第64話 招かれざる者
「あ、兄様たちが戻ってきました。」
山の方から、翔とレナルドが戻ってくるのを見つけ、席を立った瑠衣は走り寄る。
「あれ、史郎さんは?」
「あいつはほっといていい。それより・・・?」
起こした火を取り囲む明日花達の方をみて、翔が顔をしかめた。
1人増えているのだから無理もない。
「それが、島民だと言うんです・・・。火を焚いていたから様子を見に来たと。危険は承知でしたが無碍にして何かあっても困るので、ここでお待ちいただきました。勝手にすみません。」
出来るだけ完結にその経緯を説明する。
茂みの蔭から現れた客人と、当たり障りのない会話を続ける明日花の横には萌生がピタリとついていて、一瞬の隙も作らないように警戒していた。
「へぇ。島民ですか。人が住んでいる痕跡は何処にも無かったですが・・・こちらは無人島では無かったという事でしょうか?」
「そんなはずは・・・ない・・・」
「兄様?」
「あ、いや。お前たちの判断は正しい。話は俺がつけよう。」
「はい。お願いします。」
瑠衣の横をスッと通って、客人の元へと進む翔。
翔が帰ってきてくれて安心なのだけれど、どうしてかその顔色がすぐれない。
心配だ。
「瑠衣さん、これ、お渡ししておきますね。」
その傍らでレナルドが、小声で瑠衣に呼びかけて最小限の動作で小さな紙を差し出した。
「史郎様からです。翔様には内密にあなたに渡すようにと。」
「ありがとうございます。」
そういうことならばと、こちらもまた最小限の動作でさっとその紙を受け取ってしまい込む。
用心しなくても、翔の意識はすでに客人に集中いたけれど、念には念をいれ、中身は後で確認することにした。
「あ、初めまして。
「この方は【神の裁き】の生存者なんですって。ずっと1人でこの島を守り続けていたそうですわ。」
「僕は長の息子でしたので、当然の事・・・あれ?」
何かに気づいたように、柳太郎が翔の顔をじっとみつめた。
そして、わざとらしく目を見開いて、驚いた声をあげる。
「かけ・・・る? 翔じゃない!? 僕だよ。柳太郎。覚えてるよね!?」
そう問う柳太郎は、声こそ弾ませるが目が据わっていて、なんだか威圧的な態度に見えた。
「覚えはない。人違いだ。」
答える翔も、捨てるようにそう吐いて睨みを効かせているので、どこ見ても旧友との再開を喜び合う感じではない。
「他人のそら似でしょうか?」
「名前が同じと言うこともあるのですわね。」
同じように感じたか、萌生と明日花がボソッと呟く。
それを拾って、柳太郎は頷いて姿勢を正した。
「そうか。・・・そう言うこともあるかもね。余りに似ていたので。人違いだったなら悪かった。改めまして、僕は柳太郎といいます。お話は姫様から伺いましたよ。船が難破されたそうですね。島は自由に使ってくださって構いません。」
「お前から許可など必要ない。俺達は俺たちの事情でここに滞在し、用が済んだら出て行く。それだけだ。分かったらさっさと消えろ。」
「・・・ずいぶんと嫌われているようですね。ここに僕が居るのがそんなに恐ろしいですか?」
「俺は、今すぐにお前の首を切り落としてもいいんだが?」
「・・・いいでしょう。では、僕はこれで失礼します。あぁ、姫様。万が一にもご用があれば、旧集落へいらしてください。僕はそこで暮らしていますから。」
優しい口調ではあるが、据わったままの目に口角だけをあげて造られた微笑み。
あまりに歪なそれを残して、柳太郎は立ち去って行った。
「ちょっと翔、島民の方になんて事をいうんですの!? 嫌われて、島に滞在できなくなったらどうするんですの!?」
「お前、本気で言ってるのか?」
「え・・・?」
「ったく、どれだけ頭の中に花が咲いてる? 俺には
「あ、ちょっと・・・。」
「お前らも、いいか? 史郎はしばらく帰らない。俺は
つっかかった明日花の言葉を一蹴した翔は、その場にいる全員に指示(?)を飛ばして背を向けるように、採ってきた食料の前に座り込む。
食料の仕訳をはじめた翔の背中からは、人を寄せ付けないオーラがでており、気まずい空気に誰もが音一つたてられないような緊張感が走っていた。
『すみません、明日花様』
『いいのよ、瑠衣が謝ることではないですわ。ただ、その男のこと、お願いして良いかしら? どうにかできるとしたら、瑠衣だけですわ。』
『はい。兄様は責任を持ってどうにかします!』
『頑張ってください、瑠衣様』
『お願いしますわ!』
目のあった明日花や萌生と、無言のやりとりをして、瑠衣は翔の隣に座る。
『あ・・・』
仕訳でも手伝いながら夕食の話でもして、気を逸らそうかとも思ったのだが、食料を分ける翔の手が、注意して見ても分からないくらいに小刻みに、だけど確かに震えているのに気づいてしまった。
何かが翔を苦しめている。その事実に心が痛む。
常に誰にも隙を見せない翔は、誰にも心を揺るさない。
全てを抱え込んだまま、平然と振る舞えてしまう。
それは翔の強さでもあり、弱さなのかもしれない。
