第二十一話 蛍宮皇太子・晧月

「先生が主犯とは思えない。腕力が低く知力の高い人間は獣人の中で誘拐なんてしない」

「……長老様が舌を巻くわけだ」


 孔雀は眉をひそめながらも面白そうに口角を上げた。体の力を抜いて息を吐くと、そっと胸に手を当て俯いた。


「君の言う通りです。私はある方に頼まれて色々と動いています。それも二か月前から」


 ぴくりと薄珂は目じりを揺らした。二か月前というのは薄珂と立珂にとって大きな分岐となった頃だ。


(俺達が里に来た頃! やっぱり羽付き狩りの仲間か!)


 薄珂の中で一連が繋がり、ぐっと身構え孔雀を睨み付けた。

 けれど孔雀は俯いたままで、胸に当てた手がぶるぶると震えていた。よく見れば唇をきつく噛みしめてもいる。


「本当は君達を巻き込みたくなかった。でも私は従うしかない立場なんです」


 孔雀の言葉に再び薄珂は眉間にしわを寄せた。巻き込むために動くのに巻き込みたくないとはおかしな話だ。


(俺を狙ってるんじゃないのか? じゃあ一体誰が何のために……)


 孔雀はやはり悔しそうな顔をしていて混乱したが、この緊迫した空気を無に帰すような明るい声が近付いて来た。


「薄珂ちゃん! よかった! 無事ね!」

「おばさん!?」

「よかったわ合流できて。立珂ちゃんにはおじさんが付いてるから大丈夫よ」


 白那にぎゅっと抱きしめられて、薄珂はへなへなと床に座り込んだ。

 天藍と孔雀は疑わしいが、絶対的に立珂の味方である慶都とその一家の愛情は最も信じられるものだった。

 白那は大丈夫大丈夫、と優しく抱きしめ続けてくれたけれど、ふと違和感を覚えた。抱きしめられて頬に触れる服の生地はとても滑らかで柔らかい。里で着ていたぼろぼろの布とは大違いだが、これは見たことのある生地で薄珂はわずかに距離を取った。


「……これ天藍がくれた生地と同じ?」

「あ、そうよ。これを作った余り布なんですって」

「は? 同じ物ってこと? たまたま違う商品を買ったんじゃなくて?」

「余りよ。こんな綺麗な生地そうそう買わないわ」


 薄珂は咄嗟に白那を突き飛ばし距離を取った。白那は天藍が作った服だと言った。それはつまり繋がっていたということになる。


「おばさんも仲間だったの!? おじさんも、慶都も!」

「え? え? 慶都はお留守番させてるわよ。どうしたの急に」

「説明がまだなんですよ」

「ああ、そうなのね」


 白那は目を丸くして孔雀を見上げた。孔雀は苦笑いをしたが、薄珂と目線を合わせるように床へ膝を付いた。手を握ろうとしてきたが、薄珂は反射的にその手を振り払う。


「君の考えは半分正解で半分不正解です。これ以上は黒幕からご説明頂きましょう」


 孔雀は立ち上がると薄珂に背を向け歩き出した。付いて来なさいと言うかのように身構える薄珂を見ながら兵士と話を始めた。

 どういうわけか兵士の方が恭しく礼をしていて、孔雀の指示でばたばたと動き出したようだった。

 一体どういう事態なのか分からず冷や汗をかいたが、白那は焦る薄珂を再び抱きしめてくれた。母親を知らずに育った薄珂と立珂が初めて知った母親という存在だった。抱きしめてくれる力は弱いが、金剛とは違う安心感を与えてくれる温かさがそこにはある。


「不安よね。でも大丈夫よ」


 薄珂は笑顔で頷くことはできなかった。けれど白那は薄珂の手を引き、兵に連れられ何処かへ歩き出した孔雀の後を付いて行った。

 少し歩くと壁や装飾が変わってきた。進めば進むほど豪華になり、透明できらきら輝く石や色鮮やかな花が飾ってある。入国審査の待機所とは違う場所に来たことは明らかだった。

 孔雀は特別豪華で大きな扉の前で足を止めた。白く輝く荘厳な大扉はいかにも偉い人がお待ちかねという雰囲気だ。


「ここに黒幕がいます」


 孔雀が目配せすると扉の横に控えていた兵が二人がかりで大扉を開けた。森育ちの薄珂には豪華すぎて下品にも思えたが、とても一般人が足を踏み込んで良い場所には思えなかった。

