エンティナ領編ー12




 「はぁ、はぁ、はぁ、これじゃ埒が明かない」






 マグレディーに到着してから、一時間は経過しようとしていた。




 すでに何人を手にかけたのか、もはや俺自身にも分からない。




 混乱し逃げ惑う人々をエンティナ兵から守るため、中腹にある広場を陣取り対峙していたが、この数の相手を俺たちだけで押しとどめておくのもそろそろ限界だ。






 ――時間稼ぎも頃合いか。






 「ドワ娘、そろそろ例の合図を頼む」




 「了解じゃ」






 土魔法で後方支援にあたっていたドワ娘は一歩身を引き戦闘から離脱すると、ヴェンダーナイトの欠片を取り出し、素早く魔力を込め空高く放り投げた。




 一瞬、キラリと光を放った魔鉱石。




 余程の観察眼の持ち主でも、その場で何が起こったのかを把握するのは不可能だったに違いない。






 ドワ娘の放った小指の先もないほどの極小さな魔鉱石は小城に向かって吹く風に乗り瞬く間に上空に運ばれると、目もくらむような閃光を発し辺り一帯を強烈に照らし砕け散った。






 魔鉱石に刻まれていた魔法は“ライティング”






 ライティングは普段洞窟などの暗闇で周囲を照らすごくごく簡単な初期の光魔法である。






 別段この魔法にそれ以外の効果はない。




まぁ、相手の目つぶしに使えなくもないのだろうが、これだけ外が明るければ殆ど意味をなさないだろう。






 周囲を閃光が襲い、一瞬何が起こったのかわからず警戒するエンティナ兵たちだったが、しばらくして何もないとわかると再び武器を構えじわりじわりとにじり寄ってきた。




 


 俺はよくノジカに無茶だと言われるが、流石の俺もなんの計画もなしにここに乗り込むほど無鉄砲ではない。




 変化はゆっくりとだが、確実に目に見える形で現れていった。






いち早く周囲の異変に気付いたのはエンティナ兵の指揮官の男だった。








 ……どうやら皆、上手くやってくれたみたいだな。






 周りを見渡すとマグレディーの至る所から煙のような薄い靄が辺りに広がり、それは次第に雲の上に浮かぶ天空の島の様に、中腹の広場から麓にかけて見る見るうちに先が見えない程の濃い霧で覆われていった。




 


 「上手くいったようじゃな」




 「あぁ、そうだな」


 


  


この街を覆う霧の正体は“水の魔法ミスト”




 


 ミストは空気中に霧を生み出し広範囲の視界を奪う水魔法。




俺はこの日の為に、事前に用意した複数の魔鉱石に水魔法ミストを刻印し、後続部隊に渡しておいたのである。




 色々と試した結果、小石サイズの魔鉱石でミストの効果持続可能時間は約60分。




 それだけの時間魔法を発動し続けられれば、たとえ数メートルしか視界が利かなくても街に慣れ親しんだ者なら避難することは可能だろう。




 エンティナ兵にとってすれば、見えない相手を手探りで探さなければならなし、視界が利かない為、一段と警戒し行動しなければならない。




 


 戦いにおいて視界が利かないことは圧倒的に不利だが、俺たちにとってはこいつらに勝つことが勝利条件ではない。




 領民たちをいかに避難させるか、それが最優先事項。






 逃げるが勝ち。






 避難誘導は後続部隊に任せて、後は俺たちがしんがりを務めながら退避するだけだ。




 


 西の山間に夕日がかかり、いい感じに日も暮れてきた。






 「ラフィテア、ドワ娘、シエル。俺たちもそろそろ退散するぞ」






 俺たちは戸惑っている敵兵を尻目に振り向くことなく黙って頷くと、警戒しながらゆっくりと背後に迫る霧の中に身を隠そうと一歩一歩後退の歩みを進めた。




しかし、シエルだけはなぜか途中で足を止め、そこからその場を動こうとはしなかった。




 「どうした、シエル?」




 「……領主様たちはどうか先に行ってください」




 「何を――」






 そう口を開こうとした刹那、統制の乱れていたはずのエンティナ兵がなぜか突然一斉に武器を降ろすと、まるで神の通り道を作るかのように両サイドに一歩下がり大きく道を空けた。






 










「――シエル、久しぶりではないか」






それは初めて聞く、低くくぐもった男の声だった。




 


「オバロ様、お久しぶりでございます」


 


「まさか、お前が反逆を先導する一人だったとはな。それにどこか見たことがある顔だと思えば、貴様、ラフィテアではないか。いつの間にか姿を消したと思っていたが、まさか逆賊としてわたしの前に再び現れるとはな」