何にせよ、そうやって一人で抱え込んだ翔に、瑠衣が出来ることは昔からたった一つだけ、堅く握った拳を、開かせることだけだ。
「兄様、のど乾いてませんか? 萌生さんが【
「あぁ・・・貰おう。」
差し出した器を、翔が受け取って口をつける。
コクンと喉を鳴らした翔をじっと見つめていると、顔を上げた翔と目が合った。
こうやって、家に帰ってきた翔を眺めていた日々を思い出す。
あの頃の翔は今以上に閉鎖的で、全ての苦しみを抱え込んだまま、どこかへ消えていってしまいそうだった。
だから、待っていた。
待つしかできない子どもだったから。
それは今も、変わらないけれど。
「今日、焼き石を実に入れたら、なんだか懐かしくなっちゃいました。毎日、日が傾き始めたら、石を焼いて、実を割って、焼き石を入れて兄様たちの帰りを待つのが日課でしたから。」
「そうだったな・・・。」
「美味しいですか?」
「あぁ、瑠衣の作る茶壺の湯はいつでも飲みやすい。」
「よかった。あ! じゃぁ・・・撫でてくれませんか?」
「ん?」
「美味しくできると、兄様が撫でてくれるのが嬉しくて・・・だから幼いながらに研究したんですよ。実の大きさと、石の大きさと、焼き加減で、どう味が変わるか。どれが一番飲みやすいか。そしてたどり着いたのが、今のこれです!! 因みに方法は教えられません。誰でも出来たら、私が兄様に撫でてもらえなくなりますからね!」
こんな事を堂々という年でもないのだけれど、今はそんな事はどうでもいい。
少しでも、翔の不安が、負担が、消えればそれでいいのだ。
一人で抱え込まないで欲しい。
だって、ずっと一緒に生きて来たんだから。
「まったく・・・お前は本当に・・・」
少し困った顔をしながらも、翔は優しく頭を撫でてくれる。
「兄様に撫でられると安心します。」
「・・・そうか・・・」
微笑む瑠衣の頭を、優しく、優しく撫でてくれる翔は、少し長く呼吸を吐き出すと、張り巡らせていた殺気を消して、穏やかに微笑み返してくれたのだった。
***
食事をとり、交代で周囲の見張りをするという翔とレナルドを後目に、瑠衣は萌生とともに就寝準備にとりかかった。
何をおいても、守らなければならないのは明日花の身。
翔達が守ってくれるとはいえ、万が一の敵襲に対応できるよう、準備をしておくにこしたことはないだろうと、萌生と一通りの打ち合わせも行っておく。
話の通り、史郎は帰ってこなかったが、こういう事は今までもよくあって。
翔が気にするなというのだから、きっと問題はないのだろう。
「明日花様、意外と平気なんですね。」
たいした囲いも無い中で、地に横たわって眠るなんて、無理だと泣き喚いてもおかしくないのに、今にも虫が這い出てきそうな場所で、大人しく横たわった明日花。
翔が史郎から預かったという薬を飲んだ明日花は、疲れもあってか、すでに寝息をたてていた。
「実は、出発前のエネ様の課題に野営もありまして、3日ほど、潮家敷地内の海岸で野営して過ごしたんです。」
「あぁ、なる程。エネならやりそう・・・もしかして、今より厳しい条件下で?」
「いえ、明日花様にはその間にも学ばなければならないことがありましたので最低限、外で食べて眠ることは出来るようにと。他にも、火おこしや木の実潰しなど出来るようになったのですが・・・そちらは先ほどの瑠衣様の手際の良さを見て、自分はまだまだだと少々落ち込んでいらっしゃいましたが。」
「あはは・・・私は、これくらいしかして来なかったですから。」
しかし野営の訓練までしているとは、エネはいったい何処まで読んでいたんだろう。
先見の目、恐るべしだ。
「それでは、私たちも休みましょう。瑠衣様、異変に気づきましたら遠慮なく叩き起こしてくださいね。」
「こちらこそです。」
明日花の横にピタリと着いて横たわった萌生に「おやすみなさい」と挨拶し、少し離れた場所に横たわる。
袂の膨らみに違和感を感じ、ガサガサとなる音に「そういえば」と、レナルドから受け取った手紙の存在を思い出し、中身を確認した。
――― 暫く席を外すから 翔の事を宜しくね ―――
書いてあったのはその一文。
差出人は史郎で間違いなさそうだ。
「兄様・・・」
遠くで見張りをする翔の背中に自然と目がいく。
その背中はいつもと変わりないように見えて、一回りも二回りも小さく見える気がした。
史郎が、明日花ではなく、翔の身を案じている。
そういえば、船の上でも翔に妙な忠告をしていた。
史郎は、この島で翔に異変が起こる事を知っているのだ。
あの時の震えた翔の手は、何を恐れていたのだろう。
あの時の翔の怒りは、何に対するものだったのだろう。
考えたって答えは出ない。
考えるほど、この場所の事も、ここであった事も、瑠衣は知らないから。
『何も知らない私に、出来る事ってなんだろう・・・?』
夜空の星を数えながら、瑠衣は眠るまで考え続けた。
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