第61話 船の行き先

 不機嫌に炊事場に入ってきた翔に向かって、瑠衣が「お疲れ様です。」と声をかけると、仏頂面がわずかに綻ぶ。


「あぁ瑠衣、先程の食事も美味かった。本当に、瑠衣は凄いな。」


 自他ともに認める程、瑠衣に対して過保護な翔は、何かにつけては瑠衣を褒めたたえて頭を撫でてくれる。


 頭を撫でてくれる翔の手は、暖かくて優しくて。

 大好きな翔に撫でられていると、もうこのまま時が止まってしまえばいいのにと思うくらいに幸せな気持ちになってしまうのは、前世からずっと抱き続ける、実兄、翔への叶わぬ恋心のせいだろう。


「・・・で、貴様。俺には瑠衣に近づくなと言いながら、逢い引きとはいい身分だな?」


 瑠衣の頭を撫でながら顔を上げ、史郎に再び睨みを利かせた翔が言い放つ。


「ち、違います兄様、逢い引きだなんてそんな、史郎さんは片づけを手伝ってくださっただけで」

「俺はそれすら禁じられてる。」

「あら、そうだったんですか?」


 それは、知らなかった。

 そういえば、翔が炊事場に足を踏み入れたのは、ヨルデ港到着間際に、瑠衣を呼びに来たとき以来かもしれない。


 出航してから翔とはすれ違いが続き、距離を感じていたが、それは翔の仕事が忙しいからだと気にせず居たけれど、どうやら違ったよう。


 「ここへ来る事をどれだけ耐えていたか・・・」と目を細める翔の眉間には、深く怒りマークが浮かんでいた。


「面倒な奴に見つかった・・・怖い怖い。ちょっと見回りついでに話をしてただけだよ。ってことで見逃して?」

「出来るか。」

「だよねぇ・・・でも僕はかしらなわけだし、特例は認められる。」

「職権乱用だな。殺していいか?」

「やめときなって。うっかりお前を海に落としちゃうかも知れないだろ? そしたら助けるのが面倒くさい。」

「そりゃいい。そのままお前も引きずり込んでやる。」

「んなことしたって、先に逝くのはお前だぞ?」

「やってみるか?」

「やらなくても分かるで―――」

「つまり、私を残してお二人で海の底にでも沈むおつもりなんですね? 仲が良くて羨ましいことです。」

「瑠衣?」

「瑠衣ちゃん?」


 穏やかそうに言い合っている一方で、話は物騒な方向へ行くのでつい口をだしてしまった。


「もう、どうして兄様は事ある毎に史郎さんをろうとするんです? お二人の間の取り決めは存じませんが、史郎さんは私を手伝ってくださったんです。そんな事で史郎さんを殺さないでください。」

「瑠衣・・・」

「確かに、「」で一々腹を立てて、翔は気が短いよねぇ。」

「史郎さんも一々兄様をからかわないでください。そういう所、子どもっぽいと思います。」

「うわ、また子どもっぽいって言われた・・・」

「とにかく、2人の仲違いで船が沈んだら元も子もないでのすから、仲良くしなくてもいいので、して下さいね!」


 「瑠衣ちゃんは大人だねぇ」と史郎は楽しそうだが、こっちとしては楽しくない。

 黙っていても意志疎通が出来て息をピタリとあわせるくせに、口を開けばいがみ合う。

 喧嘩するほど仲が良いというか、二人にとってみればじゃれ合っているだけなのだろうけれど、じゃれ合いついでに時々、本当に斬り合いが始まるから困りものなのだ。


「じゃ、ここは瑠衣ちゃんに免じて。悪かったよ翔。瑠衣ちゃんも。大人気なかった。」

「本当です・・・。」

「悪かったな瑠衣。史郎こいつが目障りなのは事実だが、本気でやり合ったりしない。前にそう、約束しただろ? 何よりお前を残して海に沈むようなことは絶対にないから安心しろ。」

