第5話 茜差す空の下

 テラス席で会った銀髪の天人との奇怪な現象。その混乱から立ち直った優は、混乱を沈めてくれた張本人であるシアに、改めて向き直る。


 服に詳しくない優だが、夕日に染まる白い、ワンピースと思われるその服がシアによく似合っていると思った。清楚な印象のあるシアに、ぴったりで、少しオタクな優の好みでもあった。


 明後日の方向を見つめながら、未だ幽霊の存在を必死になって否定する手に持っているトレーには、先ほど見た銀髪の上級生が飲んでいたものと同じような、ヨーグルト系の飲み物が乗っていた。スムージーだったか、ラッシーだったか、優が思い出していると。


「そ、そんなことより! オホン。……お呼び立てしてすみません」


 トレーを手に、席に着きながらシアが優と話す体制を整える。優も今はシアとの話の方が大切だろうと、気持ちを切り替えた。


「気にしないでください。大事な話があるんですよね?」

「はい。――私が優さんに使用した、権能についてです」


 そう言って、暗み始めた空の下。シアは優に【物語】の啓示と権能について話し始めるのだった。




「俺が“主人公”、ですか?」


 彼女の話を聞いた優の第一声だった。


「はい。なので、これについては間違いなく。私のせいで、優さんにはこれからたくさんの困難が降りかかると思います」


 シアが選んだたった1人に、主人公としての人生を歩ませる。シアが優を助けるために使用した〈物語〉の効果だった。そのたった1人にだけ、世界を変えてしまうほどの力が集中し、働く。致命傷だった優を治療できたのもそのおかげだとシアは語った。


「主人公に、困難……。まさしく、物語らしい力ですね」


 優は笑うが、まだシアの表情は晴れない。


「優さんを助けたい。そんな私の我がままのせいで……。すみません」


 出会って何度目だろう。シアは優に頭を下げる。それでも、シアは顔を上げて目を合わせ、必至に思いを、言葉を紡ぐ。


「ですが私は、誰よりも優さんに、生きていて欲しかったんです。例えこの先、〈物語〉の権能に制限があるとしても」


 優としては自分の不手際のせいで格好悪く死にかけ、助けてもらったのだ。シアに感謝こそすれ、非難するのは見当違いというものだろう。

 何より、シアに権能を使ってもいいと思ってもらえたことが嬉しく、そして、誇らしかった。


「謝らないでください。むしろ、そのプレッシャーの方がすごいです」


 苦笑しながらそう語る優に、シアも非難されなくて良かったとほっとする。彼がそんな人物ではないと分かっていても、どうしても緊張していたのだ。

 冷たい飲み物が入ったストローに口を付けながら、冷静さを取り戻す。なお、今彼女が飲んでいる者はスムージーでもラッシーでもなく、バニラシェイクだった。


「選ぶだなんて、そんな大層な……ん?」


 そこまで言って、シアはふと。緊張が解け、冷静さを取り戻した頭で考えることになった。

 権能を使えるたった1人。その大切で、かけがえのない1人に優を選んだ。その事実と想いを茜差すオシャレなテラスで伝える。これではまるで――。

 一気に全身が熱を帯び、誤解されかねない自分の言動を釈明する。そもそも、このテラス席を選んだのは優だと、今のシアに考える余裕はない。


「――えぇっと! その! これは何というか、なんということも無くて! だから優さんが責任だとか何かを感じる必要はないです!」

「は、はい……」


 慌てたように突然まくしたてたシアに面食らった優も、うなずくことしかできない。なおも


「むしろ私が責任を負うべきですよね?! こう、何か。何かして欲しいことは無いですか? 優さんの人生を変えてしまった、せめてもの償いを……」


 私にできることなら、何でもします。そう付け加えたシアに、優はその必要が無いことを伝えようとする。

 しかし、ふと、考える。償い。シアはそう言った。恐らくこのまま何も提示しなければ、責任感の強い彼女は優に会うたびに罪悪感を感じることになるのではないか。であれば、何か要求をしてあげた方が良い気もする。

 しかし、優自身の中には助けてもらった感謝しかない。彼女の負担になるようなことは、お願いしたくない。


 少し考えた末、シアにわがままを言ってみることにした。


「……では、少しだけ期待していてもらえると助かります。俺が頑張る理由になるので」


 誰かに期待してもらえる。優にとってそれは、誇ってもらうための、第一歩になるような気がした。


 今日、改めて突きつけられた本物の特派員たちとの距離。魔獣との戦闘後だというのに、同級生のために行動する余裕すら見せた憧れの妹との差。自分と違って本当に覚悟を決めていて、前を向いていた同級生たち。

 風呂場で感じた覚悟の甘さと無力感から立ち直るためにも、優はそのきっかけが欲しかったのだ。

 シアは天人で、とびきりの美少女だ。そんな彼女に少しでも期待してもらえると言ってもらえたなら。例え現金だと言われようとも、優は頑張れる気がした。


 そうして苦笑しながら言われた優の言葉にシアは、


「……期待、ですか? 私が優さんに、期待を?」

「はい。特派員としてまだまだな俺ですけど、その、頑張るので……」


 その綺麗な濃紺が印象的な目を丸くて驚く。自身が無く、後ろ向き。そんなお願いをからされるとは全く思っていなかった。


 外地にいる時とは別人のように頼りない目の前の少年。案外、自己評価が低く、気の弱いこの姿こそ、彼の本質なのかもしれない。となると、外地での彼は、自分シアを、誰かを守りたくて頑張っていただけということになる。

 感情が薄く、常に冷静で、的確に指示を出す。そんな人間離れして見えた神代優という少年も、“理想”であろうと努力するただの1人の人でしかったのだ。


 シアの中で神代優という少年の評価が改められる。そして、ただの『格好良く頑張る男の子』でしかなくなった優のお願いに、シアは真正面から答える。


「わかりました、そのぐらいの事、何でもありません! むしろ、期待なんか通り越しちゃって、信頼しています!」


 彼女にとって優は既に頼れる存在なのだ。しかも、自分が優を信頼していると気づかせたのは、優自身だというのに。


「なのに、その優さんが期待して欲しい、なんて……。それに、外地にいる時とのギャップが、可笑しくて……ふふふ」

「それは、なんというか……」


 目線を逸らしてしどろもどろに答える優がさらに可笑しくて。


「もう、無理、です……ふふっ、あはははっ!」


 そうして、もうすぐ見えなくなる太陽の、その最後の光を浴びながらお腹を抱えて笑うシア。優は彼女が初めて、心から笑っているのを見たような気がした。

 目端に光る雫を溜めたその笑顔は美しく、可愛くて。そんな彼女に信頼していると。そう、恥ずかしげもなく言われた言葉が嬉しくて。

 同時に、揚げ足を取られる形になったのに、シアに見惚れている自分が無性に恥ずかしくもあって。


「……笑い過ぎです」


 せめてもの抵抗として格好悪く、愚痴をこぼすことしかできない。そうして、茜差す空の下。

 優とシア。2人の間に権能という名の強固な絆が結ばれる。“選んだ者”と“選ばれた者”。その何物にも代えがたい関係にシアが悩むことになるのは、少し先の話――。

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