「見ている神がいないなら、この物語は『 』です」

第3話 兄妹げんか

　シアがお礼を言えたことに息を吐いた時。天が思い出したように声を上げる。

「そういえば、シアさん。昨日お茶した時、今度は兄さんと、ちゃんとセルを組んでみたいって言ってたよね」

「確かにいましたけど……えっと？」

　天の発言の意図をシアは図りかねる。しかし、優と春樹は天と長い付き合いだ。2人とも、天が何を言わんとしているかを正確に理解していた。

「天、悪いけど、俺は春樹と以外、今のところ組むつもりはない。それに今、シアさんとは天がセルを組むって話だったはずだ」

　優はそ（・）の（・）つ（・）も（・）り（・）が無いことを伝える。

「だよな？」と同意を求めた優に対して、しかし、春樹の考えは違った。

「いや、ちょうどいいチャンスだと思うぞ？　特派員になったら、オレ以外とも行動することになるはずだ。その時の練習はしておくべきだろ？」

　親友の裏切りに分かりやすく驚きつつ、それでも優は食い下がる。

「確かに言うこともわかるが、今じゃなくていい。まだ外地に行くのも2回目だ。戦闘に関してはまだ春樹と一緒に行動できてない。まずはそこからだ」

　そんな優の言葉に、春樹が苦虫を嚙み潰したような顔を見せる。そう、前回の演習では春樹は早々に戦闘不能になっていたのだ。そのふがいなさに一瞬口を噤（つぐ）んだ幼馴染をチラと見やって、今度は天が口を開いた。

「むしろ、逆でしょ。前回がどう見てもイレギュラーだっただろうから、今回、魔獣との戦闘は無いと思う。だから、探索の練習がメインになると思うよ？」

　先週の魔獣襲撃は異例のことだと、進藤が言っていたことを思い出しながら語る天。優の方も、ジョンと下野幸助（しものこうすけ）から似たような話を聞いていただけに、反論できない。

「探索の方は春樹くんとはもうしてるんだし、違う人とも一緒にできるようになるべきでしょ」

「それは、そうかもしれないが……」

「えっと、皆さん、先子ほどから何の話を？」

　状況が飲み込めていないシアが、困惑の声を漏らす。彼女は今、優たちが「誰が誰とセルを組むのか」を話し合っていることに気付いていない。

　きれいな眉をハの字にするシアを置き去りに、兄妹が言い合う。気づけば更衣室がある体育館の目の前まで来ていた。着替えのことも考えると、時間的にあまり余裕が無い。そのため、優は多少強引に話を終えようとする。

「それなら俺は天と組めばいい。天とも1度きちんと、連携を確認してみたいと思っていたからな」

　しかし、優のその言い方や態度が良くなかった。

「私『で』って何？　兄妹だからって調子乗るな。兄さんもそろそろ私や春樹くん以外にもつながりがあった方がいいって言ってるの」

　天は顔を険しいものに変え、兄を糾弾する。

「それとも何？　可愛い女の子と一緒に行動するのが怖いの？　フラれたことしかないから？」

　天としては優に交友関係を広げて欲しいと思っている。正直、優と春樹とはセルになったその日に完璧な連携をしてみせる自信が、天にはあった。2人とはそれほどの時間を積み重ねてきたつもりだ。

　――それに今なら、兄さんがシアさんと組む妥当性が、少なからずある。

　先週の魔獣討伐を2人が協力して行なったことは周知の事実になっている。そんな2人がセルを組むことに異を唱える者が、今なら少ないはずなのだ。この機を逃せば、天人で人気のあるシアと、魔力持ちでもない一般人の優がセルを組む機会がないかもしれない。兄が貴重なコネクションを作る、良いきっかけになるはず。