「本気じゃなくても暴れちゃ駄目です。私は、2人が傷つけあうところは見たくありません。」

「・・・分かっている。」


 言いながら、思い切り目をそらした翔。

 どうやらそこを善処する気はなさそうである。


「で、何の用? 急ぎじゃなきゃお前が僕なんか探さないだろ。」

「あぁ、船長からお前に、至急渡せと。」

「・・・何? 穏やかじゃないね。」


 おちゃらけていた史郎の頬が一瞬ピクリとつり上がった。

 手渡された紙束に目を通し「正気か・・・」と大きく息を吐き出して、紙束を翔に突き返す。


「ったく・・・ことごとく予想を裏切らないなぁ、悪い意味で。」


 突き返された紙束に目を通している翔も目を細めている。

 2人の険しい表情を見るに、あまり良い状況ではなさそうだ。


 そんな状況に追い打ちをかけるように 


 ―――ドォンッ!!


 と、鈍い音が響き船体が揺れた。


 その突然の衝撃に身体が押し出されるような感覚を覚え、ぐらついた足下。

 手を伸ばすも掴む場所が見つからなかった瑠衣は、同じく衝撃によって開いてしまった戸棚から飛散した皿の破片の上に手をついた。


「―――っ」


 小さな破片が手のひらに刺さって、血が滲み出す。

 仕方がなかったとはいえ、このタイミングで怪我をするとは、一番やってはいけない事をしてしまった気がする。


「瑠衣、大丈夫か? 見せて見ろ」

「あ、いえ。大丈夫です。ちょっと当たって切れただけですから手ぬぐい巻いておけば問題ないです。」


 本当は破片が無数に刺さっているのが分かるけれど、見られる前に持っていた手ぬぐいで覆い隠す。

 よくわからないけれど、こんな事に史郎や翔の時間を割いている場合でないはずだ。

 自分の面倒くらいはせめて自分でみよう。

 

 そんな意思を汲んでくれたのか、それどころではないのか、史郎は瑠衣の目もくれず翔に話しかける。


「翔、明日花嬢を頼む。僕は船を何とかしてくる。」

「あぁ。」

「どうやら皆、悪運が強いみたいだ。この辺りの海域はよく知っている。多分陸にはつけるだろう。ただ、お前はワニに喰われる覚悟をしとけ。」

「・・・」


 一瞬、翔の表情が曇った気がした。


 そういえば、翔がカナズチなのは、ワニが怖くて水に近づけないからだと聞いたことがあった気がする。

 瑠衣の記憶にある限りでは、ワニが住むような場所で過ごした記憶はないのが不思議なところだけれど。 


「それから瑠衣ちゃん、負傷者を治すかどうかの判断は僕がする。生死を問う怪我でないかぎり、治癒魔法は使わない事。萌生嬢にもそう伝えて。」

「分かりました。」

「約束だよ。ちゃんと守ってね。じゃ、2人ともよろしく。」


 瑠衣に再度念を押してから、史郎は飛散する破片を避けながら炊事場を出て行く。その横で、振り返った翔の視線が、一瞬だけ瑠衣の負傷した手を見てから瑠衣の顔を直視した。


「術師の力は、強大だが有限だ。どこにそれを使うかで、戦の勝敗が決まる事もある。その采配は状況を見極めてからにしたいだけだろう。お前を非難したわけではない。気にするな。」


 こんな時でも、気遣ってくれるその優しさが嬉しい。


「ありがとうございます。史郎さんが、意味もなく怪我人を放置する人だとは思いません。それに、医師が居る場での治療は、医師が優先と学んでいます。私は、大丈夫ですよ。」

「そうか。・・・なら行こう。ついて来れるな?」

「はい。」


 しっかりと返事をしてさっと立ち上がる。

 この世で一番頼りになる背中を前に、これ以上足手まといにならないようと、瑠衣は集中して翔の背中を追った。

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