第十九話 立珂誘拐

 眠りについて暫くすると、がんがんと外から大きな音がした。

 けたたましさで目が覚めたが、意識が覚醒する前に胸ぐらを掴まれ壁に叩きつけられた。

 突然のことに体勢を崩し、鈍痛が走る背を抑えながら身を起こすと腕の中にいたはずの立珂がいない。

 慌てて部屋を見回すと全身黒い装束の男が窓から出て行こうとしていた。顔も目元以外は布で覆い隠され全貌は分からないが、男はがっちりと立珂を抱きかかえている。


「何だお前! 立珂を放せ!」


 薄珂は立ち上がりながら叫んだが、男は薄珂を無視して外へ飛び出した。

 それも人間ではありえない脚力で飛び跳ねて、上半身と腕は人間だが脚は大きく膨れ上がっている。


(獣人か! こんな跳躍力の獣種は兎しかいない!)


 薄珂はもう一度男の顔を見た。顔を隠してはいるけれど、隠されていない部分もある。

 暗い室内では分からなかったが、月明かりに照らされた髪は白く目は赤い。この里でその容姿をした兎獣人の成人男性は一人しかいなかった。


(天藍だ! 金剛はどうしたんだ!)


 天藍はぴょんぴょんと飛び跳ね一瞬にして姿が見えなくなった。

 追うべく窓へ足を掛けたが、引き留めるように後ろから抱きしめられた。険しい顔をしている慶真だ。


「何をしてるんです!」

「放して! 天藍が立珂を連れてったんだ!」

「何ですって!?」


 慶真の手を振りほどき止める声も聞かず裸足で走り出した。

 天藍は家々の屋根を飛び跳ねて里を出て行く。追うと孔雀の診療所を通りかかったが、その光景に薄珂は思わず足を止めた。

 そこには自警団に押さえつけられ地に伏している孔雀と、脚を象に変えた金剛が座り込んでいた。膝を刃物で切られたようでだらだらと血が流れている。


「金剛!? 何があったの。象の皮膚が切れるなんてありえない」

「天藍だ。孔雀が団長の皮膚を切れる武器を持っていたんだ!」


 自警団員は孔雀の診療所へ目をやると、壊れた扉から見える室内は家具がひっくり返り荒れていた。

 一番目を引いたのは一つの棚だ。危険物があるからと孔雀が鍵をかけていた棚だが、全開になっていて小さな箱や薬品と思われる瓶が散らばっている。

 薄珂は落ちている木箱を拾って開けると、中には銀の小刀が一本だけ入っていた。箱の大きさと中敷きになっていた布のくぼみを見るに、もう一本入っていたのだろう。


(確か象専用の手術用小刀だよな。刃こぼれしたから取り寄せたとかいう)


 形状は一般的に見る物ではなく、すらりとした細身の刃をした医療器具だ。孔雀は金剛用に薬や器具を揃えていたが、そのうちの一つだ。


「象用は取り寄せなきゃ手に入らん希少な品だ。これは計画的だぞ」

「そんなことは後でいい! 天藍を崖に追い込め! 船を使わせるな!」

「はっ! 一人は崖下に回れ! 兎なら崖くらい降りるかもしれない!」


 自警団員は金剛と孔雀の傍に一人ずつ残り他は一斉に走り出した。

 金剛は足を引きずりながらも薄珂の傍に寄り、ぐっと肩を強く抱いてくれる。


「立珂は必ず助ける。お前はここで待て」

「嫌だ! 俺が行く! 俺が立珂を助ける!」

「駄目だ! あの身のこなし、奴は戦闘訓練を積んでる! 危険だ!」

「大丈夫だ! 放して!」


 薄珂が公佗児である事を知らない金剛は必死に引き留めてくるが、じっとしていることなどできはしない。

 怪我をしている金剛を突き飛ばし、崖へ向かって駆けだした。


「馬鹿! 行くな! 戻れ薄珂!」


 しきりに引き留める叫び声が聞こえてくるが、薄珂は止まること無く走った。


(逃げ場のない海に出てくれた方が捕まえやすい! こうなると自警団は邪魔だ。金剛には説明しておくべきだった!)