 オバロは少しも落胆や驚きといった様子は見せず、どちらかと言えば楽しそうに周囲の様子を窺っていた。






「……あとはドワーフの小娘に、生意気そうな小僧が一人、か」






 ふん、生意気そうで悪かったな。


 


しかし、こいつが親玉のオバロ・ベータグラムか。




 それから隣にいる黒赤色のフードを被った女が占い師メフィスト・フェレス。




 まさか領主自ら最前線にお出ましとはな。




  ……いや、人の事は言えないか。






 「シエル。折角、わたしが反乱分子どもを根絶やしにしようとこの日を心待ちにしていたというのに、計画を邪魔するとは甚だ不愉快だ」






 「オバロ様。このシエル、先代ロメオ様の頃より今日にいたるまでこのエンティナ領にお仕え申し上げてきました」




 「それがどうした」




「このわたしの行為がロメオ様のご子息であらせられるオバロ様に弓を引くものだったとしても、ロメオ様が愛したこの地、領民を守ることがわたしの務めにございます」




 


「ふん、それは立派な心掛けだな。わたしも父上の愛したこの地を守りたいと心の底からそう思っている」




 「なら、なら、なぜにっ!」




「簡単な事。反逆者は処罰しなければならない。このわたしに剣を向けるという事は王国に仇なすということ。いくら寛容なわたしでも王国に刃を向けた者を許すことは出来ない。たとえそれが長年仕えたお前であったとしてもだ、シエル。それがこのエンティナ領の為、ひいては王国の為だ」




「本当にそうお考えなのですか、オバロ様」




 「愚問だぞ、シエル」




「そう、ですか。やはり、ここでわたしがオバロ様をお止めするしかないようですね」




「お前がこのわたしを止める? 面白い、面白いぞ。お前も冗談を言うようになったのだな。……しかし、この人数を相手にどうするというのだ?」




「そうだ、シエル。悔しいが今は一度退いた方がいい。さすがに分が悪い」




「しかし……」




「そこの小僧の言う通りだ。だが、反逆者を目の前にわたしがおめおめと貴様らを逃がすと本気でそう思っているのか?」




「思ってないさ。けど、諦める道理はない」


 


 「ふはははっ、確かに。ならば、こいつらを前にお前たちが逃げられるかどうか見せてもらおうではないか」




  オバロはそう言って右手を上げると、不敵に笑みを浮かべて見せた。




  




 オバロの合図とともに俺たちの目の前に引き出されたのはエンティナの領民たちだった。






 「こやつらはわたしに歯向かった反乱分子の一味。もし、お前たちがここから逃げるというなら、この者たちはここで今すぐ死ぬことになる」




 「なっ!」






 何が反乱分子だ。




まだ幼い子供や女性ばかりじゃないか。






 「どうした? 逃げるのではなかったのか? どうした。領民たちを見捨てて逃げるがいい」




 「くそ野郎がっ!」




 「どうした? 逃げないのか? もし、お前たちが武器を捨て投降すれば、そうだな、この者たちの罪はなかった事にしてやってもいいんだぞ」






 何が罪はなかった事にだ。




 俺たちが投降してもあの子たちが助かる保証はない。




――だが、武器を捨てなければ、間違いなく殺されてしまう。






 くっ、どうする。




 


 俺たちが動けずにいる間も、捕虜となった領民たちは剣を突き付けられ、少女は恐怖にさらされ心の髄まで怯え震えていた。




 


 「領主様、このような事に巻き込み申し訳ございません」




 「何をいまさら」




 「そう、ですね。……領主様、わたしはオバロ様を止めなくてはなりません」




 「あぁ、分かってる」




「今逃げおおせれば、機会もきっと巡ってくるやもしれません。しかし、今、あの者たちを見捨てることはわたしには出来ません」






シエルはそれだけ言うと地面に剣を突き立て、両手を頭の後ろに組み投降の仕草をしてみせた。




  


「ふん。物分かりがいいな、シエル。それで他の者たちはどうした?」




「わかった。投稿するさ。ただし、そいつらの身の安全は保障しろ」




「いいだろう、約束しよう」






約束か。




こいつとの約束に何の信用も保証もない。






「二人とも俺に付き合ったばかりに、こんなことになって悪かったな」




「わたしはわたしの意思で此処に立っています。ラック様が気になさることではありません」




「そうじゃな。珍しく耳長と同意見じゃ。おぬしが気に病むことではない。それに何やら事が起こりそうじゃしな」




 「事が? どういうことだ?」






 ドワ娘の意味深な言葉に何を言わんとするのか尋ねようとしたその時、霧の中から軽快な馬の蹄鉄の音共に凛と張る美しい声が辺りに響き渡った。








 「――オルメヴィーラの領主、剣を捨てる必要はない」










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