第85話
翌日、部屋を出て行ったフュンフと入れ替わるために戻ってきたアゲートは、入って来るなりエルデュミオに手紙を差し出した。
「エントランスでヴァスルールと会ったぞ。無言で懐に忍ばされたが、お前宛てだろう?」
受け取った手紙の封筒は無地だ。かなりの警戒が読み取れる。
中身は訓練場の見学を誘うものだ。許可証の署名はシャルミーナになっている。
「……急いだ方がよさそうだな。アゲート、支度をしろ。本神殿へ行く。スカーレット、お前はリーゼに伝えて来い。できる限り人目につくなよ」
分野が違うので、スカーレットにフュンフと同じだけの能力は期待していない。気を付ける以上はできないだろう。
しかしスカーレットはともかく、リーゼの能力ならば正規で入らずとも忍び込める。潜んで経緯を見てもらっておけば、想定外の事態が起こったときも戦力になってくれるはずだ。
「分かった。ああ、そう言えば。あまり関係はないと思うが、人が二人殺されたとかで外が少し騒ぎになっているぞ」
「ツェリ・アデラで殺人か? 珍しいな」
「殺されたのは住民ではないらしいが。貴族らしい装いだが、泊まった宿の格が服装と釣り合っていないとかで、宿泊客の中でも目立っていたようだ」
「……何?」
無関係な事件として聞き流していたエルデュミオは、身形を整える手を止めてアゲートを振り向く。
「中年の男女二人か?」
「そうらしい。知り合いか?」
「知り合いかもしれない。少し確かめてから行くか」
エルデュミオの頭に過ったのは、昨日のセイン夫妻と神官のやり取りだ。
彼らは神官を脅して便宜を図らせようとしていたようだから、厄介がられてはいただろう。
(だとすれば、世も末だな)
導く立場にある者が己の不徳で弱点を作り、保身のために殺人を犯したのだとしたら。その地位に就くには相応しくない、どうしようもない人物だったと言える。
外出の体裁を整え、エルデュミオはアゲートとともに現場だという宿へ向かう。
遠巻きに人が集まっていて、関心の高さが窺えた。事実ツェリ・アデラで暴力的な騒ぎが起こるのは珍しい。
集まっている人々は純粋に恐れている者と、ただの興味本位に別れている。割合は八対二といったところか。
「ストラフォードの貴族らしい」
「遺体を見た人の話だと、上半身と下半身が真っ二つだったとか……」
「何だそれ……。人間の仕業か……?」
日々を平穏に生きている民間人には不可能だが、戦闘従事職に就いている実力者ならば可能だ。
眉をひそめつつ、エルデュミオは踵を返した。噂段階で聞きたいことは聞けたので、正確な内容は後で公的機関を通した方がいいだろう。
聖神殿に着き、適当な神官を呼び止めて訓練場の場所を聞く。もちろん不審がられたが、シャルミーナの署名で何とかなった。
一般開放されている区画の奥へと、正規で足を踏み入れる。
(神官長などを訊ねることはあったが、神殿の訓練場は流石に初めてだ)
とは言っても、同じ人間のやることだ。ストラフォードの騎士や兵士の訓練と、さほど変わりはしない様だった。
「――エルデュミオ様」
建前通り、訓練風景を眺めるエルデュミオの元に、シャルミーナが歩み寄って来る。
「その表情からするに、署名はお前自身の物で間違いないようだな」
シャルミーナはエルデュミオがここにいることに驚いていない。知っていて声を掛けてきたのなら、彼女が案内役だと思っていいだろう。
「はい。クロード様より、エルデュミオ様をお招きするよう言い付かっています。どうぞ、こちらへ」
「ああ」
訓練場を横切り、会議などを行う内向きの建物の中へと移動する。いくらか廊下を進み、あまり使われていなさそうな部屋へと通された。
「客を通す部屋じゃないな。倉庫だろう、ここは」
さすがに掃除はされていて埃っぽさは少ないが、使われていない部屋特有の薄暗さは抜け切れていない。
「仰る通り、倉庫です。昔は資料室として使っていましたが、手狭になったので増築して全てを移し、今は使われておりません」
「クロード殿」
わざわざ入り口から死角になる位置に潜んでいたクロードは、神話の講義をしているのと変わらないぐらいの穏やかさでそう言った。
「急な求めに応じて頂いたこと、感謝します」
「いや。僕も貴方に用があったから、都合をつけてくれたのはありがたい。しかし、随分と慎重だ。僕と会うのがそれほど問題なのか?」
「歓迎はされますまい。聖王陛下は、ストラフォードからの進言を取り合わないと決めました」
こうして隠れて会わねばならない事態だ。想像してしかるべきではあったが、実際に言われると苛立ちと戸惑いが沸き起こる。
「いくつか申し入れていることがあるが、全てか?」
「リザーブプールの件に関しては、救いを求めてきた国に神官を派遣し、処理に当たるとのことです」
自分たちの威信を直接護る部分は動くらしい。
「しかしその犯人は追及しない、と?」
「――はい」
眉尻を下げ、クロードは困惑を隠さずにうなずく。
「ルーヴェンの母であるメルディアーネ妃の故郷であるラトガイタが、フラマティア神を厚く信仰しているのは知っている」
この場合の厚い信仰とは、聖神教会への利――寄進の額のことだ。
「だがだからといって、世界のマナを乱す輩を放置していい道理はないだろう」
いかにラトガイタから得る金銭が多いとしても、固執しなくてはならないほど聖神教会は切羽詰まっていないはずだ。
「ええ。私もそう思っています。聖席に座す多くの者も同じです」
この場でエルデュミオと会って話しているクロードは、間違いなく聖王の判断に疑問を持っている。
「ですが聖下はリザーブプールの出所を追求しないことを決めました。おそらく、ストラフォードにも口を噤むよう要請されるでしょう」
「追及しないどころか、隠蔽する気か」
(まさか、聖王が一派の中に加わっているわけではないだろうが……)
何しろ前回、ツェリ・アデラは滅ぼされている。聖王が協賛者であれば、暴力によって事態を変える必要はなかったはず。
しかし疑念を抱かずにはいられないぐらいには、不審だ。
「心当たりはないのか?」
「我々にはまったく……。逆にお聞きしたい。ストラフォード側から見たときはいかがでしょうか」
「思い当たらない」
ルーヴェンもメルディアーネも一応フラマティア信徒ではあるが、特別に熱心だった記憶はない。もちろん、聖王と個人的に親しかったという話も聞こえてこなかった。
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