 今更そんな後悔をしてももう遅い。薄珂は奥歯を噛みしめながら走り続け、崖に辿り着くと自警団員が天藍を際まで追い込んでいた。

 天藍はがっちりと立珂を抱え、喉元に小刀を宛がっている。


「立珂! 立珂!」

「んー! んんー!」


 立珂はさるぐつわを噛まされていて薄珂の名を呼ぶことすらできない。立珂の目が涙で揺れる度に薄珂の胸中に激しい嵐が巻き起こる。


「悪いが立珂は大事な餌だ。蛍宮へ連れて行く」

「ふざけるな! 返せ! 立珂を返せ!」

「落ち着け! 立珂君に怪我をさせられたら危ない!」

「それに兎とはいえこの崖を飛び降りることはできない。すぐに取り戻してやる」


 自警団は薄珂を背に隠すと、武器も持たずに天藍と睨み合った。

 自警団は肉食獣人だ。武器などなくとも自在に爪と牙を出し入れする。兎の様に飛び跳ねる軽やかさはないが、空中では脚力など役には立たない。


「こっちへ来い! 逃げ場は無いぞ兎!」


 天藍は後ろに広がる崖と海をちらりと見たが、その素ぶりは薄珂に二か月前の自分を思い出させた。

 崖に追い詰められ逃げ場を無くし、それでも薄珂は生き延びた。


(俺と同じ状態だ。兎は飛べないけど本人しかしらない武器や技術がないとは限らない。これはまさか)


 薄珂はざわりと違和感を覚えて一歩前に出た。だが天藍はにやりと笑みを浮かべ、立珂を抱えて崖から飛び降りた。


「何だと!?」

「立珂! 立珂ああああ!」


 薄珂は自警団員を押しのけ天藍が飛び降りた場所へと走り崖下を覗き込んだ。

 するとその時、ばさっと真っ黒な羽で顔を叩きつけられた。驚き後ろへ尻もちをつくと、それは上空へと飛び上がっていく。


「鳥獣人!? 他にも仲間がいたのか!」


 立珂を抱えた天藍を大きな鳥が掴んでいた。慶都よりも慶真よりも大きく黒く、そのまま蛍宮へ向けて海上を飛んで行く。

 これは飛べない獣人では追い付きようもない。薄珂が獣化し追うしかないが、飛べれば追い付けるというものでもない。


(速い! 俺より相当速い!)


 薄珂の公佗児は体が大きいから飛行速度はそこまで速くない。

 大きな嘴と爪があるので攻撃力には優れているが、身体の小さな鳥に比べれば速度と利便性ではるかに劣る。

 だがどんどん小さくなっていく立珂を前にそんな事は考えていられない。

 薄珂は服を脱ごうと釦に手をかけたが、後ろからぽんと肩を叩かれた。やって来たのは長老と、手当を受けた金剛だ。


「落ち着け薄珂。慶真と白那が追っている」

「おじさんと、おばさんも? 慶都じゃなくて?」

「慶真が立珂を守り白那が根城を確認して戻る。見失うことも丸腰になることも無い。慶都は戦うにはまだ幼すぎるな」


 飛び去った天藍を見ると、確かに二人の鳥獣人が追っていた。

 二人は薄珂よりずっと速いようであっという間に天藍へと追い付いた。けれど攻撃はせずじっと後を付いて行っている。


「何でおばさんまで? おばさんは獣化には反対だったはずだよ」

「里の決まりだ。有事の際は全員が協力し救出へ向かう。立珂は里の子だ」

「立珂の安全が第一。戦闘は避け根城まで付いて行くように言ってある。居場所さえ分かればどうとでもなるからな」

「どうとでもって、どうするの。金剛は怪我してるし自警団は飛べないよ」

「なに。それなりの策はある」

「策? 立珂の羽根が目的なら明恭へ逃げるかもしれない。それを追う策もあるの?」


 長老は一瞬だけ目を見開くと、嬉しそうに微笑むと薄珂の頭を撫でた。


「良い分析だ。落ち着いてきたようだな。その通りだ。有翼人売買の先は明恭で間違いない。だが今時期の明恭近海は氷河。一般の船では渡れない。国も事前の面会約束が無い限りは船を出さない。侵略になるからな」