 どくどくと心拍数が上がっていくが、孔雀は躊躇せず中へ入って行った。


「薄珂ちゃんもいらっしゃい。大丈夫だから」


 豪華すぎる場所に気圧され足踏みしていたが、白那に支えられて薄珂もようやく一歩踏み出した。

 入ると、中は大きな広間になっていた。床は滑らかで艶やかな白い石が張り巡らされていて、薄珂の使い古した靴ではつるりと滑ってしまう。見上げる天井は高くてそれにも目が眩む。


(何だここ。人が住む場所じゃないだろ)


 部屋は白を基調に黄金の装飾が施されていてそれだけで圧巻だ。しかも広間の壁には兵士や役人が一列に並んでいて、華やかな衣装をまとう女性たちは平伏している。本でしか世間を知らない薄珂でもここがこの国の頂点を極めた場所であることは想像がついた。

 何をされるのか予想もつかず後ずさったが、逃げることは許さないとでもいうかのように大扉は閉ざされた。

 すると同時に、ぴい、と美しい笛の音が鳴り響いた。それを皮切りに様々な楽器が音を奏で始めると、向かい側の扉が重い音を立てて開かれた。合せて一段と高い笛の音が響くと、他の兵よりも豪華な服を着た若い男性が声を張り上げる。


「皇太子殿下ご入場なさいます!」

「えっ!?」


 薄珂がぎょっとしていると、孔雀と白那は床に膝を立て深々と頭を下げた。

 いつも一緒に泥を弄っていた二人とは思えない上品な振る舞いに薄珂の脳は付いていかない。

 どうしたら良いか分からずきょろきょろし続けるとついに大扉から一人の男が姿を現した。


「白那。案内ご苦労」

「お役に立てて光栄でございます」

「孔雀。よく薄珂を連れて来てくれた。礼を言う」

「もったいないお言葉です、皇太子殿下」


 薄珂は皇太子と呼ばれた男を見て震えた。

 皇太子とは国を統べる人の称号だと公吠伝に記されていたのを思い出す。それを証明するかのように男はやたら派手に飾り付けられていた。

 しかし皇太子はそれらを脱いで放り捨てた。まるで皇太子とは思えないやりようだったが、薄珂にはその方がよっぽどなじみ深かった。


「薄珂ちゃん頭を下げて。皇太子殿下の御前よ」

「嘘だよ。だってこいつは」


 孔雀と白那を労った皇太子は薄珂に目を向けた。見つめられるその目はまるで血のように真っ赤だった。その赤は皇太子の白い髪によく映えている。

 白髪に赤目。兎のようなその容姿を薄珂は良く知っていた。


「蛍宮皇太子晧月だ。待っていたぞ薄珂」

「……天藍?」


 薄珂は何も理解できず、脚の力が抜けてころりと床に転がった。

 目の前に立珂を連れ去った天藍がいる。それも蛍宮の皇太子という身分でだ。天藍はそろりと手を伸ばしたてきたが、薄珂はその手を跳ねのけ飛び掛かった。

 周りがざわつき兵が武器に手を掛けたが天藍はそれを制して薄珂の激突を受け止めた。

 

