第23話

 気が付けば、窓から差し込む陽が赤い。

 いつの間にか窓には遮光のためにカーテンが引かれていた。時間の移り変りにここまで気が付かなかったのはそのためだろう。

 そうした音や室内の変化を見逃すほど、没頭していたようだ。


(時間一杯を仕事で使うのなんか、式典の近辺以外では初めてだ)


 急ぎであるのだからやむを得ないし、そういうときのために普段は余裕を持っているのだとも言える。


「スカーレット、仕事は終わりだ。屋敷に戻るぞ」

「承知いたしました」


 作成したリストは、一応持ち帰ることにした。編成内容など隠せるものではないので、当人に通知した瞬間に知れ渡るが、数時間の差が明暗を分けることもある。


(誰がルティアを狙っているのか、早くつきとめないと無駄が増える。僕自身の安全のためにも、ルチルヴィエラに行っている間に終わらせたいところだ。……となると)


 執務室を出て鍵をかけ、正門へと向かう。その途中の中庭で、珍しい人物と鉢合わせた。


「あ……。エルデュミオ」

「ルーヴェン。こんな所で何をしている」


 公的な場では一応臣下として振る舞うが、そうでない場合、エルデュミオは従兄弟という間柄を優先する。

 それを咎められないままここまで来ているのがイルケーア家の力を示しており、また王子王女がどれだけ軽んじられているかの証明だ。

 腹違いとはいえ実の妹と王座を争う羽目になっている兄は、疲労の濃い顔色で気弱げに微笑する。


「少し、息抜きに外の空気を吸おうと思って」


 母譲りの榛色の髪に金の瞳をしたルーヴェンは、今年十九になる。長子ではあるが第二王妃の子どもということで、ルティアを推す派閥の台頭を許した面もあった。

 第一王妃が子に恵まれなかったから、仕方なく迎えられた第二王妃の子ども。そんな悪意の囁きがルーヴェンから離れることはなく、彼の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いない。


 ルーヴェン誕生からわずか一年で第一王妃がルティアを生んだことも、彼に自身の存在意義を問う要因になったのだろう。

 エルデュミオが知る限り、ルーヴェンはいつも、息を殺して奥に隠れているような子どもだった。


「息抜きをするなとは言わないが、賢明じゃないな。お前はいつ誰から狙われてもおかしくない立場なのだから」

「そうだね。ルティアも、この前賊に襲われたって聞いたし……」


『前回』と本気度が違う『今回』、ルティアを狙ったのは邪神崇拝者の何者かで、王位争いとは関係のない可能性が高い。だがルーヴェンから見れば自分と同じ立場の妹が襲われたようにしか見えないだろう。

 旗頭の意思など関係なく、彼を王にしたい者が邪魔なルティアを排除しようとした。その逆にルーヴェンを邪魔と見なす何者かに亡き者にされてもおかしくない、と。


 王族殺しが露見したときの罪は重い。

 エルデュミオとしては傀儡でしかないルーヴェンにそこまでの価値を見出す者がいるとは思えなかったが、ルーヴェン自身がどう思うかは別だ。


「皆、身勝手すぎるんだ。……どうしてルティアは、私の前に生まれてきてくれなかったんだろう。そうすれば……」

「現実に起こりえなかった過去の可能性を模索するのは、時間の無駄だ。そんなことよりさっさと傀儡であるのを止めて、自分の支持者を掌握することに力を注いだらどうだ」

「……」


 容赦のないエルデュミオの言葉に、ルーヴェンは金の瞳を伏せ、儚く息を吐き出す。


「君は私を傀儡だと責めるけれど、誰も彼もが君のように強く立ち上がれるわけじゃないんだ。それに……」

「何だ」

「……いいや、何でもない。もう行くよ」


 言葉を途中で飲み込んで、ルーヴェンは腰かけていたベンチから立ち上がる。彼が中庭を出ると、周辺に待機していた護衛の騎士も動き出す。

 角を曲がってすぐに、その姿は見えなくなった。


(相変わらず、覇気のない奴だ)


 あんな調子でいられて、ルーヴェンに王の姿を見ろと言われても難しい。王は臣下を選ぶだろうが、臣下とて仕えるべき主を選ぶのである。


「エルデュミオ様。どうか、ルーヴェン殿下には油断なさらないよう」


 常よりも近くに控え、スカーレットがそう小声で耳打ちをしてきた。


「何?」

「彼の君の瞳には、野心がございましたから」

「……そうか?」


 スカーレットの忠告にうなずけずに、エルデュミオは否定的な声を返す。


「僕には気弱な男にしか見えないけどな。――ルーヴェンのことは今はどうでもいい。帰るぞ」

「はい」


 エルデュミオは取り合わなかったが、スカーレットに気を悪くした様子はない。ただし自分の説を捨てたわけでもないようで、ルーヴェンの去った方向を気にしている。


「そんなに気になるなら丁度いい。一度調べてみろ」

「殿下をですか?」

「というより、その周囲だな。ルティアを襲った裁炎の使徒を動かした何者かを突き止める必要がある。僕の安全のためにもだ。ああ、あと王でもない者の命令を聞いた使徒の方にも相応の処置が必要だな」

「急ぎ明らかにするべきなのは分かりますが、調べるのであれば……」


 屋敷に戻ってからするつもりだった話だが、今でも特に問題はない。エルデュミオは首肯した。


「お前はルチルヴィエラに同行しなくていい。時間が余ったら、根回しの準備を進めておけ」


 ローグティアの件は急務だが、ルティアに王座を渡す件ものんびりとはしていられないのだ。


「しかし……。いえ、承知いたしました」


 一瞬ためらいを見せたスカーレットだが、すぐに切り替え、承諾の返事をした。

 ルチルヴィエラにはレイナードを連れて行くつもりだ。もしかすれば今後しばらく、ルティアの護衛は第二部隊で担うことになるかもしれない。経験を積む必要がある。

 エルデュミオ自身も含めて、だが。

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