　だからこそ、

「お、おい天。それは今、関係な――」

「格好悪い！」

　なおも食い下がろうとする兄へ、殺し文句を最後に言い放った。

「まぁまぁ、優も天も落ち着け。な？　シアさんも困ってるし、みんな見てるから――」

「分かった」

　ひとまず、春樹が兄妹げんかをなだめようとした矢先。優は決意する。天が言った最後の言葉。それを放置すれば、いよいよもって妹に幻滅される。

『天に見損なわれるのは嫌だしな。想像すらしたくない』

　それは先週、優が春樹にこぼした言葉だ。すぐそばに居てくれる“憧れ”に見放されることは、優にとって、生き甲斐の喪失と同義だった。

「シアさん」

「は、はい……」

　真剣な顔でシアの名前を呼んだ優。対するは、事態を飲み込めていないもののとりあえず返事をしてみたシア。先ほどとは立場が逆。今度は優がシアに告白するような雰囲気になっている。

　空気を察して、あるいは、いい年をした2人による兄妹げんかに圧倒されて。体育館にいた学生たちは黙って見守る。

　――ああ、この感じは……。

　シアも過去、主に容姿を好まれて何度か告白された経験はある。

　とはいえ、彼女はその全てを断っていた。天人として、人（・）間（・）の（・）パートナーを作るわけにはいかない。啓示の影響を心配してのことだった。

　恋愛小説のような雰囲気にシアが胸をときめかせることが出来たのも最初だけだ。中学後半にもなれば、雰囲気をある程度察して、どう断ろうかと逆に冷静になってしまっていた。

　しかし、今、妙な拍動の速さをシアは感じている。それは、初めて告白された時と同じか、それ以上のものに思える。それでも「自分は天人。流されてはいけません」と己を律する。

　やがて優から、

「俺とセルを組んでください」

　頭を下げて言われたその言葉の意味を飲み込む間もなく。

「はい、こちらこそよろしくお願い、しま、す……？」

　シア自身も驚くほど滑らかに、その言葉が出ていた。

「「おー……」」

　どこから歓声と拍手が聞こえて、優はようやく少し落ち着きを取り戻す。数は決して多くないが、それでも十数人の学生たちが優たちを見ていた。場の空気に流された者もいたとはいえ、その場にいる全員が優とシアが今回セルを組むことを祝福していた。

　――最悪だ……っ！

　格好良く生きるため、恥という不要な感情は捨てたつもりでいた優。しかし、公開告白のようになっているこの状況にはさすがに、動揺せざるを得ない。

「天に乗せられたな、優」

　春樹の言葉で、ようやくそのことに気付く。多くの人が注目できる状況を作り、優とシアがセルを組んだことを周知する。先週の魔獣討伐の噂も相まって、周りが見た2人の関係性をより強固なものにしたのだ。

　さらに天としては、魔力が9期生最低ランクの兄が、天人に手を取らせるほどの“何か”を持っているのだと学生たちに思わせるという、密かな狙いもある。それはきっと、新たなつながりを兄に持ってきてくれるだろう。

　にやにやと悪巧みをしていた天を、優が呆れた顔で見る。

「おい、天」

「何、兄さん？」

「とりあえず、俺の言い方が悪かった。悪い。だから、こういうことはもうやめてくれ」

　中学以来、なかなか感情を表に出さなくなった兄が、珍しく赤面して許しを請う様を見て、天も溜飲を下げる。

「分かればいい。私も、やりすぎた、かも？　後悔はないけどねっ」

　今回も優が白旗を上げ、兄妹げんかは幕引きとなる。なお天が知る限り、兄妹げんかの戦績は自分の全勝だ。

　――ううん、あの日だけは負けたかも？

　初めて魔獣と出会った帰り道を懐かしみながら、天はシアと連れ立って女子更衣室へ向かう。

「優、オレ達も行くぞー」

「……よしっ。ああ、そうだな」

　過ぎたことをウジウジ悩むのは格好悪いと、優は考えを切り替える。

　天人とまたも行動を共にする機会を得たのだ。仲間（シア）とどのように役割を分けるのか。春樹と組んだ時との違いは何か。緊急時の対応は。前回の戦闘を踏まえ、もし魔獣と接敵した時は……。優が考えなければならないことは多かった。