「立珂を返せ!」

「まずは俺が誰だか聞けよ。名前が違うのは何でだとか」

「そんなのどうでもいい! 立珂を返せ! あんな優しいふりして……!」


 優しいふり。全ては嘘だった。立珂を可愛がり様々な品を与えてくれて、そのおかげで立珂は新たな楽しみを得た。

 だからこそ薄珂は蛍宮へ行くことも考えるようになり、難しい文字も知らない知識も学び始めた。

 そうして得た感情は立珂に対する愛情とは違っていて、誰かを信じることに向き合い始めていた。

 けれど天藍は立珂を連れ去った。何よりも大切な立珂を連れ去った。その相反するできごとが脳内を駆け巡り、薄珂はぼろぼろと涙を零した。


「二度と信じるもんか! 立珂を返せ! 今すぐ返せっ!」

「落ち着け。ここにはいない」

「売ったのか!?」

「違う。とにかく落ち着け。孔雀、金剛はどうした」

「外を探すと言われ別行動になってしまいました。申し訳ございません」

「そうか。いや、共に来てくれただけでも十分だ」

「金剛まで捕まえるのか! まさか里も!?」

「違うわよ。慶都もいるのにおばさんがそんなことに協力するわけないでしょう」

「でも天藍は立珂を連れて行ったんだ! その味方ならあんたも敵だ!」

「薄珂!」


 天藍は興奮して聞く耳を持たず暴れる薄珂を抱きしめた。

 大丈夫だといつもと同じ声で繰り返し囁かれ、薄珂は自分で自分の感情が分からなくなり全身が震えた。


「本当は崖から落ちたところで慶真に拾ってもらう予定だったんだ。だが連中も鳥獣人を隠していて空中で捕まった。それで立珂を連れて行かれたんだ」

「どこ、どこに、立珂はどこにいるの」

「居場所は分かってる。だから話を聞いてくれ」


 天藍は優しく背を撫でてくれた。白那と孔雀にも頭を撫でられ里の幸せな生活が身体中を駆け巡る。

 その中には天藍もいた。薄珂に未来を切り開く力を与えてくれたのは天藍だった。


「放せよぉ……」

「放さない。お前が落ち着くまでこうしてる」

「立珂を返して……」

「ああ。取り返そう。だからまずは話を聞け」


 とんとんと優しく背を叩いてくれて、白那も孔雀も同じように身体を擦ってくれた。

 何が真実かはまだ分からない。でも三人の温もりは里で過ごした大切な記憶と変わらない。


「焦るな。俺たちを敵だと判断するのは情報を集めてからにしろ」

「……分かった」

「よし。状況を整理するから場所を移そう」


 気を許したわけではないけれど、頷いたのは敵だと思いたくないという弱さだ。

 それが分かっていても薄珂は三人に連れられ広い会議室へ移った。そこだけでも慶都一家の家より広い。どこまでも贅沢な空間は薄珂にとっては縁遠くて気味が悪くさえ感じた。


「じゃあ説明するぞ。言わずもがなだが立珂を狙ってる一味がいる」

「立珂を連れて行ったのは天藍じゃないか。白髪に赤目だった」

「純血の兎獣人はどいつも白髪に赤目だ。俺に罪を着せるためご丁寧に用意したらしい。俺はそいつから取り返したんだが、結局はめられて奪われた」

「じゃあ立珂を連れてったのは誰なの」

「その前にもう一つ説明させてくれ。俺があの里に潜り込んだのは幾つか理由がある。まず一つはある商品の密売を調べてたからだ。その商品がこれ」


 天藍が目で合図すると、傍に控えていた線の細い若い男が小瓶を置いた。その細い指先が取り出した白い瓶には黄金で装飾が施されており、孔雀の薬瓶とは全く違う。

 天藍は蓋を開け紙を広げて中身を出した。瓶の中から出てきたのは白い粉だった。


「何これ」

「羽根の粉末だ。覚えてるか? 指定薬物になってるって」

「うん。これがそうなの?」

「そうだ。孔雀、説明してくれ」

「はい。これは羽根粉末を使った獣人用睡眠導入剤です。特殊な製法を用いるため製造は国指定の製薬会社のみ。国営病院の処方箋が無ければ購入できない特別な物です」

「これを密売されてるってこと? 何で? ちゃんと売ればいいのに」

「危険だからです。これは容量用法を間違うと麻薬になるんです」

「まやく? ってなに?」

「端的に言えば危険な薬です。興奮や高揚など、精神状態を左右します。過剰摂取すると獣化異常を引き起こします」

「ここ数か月で異常な個数が出回ってる。その原材料がこれだ」


 天藍の言葉に合わせて、瓶を持って来た男がまた何かを持って来た。高級そうな紙に包まれていて、開封するとそこに見えた物に薄珂は思わず立ち上がり手に取った。


「立珂の羽根!?」

「羽根単体でも相当な額の取引がされている。これの入手経路を探ってたらあの里に行きついた」

「何で!? 俺達は売ったりしてない!」

「お前達の知らない所で売りとばしてる奴がいたんだよ」

「そんなはずない。羽根は燃やしてたんだ」

「燃やしたのはお前じゃないだろう」

「金剛が燃やしてくれてたよ」

「目の前でか? 全部? 毎回?」

「ううん。金剛が持って帰って――……」


 ぴたりと薄珂は羽根を弄る指を止めた。

 羽根が密売されていた。

 羽根は金剛に渡していた。

 その意味するところに気付き、薄珂はぎぎぎと鈍い動きで首を傾けた。


「……何言ってんの?」


 孔雀と白那を見ると気まずそうに、そしてどこか悲しそうな目をしている。

 追い打ちをかけるように天藍は一枚の書類を取り出し薄珂に見せ付けた。そこには『指名手配』と書かれていて、人相書きもされている。

 筆で描かれたであろうそれは薄珂のよく知る人物だった。


「象獣人、金剛。違法人身売買で指名手配中だ」

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