第3章 鐘鳴島編
第60話 史郎と温室
倭ノ国への帰りの船の炊事場で食事の片づけをしながら、
―――
「瑠衣さん、お願いがあります。私をもう一度あの温室へつれていっていただけませんか?」
「えっと、私には無理です。行き方を知りません。
「その史郎様がいないのです。おそらく既に温室へ向かわれてしまったのだと思います。小人達と仲の良いあなたになら、道を開いてくれるかも。お願いしてもらえませんか?」
「・・・一応、聞いてはみますけど・・・」
そんな話を切り出され、ローランドの騎士であるレナルドと共に
番人のコロボックルから許可をもらい、瑠衣はレナルドと共に、温室へと向かった。
扉も塀も折れ曲がり、
その片隅に佇むイリーネの墓石の前で、いつになく真面目な顔で立ちつくした史郎。
その場に出ることは憚られた瑠衣は、身を隠してレナルドの用事が終わるのを待った。
「・・・何か用? 悪いけど僕には、男と二人で花を愛でる趣味は無いよ。」
「イリーネ様との語らいの時間をお邪魔したのは謝りますが、そう邪険にしないでください。あなたに渡したい物があるのです。」
そう言ってレナルドが差し出したのは、封書。
「これはまた随分と古びた手紙だね。呪いの手紙か何か?」
「曾祖母から祖母へ、祖母から母へ、そして母から私に、代々受け継がれてきた物です。」
「何それ。いらないよそんな得体のしれないもの。本当に呪われそうだし。」
「そうですか・・・でしたら、この人物に覚えはありませんか? この手紙をお渡しすべき人物の肖像画です。倭ノ国からヨルデにやってきたという事意外、何も分からないのです。あなたが知らないのであれば、他の方にも聞いて回ろうかと思うのですが?」
レナルドが封書の中から一枚の紙を史郎に突きつける。
それを見て、一瞬驚きの表情を見せた史郎は、長い沈黙のあと「ふぅ」と小さく息をついた。
「・・・そういえば、イリーネは、絵だけは上手かったんだっけ。」
「らしいですね。絵の才能のおかげでイリーネ様に良い縁談が持ち上がり、争いの絶えなかったヨルデ領が安寧の地になったのだと聞きました。」
「で? 何。じゃぁ、僕がその手紙を受け取ったなら、
「お好きにどうぞ。これもまた手紙の一部ですから。」
肖像画を封筒に戻し、再びレナルドが封書を史郎に差し出す。
それをあきらめたように受け取り、中にあった手紙に目を通す。
「・・・悪いけど、用が済んだなら、一人にしてもらえない?」
ふいに顔をあげた史郎が、レナルドに向かって静かに告げる。
了承するように頷いたレナルドは、言葉無く史郎に背を向け、瑠衣の元へ帰ってきた。
そして、長い長い城までの帰り道を、レナルドと瑠衣は一言も話すことなく、ただその道を歩いたのだった。
―――
あの時、史郎の声は微かに震えていた気がする。
とても大切な場面に、出くわしてしまったのだと思う。
興味本位で首を突っ込んではいけないとても繊細な事なのだと思う。
だけど・・・
いつも通りの様で、どこか元気がないような気がするのは、杞憂だろうか。
身寄りのない瑠衣を引き取り育ててくれた史郎。
瑠衣の兄の
その素性は、知らないどころか、余計に分からなくなってしまったけれど、
そんな事はどうでもいいくらい、今は史郎を大切な家族だと思う。
「史郎さんの好きな魚の味噌煮でも作ったら、少しは元気になるかな?」
そうだ。今日は史郎の好きなものを食卓に並べよう。
そんな風に思ったところで、炊事場の扉の向こうから声がかかった。
「なんか今、僕の事呼んだ?」
史郎がひょっこりと顔を出す。
片付けを手伝いたいという史郎の申し出に「構いませんけど・・・」と返しつつ、意図が分からずに頭の中に「?」が浮かぶ。
「ずっと頭を使ってたから疲れちゃってさ、気分転換に何か違うことしたくて。小言言いに来たわけじゃないから、安心して。」
「そういう事なら、助かります。あ、じゃぁそこにあるお皿を仕舞ってもらってもいいですか? そっちの棚なんですけど、私では踏み台がないと危なくて。」
「了解っ。」
快く了承した史郎は、洗い終わっていた皿を拭いて棚に戻していく。
真面目にお皿を拭いて仕舞う姿を見ていると、普段の色男ぶりとのギャップに「ふふっ」とこみ上げてくる笑いが抑えられなかった。
「楽しそうだね。」
「ごめんなさい。世の女性方は、史郎さんお皿を拭くなんて信じられないんだろうなぁって思ったらおかしくて。知ってますか? 皆さんの中では、史郎さんって
