第6話 綴り手として
窮地だからこそ、そこに勝機があると見たシア。
何より、誰よりも自分を信頼してくれる優ならば、この窮地をはねのけてくれる。そんな【物語】を、シアは描きたかった。
自信に満ちたその表情に、憧れてやまない妹を重ねていた優は。
「俺は何をすればいいですか?」
いつものように。いつも以上に、彼女を信じることにする。
『お前たちの自由にさせると思う?』
が、ついに内輪揉めを終えた魔人が
魔人にとってみれば、マナを使わず、その巨体で獲物を押しつぶしてしまう方が一番効率的だった。
よって、攻撃に回していた腕も移動に回し、体を安定させる。
駅を右手に見ながら、東に向けて走る優とシア。
つかず離れず、魔人と10mほど距離を保ちながら駆ける。
「シアさんが集中する時間を稼ぐには、敵の手数が多すぎます」
〈運命〉を使用する時のような時間をシアに作ってあげることは、残念ながら今の自分にはできない。
そう言った優に、シアはうなずく。
「今回は大丈夫です。動きながら私が敵を倒す優さんの姿を強くイメージします。なので――」
魔人が移動のために使っていた太く、頑丈な腕の1本を2人に伸ばす。
新たな伸縮する腕を生やさないあたり、魔人のマナにも余裕がないことが伺えた。
迫る手のひらを、優とシアは左右に分かれて回避する。踵を返し、今度は西側に向けて2人は走る。
魔人を挟んで疾走する形になるが、なるべく魔人が使える
『小癪な……!』
巨体を揺らして振り返る魔人を背後に2人は合流し、並走する。
「俺が攻撃を当てていれば、〈物語〉が発動する、という意味で合ってますか?」
「はい、優さんの負担が大きいですが……」
「いえ」
疾走しながら後方を見やり、追いかけてくる巨体を見た優は。
「それぐらいできないと、格好良くないので」
転身。
シアに伸びていた太い腕の下部にナイフを振るう。硬い腕。まずは指を動かす筋を切断する――。
つもりで振るったそのナイフは、白いマナに覆われていた。
そうして白いマナを纏った透明の刃は、予想よりも深く――腕の半分ほどを難なく切り裂いた。
『あ゙ぁぁぁ!』
上の口からよだれを散らし、腹部の口で叫ぶ魔人。
『くぅ……! 何をしたの?!』
脅威と見ていなかった少年の強烈な一撃に、思わず後ずさる。
「これが、シアさんの権能……〈物語〉の力」
一方、優も優でその不思議な感覚に戸惑っていた。
マナは自分のものしか扱えない。例外として、天人は自身の啓示にまつわる内容であれば他者のマナに干渉し、〈権能〉として使用できる。
〈物語〉は1人の人物を“主人公”として選び、その者に主人公足る人生――物語を歩ませる魔法。
シアは“主人公”である優を〈物語〉の魔法の一部として扱うことで、彼のマナに干渉していた。
「これなら最初から使えば良かったんじゃ――」
言った優が見てみればシアの全身は〈運命〉の権能を使った時のように、圧倒的なマナで覆われている。
「なるほど。効率が悪いんですね」
「はい。優さんと私のマナで攻撃をしました。ですが普通は、個々別々に攻撃した方が効率的ですよね」
2人分の攻撃を1人に集中させるということ。
「それに、ここからこの戦闘が終わるまで〈物語〉は使用され続けます。綴り手の私が意識を失って描けなくなるか、幕が下りるまでが【物語】ですから」
つまり、魔獣や魔人同様に、マナが常に放出される状態になるということ。
時間をかけて魔人の目の前で魔力切れを起こし、意識を失えばどうなるのか。言うまでも無い。
また、どれほど権能が強力でも、当たらなければ意味がない。威力を上げる反面、攻撃を外せば多くのマナが無駄になる。
権能を実質的に使う優が戦闘できなくては意味がないため、シアはどれくらい戦えるのか、優の魔力を聞いたのだった。
危険な賭けだが、魔人が理性を取り戻した以上、ジリ貧になる可能性が高い。ならば、やってみる価値はある。何より優が魔人を倒すと、シアは信じたかった。
「一応、回避ぐらいは出来ますが、私の方は長くて3分が限界です」
「わかりました。その期待に、必ず応えて見せます」
時間制限に、絶体絶命。
まさしくヒーローのようだと優は内心で震える。
加えて、未だかつてない程の誰かからの信頼。しかもその相手が、神様であるシアなのだ。
優の心が燃えないわけが無かった。
「では――行きます」
優が白いマナを纏う透明なナイフを手に、魔人に駆ける。
驚くほど体が軽く、視界をはじめとする五感が研ぎ澄まされる。
向かう先。優に切り裂かれた腕を仕方なく修復した魔人が叫ぶ。
『権能ね?! 厄介な!』
シアを狙おうとするが、今の優の攻撃が脅威であることも知っている魔人。一瞬迷った末、優の迎撃を優先する。
彼の動体視力の良さを考え、太い腕を用いた緩慢な攻撃ではなく、しなやかで柔軟な腕での攻撃を選択。
腹から、制御できる限界――4本の腕を生やし、手数で押し切ろうとする。
魔人は焦っていた。
触手の魔人本来の人格はもうすでに消滅しており、女性の魔人の意識で自由に体は動く。
もともと特派員として、セルフイメージや自我は強く鍛えていた……ように思う。
しかし、たくさんの人間の意識が混在していて、どれが正しい記憶なのかが分からない。
それでも、徐々に固まりつつあるこの歪な身体のセルフイメージも出来始めている。
各部はより強固になり、腕の硬度も上がっている実感もある。あとはきちんと食事をしてしまえば、より強い個体になることができる。
お腹が空いた。
未熟な天人という最高のご馳走が目の前にある。それを阻むのは最後の障害。
数刻前の非力な少年では障害たり得なかった。細いとはいえ硬さを増した腕による攻撃も対処しきれない、はずなのに。
「――フッ!」
優がその武器を振るう度に易々と伸ばした腕が引き裂かれ、鈍い痛みが走る。それでも、死にたくないという魔人の想いは攻撃の手を止めない。
『もう1人の男といい、仮面の女といい……魔力のない奴らに、どうして!』
混在する複数の記憶の中、特派員だった頃を思い出しながら魔人が叫んだ。
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