第39話
「あっ。エルデュミオ、ごきげんよう。回復したのですね。良かったです」
相当急いでいるらしい。王族らしからぬ早口だ。しかしそれでも足を止めてスカートを軽く摘まみ、淑女の礼を優雅にして見せる辺りはさすがと言えた。
「では、急ぎますのでわたくしはこれで」
言うなり颯爽と走り出す。ドレスとは思えない速度だった。慣れを感じる。
「どうしますか?」
「あいつには自分が狙われている自覚がないらしい。行くぞ」
「承知しました」
ため息をついて、先程入ってきた正門を逆に潜る。
どれだけ走り慣れていようと、それはドレスを身に付けた淑女たちと比べての話。エルデュミオとスカーレットならば、軽く走るだけですぐに追いついた。
「どこに行く気だ」
「――神、殿、です」
早くも息を切らせつつ、ルティアはそう答える。
(……神殿?)
このまま喋らせるのは効率が悪そうだと思い、エルデュミオは隣のスカーレットに目配せをした。珍しく、ほんの一瞬眉間にしわを寄せ、しかし次の瞬間には表情を戻し、従順に従う。
「ルティア殿下、失礼いたします」
「きゃっ!?」
軽々とルティアを抱え上げ、スカーレットは横抱きでその体を安定させた。
「姫君が一人で走るなど、常識知らずもいい所だぞ」
「す、すみません。けれど、これはさすがに……」
ルティアは赤面し、居心地悪そうにスカーレットの腕の中で身じろぎをする。しかし自分で走るよりはるかに速いことには納得して、すぐに大人しくなった。
「何があった」
どこの町にも必ず存在する聖神教会の神殿は、王都フラングロネーアでは王城近くに広がる貴族街と、平民たちが暮らす市民街の両方にある。
当然のようにエルデュミオは貴族街にある第一神殿に向かったが、ルティアが指で市民街を指したので戸惑い、足を止めた。
「町の人と警備軍、それと騎士数名が怪我をして、神殿で治療を受けているそうです」
「……おい。まさか治療しに行こうと言うんじゃないだろうな」
「そのつもりですが」
「スカーレット。戻るぞ」
「はい」
「ええっ!?」
くるりと方向転換をした。余計な体力を使ったが、面倒が起こる前にルティアを確保できたと考えれば、幸いだったというしかない。
「なぜです。下ろしてください。怪我をした方々の治療なら、わたくしもきっと力になれます。エルデュミオ、貴方だって」
「それは神殿の領分だろう。神殿から助けてくれと言われたのか?」
「……いいえ」
「だろうな」
自分たちの力不足を喧伝するような真似を、聖神殿がするとは思い難い。
治癒呪文は聖神殿の占有というわけではない。しかし神殿は神の慈悲を人々に代行して与えるための福祉施設としての面を持ち、その中には医療も含まれていた。
一般の人々が怪我や病気を治療するとき、真っ先に頼るのが聖神殿だ。神殿側もそれが信仰心や自分たちへの敬意に繋がると分かっているので、積極的に治療呪紋の技術を磨く。
結果、神官といえば優れた治癒術士、という印象が固まった。エルデュミオは信じていないが、その高い効力は神に敬虔に仕える神官だからこそとも言われている。
そこに王女がしゃしゃり出てきて神官よりも高い呪力で人々からの尊崇を奪うのは、聖神殿からすれば嬉しくないことだ。
「け、けれど、できることをしないのは、嫌です! もしかしたら一人を助けられるかもしれなくて、行かないことで被害者が増えてしまったら、後悔してもしきれませんッ」
ぺしぺしと自分を確保するスカーレットの肩を叩き、ルティアは自分を解放するように要求する。
(連れ帰ったところで、また勝手に出ていくのは目に見えているか……)
心の底から、うんざりとした息をつく。
「だったらせめて、その恰好で行くのは止めろ。スカーレット、ルティアを下ろせ」
「はい」
数分ぶりに自分の足で地面に足ったルティアは、いきなり走り出したりはしなかった。身に付けたドレスを見回してから、エルデュミオに目を戻す。
前回の時間軸で聖神教会と敵対したことは、ルティアにとっても悔恨だったのだろう。避けられるなら避けたい、という意識が感じられた。
「どうしたらいいですか?」
「神官の恰好をして行け。それなら言い訳が付く」
何も知らない者から見れば、神官の恰好をしていれば神官である。ルティアが反射で神官の仕事を奪っても、体面的な言い訳がどうとでも立つ。内心はともかくだが。
「スカーレット、お前は城に戻ってルティアを確保したことを教えてやれ」
間違いなく、侍女や侍従が顔を青くしている。騒ぎになるのも面倒だ。
「それが終わったら神殿に先行しろ。僕とルティアが視察に行く、と了承させて来い」
「承知しました。では」
一礼して引き返したスカーレットを見送ってから、エルデュミオはルティアに声を掛ける。
「僕たちは先に第一神殿に行くぞ。そこで神官服を借りる。ついでに詳しく話せ。何が起こった?」
「分かりません。ただ、奇妙に強力で凶暴になった魔物が、王都周辺で頻繁に現れているようなのです」
それはリーゼから聞いた、聖神教会を壊滅させた魔物の襲撃の様子と共通する。ルティアもそう思ったから、城から飛び出してここにいるのだろう。
「聞いていないぞ」
「被害が拡大したのは今朝ですから……。おそらく、貴方の元にも報告は向かっていると思います」
「では、その傾向が出てきたのはここ二日か?」
被害という被害が出ていない段階なら、体調を崩して療養していたエルデュミオの元まで報告が来ないのはうなずける。内容が軽視されて、スカーレット辺りで止まっているかもしれない。
「正確には昨日です。町の周辺警備にあたっていたフェリシスから報告が上がりました。騒ぎになったのは今朝です。被害者が出てしまったので、危機感が高まったのではないかと」
「異常な個体が相当数いると見なされたわけか」
それで城も慌ただしかったのだ。
「……リーゼはどうしている?」
「気になります?」
平民として市民街で過ごしているだろう少女の名前を出すと、ルティアが少し嬉しそうな顔になった。正直、イラッとする。
「気にしたから名前を出した。それで?」
「幸か不幸か、実はもうストラフォードにはいません。シャルミーナと連絡を取りに向かってもらいました。現地に行けば何とかなるかと。あと、道中で前回異変があった場所も確認してもらう予定です」
「そうか」
ルティアやエルデュミオは立場があるので、動くのが難しい。冒険者という身軽な立場のリーゼがいるのは、それはそれでありがたいことだったのだ。
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