第二十四話 逮捕

「薄珂君、慶都。立珂君を連れて下がってなさい」

「分かった! 立珂、大丈夫だぞ。俺が守ってやるからな」


 薄珂は慶都もまだ子供だと思っていたけれど、こんな時でもいつも通りの決め台詞で微笑んでくれる姿が今は頼もしい。

 薄珂が敵として現れた金剛を見つめると、金剛は鬱陶しそうに舌打ちをした。


「ったく! お前の親父にはしてやられたよ。公佗児のふりして人間だなんてよ」

「俺を追って来たんだね」

「そうよ。伝説の獣種が生きる東の地。ずっとそこを狙ってんだ!」

「じゃあ何で里に入れたんだ。拾ってすぐに誘拐すればよかったじゃないか」

「立珂の買い手が付かないんだよ。高額すぎて逆に売れねえ。それにお前ら片方がいなくなりゃ大騒ぎすんだろ。なら立珂の羽根だけ集めりゃまあいいかってな」

「本当に裏切ってたのか……」

「信じてくれなんて言ってねえよ! 全員やっちまえ! 薄珂だけは捕まえろよ!」


 金剛は足を象にしてどんっと地面を揺らし、同時に獅子獣人が船員達に飛び掛かった。刀を抜いて応戦するが、獣の力は強い。見るからに押されていて、しかも後方から獣のうめき声が聞こえている。即座に玲章は天藍を守るように立ちはだかった。


「数揃えてやがったか」

「当然」


 慶真は薄珂達を庇ってくれているがどうするか迷っているのはすぐに分かった。

 腕は背に隠した息子を掴んでいるが、この状況で薄珂と立珂まで連れて飛ぶことはできない。ならば二人を見捨てて息子を助けるという選択をするしかないが、それを平然とできるほど慶真は非情な男ではないだろう。

 薄珂はぐっと唇を噛み、慶真の腕を引いた。


「おじさん、いいよ」

「大丈夫だから下がってなさい。大丈夫ですよ」

「うん。俺は大丈夫だから慶都と立珂を守って」

「薄珂君もですよ。危ないから下がって」

「大丈夫なんだ、俺は。本当に」


 薄珂は慶真が制止する腕を振り切って前に出た。

 慶真は薄珂と慶都を見比べ慌てているが、やはり息子の傍を離れることはしない。息子を選んでくれたことが何だかとても嬉しい。

 薄珂はその傍で心配そうな顔をしてる立珂を強く抱きしめ耳元でそっと囁いた。


「飛ぶかもしれない。その時はいつも通りにやるんだぞ。覚えてるか?」

「丸くなってぎゅー!」


 立珂はきりっと眉を上げて大きく頷いた。どんな時でも立珂は羽に包まり丸くなるのが鉄則だと父に教え込まれている。


「薄珂君! こっちに来なさい!」


 慶真が叫んでいるのは聞こえているが、立珂の頭を撫でると地面を蹴った。そして右腕だけを羽に変えると金剛へ向けて強く羽ばたいた。


「部分獣化か!」

「地上は脚が必要だからね」


 金剛は薄珂の風圧に負けてよろめいて、その隙に薄珂はすかさず足も獣化し爪を伸ばした。これは薄珂の唯一にして最大の、伝説に語られるほどの武器だ。


(爪程度じゃ象の皮膚は切れないだろう。でも目は潰せる!)


