第82話

「やっぱり、王女様だと名前で普通に呼ぶですね……」


 その背を見送りつつ、リーゼが呟く。


「彼女の距離感は近すぎるけどな。まあ、身分が影響しているのはそうだ」


 一国の姫であるエリザと、一貴族であるエルデュミオだ。実際に持つ力は一貴族でしかないイルケーア家とおそらく大差はない。もしくは小さいだろう。

 それでも、身分上はエリザが上である。なので呼び捨てられても問題ない。彼女に悪意がないのは分かっているので。


 しかし一市民であるリーゼが敬称を付けないのは許さない。どれだけ親しみを感じていてもだ。

 正しい距離感だ。――正しくて、寂しい。

 息をつき、身を屈めてリーゼの耳元で小さく囁く。


「ディー」

「え!?」

「状況は考えて呼べ。時と場合によっては応えないからな」


 だが、そうでなければ愛称を許す。そう伝えた。


「ぅ、あ、え、は、はいっ」


 かあと頬に血を上らせつつ、リーゼは裏返り気味の声で返事をして、こくこくと首を縦に振る。


「ディー、様?」

「ああ。ほら、行くぞ」

「はいっ」


 まだ緊張と気恥ずかしさが勝っている様子で落ち着きなく――しかし嬉しそうに笑って、リーゼはエルデュミオの後ろについて歩き出す。


「シャルミーナは普段、どこで働いているんだ」

「聖騎士ですから、神殿の警備が主ですね。彼女は部隊長でもあるので、訓練したりその監督したり、見回ってたり執務室で書類仕事をしていたり。そんなとこだと思うです」

「さすがに、聖騎士の執務室やら訓練場には行けないぞ」

「ですねえ」


 間違いなく、一般の来客は立ち入れない区画にある。


「今なら仕事の間を縫って、図書室なんかにも行ってるかもですね」

「彼女がたまたま空白時間で、調べ物をしているか一般開放されている区画の警備をしている偶然に掛けるしかない訳か。頼りないな」

「連絡をすれば、夜には会えると思うですよ?」


 確実に会う必要があるなら、そちらを考えるべきだろう。

 少し考えて、エルデュミオは首を横に振った。


「いや。報告を受けるだけなら手紙で充分だ。こちらに接触しようとして来ていないということは、共有するほどの情報がないんだろう」


 やり直しを始めた当初とはまた状況が変わっている。シャルミーナにはすでにリーゼという人物と会った事実があるのだ。

 誰かに言伝を頼むにしても、ずっとやりやすくなっているだろう。


「偶然への期待はあまり持たないことにして、一応、図書室に寄ってみるか」


 クロードからの返事が来るのも翌日以降だろうから、それまではできることがない。無駄骨を覚悟しても、ツェリ・アデラの成り立ちを調べてみてもいい。


「じゃ、こちらですね」

「分かるのか」


 エルデュミオが案内板を探すより早く、リーゼが先に立って歩き出す。


「シャルミーナと会うために、大分ウロウロしましたからね。地上部分なら迷わないです」

「成程」


 一般開放区画、とは言わなかった辺りで察せられる。

 聖神殿から離れにくいシャルミーナと自然に会おうと思えば、非効率的だが確実と言えた。

 黙してエルデュミオたちに付いてきながら、フュンフの目が周囲をくまなくなぞっていく。


「本神殿に来るのは初めてか?」

「いえ。前にも何度か。ですので奇妙に思いまして」

「奇妙とは?」

「そこかしこに、不自然に触れられた跡が見受けられます。地下資料庫への道を探したのかもしれません」

「……ほう」


 フュンフの口振りは、明らかに所在を知っている者のそれである。


「暴かれていると思うか?」

「いえ。ただ、構造自体は理解したかもしれません」

「ふむ。そこに何があるのか、お前は知っているか?」

「歴代聖王の遍歴、大陸の史書、金眼として生まれた方々の名簿などです。置かれていた全ての資料が歴史的価値の高い物かと思いますが、誰に見られたところで聖神教会としても問題はないでしょう」


 ただ貴重で後世に継ぐべき重要な資料であるから、みだりに第三者に触れられて紛失しないよう、保管している。それだけの場所らしい。


「ほとんどは写本が行われ、一般公開されている図書室にあるものと同一の内容です」

「なら、ほとんどじゃない部分に用がある奴がいるんだな」


 もしかすれば、エルデュミオたちにとっても用のある中身があるかもしれない。

 とはいえ、見せてくれと頼んでも難しいだろう。神官の監視の下では、見たい資料がそのまま見られるかも疑問だ。


「わたしたちも見てみるです? 多分、行けるですよね?」


 ――不法になら。


「簡単に言うな。犯罪だぞ」


 リーゼの言う通り、実行は可能だ。だが見付かったときのリスクと天秤にかけると、やるべきかどうかは微妙である。


「目的さえ定まっていない状態で、無闇な危険は犯したくない。せいぜい探っている奴がいるようだと忠告しておくぐらいだ」

「ですか」

「だがやはり、ツェリ・アデラには何かあるのかもしれない」


 地下資料庫を探しているのがルーヴェン一派とは限らないが、可能性は高いだろう。


「ヴァスルール、よく気付いた。今後も気になることがあれば報告を怠らないようにしろ」

「承知しました」

「まあ、何はともかく――図書室はそこですよ」


 指された先で、市民らしき人々が出入りしている一室が見えた。

 書物は貴重品である。魔物のせいで流通が限られているので、市井に大量に出回らせることが難しい。自然、公共施設にまとめられることになる。


 フラングロネーアでも、書店は貴族街にしかない。市民が利用しているのは公共図書館と聖神殿だ。

 扉を潜って中に入ると、それなりに人がいる。

 読書スペースを抜けて本棚へ向かう、と。


「まあ」

「あ」


 数冊の本を手にした銀髪の美女――シャルミーナがそこにいた。


「ごきげんよう。ウィシーズからの帰りですか?」

「です。ついでに、例の件の進捗なんかも聞きに来たですよ」

「そうでしたか。でしたら、ごめんなさい。芳しい報告はできません」


 眉尻を下げ、シャルミーナは申し訳なさそうに謝った。


「雲を掴むような話の上、シャルはやることも多いですからね。仕方ないです」

「おい。出さなきゃならない成果を上げていないのを、慣れ合いで妥協するな」

「そんなこと言ったって、できなかったことはできなかったのですよ。責めたって解決しないです」

「……ふふっ」


 不服そうに唇を尖らせてシャルミーナを擁護するリーゼに、庇われているシャルミーナは小さく、穏やかな笑い声を上げる。

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