傾げる。本心から戸惑っているようだ。


「あそこは、本当にただの資料庫ですよ。隠された秘宝があるわけでも、知られて困るような機密文書があるわけでもない」

「相手が何を求めているかなど、僕が知るものか。ただ、興味を持たれている事実があるというだけだ」

「腑に落ちませんが……。確かめてみますか? 誰かが何かを隠した可能性までは捨てきれませんし……」


 金銭的な価値はあまりない書庫であり、かつ出入りできる者は限られている。物を隠すにあたって悪くはない場所だろう。


「貴殿は入れるのか?」

「勿論です。これでも聖席ですから」

「ああ、失礼した。内情の権限に詳しくないだけだ」


 エルデュミオが訊いたのは、ただの確認だ。クロードが聖席が通常持つ権限を持たされていないとか、軽んじるような疑いを持っての質問ではない。


「詳しい方が不気味でしたね」


 それが分かって、クロードも苦笑してみせる。

 相変わらず、権威の類には敏感な人種だ。


「では、早速向かうとしましょう。ええと……」


 言ってクロードは屈んで、何かを探すように首を巡らせた。


「ああ、ここですね」


 そして間もなく、何の変哲もない床板を引き剥がした。地下に続く階段が無防備に晒される。


「ず、随分雑だな」

「施設を拡張するときに、単純に地下に広げようという案が採決されまして」


 地下を掘って増設したあと、作った階段部分は薄い床板で塞いだだけらしい。この部屋を使わなくなったのは、強度に問題が生じたためかもしれない。

 念のために入り口は塞ぎ、クロードは手元に明かりの呪紋を生んで視界を確保しながら歩き出す。

 階段から下りれば、そこはもう書庫のようだった。広い室内に紙の匂いが充満している。


「この辺りに明かりが……」


 整理することが前提だからか、必要とされる設備は揃っているらしい。温度、湿度も調節されているし、空気の流れも感じる。


「妙ですね。リザーブプールの呪力が切れかけています。交換しておかなくてはいけませんね」


 やや不思議そうに呟きながら、クロードは記紋術具マナ・ライズを操作する。部屋全体に、一斉に明かりが灯った。

 利くようになった視界に広がったのは、手前に作業のテーブル。そして奥に延々続く本棚だ。


「凄い量だな……」

「帝国建国時からの資料ですので。それ以前の物も集められるだけは集めたようです」


 金銭的価値は低くとも、歴史的価値は高い。

 聖神教会がこうして書物を保持しているおかげで、正しい歴史を後世へと伝え繋げることができるのだ。

 もっとも聖神教会にとって不都合なことは秘されるのだろうから、より正確に言うのなら『概ね正しい歴史』と評するべきだろう。


(この場所を壊した何者かは、人類の財産をも失わせたと言える。それが私情からであれば、許される行いではない)


 世界さえも喰らい尽くそうという輩に、言っても通じないかもしれないが。


「しかしこれは……。手の付けようがなくないか……」


 呆然とした呟きを漏らしたのはアゲートだ。目的の検討さえつかずに闇雲に探すのは、それこそ砂漠で一粒の砂金を探すようなもの。


「いや、そうでもないだろう」

「と、仰いますと?」

「ここも、定期的には掃除をしているように思えるが」

「勿論です。記紋術具のおかげで維持が楽になったとはいえ、人の手がまったく必要がないわけではありませんから」


 数が数だ。忘れ去るような間隔は空くまい。実際、クロードはリザーブプールの残量に違和感を覚えていた。把握できるぐらいの頻度で降りている、ということだ。


「だが、薄く埃が積もる程度の期間は空いている」


 特に、部屋の端は行き届いていない。光を反射して埃が存在を主張してくるので、クロードも否定はできなかった。


「ええ、まあ……。どうしても」

「管理について、部外者である僕がどうこう言う筋合いはない。それはいいんだ。ただ、その割に今僕たちが立っている床は綺麗だと思ってな」

「確かに。しかし、近くに清掃の日があった記憶はありませんが……」

「だから、無断で入った何者かが、自分の痕跡を隠すためにざっと掃除したんだろう」


 リザーブプールの残り呪力にクロードが違和感を覚えたのも、予定外に使われていたせいだ。


「だとすれば、だ」


 床が綺麗になっている個所を辿りながら、本棚を巡っていく。思ったよりはっきり意図が読めた。


「侵入者の用があるのは、この辺りだ」


 ここに至るまでの道はほぼ一直線しか掃除されていないのに対して、エルデュミオが立ち止まった本棚の周囲は広範囲埃が消えている。


「『神樹神子録』。金眼を持って生まれてきた方々の名簿ですね」

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