 敵に遭遇したら目と脚を切れ――それは父の教えだ。どんなに強くても目が見えなければまともに戦えはしない。薄珂の勝機はそこにしかない。

 薄珂の爪はきらりと宝石のような輝きを見せた。ぐんっと強く踏み込み金剛に向かって飛び込んだがその爪は金剛をかすらない。


「そんなでかい羽で戦えるかってんだ!」

「風圧だって武器になるさ!」


 薄珂がばさりと強く羽ばたくと金剛は踏ん張り切れず吹き飛ばされた。

 それを追って爪を突き立てようとしたが、やはり爪は象の皮膚を通らない。


「くそっ! やっぱり無理か……!」

「ったりめーだろ! 象獣人は陸最強だ!」


 金剛は薄珂めがけて拳を振りかぶった。その拳はまっすぐに薄珂の頭へ向かい叩き割ろうと向かって来たが、その拳は薄珂に届かなかった。

 拳を振り上げた金剛の方がべしゃりと地面に這いつくばったのだ。


「ぎゃあああ! 脚、脚があああ!」


 金剛の後ろ脚から血しぶきが上がった。切れたのは薄珂の死角だ。それに薄珂の手は羽になり武器など握れはしない。爪しかないのだ。

 けれど金剛の脚の後ろは大きく切り裂かれている。それを確認すると、薄珂は両手を人間へと変えた。


「俺じゃ勝てないことくらい分かってるよ。でも勝てる人もいる」

「な、なん、だと」


 薄珂がぴっと後ろを指差すと金剛はぐるりと後ろを振り向いた。

 その場の全員が同じくその先に目をやった。その先にいたのは完全に非戦闘員の男だった。


「どうも」

「お、お前! 孔雀! 何でここに!」


 金剛の返り血を浴びて立っていたのは象獣人用の手術刀を握っている孔雀だった。

 孔雀は唯一象獣人の皮膚を切り裂ける刀で腱と数か所の筋肉を切ったのだ。


「お見事。薄珂君の作戦通りですね」

「っさ、さくせん、だと」


 薄珂はここへ来る移動中、こっそりと孔雀に頼んだことがあった。

 薄珂を守らなくてはと思いつめているであろう表情に付け込んだのだ。


「もし金剛と戦闘になったら先生に頼みたい事があるんだ」

「わ、私にですか?」

「先生にしかできないんだ。象を倒すのは難しい。でもこれなら確実に金剛を切れる」


 薄珂は孔雀に小さな箱を渡した。それは荒れた診療所で見つけた象獣人用の小刀が入っていた箱だ。

 一本は持ち出されていたがもう一本は箱に残っていた。


「持って来たんですか!」

「だってこういう時のために用意してたんでしょ? 俺達で金剛を押さえるから足を切って。動けなくなればそれでいいんだけどできる?」

「ええ。立つための筋肉を切ればいいだけですから簡単です」


 薄珂は孔雀に箱を返し、孔雀には隠れてもらっていたのだ。最初から自分で金剛を倒すつもりなど無かった。


じゃあんたに勝てないのは分かってた。でも孔雀先生人間はあんたを倒せるってことも分かってたよ」

「立つための筋肉を切りました。もう動けませんよ」

「脆弱な人間ごときが……!」


 金剛は全く立てないようで、腕の力だけで身を起こそうとしていたが突如その手を震わせ動きを止めた。

 金剛の目は孔雀でも薄珂でもなくさらにその後ろ、崖の上へ向けられていた。薄珂もその視線を追ってみると、そこには天藍の部下と思われる先程の線の細い男が立っていた。だがその男だけではなくたくさんの人影がある。中には銃を構える者もいてその全てが金剛に向けられていた。

 海にも新たな船が姿を見せたが、それは漁船や小舟などとは全く違う。兵が何人も乗っていて同じく銃を構えていた。

 金剛は守られ立っていただけの天藍をぎろりと睨んだ。


「軍呼びやがったな!」

「阿呆。危険区域警備隊も海上警備隊も平時から常駐だ」


 金剛は両腕を象に変え、天藍に飛び掛かろうとしたが玲章に背を踏みつけられ地に額をこすり付けた。

 他にも数名が寄って来て、慣れた手つきで金剛の手足を縛りあげていく。縛っているのは縄ではなく棘の付いた金属製の鎖だった。金剛は手足を象にしようとするが、太くすればするほど鎖は食いこみ棘が突き刺さる。それは孔雀の手術用小刀と同じような切れ味だった。

 天藍は平伏す金剛の前に立ち、指名手配書を突き付けた。


「象獣人金剛! 人身売買及び有翼人誘拐の現行犯で逮捕する!」

「くそ、くそっ! くそおおお!」


 そんな叫びも空しく、立てない金剛はあっさりと軍の兵士に捕縛された。それでも暴れるので麻酔を打とうとしたようだったが、肌を獣化されて針が刺さらなかった。けれど孔雀が小刀を眼球の前でちらつかせて脅し、ようやく麻酔を打たれて眠りに落ちた。

 ようやく辺りは静かになり全員が胸を撫でおろした。立珂を見ると羽に包まり丸くなっていて傍で慶都が守ってくれている。すぐに獣化できるようにするためか、既に裸だ。


「立珂。もういいぞ」

「う? 終わり?」


 立珂は事態が分かっていないのか、きょときょとしている仕草は愛らしくて薄珂は穏やかな日常が戻って来た事を実感した。


「宮廷へ戻ろう。休んだら少し話を聞かせてくれ」

「はい。薄珂くん、立てますか?」

「う――」


 全員がにこやかに笑い合っていた。薄珂は差し伸べられた慶真の手を取ろうとしたが、びきっと頭に激痛が走って倒れ込んだ。


「薄珂!?」

「薄珂! どうした!」


 あまりの痛みに脳が揺れ立っていられない。急激に体温が上がったような気もして汗が一気に噴き出した。視界もぐるぐると定まらなくなっていて、薄珂は頭を抱えて叫び声をあげた。

 けれどその声は人間の叫び声では無かった。自分でも知らないうちに獣化をしていて、きぃ、と鳥の鳴き声を上げた。

 皆と距離を取らなければと思ったけれど頭が痛くて何も考えられなくなり、ぷつりと意識はどこかに飛んでいった。

 しかし次の瞬間、ふと生暖かい物が顔を濡らしているのに気が付いた。それは妙にぬるぬるとしているが、口に入ると体が震えるほど美味しい。


(甘い。これは俺の大好きなものだ)


 もっと欲しい。そう思って顔を動かすと目に映ったのは立珂だった。

 立珂が目を閉じている。眠っているのだろうか。けれど薄珂の喉を潤す生暖かい物も立珂が抱きしめてくれているところから流れている。

 じわじわと意識がはっきりしてくると、薄珂はようやく状況を理解した。

 薄珂が飲んだのは立珂の血だった。立珂の胸から流れている真っ赤な血だ。


「……立、珂?」

「あ、戻った、ね……」


 薄珂はひゅうっと浅い呼吸をすると、ずるりと薄珂の上から落ちて行った。


「立珂……?」


 立珂の胸元は血で真っ赤だ。薄珂の顔も立珂の血で真っ赤だ。獣化した時に嘴だったであろう口元も立珂の血で濡れていた。


「あ、ああ、あああああああ!」


 薄珂は声の限り叫び声をあげて、そこで全てが途絶えて消えた。

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