第6話 見ている神がいなくても

 どっぷりと暮れた日の光に変わって、間接照明の暖かな光に照らさた学生寮の一室。シアは1人、教科書とパソコンを相手に、にらめっこをしていた。

 特派員になると報告書なども作成しなければならない。

 文書制作用・表計算用ソフトに加えて、今後はスライドを作ったり動画を作ったりもしなければならなくなる。それらすべての作業を在学中に一通り、覚えていく必要があった。


 かれこれ1時間ほど。時刻は夜の9時ごろか。

 うーん、と背伸びをしたシアは小休憩をとることにする。


 キッチンに置いてある瞬間湯沸かし器を使って沸かした熱湯を、水色のマグカップに注ぐ。

 カップの中で待っているのは、アッサムの茶葉の入ったバッグ。大人しく出番を待つそれめがけて優しくお湯を注ぐと、待ってましたと言うように、透明なお湯が透き通った茶褐色に変わる。芳醇な香りが漂い、なかなか思い通りいかない作業ですさみつつあった気分を落ち着かせてくれた。


 ある程度香りを楽しんだシアは、冷蔵庫から素早く牛乳を取り出し、注ぐ。

 渦を巻くようにベージュ色に変わる紅茶の様子を観察し、彼女はカップを持ってパソコンの前にあるデスクチェアーに戻った。

 冷たい牛乳のおかけで程よく冷めた紅茶を一口。クセの少ない紅茶本来の渋みが牛乳と合わさって、疲れた脳と、乾いた口内を優しく温めてくれる。


 ふぅ、と小さく息を吐いたシアは将来について考える。

 窮地を何度も救われ、勇気をもらい、願いという名の“生きる意味”を手にした彼女。きっかけになった少年からもらった言葉を思い出しながら、改めて、自分のやりたいことを考えてみる。


 ふと見た壁にはつい先ほどまで着ていた白いワンピースがハンガーにかけてある。レースの刺繡や小さいリボンがアクセントで、天が「可愛い」と言ってくれたお気に入りの服でもあった。からの感想は無かったけれども。

 そう言えば愛しさ余って天を名前呼びしてしまったことを思い出すシア。気にした様子は無かったし、友達として、認めてくれただろうか。そうだとすると、夢が1つ叶ったことになるのかな、と、考えていた時。


 そうだ! と思いついたシアは、まだ薄っすらと湯気を上がるマグカップをパソコンの横にそっと置き、文書制作用ソフトを立ち上げる。

 そしてまっさらな白紙の文書に、自らの啓示に従うよう、ちょっとした物語を書き始めた。


 【物語】の啓示を知ろうと多くの本を読んできたシア。これまでは読むばかり、受け取るばかりだった。

 しかし、彼女は決めたのだ。自ら行動して、人々を笑顔にできるような人になりたいと。物語を書くことで、受け身だった自分から少しでも変われるような気がしたのだ。


 しばらくして、出来上がったのは短い物語。

 大きな魔獣を相手にシアが、優と天、春樹の4人でセルを組んで魔獣と戦い、窮地に陥りながらも、勝利する。そんな王道ストーリー。勢いで書き上げその物語に、リアリティなど無い。


 けれども、それは紛れもなく、シアにとって叶えたい未来だった。

 脳が調子づいたのか、すべきこと、やりたいことがどんどんとあふれてくる。

 衝動に突き動かされるように、彼女はタイピングを進めた。




 夢中で物語を紡ぎ、あっという間に時間は過ぎる。シアがパソコンの横に置いていた目覚まし時計を見たときには、もう眠る時間になっていた。

 文字数が多くなってしまった『文書1』を見つめるシア。そばに置いていた紅茶も気づけば空っぽ。“息抜き”がある意味失敗したことに、ため息をつく。


 しかし、気分転換にはなったと思い直して椅子を立ち、就寝の準備を進める。

 底に紅茶の色が残らないよう水と少しの洗剤を入れて、キッチンのシンクに置いておく。ユニットバスの洗面台で手を洗い、歯を磨いて、最低限の肌のケアもした。

 間接照明を消すと真っ暗になる部屋。

 それでも、閉じたカーテンからうっすらと漏れる月明かりが、ベッドまでの道をどうにか示してくれていた。


 ベッドに入って、眠ろうと目をつむる。特派員にとって寝不足は百害あって一利なかった。

 静かな夜。木々が風に揺れる心地よい音以外に雑音はない。目を閉じているため、視界もない。自分と世界の境界線が曖昧になり、やがて無くなっていく――。




 案の定。数分しても、私は眠れずにいました。

 紅茶のせいでむしろ頭は冴えていて、さっきまで書いていた物語の続きを勝手に提案してきます。パソコンに入ったまま、誰の目にも触れることは無いだろう物語の、その続きを。この世界をあまねく見守り、管理していた自分たち――神はもういないというのに。


 魔獣が跋扈ばっこする世界です。人々も生きることに必死で、自分以外を見ている余裕などないでしょう。

 そう。誰も。

 この世界で、私たちの歩む道を見ている余裕などありません。

 きっと誰も。

 私たちのことを知らず、知らないうちにこの命は尽きていることでしょう。


 ――でも。


 それでも。

 たとえこの世界の誰も、私たちを見ていなくても。


 が見ていてくれるから。


 私たちは生きた軌跡を残すことが出来るんです。

 今はまだありきたりで、意味も名前もない、無題のままの人生でも、


 いつか、が名前を付けてくれます。


 ……でも、もし、望みが叶うなら。

 我がままになっていいと、言ってくれるのなら。

 もう少しだけ皆と――彼と、一緒に歩む暖かな日常を過ごしたい。

 たとえ、いつかは魔獣に命を散らされる運命だとしても――。




 いつか、私たちの最期を見届けてくれたあなたが、

 私たちの過ごした日々に“意味”と“名前”を与え、

 この人生を『物語』にしてくれるその時までは。


「どうか、この物語は無題の、まま、で……すぅ……」




 溶けるように消えた祈りの言葉。

 カーテンが揺れて月明かりが差し込む。

 再び輪郭を結んだ部屋には、もう、少女の静かな寝息だけがあった。

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