「とんだ幻想を持たれたもんだよ。時々、理想と違うって酷い目に合うんだ。僕は劇中人物じゃないっての。」
「仕方ないですよ。舞台でしかお目にかかれないような殿方が目の前にいる。手に手をとられた女性が幻想を抱くのも無理ありません。まぁ、史郎さんに気がなければ、女性方の本当に勝手な都合ですけれど。」
「それに巻き込まれる瑠衣ちゃんはたまったものじゃないよね。いつもごめんね。」
「そう思うんでしたら、女性の扱い方にはもう少し注意をしてください・・・。まぁでも、気持ちは分かりますよ。恋は盲目って言いますし。好きな人には自分のことだけ見ていて欲しいものでしょう?」
「・・・あぁ、なる程。だから瑠衣ちゃんは最近おめかしさんなんだ。髪の結い方少しだけ変えたでしょ? 相手は僕も知ってる人? あ! もし化粧品とか欲しかったら作ってあげるよ。まぁ、瑠衣ちゃんは肌綺麗だし、そのままで十分可愛いけどね。」
「・・・・・・そういう、ところです史郎さん。」
「何が?」
「そういう、女の子の微妙な変化に気づいたり、綺麗だの可愛いだのサラッと言えちゃう所が、悲劇を生んでいるんです。」
「これは失礼。でも、ホントの事だからつい言っちゃうんだよね。困った困った。」
「もう、治す気ないですね? ・・・ま、史郎さんらしいですけど。」
「あはは。でも、これ以上瑠衣ちゃんに迷惑かけないように善処はするよ。」
「お願いしますね。私まだ死にたくないので。」
「はいはい。」
史郎は、真面目な時ほど無駄に饒舌になる。
だから、何のためにここに来たのか、何となく分かってしまう。
聞くなら早く聞いてくれればいいのに、史郎は何も言わずに黙ったままお皿と睨めっこ。
その沈黙に瑠衣の方が耐えられなくなって、言葉を発した。
「・・・何も聞かないんですね。」
「何が?」
「見た事も食べたこともない異国の料理を、握り飯すら握ったことのない私が作り上げてる事です。兄様はともかく、史郎さんが「凄い」の一言で済ますとは思っていませんでした。」
「聞いたら答えてくれたの?」
「・・・その返答はまだ考え中なので、聞かないでもらえて助かってます。出来ればこのまま、その違和感に気づかぬ振りをしていただけたらと願っているくらいですけど。」
「そう・・・じゃぁ、聞かないでおくよ。」
「ですよ・・・えっ!? いいんですか!?」
てっきり「そうはいかないよ」「ですよね」という流れになるとばかり思っていたので、思いもしなかった返答に驚いて振り返ると、ずっと背中合わせだった史郎もまた、食器を全て仕舞い終えてこちら振ったところだった。
「瑠衣ちゃんもさ、聞かないでくれてるでしょ? だから、相子だよ。」
ぱっちりと合った目を柔く細めて、史郎が言う。
何の事か分からず首を傾げ考えていると、そのまま史郎が続けた。
「あの時居たでしょ、温室に。聞いてたんじゃないの? レナルド氏との話。」
「あ、すみません。立ち聞きする気はなかったのですが聞こえてしまって・・・あの、でも全く理解出来ませんでしたし、大して興味もわかなかったので、すっかり忘れてましたよ。だから、誰かに言うことも、史郎さんに聞きたいことも何もありません。必要だったら頑張って思い出しますけど、どうしましょう?」
「瑠衣ちゃんは優しいね。・・・僕もまだ、いい言い訳が思いつかなくてさ。だから、そのまま忘れていてくれたら嬉しい。いつか、話せる日が来るまで。」
「話せる日」
それはきっと史郎の秘密だけではなく、瑠衣の秘密が暴かれる日でもあるだろう。
今は 夢 などと誤魔化している、瑠衣が知りえない情報の数々が、前世の地球でやっていたゲームの世界に転生したために得た物だなんて言ったら「何それ、すごい話だね」と、一蹴されそうだけれど。
「来ますか? そんな日。」
「きっと来るよ。抱え込んだ煩わしい荷物を降ろせる日が。ま、その時僕らの関係がどうなっているかは知らないけど。」
「どういう意味ですか?」
少しだけ寂しそうにうつむいた史郎に問いかけるも、史郎からの返事はなかった。
代わりに、横からとても不機嫌そうな第三者が、炊事場の開いていた扉を叩く。
「お前等随分と楽しそうだな。」
そう言って入ってきた翔は、ただでさえ強面の顔の眉間に、いつもの3倍くらいの深いしわを刻みながら、史郎を思い切り睨みつけていた。
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