第64話

 その名を呼んでから、そういえばリーゼがシャルミーナと連絡を取りに行った、という話を聞いていたのを思い出す。ツェリ・アデラにいること自体は不自然ではない。

 ただ各地も回っていくという話だったので、出会うとは思っていなかった。


(ルティアが言い淀んだのはこのせいか)


 いつ親しくなったのか説明できないリーゼの存在を、周囲の侍女や侍従、近衛騎士に聞かれるのをためらったのだ。


(と、言うことは……)


 リーゼの側には黒髪黒目、中肉中背の目立たない青年がいた。

 顔立ちは整っているが、整いすぎていて逆に特徴がない。一瞬目を離して人混みに紛れられたら、まず見つけられまい。それぐらい印象が存在しない青年だ。

 ――実に優秀だ、と言わざるを得ない。


「ヴァスルールだな?」


 本人と、そしてリーゼに確認する。こくりとリーゼはうなずき、ヴァスルールが肯定の言葉を紡ぐために口を開いた。


「はい。この度陛下より、エルデュミオ様の護衛を仰せつかりました」

「ほう」


 エルデュミオに対して深く礼をしたヴァスルール――フュンフの所作は、優雅だった。公爵家に仕える者として紹介するのに、申し分のない教養を備えているのがその一動作だけで理解できる。


「わたしの用件も終わったので、付いて行きたいと思っているですが」

「……お前は作法を一から学び直せ。はっきり言うが、僕の使用人として連れて行くのは恥ずかしい」

「はっきり言い過ぎですよ!」


 平民としてなら、リーゼは普通だ。殊更粗野だったり下品だったりというわけではない。

 しかしこれからエルデュミオが行くのは他国の王宮である。大貴族イルケーア家の使用人すらこのレベルかと、ストラフォードが侮られてしまう。


 違和感があっても受け入れられるぐらいスカーレットは問題なかったし、意外にアゲートも所作は美しい。少しの修正で事足りた。もし同行させる必要が出てきてもそのまま通じる。

 神に直接仕える神人という立場を思えば、むしろ当然かもしれない。


「だが、城の外で自由に動けるという利点は捨てがたいな。さて……」

「では、私が案内人として個人的に雇った、ということではいかがでしょうか」


 エルデュミオが意思を示せば、フュンフから希望に沿う形での提案がされる。


「それが妥当か」


 今からリーゼに使用人としての振る舞いを仕込むのは不可能なので、市井の人間であることは隠せない。その上で、同行しても不自然ではない理由だ。


「悪くない。しかしヴァスルール。お前に一つ確認しなくてはならないことがある」

「はい」

「僕はお前の同僚を死に追いやった。それについてどう考えている?」


 そう言った私情を持たない人間であるはずだが、ドライという例外がすでにいた以上、確認はしておきたい。

 ルティアがエルデュミオに裁炎の使徒を付けたのも、それが理由の一つであるのだから。

 フュンフの表情を観察しながら、答えを待つ。


「職務中、不幸にも命を落とすことは少なくありません。ゆえに、誰でもなく何でもない我らが、価値ある方々の代わりに任に当たります。それが自然で、理かと」


 生真面目な表情を崩さぬまま、フュンフは言い切った。そこに感情と呼べるものは一切伺えない。


(この表情も作っているだけで、実際には無表情だろうな)


 それをひしひしと感じさせる。

 感じさせる、ということは演技者としてのフュンフはあまり上手い方ではないのだろう。


「職務上、か。彼女の死は、仕事でとは言えなかったはずだが?」

「はい。彼女たちは命令違反を犯し、その最中に命を落としました。粛清の命令も来ていませんでしたし、我らに命令外の行動を起こす権限はありません」


 淡々と応じるフュンフに、エルデュミオはうなずいた。裁炎の使徒として、実に望ましい模範解答だ。


(だからこいつは五番なんだな)


 定められた目的以上も以下もしない。そういうタイプだ。

 フュンフ本人が平坦に応じているのに対して、代わりのようにリーゼがはっきり受け入れ難そうに渋面を作る。


「人道に反することは、止めるべきだと思うですが」

「他国に侵略されて奴隷になりたいのなら、どうにかして止めさせればいいんじゃないか。僕は御免だから阻止するけどな」


 正道でないことなど百も承知だ。リーゼの言う通り人道にも反している。

 だがそれでも自国を護るために、正確な情報を得てくる有能な諜報員が絶対に必要だ。

 問答無用で殴りかかってくるような輩に、まずは話し合いましょうと言ったところで席に着いてなどもらえない。交渉に入るためには相応に力がいるし、見せる力の程度を知るためには情報がなくては決められない。


「それは……嫌です。でも、どうにかできないですか? 夢物語でも、理想でもいいです」


 未だ現実では届かないから、理想は理想と言う。

 しかし求める理想までもを失っては、行く先は迷走する。それもまた確かだ。


「……そうだな。僕が考えられる道は二つだ。一つは、国々が真の意味で尊重し合い、友好関係を育むこと」


 戦う相手がいなくなれば、軍備など必要ない。信頼ができれば、相手を探る必要もない。


「もう一つは、かつての帝国と同じだな。頂点を決めて、支配する」


 横並びの信頼ではなく、縦割りの統制だ。

 それはどちらであっても不幸なわけではない。帝国の成功はツェリ・アデラを始め、各地に残る遺跡が示す豊かな文化が証明している。

 ただし縦割りの支配の場合は、頂点に立つ者によって幸福か不幸かが大きく変わるが。


「難しそうですね」

「当然だ。簡単だったら誰かが理想を叶えているだろう」


 理想を求めて挑戦した者がいなかったとは、エルデュミオも思わない。おそらくルティアも同様の行動を起こすだろう。


「でも、分かりました。わたしも出来ることを考えてみます」

「考えるのか」


 どちらの案であっても、いや、三つめの案が出てきたとしても、おそらく一市民であるリーゼには到底働きかけようもない方法となるはずだ。


「だって考えないと、何も生まれませんからね」

「……そうか」


 現実的にはきっと、リーゼの努力は実らないだろう。

 だが、動くことで何かは変わるかもしれない。それが理想への一歩ならば、決して無駄とは言えないはずだ。


「好きにすればいいさ。僕の邪魔にならないように」

「勿論、好きにするですよ。別に貴方の許可が必要なことじゃないですし」


 誰にも侵略されない、頭の中の思考だけは自由だ。縛ろうにも、表に現れないものなど摘発しようがない。


「まあ、理想はともかく。お前がいるなら丁度いい。これから本神殿に行くからついてきて、シャルミーナを教えろ。顔を確認しておきたい」

「ああ、それなら一緒に食事とかどうです? 聖神殿内で会うより自由に話せると思うですし、人となりも知っておいた方がやりやすいですね?」

「出来るならそうしてもらおうか」

「了解です。言伝を頼んでおくですね」


 紹介されて正式に会っていれば、今後が色々やりやすい。

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