「飛んで行くかもしれないよ」

「鳥獣人自身が凍死するから無理だ。絶対に夏まで蛍宮に潜伏する必要がある」


 長老はすうっと目を細め、自警団に捕らえられた孔雀を見下ろした。突き刺すような目は立珂を可愛がってくれた老人とは思えないほどに厳しい。


「お前達の根城はどこだ」

「私は仲間ではないので知りませんよ! 何の事だか分かりません!」

「よくもぬけぬけと」


 長老と金剛に怒鳴りつけられても孔雀はひるまず、まるで本当に立珂を心配しているかのようだった。

 けれど双方叫ぶばかりで話は遅々として進まない。無意味なやり取りに見切りをつけ、薄珂はその場に背を向け歩き出した。


「立珂を助けに行ってくる」

「薄珂! 一人では無理だ。俺も行く!」

「俺一人でもできることはある。待ってなんていられない」

「待ちなさい! 許可も無く突撃したらそれこそ犯罪者として捕まりますよ!」

「許可証はこの前もらったよ」

「それでは入れません。それは正式な証明書と引き換えるための物で、引き換えには手続きをした私も立ち会う必要があります」

「え!?」


 孔雀が貰って来てくれた証明書の首飾りを握り、薄珂はぐっと唇を噛んだ。入国できないのでは探すことなど出来はしない。だが天藍は入国ができる。慶真と白那が突き止めて守ってくれれば良いが、失敗していたら地道に探さなくてはいけなくなる。その間にも立珂は売られてしまうかもしれない。

 薄珂は焦り震えたが、その場を締めるように長老がぱんっと手を叩いた。


「入国審査待機所は誰でも入れる。薄珂はそこで白那と落ち合いなさい。金剛は孔雀を連れて刑部へ行け。立珂の捜索を頼むんだ」

「刑部って何? 場所の名前?」

「国民を守るための宮廷組織だ。国内を一斉に探してくれる」

「宮廷! じゃあ俺もそれと一緒に探すよ!」

「いいや。お前は刑部にできない捜索をするんだ。刑部は大規模な人海戦術を取る。捜索範囲は広いが組織行動であるが故に自由が利かない。ならばお前は少数精鋭で有効な戦略を練りなさい」

「けど俺は戦闘技術はそんなに無いよ。殴る蹴るくらいしかできない」

「戦う手段は殴る蹴るだけではないよ」


 長老はぽんっと薄珂の背を軽く叩くと金剛の背もぽんと叩いた。


「自警団全員を連れて行け。立珂を見付けるんだ」

「それじゃあ里が心配だ。何人かは残そう」

「いい。お前が来てくれるまでは自分達でどうにかしていたんだ」

「だが」

「金剛! 有事の際は私の判断に従うのが里の規則! 自警団全員で立珂を連れ戻せ!」

「……必ずや!」


 金剛は不安を押し殺すように拳を握ると自警団員に目配せをした。団員はばたばたと出立の用意に走り出す。一緒に行くぞ、と笑いかけてくれる優しさが胸に沁みた。彼等は長老とも顔を見合わせると大きく頷き礼をしていた。信頼し合っているそのやりとりはとても心強い。

 長老は薄珂を見るとぎゅっと抱きしめ、背をぽんぽんと軽く叩いた。


「腸詰を茹でて待ってるよ」

「立珂は焼いた方が好きなんだ。一緒に焼いてあげてよ」

「そうだったな。そうしよう。待っているから立珂と帰っておいで」


 待っていると言われたのは初めてだった。

 家族三人で暮らしていて、襲われた時に父から言われたのは『逃げろ』という言葉で、それは戻ってくるなという意味だ。

 薄珂と立珂には帰りを待っていてくれる家族はもういない。いないと思っていた。


「行っておいで」

「行って来ます!」


 長老はもう一度強く抱きしめてくれた。しわだらけの手は弱々しいが頼もしく感じた。


(待ってろ立珂。すぐに行く!)


 薄珂は父が残した短刀を握りしめ、立珂の羽根飾りを胸に下げて里を後にした。

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