第45話 忍び寄る太い影
「だから! このサイズのダイヤで105万メイルはおかしいって言ってんの!」
アメリアとローガンがドレスを買いに出かけた時と同じ頃。
王都、カイドのとある宝石店に怒号が響き渡った。
怒号の主は──ハグル家の侍女、メリサ。
メリサの手には赤いダイヤ付きのイヤリングが摘まれており、勘定場に座る気弱そうな店主に物凄い剣幕で迫っている。
「こんな小粒のダイヤで105万だなんて、宝石詐欺師でももう少しマシな価格をつけるわ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「し、しかし、お客様……何度も繰り返しますが、そのダイヤは”ブラッドストーン”と呼ばれる、ノース山脈でしか取れない貴重な宝石でして。そちらは0.1カラットですが、他店との相場を比べても決して高くは……」
「そんなの知らないわよ!」
バンッ!!
と、メリサは勘定台を叩いた。
──発端は、メリサの値引き交渉からだった。
セドリックに支度金の回収を命じられて三日目。
王都でショッピングを楽しんでいたところ、光ものに目がないメリサは宝石店に吸い込まれた。
せっかくだから何か購入しようと、赤いダイヤが煌めくイヤリングに目をつける。
しかし、値札を見て「うっ」と顔を顰めた。
メリサは腐っても伯爵家の侍女だ。
たくさんたくさん無理すれば買えないことはない、がかなり痛い出費となる価格が爛々と輝いていた。
ざっくりと、お給金の三ヶ月分。
普通の思考なら購入を検討するのも躊躇う価格だが、王都に来ていることで気分が高揚していることと、それなりに貯蓄もあること、そして何よりも今まで見たことのない透き通るような赤いダイヤに一目惚れしてしまい、何がなんでも欲しいという強い想いがメリサの心を突き動かしていた。
(……少しだけでも、お安くしてくれないかしら)
見たところ、店主は気弱そうで押したら通してくれそうな気がする。
元来、自分よりも弱そうな相手に対して強気の姿勢を取りがちなメリサに、邪な気持ちが芽生えた。
最初はそれとなく値引きできないかと尋ねたが、思惑とは裏腹に店主は頑として拒否。
メリサは知る由もなかったが、この店は王都の中でも歴史ある屈指の高級店。
ブランドイメージを損なわせないため、そもそも値引きなど受け付けていないというのが店の方針であった。
そこをなんとかならないかとメリサは食い下がるも、店主は首を横に振るばかり。
もともと気が短く、自分の思い通りにならない事が我慢ならない性格のメリサの口調は段々と荒くなっていった。
終いには売り言葉に買い言葉で、冒頭のセリフに繋がる。
「田舎者だからって、足元を見ているに違いないわ!」
「い、いえ、決してそんなわけでは……」
ひとたび頭に血が昇れば癇癪を起こす、大声で威圧する。
そして相手を従えようとするのは、三十も後半になるともはや変えようのないメリサのスタイルであった。
着実に面倒くさいおばさんの道をまっしぐらなメリサだが、本人にその自覚があろうはずがない。
「いいから黙って安くしなさい! じゃないと、タダじゃおかないんだから!」
他の客の目があるにも関わらず頭に血が上って、ぎゃーぎゃーと喚き散らすメリサ。
終いには冷静さを失って、メリサはとうとう店主の胸ぐらを掴んで迫った。
「お客様、いい加減にしてください!」
普段来店する客層は落ち着きのあるセレブが多い分、メリサの剣幕に最初は戸惑っていたが流石にもう耐えられないと店主の口調が強いものになる。
「これ以上暴れるようでしたら、憲兵を呼びますよ!」
『憲兵』という言葉に、流石のメリサも冷静になった。
強い者を前にしたらさっさと退散する、がメリサの狡い方針である。
「……ちっ、さっさと潰れてしまえ、こんなクソ店」
台詞とイヤリングを捨て置いてから、メリサは乱暴にドアを開け放って逃げるように退店した。
「あー、本当イライラする……」
なんで私がこんな嫌な思いをしなきゃいけないんだと、心の底から思うメリサ。
怒りのオーラを撒き散らしながら、ずんずんと王都の通りを歩く。
以前はまだ少し自制心が効いていたはずだが、もう長らく夫婦生活がうまくいっていないことや、アメリアの目付け役を外されてからの疲労の日々、そして後輩の侍女から向けられる白い目。
それらのストレスの積み重ねが、もともとアカンかったメリサの性格を最悪の仕上がりにしていた。
もちろん、完全なる自業自得であるなど本人が自覚しているわけがない。
しばらく歩いて、メリサは息をついた。
カッとなりやすいが、冷めるのも早い。
それが彼女の怒りの特徴であった。
「そろそろ、行かないといけないわね……」
もう王都で回るところは一通り回った。
そろそろ仕事に戻らねばならない。
「あー……めんどくさい……」
気怠げに毒づいてから、メリサは馬車に足を向けた。
……さて。
そもそも、ハグル家を出発してからすでに三日ほど経過しているのにもかかわらず、未だに何故王都で油を売っているのかというと……。
──王都に来れるなんてなかなかない機会だもの。楽しまないと、損よね損!
ただの自分勝手である。
住み込みで屋敷に押し込まれていたメリサにとって、王都を経由するへルンベルク家への出張(おでかけ)は誘惑が多すぎた。
まんまと王都で足を止めてしまい、観光やショッピングに明け暮れたのであった。
普通に考えて職務怠慢もいいところだが、メリサからすると『今まで長年仕えてきたのだからこのくらいのリフレッシュは当然』などと考えている始末である。
なぜこんなに遅かったのかと問いただされても、体調が悪かっただの事故で足止めを食らっただの理由はいくらでもつけられる。
無駄に在籍期間が長い分、雇い主のセドリックの性格は熟知している。
今更自分を解雇しないだろうし、最悪支度金を握らせておけば丸く収まるだろうと、都合よくメリサは考えていた。
ただ、流石にそろそろ向かわなければならないと、馬車に向かうメリサだったが……ほのかに漂ってきた香ばしい良い匂いにその足がまた止まった。
「……最後に、王都の名物グルメでも食べていきますか」
もう三日も経っているのだ。
数時間遅れたところで気にするだけ無駄だし、何せ自分は今から支度金を回収するという重要な任務を控えている。
そのためのエネルギーを蓄えておくのは至極当然、とメリサは考えた。
この自分に対する甘えが、しっかりと年々膨張しつつある身体の膨らみと直結しているとは本人の知るところではない。
先程までの剣幕はどこへやら。
軽い足取りで、メリサは良い匂いのするお店の方へ歩を進めていった。
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